Open Sesame!

日々の観劇の感想や感じたこと

2015/12/9『シルヴィ・ギエム ファイナル』川口リリアメインホール

 

有吉京子先生の漫画「SWAN」のファンである私が、ミーハーな気持ちで観に行ったシルヴィ・ギエムの引退ツアー初日の感想です。

 

私にとって、初めてのダンス公演観劇となりました。

 

ミュージカルが好きな私にとって、ストレートプレイでも長いなって思う時はあるので、ダンスのみで耐えられるのか?眠くならないか?と考えていたのですが、まったくそんなことはありませんでした。

19時スタートの、20時45分終了予定で二回の休憩をはさんでいるから当然かもしれないけど。

仕事を終えて、会場である川口リリアのメインホールへ。
普段観るミュージカルや舞台とはまた違う客層。おそらくバレエなどをやっているであろう子もいました。
観劇マナーは大人よりも子どもの方がずっといいですね、食い入るようにだけど静かに前のめりにならず観てましたよ。
大人は寝るし動くし喋るし最悪ね。今まで行ったどの舞台よりも一番最悪な観劇マナーでしたね。
うん、怒りが思い出されるので多くは語りたくないですが。

 

 

シルヴィ・ギエム

100年に一度のダンサーと呼ばれる、女王。
私が彼女のことを知ったのは、有吉京子先生の漫画「SWAN」の続編である「まいあ」の中で。

主人公まいあの友達フィオナが「ギエムばりに上がる」と言われていた脚。
ギエムって?と思い、検索。そうして知ったのが、シルヴィ・ギエムでした。

一目見てみたい、そう思っているうちに彼女が引退してしまうとのこと。
では、今観に行かなくては一生後悔するだろうとチケットを取りました。
以下は、初めてダンス公演を観る、バレエもモダンもコンテンポラリーもなんだかあまりよくわかっていない漫画知識しかないド素人の私が書いた、感想です。
あまりにも無知で、万が一ダンスを、バレエを、知っている人が読んでしまったらいろいろと非常識かもしれません。ご了承ください。

 


『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』

一作目はこの作品。
東京バレエ団の方が、女性6名男性3名で踊る。
全員レオタード姿で、女性はポワント。
セットは何もないのかと思いきや、頭上にはなにやらぶら下がるものが。

 

ダンスだけなんて退屈してしまうのでは?、という考えは始まってすぐに払拭された。
何しろ、9名ものダンサーがステージの上をあちらこちらに動きこれでもかというほど洗練された肉体を動かしていれば、目が休む暇なんてない。
左目のコンタクトが乾いて痛かった。
私はどちらかというと女性ダンサーのしなやかさの方が、高く上がる脚を見る方が好きだと思っていたけど、こうもダンスだけに集中するとどちらにも良さがあると実感させられる。
細くしなやかな女性の体。
強く逞しい男性の体。
どっちもいいなあ。

これでもかというほど激しく動き、かと思えば歩いて普通に退場する。練習風景を切り取ったよう。
この話に物語はあるのかな?と後から検索したところ、特にないらしい。
ギエムが「なんて振付なの」と言ったそうだけど、私もところどころ思った、なんて振付なのって。
あと、ダンサーたちがあまりにも軽々飛び、軽々脚を上げるものだから忘れがちだけど、とってもハード。
ダンサーってすごい。
ポワントの音がカツカツ鳴るのが、私は結構好きだったりする。ポワントに憧れがあるせいでしょうか。


そして、これだけ人がいると目立つ人がいるもの。
私が注目して(拍手が一番大きかったので私だけじゃないけれど)いた女性。
女性なのにダイナミックで情熱的でエモーショナル。
高い身長に強気な雰囲気が漂いつつ、崩れないバランスに高く上がった綺麗な長い脚。
細く壊れそうなのが女性バレエダンサーのイメージだったけど、もっと、強くかっこいい、しっかりとした線の身体つき。
SWANならラリサのイメージ。上野水香さんという方らしい。

 

そして、男性。
肩から腕へしっかりとついた筋肉が美しい。
とにかく筋肉があって、細いというよりはたくましい体つき。顔や髪型の雰囲気を含めてもレミゼのアンジョルラスを彷彿とさせる。
女性をサポートして踊る時もなんだか情熱的で、技術に関してはよくわからないし何がどうとか言えないけれど、その色気にただただ目を奪われた。
色を付けるなら、赤。そう、やっぱりアンジョルラスの衣装が似合いそう。つまり私が好きな雰囲気だということ。柄本弾さんという方らしい。
上野さんと柄本さんが組んで踊った時は、急に舞台上が華やいで見えた。
ええっこの作品にそんな振付あるの?と思うくらいになんだかパッションが弾けて…同時に、緊迫感がある。
振付も曲もそんなではないのだけど、まるで張りつめた空気の中でタンゴを踊っているように、私には感じた。色っぽい雰囲気でした。
柄本さんがくるっと回ると髪から飛び散った汗…ああ、有吉京子先生が書いているのは本当なんだな、なんて思ったりもしました。
ダンサーの、美しい筋肉ついた背中を落ちていく汗が見えて、やっと彼らが生身の人間だということを思い出す。同じ人間とは思えないダンサーさんたち。

突然終わりを迎えるこの作品、けっこう長かったと思うけどずっと胸が充実していて心地よい感覚。とても楽しかった。
ダンサーさんの身体の美しさやひとつひとつの技、ポーズに酔いしれることができる作品です。

もう一人、印象的だったダンサーさんがいて。
その方はずいぶんと線の細い男性ダンサーさんで、なぜ彼はこんな振付なんだ?というような、ちょっと面白くなってしまったりして。

 

『TWO』

ステージに現れたその身体から、光が放たれているのだと思った。
オレンジ色のオーラがゆらゆらと。

数秒経って、それが照明のものだと気付く。

広いステージに一人ギエムが存在し、照明で縁取られたその場所から動くことなく踊る。
動かされる肩甲骨から肩、肘から指先までを繋ぐそのラインとしなやかさに目を奪われた。
なにより、ちらりと目に入ったつま先。
情報として頭にあっても、視覚から入ってきたものとすぐに結び付くわけじゃない。
それなのに、ただその見事な足の甲のラインに息を飲んだ。
そして理解する。ああこれが、ギエムの足なんだ、と。

さっきまでも何人も素晴らしいダンサーを見た後なのに、そのうえで美しいと思う体が、彼女は全身が、ひとつの芸術作品なのだと思わされた。

曲が激しくなるにつれ、照明の凄さにも気付く。
まるで彼女自身が光り輝き、その長い腕からオーラを放ち残像を残しているように見えた。
切り裂くのでも包み込むのでもない。美しく、強くしなやかな肉体が生み出す、光の線、残像。
後で確認すると、照明デザイナーさんという方がいるらしい。ほう、凄い…。
照明、振付、曲、それらすべてをそこにひとつの作品として体現したギエムの存在感。

彼女が踊る間は本当にあっという間で、私は左目の痛みも忘れていた。

 


『ドリームタイム』

ステージにの中央と後方に下がる、謎のキラキラした幕。
東京バレエ団、女性ダンサー3人と、男性ダンサー二人の作品。

振付としては一作目と比べて、私が思い描いていたバレエ的なものに近かった。

細くしなやかな女性らしい動きをする女性ダンサーと、それをリフトし支える男性ダンサー。
ゆったりとした女性の動きから始まり、まるで夢心地とうっとりしていると、忘れそうになる。

そう、女性をあまりにも軽々と持ち上げているけれど、その女性にだってちゃんと体重はあるわけですよ。
いくら脂肪がなくたって筋肉はあって、あれだけハードに汗だくになっても踊れるだけの身体ですから。
初めて本格的なダンスを見た私にとっては、とんでもない技だなと感じるようなリフトもあって。
まるで、そこだけ重力がおかしくなっているんじゃないかと錯覚します。

 

 

ボレロ


私にとって目当ての作品であり、おそらくこの公演の中でも目玉であろう作品。
私がボレロを知ったのは、やっぱり有吉京子先生のSWANの中で。
真澄が、私にはバランシンのバレエは、モダンは理解できない。
私はクラシックで育ってきた、クラシックのように感情表現のないモダンを理解できない、とモダンを踊ることはできない、と完全に委縮してしまった真澄に対し。

「モダンには感情表現が無いだって? 君はモダンをまったく理解してないよ!モダンほど自分を表現できる踊りはないのに!」

そう言ってルシィが踊って見せたのが『ボレロ』だった。
私は、SWANに登場するキャラクターの中でルシィが大好きで大嫌い。この作品を引っ掻き回し、真澄の心の中を引っ掻き回し、私の心の中も引っ掻き回した。
金髪のくせ毛に、有吉先生独特のあの、何とも言えない色気に溢れた目。男にも女にも恋をさせる、ルシィ。
そんなルシィが、夜のバレエスタジオで踊って見せたボレロのシーンは、SWANのNY編の中でもとくに印象に残る。
正直、レオンよりも印象に残った。
自分勝手に命を懸けただけの、ルシィなのに。
そんなルシィが踊った「ボレロ」が気にならないわけがない。

ルシィにはモデルがいるとのことで、それはボレロの振付師であるモーリス・ベジャールの分身とも言われたジョルジュ・ドン。
写真を見て吃驚した。有吉先生が描く人間は三次元にいないと思っていたら、そこにはルシィがいたから。

彼が踊るボレロは映像にも残っているので、もちろん見た。気になったものはとりあえず見てみないと気が済まない。
でも、正直言って何が凄いのかよくわからなかった。
単調なボレロという曲。物語があるようにも感じないし、少しずつ変化していく振付が続くだけ。
もちろん彼の身体や技術は素晴らしいのだろうけど、素人の私には理解できないのかもしれない。

「私にはボレロなんて理解できないのよ!」

真澄のように嘆いたのが、この作品に触れた最初。


そんな経緯がありつつも、どうしても観てみたくてこの夜初めて『ボレロ』を観ました。

 

円卓の上にレオタード姿のギエム。
その周りを取り囲む、数十人の男性ダンサーたち。
メロディを踊るギエムと、リズムを踊る男性ダンサーたち。

静かに始まった曲が徐々に激しくなっていく。
その曲の中心で、ギエムの繊細で力強い、鋼のような体がまるで神聖な儀式のように踊る。
男性ダンサーたちも、まるでギエムの虜になっていくみたいに取り囲み踊る。
ギエムが虜にしているのか、囚われているのか…
振付が生々しくいやらしいわけじゃない。ギエムの体つきは鍛え抜かれたダンサーのそれで、言ってしまえば女性らしい丸みはない。
それなのに、なぜだか官能的で。
神聖なものに触れてはいけないという緊迫感と、だからこそ触れたくて堪らないという欲望と衝動と。
男性ダンサーが少しずつ踊りに加わっていく様子が、そのギエムの禁忌的な官能性に引き寄せられているように見えて。

高く上がった脚だとか、高く飛ぶための地を蹴る動作だとか、股関節がなくなったんじゃないかと錯覚させるような開脚とか。
そんなもう私にはよくわからない技術的なところよりも、曲の激しさと共に増していく熱量に、とにかく胸が熱くなった。
祭壇を取り囲むような男性ダンサーたちが全員加わりリズムを刻み、より一層激しくギエムが踊り。
曲は終了する。


15分の上演時間。
言葉もなく、歌もなく、流れる音楽の中に計算しつくされた照明と振付。
普通、ミュージカルの歌を一曲聴くだけならおよそ5分足らず。長いか短いかと言えば、私は15分という時間を長いと思う。
でも、このボレロの15分は本当に本当に、あっという間だった。そう感じた。

 

曲が終わり、拍手が鳴り響いた時、私はうっかり前のめりになった。
身体が自然に、立つ準備をした。
どう考えても、早すぎる。
普段スタオベなんて滅多に進んでやろうとしないうえ、周りを一応きょろきょろ見てから立つ私が。
スタオベの衝動ってこういうことなんだ、と思いながら大人しく背もたれに背中をつけて拍手をし直した。
鳴り止まない拍手と声援と、何度も何度もギエムもほかのダンサーたちもお辞儀をする。

ギエムは、マイクはついていないので聴こえないけれど口元で「ありがとうございます」と日本語で何度も言っていた。
笑顔がかわいらしくて、それはさっきまであそこで強く踊っていた彼女とは別人のようだった。
周りのスタオベに合わせて私も立ち上がり、最後までギエムや東京バレエ団のダンサーさんに拍手を送りました。

 

とても、素敵な夜でした。
幼い頃から舞台を観ることが普通だった私にとって、映像越しで観るものと「生」で観ることの違いは理解していたつもりだった。
それでも、映像と生ではこんなにも迫力が違うかと驚いた。
やはり、生の魅力があるものは実際に劇場に足を運んで自分の目で、目の前にある実物を見て曲を聴いて空気を感じて触れて体感するものだなと。
そう考えると、もうジョルジュ・ドンのボレロは生で観れないことが残念だ。
ぜひ、あの人も観てみたかった…
いやでも、100年に一度と言われたダンサー、シルヴィ・ギエムを観ることができたんだからそれだけで私は、その100年の間に、今こうして観ることができたラッキーな人間だ。

 


あと、またSWANの話になるけど、続編で真澄が見せたという春の祭典での官能性。
ショートヘアにダンサーの体つきで普段色気なんてない真澄がモダンの中で官能性なんて…
って思っていたけど、つまり有吉先生が言いたいのはこういうことだったのかなって。
男性だとか女性だとか、そういう性の先にあるいろんなものを超越した雰囲気に、官能性さえ感じさせる。
ギエムのようなダンサーとして真澄を書きたいのかもしれないなと思いました。

 

 

2015/12/22「残酷歌劇 ライチ☆光クラブ」アイアシアター

 

ライチ光クラブ
それはある共同体においては
そう規定されている

しかし
これは東京グランギニョルライチ光クラブか?NO
これは江本純子ライチ☆光クラブか?NO
ライチ光クラブとは曖昧で実体がない

ここ
アイアシアターにおいて
この舞台は 残酷歌劇ライチ☆光クラブ と規定される!』

 

まさに、こんな感じでした。
一度は舞台化された作品を、改めて歌劇という形で生まれ変わらせた意味というか、その結果をしっかりと見せつけられました。
東京グランギニョルが当時上演したものとは結構違いがあるという兎丸先生の漫画。その漫画も、本編だけではなく番外編としてぼくらのひかりクラブが上下巻ある。
江本純子版の舞台はその本編を、今回の残酷歌劇においては番外編を混ぜ込みより一層兎丸先生テイストが増したものへ。
この二つの舞台、まったくの別物です。同じ原作なのに。
私がこの作品そのものを知ったのは今年で、江本版ライチはDVDでしか観たことがないうえ感想を書いた時にはしょっぱなから「おいおい原作のカタルシスどこいった?」って感じに酷評した部分もあったんですが。
「ミュージカル死霊のはらわた」とか「ロッキーホラーショー」が好きな私は、ああいうあえてのチープな演出というのが大好きなのです。
だから、ダフの自慰シーンとかヤコブの人形とかカネダの逆パカとかめっちゃくちゃ楽しかったんです。
あの、なんともいえないアングラ感や妙な生々しさがライチの作風に合っているなと。今では、改変なども含めて「江本版 ライチ光クラブ」として繰り返し楽しくDVDを観てます。そんな経緯もあり、私の脳内の舞台ライチ光クラブは大量の血糊ブシャーふざけ倒してやるぜキャッハーン!みたいな映像で埋め尽くされており、画面越しでしか観たことのないあの小さな地下の秘密基地に取り残されていてました。

そして、今回の「残酷歌劇」
ぶっちゃけ、全然グロくない。多分、グロ苦手な人でも普通に観てられると思う。
スタイリッシュ!かっこいい!そんな言葉を、まさかライチで使うことになるとは!
まず、セットが思っていたよりすっきり。踊るスペースの確保かな。
というか、私の席がかなりかなり前方の端っこの席で、アイアのあの席はほんと見切れ席として売り出すべきだろうというような場所でして。
セットが良く見えない、正面を意識して作られた演出でしょうから端からだといろんな仕掛けが見える見える…ちょっと残念。開演5分前になんとか着席して、そわそわ待ちました。だって、ようやくこの作品を生で観られるわけですから。
女教師のエラガバルスについての授業から始まり…
いやもう、江本版とはかーなーり違う。なにせ、今回は歌劇ですから。歌うわけです。

「ラーララーラーイーチー光ークーラーブー♪」

ええええええ!
女教師の処刑シーンで、うっわーこの人スタイルめっちゃいいーって思ってたらなんか急に夕暮れみたいなライトが点いて歌いだすわ女教師はポールダンスを始めるわダンサーが出てきて踊りだすわで、なんだこれ、テニミュか!?なんかもう、凄い!!!凄いぞ残酷歌劇!!!
おおまかな流れや台詞は基本的に漫画通りで、そこも改変の多かった江本版と違います。そこに「ぼくらの光クラブ」が盛り込まれてきて、その分本編の台詞カットもありましたがとてもよかったです。
ゼラとジャイボの出会いのシーンを観られるとは思いませんでした。 「♪ミカン♪電線♪富士山♪スプーン♪木材♪鎖骨♪ゼラ♪ゼラチン♪ゼラ」
子どものジャイボって色っぽいし、ゼラの何色にでも染まっちゃいそうな小学生の危うさが堪らない。
なにより、タミヤ、カネダ、ダフ、タマコのシーン…あの、メッセージを込めた瓶のシーン。
それだけならただただ、感動的な場面だと思う。
けど、演出として舞台ならではですごく良かったのが、舞台前方では4人の良いシーン、後方ではダフの自慰シーンなんです。
同時に進み、自慰を終えたダフが絶頂後息切れしながら願い事を言った時に、展開を知っている私はただただ…泣くでもなく、息をのんで憐れむことしかできない。
いいんだ、ダフ…君はそこそこ健全だよ…
しかし、女教師惨殺の辺りから抱いていた違和感はここでさらなる疑問へ。
血糊が…ない?ダフの処刑までの流れは最高に良くて、ぼくらの~を読んだ人ならみんな感じたであろうタミヤの切なさ。あれをしっかり再現してくれていたのだけど、ダフの額を打ち抜いたのに、血糊が…ない。
その後、カネダの処刑シーンも…血糊が…ない。しかも逆パカじゃない!なんだって~!
観ている時にはわかりませんでしたが、改めて江本版を思い返してみると三人娘がうるさかったのを思い出します。
でも、あの三人娘は必要です。だって、血糊の掃除が必要なんだから!
というわけで、今回はダフやカネダなど途中で死ぬ人物に関しては血糊を出さず掃除の時間を稼がなくていい演出になったのだなと納得しました。

ゼラが疑心暗鬼になっていくシーンを、残りのメンバーたちのダンスで表現するところは素晴らしかった。
あっかんべーをしながらゼラを囲んで踊る…狂気です。怖いです。ゼラじゃなくたって怖いよ。

ニコの目玉のシーンは…江本版と合わせても一番グロいシーンだと思う。

そして、ライチとカノンの様子を丁寧に描いてくれたことがとてもうれしい。
江本版ではそこがカットされた分、少年たち(主にヤコブや雷蔵)の出番が増えていたけど、兎丸先生の漫画を原作とするならやはりカノンの歌は必要だと思うので。
カノンが歌う賛美歌や、オルガンを弾くシーン、ともに眠る場面。
何より、二人が踊るほんの少しの時間。ライチは怪物にされてしまった王子様で、カノンはお姫様。そんな空想を語るカノンと、合わせて踊るライチのシーンはあまりに美しくて、幻想的で、なんというか…
ゼラの思想が”常識”になっているおかしなあの光クラブの中で、カノンは、ライチは、あまりにも眩しい存在すぎる。
その神々しさと美しさに、涙がじわじわと込み上げました。
そこからはもうラストに向かってグランギニョルが進められていくのみ。
血糊の少なさに物足りなさが半端なかったわけですが、ここでテンションが上がります。ヤコブ、雷蔵、デンタクが殺され…ジャイボが逃げ…ゼラがカノンに触れていたその時…

た、滝だ~~~!ってそんなまさか!

本当に頭上から大量の水が!最前列の人達に配られたビニールは、血糊避けではなく水避けだったらしいです。ほんとに容赦なくザーザーと水が降ってきます。滝だー!ここは地下だから、こんなに水が降ってきたら埋もれて基地が沈んでしまいます。

「ぼ、ぼくの光クラブが~!」
そりゃあゼラだって慌てます。

「なんか間違ってねぇか!」

「ここは俺の光クラブだー!」

タ、タミヤ君~~~~~!
私の中のカネダとダフが感涙です。
そう、このシーンはね…なんかもう言い表せない。
階段にタミヤがいて、そこから鉄パイプを持って叫びながら飛び降りてゼラに殴り掛かる、ここのタミヤのかっこよさ。漫画と一緒だった…(涙)
ここでいろんな謎が解けます。
斜めになった舞台。これは、舞台前方にだけ水が集まるようにという配慮。制服にブーツという謎の服装。これも、靴に水が入って動きにくくなったりしないように。
カノンの制服の変な生地。妙にテカテカしてビニールみたいだなと思ったら、水に濡れて重くなったり乾きにくかったりしないようにということですね。
気付けば、あっという間にゼラが死んで、あっけなく終わってしまう。
その「あっけなさ」こそ、この漫画ライチ光クラブだと思うんです。
人間の命のように、若さのように、美しさのように、永遠ではないあっけなさ。
吹けば飛ぶ、花のように散る。
江本版では玉座に座って死んだゼラも、今回は他のメンバーと同じように床に転がって死んだのも良いと思った。
水の中で、おそらく腐乱し、そこに何があったか、どんな惨劇が起きていたのか、誰がいたかなど何も知られないまま命を散らした光クラブ
そして、まさか世界中の科学者が集まっても完成しないであろうライチを燃料とする感情を持つロボットがそこにいたことも、誰も知らない。
知るのは、ひとりの少女カノンだけ。カノンの人生のほんの数日間にだけ存在する、通り過ぎて行く青春の記憶。

「さよなら、ライチ…光クラブ

 

ゼラ@中村倫也さん
→キャストを見た時、なんとなく納得しつつもいまいち想像できなかった。
中村さんと言えば私の中ではRENTのロジャーで。でも、映画とかでは個性派俳優という感じで、なんとなくゼラも想像できるし…?みたいな。
舞台上に立つ彼を見て、「兎丸先生の描いたゼラだ~!」という感じです。こんなにもハマるものなのかと。
木村了のゼラは江本版のゼラで、またちょっと違う。漫画自体、ガチで狂気渦巻くというよりは客観的に、冷静にその狂気を見ている感じの作風だから。
なんか冷静になると変な奴で笑えちゃうのがゼラ。まさにそういうゼラだった。木村ゼラも笑えるゼラだったけど、大人の男の雰囲気も持っててもっと自信家なパラノイアっぽかったしテイストが違う。もっと子どもっぽい。小学生の頃のゼラがまだ生きてる。やっぱり、ここはぼくらの~を混ぜてきたからこそ。ゼラの家庭環境などのバックボーンが垣間見えるからこそ、ゼラがより複雑な人間らしく見える。
自分は凄いんだ!と「過信しまくっている」木村ゼラ。
自分は凄いんだ!と「思いたい」中村ゼラ。
という印象。タミヤへのコンプが見えた。
光クラブの憧れの対象にまで上り詰めておきながら、ナチュラルにリーダー気質を備えた人望があるタミヤには張り合えないと知っていたんだろうね。
タミヤ君が裏切るから悪いんじゃないか!」タミヤ君とか言っちゃってるしね!うわぁ~ただの常川くんだ~うわぁ~。
もうね、ライチいったん停止あたりからはゼラに対してニヤニヤが止まらないんです。
中村ゼラが、わかる!原作ではこう聞こえてたよ!ってトーンで台詞を言ってくれるものだから、こっちは内心ひーひー笑ってました。ゼラの滑稽さに。
君はエラガバルスに憧れながら結局大人の真似事をして、君の嫌いな大人と同じことをしているんだよ~~って耳元で言ってあげたい。ああ、ゼラかわいい!
中村ゼラ、とにかく可愛いんです。あと、当たり前ですが歌もうまい。歌でダンスで、しっかり締めてくれるイメージ。
あと、今回特に感動したのはゼラが死ぬシーン。
江本版ではゼラが自分で制服のボタンを開け、なぜか後ろから便器を持ったニコが登場すると言う謎演出でしたがw
今回は、しっかりゼラの腹を便器が貫いてくれました。絶対無理だろうと思っていたので嬉しいです。君たちも、結局醜いと思う大人と一緒なのさ。

ジャイボ@吉川さん
→き、菊馬ぁ…
ほんっとに申し訳ないけど、ほんっとに綺麗な顔してるしスタイルもジャイボなんだけど…菊馬がちらつくんだよ~~~!オカマの菊馬にしか見えないんだよ~~!声が同じで顔も同じだから、うまく演じ分けているようでもちらつく…あと、私と吉川さんで解釈違い起こしてる。
吉川ジャイボは「オカマの少年」にしか見えなかった…
私が玉城ジャイボを好きすぎるんだと思うんだけど、ラストでネタ晴らしするところの狂気が…うっすーい。
なんていうか、普通なんだよ。普通のオカマなんだよ。雷蔵と被りすぎてて、どっちなのかパッと見でわからないんだよ~~!
ジャイボに関してだけは常川さんに同意。何を考えているかわからない謎で猫で、みたいなのを求めてた。
もっとこう、不思議な存在っぽく演じてほしかったな…
「声変わりが始まったよ ひげもうっすら生えてきたよ」のところが、可愛すぎた。
ああなんて言うんだろう、恋する乙女?だった!吉川ジャイボは乙女だ!
「僕を捨てないで」って、可愛い猫が訴えているように見えた。
玉城君のは「ゼラは渡さない!女殺す!みんな殺す!」って感じだったんだよね。
幼さゆえの純粋な悪意、執着、っていう玉城君のそれが私の中の基準になってしまったんだ。
ただ、前作にないからか子どもの頃の出会いのシーンはすごくハマって見えた。可愛くて、幼くて、でも色っぽくて、女の子みたい。
女の子みたい、っていう台詞があったから吉川さんは女の子のようなジャイボを演じて、ゼラに女の子として見てほしいと思っていたのかもね。

タミヤ@玉置さん
→脚の長いタミヤだ!!
今回見て、私結構中尾くんのタミヤ好きだったんだな~って思った。あの熱量とか兄貴感。ただ、中尾くんに足りないのは原作に近いビジュアルだったので…
今回の玉置さんは、そういう部分では中尾くんに比べタミヤでした!顔立ちやオーラはちょっと思ってたのと違うけど…いや、それはただ私がタミヤ三浦春馬にやってほしいだけなんだけど…
ゼラほどの頭ではないけど勉強できて家族大好きで親友も大切にしてるぜ!みたいなタミヤでよかった!
階段の上からジャンプした時や水をザブザブ蹴り上げながらゼラと戦うシーンは感動した。あと、カノンとのやりとりとか。タミヤって最高にかっこいいわ。
ヒーロー感のあるタミヤでうれしかった!

デンタク@BOWさん
→あっ女性なんだーと気付きはしたけど違和感0。すげ~~死ぬ時の間接あっちこっちな感じも、ダンサーさんならでは。パンフレットのコメントも、面白かった。
デンタクってこうだな~って思ったし、中学生っぽい。

雷蔵@池岡くん
→さとちゃんの雷蔵良かったからな~どうかな~あれ…可愛い…のに、男らしい…いいじゃない!
「男子どいて!」っていう声が低いとか、オカマキャラの扱い方わかってるな~
演技うまいんだなって印象がついた。ゼラにあっかんべーしながら踊ってる時、ホント怖かった…狂気の顔だよあれ。
死ぬ時のあの壁…あれ…どうなってたんだろう?なんで気付かなかったんだろう?
「お母さーん!私にも生理がきたわよー!」って台詞はそういえば原作にはなかったんだって気付いたw

ダフ@味方くん
→ご、ご両親とか観にこない?大丈夫?
役者として生きていくであろう彼、きっと一皮むけたのでは??自慰シーン、前回真央くんのアレもやべぇと思ってたけど、今回はなんかもう、ガチの自慰シーンだったのでもっといろんな意味でやべぇ。
でも、ちゃんと鬼気迫るシーンであることも理解したうえで演じているのが伝わってきて、ダフに対するなんともいえない思いがこみ上げてきました。よかった!

カネダ、ヤコブ、ニコはいまいち印象に残らなかったな…ニコは…ニコだったよ、うん。

 ライチ@皇希さん
→ダンサーさんだったのか。
こちらも、可もなく不可もなくというか普通にライチだった!
個人的にはもっとでけーなぁ…って人にやってもらいたいなとも思うけど、今回は踊れる人の方がよかったってことかな。

カノン@七木奏音ちゃん
→すっごく可愛い…今までのカノンや帝一の美々子の中で一番兎丸顔の女の子だと思う!ほのかりんちゃんも美少女だけど現代的すぎると言うか、兎丸先生の画風から遠かった気がした。
澄んだ声から歌…綺麗な身のこなし…
いやしかし、彼女もご両親が観に来たりしないのだろうか…
ダフがスカートの中に頭突っ込んでましたけど…いやでも、なんていうんだろう、カノンの何を考えてるかわからない感じ?ちょっと不思議な美少女みたいな感じが良く出てました。可愛い!
歌えて踊れる美少女がカノンを演じてくれてよかったです。

女教師や東京ゲゲゲイの方たちも凄く良かったです…
なんかもう、述べきれません。

そしてそして、中村ゼラと木村ゼラのWゼラ対談がパンフレットに載っていました~!わ~!その中で、この作品を「隙がある」作品だから愛されると、中村さんが言っていました。

それを聞いてとても納得しました。
普通に考えたら、この話はどう考えてもおかしい。
まず、子どもたちだけで地下室であんなことをして集まっていて人が気付かないものか?女教師や生徒が殺されていて、気付かないものか?
ライチの実を燃料にしたロボット!?人間と同じ感情を持つロボット!?それをたった1年で!?中学生がたった三年で埋立地に赤い森を!?NO!笑
とにかく、ツッコミどころが満載。作者もそのつもりで描いているようだから、耽美系ゴシック系、エログロ、というよりは「それっぽさ」を中二くさく取り入れながら冷静なツッコミを待っている感じ。
そういった、ツッコミやすい作品だからこそ読者が自分の好きに解釈できるんだと思う。
理論や美学をみっちり詰め込んだような計算に計算を重ね、矛盾のないよう緻密に練られた作品だったら、また別の部分でウケるかもしれないけどもっとマニアックでとっつき辛くなる。
それなりに手に取りやすく、中二心をくすぐりつつ、なんちゃってアングラを体験できるところがこの作品のいいところ。
とんでも展開が繰り返されるが、主人公たちの悲劇っぽい大衆的な終焉。

「若さゆえの純粋さと愚かさでもあり、ツッコミどころは満載だけど悲劇的」
ああなるほど、「ライチ光クラブ」って「ロミオとジュリエット」なのね、と納得しました。
大人になる前の不安定で多感で、大人でも子どもでもない不完全な青春の刹那。
本当にその一瞬でしかない一番綺麗な時間に、何に出会ったか。
ロミオは愛すべき存在ジュリエットに出会い、ゼラは自分を崇拝してくれる光クラブに出会い、それ以外の面子はゼラに出会ってしまった。
そのどちらも、終焉は主人公の死。子どもゆえの視野の狭さで起こしてしまった悲劇。
どちらも隙だらけの作品で、だからこそ惹かれてしまうんだなと。
ライチの方はもちろん血と内臓とエロと同性愛と…みたいな作風だけど、ラストでは悪のゼラ(と言ってはあれだけど)が滅びて、ヒロインカノンが生き残るわけだし。
大衆はやっぱりそれを望んでるってことかな。
ゼラが疑心暗鬼になったあたりから怒涛に押し寄せるグランギニョル
もうやめて!とは不思議と思わない。ゼラが追い詰められ、最後には全員死んでしまい、カノンだけが生き残るラストはなんだかちょっとスッキリする。
カノンはこれから大人になる。たくさんの取捨選択を迫られながら、自らの人生を歩んでいく。
光クラブの時は止まったまま。
子どもらしい夢と希望を、疲弊した大人や町が禍々しい野望に代えてしまった少年たち。

「この機械が完成したら僕たちは無敵だ!」

無敵のはず、だった。狂気渦巻きつつも輝いていた、その瞬間があったのに。
お前らバカだなあとさえ大人の視点から思ったはずなのに、良く考えれば言いたいことはたくさんあるのに。
やっぱり、すべてが終わり水に沈んだ秘密基地を見ると、悲しくなる。切なくなる。その儚さに思いを馳せてしまう。ノスタルジックな感傷にさえ浸ってしまう。
頭と心は、別のところにあるんだなあと思う。
ロミジュリもライチも、そう。
いつの時代も、人が求めるものは同じなのかもね。

願わくば、今度はもう少しこじんまりとした劇場で観たいです。

 

2015/11/27 「黒執事-地に燃えるリコリス-」ソワレ 赤坂actシアター

 

黒執事-地に燃えるリコリス2015-

 


去年も観ているのでストーリーの流れや結末は知っていました。
けど、演出や大道具、装飾が結構変わっていたのでなんか…うおおおってなりました。

actシアターだからできるのかわからないけど、全体的に華美で派手な感じになっていて感動した。
今回の方が断然いいです!私が初めて観た黒執事もactだったからその時を思い出した。
音響も、ブルーシアターに比べればマシ!(それでも酷かったけど、会場のせい?)
ロミジュリも同じ会場で録音でやってても、もっと綺麗に聴こえたのは席の問題かな?
なにはともあれ、よりミュージカルらしくなってくれてうれしかったです。

 

ストーリーはもう今更感想を書くまでもないので、役者個人について語ろうとしたら…
思い入れのある人がたくさんいて、また長くなってしまいました。

 

セバスチャン@古川くん

→初演から四作も務めた松下セバスからのバトンを受け取り、それも去年やった演目を再演でなんて、ハードルが高過ぎるのでは?と。

どうしても、二代目と初代は比べて見てしまうので。
それが、もう、素晴らしかったです。
特別ファンです!というわけではないのですが、古川君のことは「エリザのルドルフ」「ロミジュリのロミオ」「レディベスのフェリペ」と大きな舞台でソロがあるような役で何度も見ています。
だからこそ声量は大丈夫か、演技は大丈夫か、そもそもが歌手である松下くんと力量やテクニックで比べられてしまうんじゃないか
そうなることで、演じることに委縮してしまうんじゃないか、松下くんの演技に引っ張られてしまうんじゃないか、と勝手な心配をしてました。

けれど、舞台を観て「彼は役者なんだなあ」と納得させて頂きました。

思えば、初めての帝国劇場であるエリザではトリプルキャストで歌うまの平方さんと比べられ

ロミジュリでは城田君や柿澤さんと比べられ、レディベスでは再び平方さんと比べられ…

それよりも前に、テニミュでは二代目三代目と頑張ってきた相葉君と比べられ…
そんな環境にずっとずっと身を置いてきた彼が、今更誰かと比べられることで演技を左右されるなんてことはないんだろうな、と。

どうにも弱々しく儚いイメージが強かったのですが、セバスチャンで見事にそのイメージを払拭してくれた。
古川セバスを観ていて一番思ったのは、あまり小野Dを意識していないなってこと。
基本的なトーンはもちろん近いんだけど、松下くんは初演はともかく(それでも寄せてきてたけど)千の魂~の当たりはかなり意識していたと思う。
それこそ、リコリスで松下セバスらしさがぐんっと開花した気がした。それは、アニメにある話だから違いをより感じたってことなのかもしれないけど。

松下セバスとの違いで特に感じるのは、古川セバスは『役者』が演じてるんだなということ。
演技は「声」だけじゃない。とにかく全身でセバスチャンという生き物を演じてる。
バレエが基盤のダンスの素養がある分、繊細で美しくて細身の古川セバスの良さが出てる。
怪しい動き、仕草、表情…いろんな舞台で培ってきた、彼の役作りなんだと。

 

松下セバスの悪魔らしさは、シエルへの枯渇。
古川セバスから漂う悪魔らしさは、シエルへの余裕。

 

どちらも悪魔を解釈して演じてるんだなって思うと感動する。
後は何より、松下セバスは面白くて彼の人柄が出ていて、笑いに理解のありそうなセバスだったなとw
古川セバスは静かで笑いに対してもちょっと冷めていそうでありつつ、必要とあらば面白いこともやってみせる、そんな感じでした。だから、古川セバスの方がグレルにも冷たかった気がする。

どちらも彼等が作り上げたスタイルで、しっかりとセバスチャンでありながらこれだけ違う魅せ方ができるのかと感動しました。

あと、古川セバスの腰の高さ足の長さ細さ顔の小ささが人間離れしてて、立つだけで異次元の存在。見惚れます。

初めてルドルフ演じてた時なんてもうずいぶん前だけど、歌も上手になったなあとか色々考えてしまいました。

とにかく、古川セバス素晴らしいので一度は見てほしいです!!!


シエル@なゆたくん
→もう…もう…感動しました…
シエルの「出して」から始まって、そこから歌や台詞が続いて…私はそれだけで涙が出てしまった。

去年のなゆた坊ちゃまといえば、とにかく小さく、子どもが台詞を言わされてるって感じで…良く言えば及第点、でも正直なところ変な発声や語尾の癖が気になって仕方ないので次は変えて欲しいと思っていました。

それが、本当に…子どもの成長というのは早いですね。まず見た目は小さな坊ちゃまではなくフィニとそう変わらない身長まで伸びててどう頑張っても片手抱っこはきついなって感じになっていました。
でも、成長は見た目だけじゃない。
第一声から、台詞や歌がちゃんと”シエル”だった!
この一年の間に、こんなに成長するなんて、と。

多少癖は残っているけど、そこにいるのは台詞を言わされる子どもじゃない。
「なゆたくんが演じるシエル」であり「子どもながらにファントムハイブ家の当主として英国女王に仕える番犬」なんだなって。

彼なりに解釈してシエルを演じているのが台詞の端々から伝わってきて感涙しました。
もちろん去年も彼なりに考えながら演じていたのでしょうけど、初舞台への戸惑いが多く感じられたのと比べ、余裕もあった。それがまたシエルらしさにつながる。
歌もうまいとは言い難いけど、去年よりずっとずっと良い。
最後のディンドンとか本当に本当に切なくなった。
なゆた坊ちゃまがあまりにしっかり背筋を伸ばして堂々と演じているものだから、最後のアンダーテイカーの「その指輪はまるで首輪のようだねぇ」という台詞が余計に重く、重く感じた。
子どもなのに、子どもではいられない哀しさを。

そして、セバスに対し「お前だけは僕を裏切るな!」と言う時の立ち姿。
あの衣装、あの帽子、杖、台詞。それが全部似合って、似合っているからこそ悲しくて、そこに立ってる。そのシルエットの堂々とした姿がシエルで…
ほんと、お母さんかって感じなんですけどすごく成長したなとまたここでも泣いてしまったわけです。

初演を観た人には、ぜひそこを注目してほしいなと思える再演でした。

続投の人も多いのでこれと言って変わったところはないのですが、気付いたところとかを。

 

メイリン坂田しおりさん
→さっそくアレなんですけど、代わった意味あるのかな~?というか、メイリンが変わるたびに思うことなんだけど。
今回のメイリンの人はちょっと声が無理して出してる感がすごくて気になってしまった。
声以外はよかったな~。ダンスもかわいらしくて!
セラミュでヴィーナスやってた子なんだよね。せっかくのあのオレンジハイヒールでさえ霞まなかったという美脚が拝めなかったのが残念だ。
可愛い顔も見えないし、メイリン役は女の子にとってあまり美味しい役ではないのかもしれないね。

 

チャールズ・グレイ@矢田ちゃん
→矢田ちゃんのグレイ良かったけど、惜しいのは声の相性が広瀬くんとあまり良くないっぽいところかな…
太田&広瀬の声の相性が最高だったので矢田ちゃんの声質のせいか二人で歌うと矢田ちゃんの声聞こえにくくなっちゃうね…声量はあるんだけど。
これはもう完全に相性の問題かと。
演技としては、太田グレイよりも性格悪そうというかw太田グレイはキャッチ―でコミカル。
矢田グレイは意地悪って感じだったw意地悪って言うか、意地が悪そうというかww
セバスの作ったお菓子を食べて「まあまあ」っていうところがいかにもらしい感じで。
顔立ちが派手だしきれいだし、歌もうまいのでもっとまたグレイが出てくる時には続投だといいな~

 

ラウ@荒木
→荒木だな~という感じです。歌に関しては、アーティストとしても活動してるわけだけど荒木さんの歌はこれが上限なのか…
うーん。声量はそこそこあるんだけど、だからこそ音程がふわふわしてるのが気になって気になって。
ジャックザリッパーが編曲されてわーっと歌わなくなったのは、荒木のためか…?と勘繰りしてしまう。
声質もいいし、声量もあるし、もうちょっと頑張れればなあ…ガランチードの時もそうだけどとにかく音程が定まってないのが不安になるのでもうちょいそこは頑張ってほしいな。変なビブラートなら使わずに歌っちゃう方が聴きやすいと思う。これは矢田ちゃんにも言えるけど、ビブラートきかせればいいってもんじゃないよね。
降りやまぬ雨~の「あ~や~ま~ち~」のところ聴いてて声出るか、震えないか、通るかって心配になる(笑)
芝居は良いんだけど。
自分の台詞がない時でもちゃんと芝居できるところは、相変わらずいいなって思う。ちょこまか動いてて、かといってメインで台詞をしゃべっている人の邪魔にならない塩梅で動ける。そういうところが好きです。
スッと細めた目の冷たさはいつ見てもたまらないなあ…ラウはいったい何をどこまで知っているんだい?と聞きたくなります。
あと、ちょいちょいマダムと仲良しなのが見ていて楽しいです。

 

 

マダム@AKANEさん
→相変わらず素晴らしくて、これといって述べる必要はないんですけれども…
道に迷わないように、の曲の最後「ただいま おかえり いつもの…キス」ってキスのところを強調してというか強く台詞のように発音していてゾクっとした。
その方がグレルの「奥様…(おどおど)」が引き立つし、マダムには何があるんだ!?って感じがする。


グレル@たっくん
→たっくんの声は音響の悪いブルーシアターとアクトシアターでは聴き取りづらいね!!
それでも、素晴らしいダンスは変わらず。
「ハァたし、女優なの」のところも前回同様ぞくぞくする。
女性ダンサー引き連れて踊るシーンでは、今回は男性もいて。より、たっくんグレルの魅力が引き立つ。
何より、振付変わったよね?前よりダンスが激しくなった!美しい人のダンスって何時間でも観ていたい。
松下セバスより冷たい古川セバスにあしらわれているところも良いです。


ドルイットとアバハン@ひとまとめ
→もうここはまとめちゃうw
アバハンの最初の登場時のネタパワーアップしてて最高でした。
アバーラインは変態って言われるのに、ハンクスくんはモテモテなのねw
「おいしー」がまた聞けてそれが嬉しかったくらいプレミア感あるアバハン。
通り名ネタは「爆笑コメディ アバーライン」というタイトルの映画の宣伝ネタ。
途中まではかっこよかったのに、爆笑コメディとついたせいで台無しにw


ドルイットは基本的にパワーアップしていて、もう誰にも勝てないんじゃないかw
最初に出演した時、また出たいドルイットやりたいとスタッフさんに打ち上げでアピールしまくったそうだけど、ドルイットファンも望んでました!
ヒデイット最高すぎて私は美の化身だけ一時間くらい聴いていたいよ…
あの「アーン」は稽古場の雰囲気が良くなかったからアドリブで最初はやったと聞いてめちゃくちゃびっくり。ヒデ様もそういうことするんですね。
今回もしっかりオペラグラス使ってじっくり見ました。
パーティのシーンでは、ずいぶんとパワーアップしていらしてwもうあなたは女性と踊るのやめた方がいいのではww
個人でアピールしまくりのドルイット。ソロで踊っちゃうドルイット。かわいい。
シエルを見つけて近づこうとするも阻まれまくるドルイット。かわいい。
「君には少し早いかもしれないよ」の辺りで気持ち悪くてかなりぞわっとするwでも、そんなにかわいい駒鳥だったのに手を付けずに売るんだなと思ってみたりして。
ドルイットが倒されみんなバタバタと倒れているところにアバハン到着。
意識があるかを確認する仕草の手本を見せるアバーラインw
女性に馬乗りになって確認する…
「近くないですか!?意識有りました!?」
「ああ、嫌な顔をされた」

「この人でやってみろ!」ドルイットを指さすアバーラインwww
「いきなりハードル高くないですか!」
と、ドルイットに覆いかぶさるハンクス…
と、ガバっと抱きついて腰を押し付けるドルイットwwこわいこわすぎるwwww


逮捕後の流れでは、ヒデイットがしゅんりーのアドリブ?に笑ってしまい笑ったまま台詞を言って突っ込まれてたww
いやこの三人最高だな…またDVD買っちゃうな…

 


今回の再演を見て思ったのは、松下君は自分のセバスチャンを作り上げ、表現し、座長としてそこにいたんだなっていうこと。
古川セバスももちろんよかったんだけど、やっぱりそこは4回もやってきた松下君とは違うね。
リーダーシップ取れるタイプだと思うし、なんというか、独自の?wセバスを作ってたよね。

関西人の松下君が演じるセバスチャンという彼にしかできないセバスチャンを、そこに確立していたんだなと。
そう思うと、もうセバスでできることを彼はやりきっての役替わりかなって。
バトンを渡していい、っていうところまでやりきったんだと。
去年急遽一回増やして二回観ておいてよかったなと。つくづく実感しました。


改めて、松下セバスチャンお疲れ様でした。

そして、せっかく素晴らしい古川セバスチャンが降臨したので、
今度は何か新作をやってほしい!待っています!

2015/11/17ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー』初演 アイアシアター

 

ハイパープロジェクションとはなんぞや?

 

とにかくこれに尽きる。

 

原作ファンゆえに、かなり個人的な、だいぶ辛口な感想なのでご注意を。

 

まず、初のアイアシアター。思っていたよりも悪くなく、立地を考えても六本木ブルーシアターよりはマシかなと感じました。トイレがよくないと聞くのですが、私は幕間でトイレに行くことがあまりなく、今回も席を立たなかったのでわかりません。

椅子が2時間じっと座るにはきつい。とにかく背中と腰に来るので改善してほしいです。

 

若い子が多いだろうということで心配していましたがマナーもそんなには気にならず、スタッフさんも強気だったので良かったです。

特定のキャラ同士の会話やリアクションなどに、「キャー!」とはしゃいだりする素直なファンが多かったですね。賛否両論出そうなところです。私は否定はしませんが、調子に乗る役者がいたら嫌だなと思います。

 

元々原作好きなので、役者に拘らずの観劇でした。

あらすじは、旭さんがバレー部に戻ってくるまでのあたり。脚本にも色々言いたいことはあるのだけれど、とにかく演出が気になって仕方ない。

正直「ハイパープロジェクション演劇」と謳うほどではない。

今時、レミゼでさえ映像を使っているのでその範疇を超えないというか、そこに使うの?みたいな。
そもそもあんまり映像を使うことに肯定的ではないので、合わなかったのだと思います。

演劇には演劇の良さがある。何もない舞台上がまるで本当にその場所その景色に思える、見えてしまうのが、ドラマや映像とは違う生の舞台の良さだと。

だから、レミゼの映像さえ受け付けなかった。

もちろん、あった方が映える瞬間もある。

日向が自転車で町を走り抜けるところからドアを開けるところ、はその疾走感が日向らしくて好き。
だけど、その後の「なんでいるー!?」を映像で映す必要はまったくないんじゃないかと。
ところどころ台詞を言うところを漫画のコマ割りみたいにしているのが、私にはきつかった。そんなの舞台なんだから台詞聞いてればわかる、役者見てればわかる。
役者をなんだと思っているのか?観客をナメているのか?
帝一の國みたいにシュールなシーンであえて使っていたのは笑えていいけど、真剣なシーンでアップで役者がコマ割りみたいに映し出されても。漫画原作とは言え、舞台なのにと思ってしまう。
あんなのやるなら影山の後頭部にボールぶつけた後の影山の表情を映し出そうよ…
オープニングはとてもかっこよくてよかったです。特に、縁下さんのところ。

 

OPから日向と影山の出会い辺りでかっこいいなと感じたり、微妙だなと感じたり。でも、これだけ映像やプロジェクションマッピングを多用しているのだから、これからの要となるシーンではこちらをあっと言わせるような演出があるに違いないと期待しました。

しかし、意外にも白いベンチコートみたいなのを着た白子(その場でメインで出演していない子がアンサンブルとして登場)たちが活躍。

そこそこ古典的なアンサンブルの使い方。小道具運んだりはわかる。ガヤ的な感じなのもわかる。
面白く昇華できてるっちゃできてるけど、日向の翼のシーン。

 

いやそこは映像使えよ!?プロジェクションマッピングなんのためにあるんだよ!?

 

そこは人力で物理なのかよと、思ってしまいました。

ハイパープロジェクション演劇なのに?そこはいっそハイパープロジェクションしちゃえよって。

色々文句を書き連ねましたが、思っていたよりは面白かったです。
もちろん良い演出もあった。けど、多分、演出家、さらには脚本家の解釈が私と相性が良くなかったのだと思います。

ただ、全体的に荒削りで初めての舞台化、初演!というのが見え隠れする感じが、まさにハイキューというか烏野っぽかったです。

 


日向@須賀くん
→いい!日向の声のイメージあるからどうかなって思ってたけど、違和感なし!
高い身体能力にテンションが上がりました。
あと、舞台慣れというかお仕事慣れをしているのがよくわかります。

 

影山@達成くん
→影山時々海堂。
悪いとこひとつもない。かわいい。100点満点の影山。時々海堂を思い出して桃城を探してしまいそうだった。
ジャンプ高いしちょっとした歩く動作だけでもダンスできる子だなっていうのを感じた。須賀くん同様、身体能力が高い。ちゃんと、2.5次元の魅せ方を知っているなとも。

大地さん@啓太さん
→解釈違い起こしました。ビジュアルで一番期待していた分びっくりした。

私は割と解釈違いも許せる方なのですが、なんというか予想もしていなかった方向の大地さんでした。アニメに似せないと許さん!とは言いませんが、もう少し意識してくれてもよかったのでは…?テンションが若い。あと、舞台慣れしてなさそうだなと感じました。

 

スガさん@猪野くん

→スガさんが三次元にやってきた~~~~~!
みゆくんのスガさんとはちょっと違う部分もあるけど、スガという軸からはブレてなくてむしろアニメより好きな台詞回しだなって思うシーンもあった。
特に、町内会とのシーン。よかったな~。あと、旭がそっぽを向いた後自分の手を見つめているところとか切なすぎて胸がぎゅっとした。
男っぽくて、リアルな男子高校生してたし、旭の鞄を押さえつけるところとかはいい感じにスガスパイス効いててかわいかったなあ
大地さんが怒鳴るシーンになると、ひとりそれを悟って耳塞いでるのかわいすぎた。ちゃんとスガさんがスガさんでよかった。

 

田中@塩田くん
→田中以外の何物でもない。田中が存在してた。一幕はずっと田中見てたww
アニメから飛び出してきちゃったって感じで最高の田中。頼れる先輩、可愛い後輩、ムードメーカーな同級生。すべてを兼ね備えているだと!
踊れる動ける台詞聴き取りやすい。やっぱり経験を感じる。田中がダメだと空気がダメになる。
塩田くんが田中でよかった!!!!めっちゃ坊主頭をなでられててかわいかったw

 

旭さん@ジャス
→ジャスかわいいし旭さんだし声が氷室ローランドでいろいろ混乱したw
でっかいくせに体を丸める旭さん可愛すぎなんですけど。スガとの教室のシーンをスタンバってるジャスのかわいさがそのまま旭さん。
武ちゃんが土下座したことにびっくりして一緒に土下座しちゃうのとか、楽しいなって思った。
コーチにお前も入れ!って言われてその場で着替えてる時に「やる気満々じゃねーか!」って言われてるのとかもほんと…旭さん…

 

西谷@祥平くん
→声をまさか岡本さんに寄せてくるとは思わずびっくりした!あの声は無理だろうって思ってたから!
顔立ちや体型とか、すごく合ってる。西谷をよく研究してるっていうのが伝わってきた。ハイステで初めて知った俳優さんですが、2.5次元慣れしているというか、素晴らしい。
ぴょんぴょん跳ねたり、レシーブのフォームだったり物凄くノヤだし、旭さんより断然小っちゃいのに頼もしさがすごいんだよねw

 

縁下@一馬くん
→なるほどそう来たかって感じです。経験値の高さがこうさせたなと。私は好きです。
紹介のところで壁殴ってる縁下よかったな~あと、コーチが監督の孫って聞いて逃げようとしたのもよかった。


月島@小坂くん
→月島だった!初舞台ということで全然期待してなくて、でもちゃんと月島でした!いいと思います!
3対3の時とかあまりにツッキーで…声優さんを意識して喋るのも結局、本人の演技力がなかったら棒読みになってしまう。
見た目もバランスが取れてて、烏野の貴重な長身選手という感じが出てた!なんか山口に対してアニメよりやさしかった(笑)
頭ぽんてしたり。捌ける時に机片づけたりしてるのがなんか月島なのに、って感じで可愛すぎでした!

 

山口@三浦君
→こっちも月島同様アニメに近付けてきてて、月島との距離感もうまく作ってた。いつかツッキーに物申す山口が舞台で描かれるならこの子にやってほしいな。
「すごい一年が入ってきた」の件で、自分と月島を指さして「俺達???」ってはしゃいでるのたやみを感じた…


烏養コーチ@林さん
→ヴィ、ヴィレッジ兄さん!!いや、間違えた烏養コーチ!!!
割と中の人まんまだったけどwでも、かっこいいしちゃんとコーチでした!!違和感ないし、アニメよりちょいヘタレっぽいというか、押しに弱そうな感じも含めてw


武ちゃん@内田さん
→押し強そうwアニメより強そうw
神谷とは違う強さを感じたよ…土下座によりすべてを解決してきたのだこの人は…
「わーいわーい!」って喜んでるの見てびっくりした。最初どの生徒だよ!?って思ったら武ちゃんなんだもんw
れっきゅーをお手本にしているんじゃないか疑惑。あと、ぴょんぴょん飛び跳ねる姿が身体能力?そうでバレーできそうでした(笑)


及川さん@遊馬くん
→思ってたよりよかったよ!棒読みじゃなかった!笑
浪川に近付けようとした努力も感じるので。それ以上は言わないでおきます。
もし、この先もストーリー展開した舞台をやるなら成長しておいてほしい!それだけである!


岩ちゃん@平田くん
→いた?あれ、岩ちゃんだったんだ!以上!


金田一@坂本さん
→特別うまくないけど、なるほど男の金田一だな~って感じでした!
ちょっと性格悪そうな感じが北一時代の金田一を良く表せててよかったし、笑かしてもらった部分もあった。ぽいってするとこね。
身長も高くて国見とのバランスが最高。そんなに言うことはないです。よかった!

 

国見@有澤くん
→国見は綾波レイだと思っていたのですが、使徒でした。
ちょい猫背な感じと長い手足にサイズ間違っちゃったのかと思うくらい小さな頭が…国見でした。

二人並ぶとでっかいなあと。そんなところにリアルを感じて楽しかったです。

 

松川@畠山さん
→アニメよりいい人そうだった。

 

花巻@金井くん
矢巾にハイタッチ無視されて怒ってたのがかわいい。あともう個人的に挨拶慣れしてないところがツボで。
彼は人間不信のようなので(挨拶の内容より)ぜひハイキューで人を信じることの良さを知ってほしいですね。

 

矢巾@和田くん
→初めて見る俳優さんでしたが、個人的に青城の中で一番印象に残りました。和田君、覚えました。かなり爪痕を残していたと思います。

まず、メンバー紹介でのポーズ。それから、花巻のハイタッチを無視し、最前列の女の子をナンパするという。こういう矢巾、有りだなと。


渡っち@さいとうくん
→ご、ごめん…見て…なさすぎて…

 

滝ノ上@坂口さん
→悪くなかったのに出番が少なくてこれと言って…
「お前らたまには俺の店で買い物しろよ~」って言うところはかわいかった。


嶋田マート@山口さん
→「あー!嶋田マートだ!」と言われているのが可愛かったです。
ジャンプフローターやって烏養さんに「大人気ねーぞ」って言われて「黙りなさい金髪豚野郎」って言ったのがツボでした。
こういうの嫌な人もいるかもですが、不意打ちすぎて笑いました。山口とのこれからを連想させるシーンもあり、見た目も嶋田で、良いキャスティングでした!

 

 

だいぶ偏った感想ですが、楽しかったのは事実です。

ただ、どうしても気になる部分が目に付いてしまった。これから観る時はライブビューイングでいいかなと思いました。

 

2014/12/20・12/23『bare』中野ザ・ポケット


全寮制のセント・セシリア高校。校長でもある神父の言葉が響くミサでは、卒業を間近に控えた生徒たちが祈りを捧げている。平凡な生徒ピーターにはある秘密があった。
それは、学校一の人気者であるジェイソンという同性の恋人がいること。
いつかは自らを―bare―さらけ出し愛し合いたいと強く願っていた。
学内の演劇公演のためのオーディションがシスター・シャンテルによって開催された。
美しいアイヴィ、ジェイソンの双子で皮肉屋のナディア、
主役を狙うマットも参加し、配役が決定する。リハーサルが開始されると、ピーターの気持ちはより強いものとなっていく。
ドラッグと酒でトリップするパーティーの中、気持ちが募る
ピーターはジェイソンとキスを交わすが、それをマットに目撃されてしまう。
社会、親、友人の目を怖れるジェイソンは自身のイメージを
守るため、ピーターを突き離しアイヴィと一線を越えてしまうのだった。
―bare―になることを求めた彼らの心が絡み合い、
そしてついに、一つの終焉を迎える…

公式サイトより



この作品は『RENT』を彷彿とさせるけれど、込められているメッセージは全然違う。
一度目観たとき、死がすごく冷ややかに感じたけど、二度目観たときは違った。
RENTの方が死を、ずっと恐ろしく強大に描かれているのだとわかった。
『bare』な彼らにとって『死』はあまりにも身近な逃げ道だった。

浅はかで、愚かで、愛を求めていた子どもたちの物語。

23日は、20日に会場で追加購入したチケットでした。初めてリピーターチケットというものを買いました。
追加席なのか一番前のパイプ椅子の席でした…!
まさか、2014年最後の観劇が最前列だとは!でも、事前に買った人は一列目だと思ってたら二列目になってたのショックだっただろうな…。

より近くで、演者の表情を見ながらの贅沢な観劇。
わかることがたくさんあった。「そうだったんだ」「これはこういう意味だったんだ」ばかりの。

『RENT』は、ボヘミアンな自由な生き方を求める。あるものは夢を追い、あるものは同性愛者、あるものはドラッグ、あるものはエイズ
自ら手を伸ばし、選択した生き方の先にあったマイノリティ。死を目前に、今日一日を最後の日のように生きている。

『bare』は、親、宗教、学校、教師、神父。いろんなものに縛られている。彼らは、まだ高校生だから。
浅はかで、愚かで、周りが見えていない。自分で選択したことの責任が取れない。だから大人は彼らを縛る。それは間違いではないけれど、そのぶん子どもたちは反発する。
同性愛は罪。本当のことなんて言えやしない。さらけ出すことの代償を、自分で償うことなんてできやしないのだから。


二度目に観劇して気付いたのは、『bare』は『ロミオとジュリエット』だったということ。
劇中劇がロミジュリなことに、最初はなんの疑問も抱かなかった。アイヴィの歌を聴いても、劇中の歌を聴いてもなお。
ロミジュリ好きだから嬉しいなくらいの感覚でいた。それが、なぜロミジュリだったのか理解したとき、私は肌寒くなり鳥肌が立った。

自分をよく見せよう、親の期待に答えよう。そうして、気を張り続けていたジェイソンはすべてを台無しにした代償を「命」で償うしかできなかった。
それはきっと逃げでもあり、それしかないと素直に思ったから。その行動の浅はかさ。
もっと道があったはず、どうにかできたかもしれない、命までは落とすことなどなかったかもしれない。そう思うのは、私が大人だからでしょうか?
幼さゆえの愚かさ。この作品を観て感じること、それは、「ロミオとジュリエット」と同じだった。

そう思ったとき、いろいろなことを理解、というよりは納得した。
私には、ジェイソンやアイヴィの選択は理解できないし、ピーターの重すぎる愛も可愛いとは思うけれど、ジェイソンを理解していればもっと手立てはあった。
わからない、理解できない。当然だった。彼らはまだまだ子どもで、世界が狭く短絡的。そしてなにより、愛されたがりで。
大人の私がもう持っていない小さな世界を、彼らは持っている、そこに生きている。

理解できなくていいのだ。
理解できないまま、気付けばこの作品を愛していた。



*それぞれの役者の印象

ジェイソン役
@鯨井くん
→生で見たのは初めてでした。
人気者のジェイソン。鯨井くんはどちらかというと好青年のイメージだったり、もっと言えば海堂のイメージが強すぎて最初は受け入れるのに苦労した。
鯨井くんのジェイソンは「カリスマ」というよりも優しく、親しみ易く人が寄ってくるという感じ。ルーカスの態度からも、それが垣間見えた。
ときどき、ポロポロとこぼれてくる繊細さが日本人なのかもしれないと感じた。
アイヴィを愛せればいいと、一度は思ったように見えた。愛せないと知っていて、楽な道を選ぼうとしてしまった。
縋ってくるアイヴィを突き放せない優しさが、鯨井ジェイソンにはあった。

@辛源さん
→初めまして。RENTでデビューしたというのは知っていました。
さすが歌がうまく、鯨井くんよりも聞き取りやすい。外人さんなだけあってまさにインターナショナルな学校の「カリスマ」っぽさを理解している感じ。
鯨井くんのジェイソンに比べて、カースト上位感が強い。キャッチーなキャラクターになっていたと思う。

感情の表現が、やはり外人さん風味。誰にも本音を見せない強さと弱さ。
完璧であろうとするからこそ、アイヴィの気持ちを断りきれない。ノーマルのストレート、そう偽っているから。

鯨井ジェイソンも、辛源ジェイソンも本当違うね。
前者の方がよりピーターに心を開いていたように感じるし、後者はピーターにさえ見せていなかった。
それはどちらも、間違っていなかったと思うしお互い演じているジェイソンに説得力があった。
アイヴィが惹かれるのもわかる。垣間見える弱さに、また、見せないミステリアスさに。わかってあげたい理解してあげたい、そう思わせるには十分だった。

完璧に見えて、実はただ取り繕っているだけのジェイソン。
タイプ的にはRENTのロジャーに近い。
何もかもが剥がれ落ちて、ボロボロになった彼はようやくピーターに愛していると言えたのに。どうしてだろう。
ドラッグの摂取。自殺?摂取しすぎ?なぜ?
家の体裁を気にする厳しい父親、同性愛を語れない神父。誰か、彼を救えなかったのだろうか。

そう、なぜ?と思った。
今ならわかる。なぜ「愛してた」と言ったのか。
すべてを失い、崩れ落ち、そうして出てきたのは愛の言葉じゃない「俺と一緒に逃げないか」だった。まだ誤魔化してる。
薬を大量摂取し、死ぬとわかってようやく「愛してた」愛の言葉が出てきたんだ。
それだけジェイソンにとってピーターは重く、大切で、裸の感情で愛した人だったんだね。

死してようやく、みんなの前でピーターを抱きしめることができたなんてさ。

なんでこんなにも不器用で、哀しくて、大きい愛なんだろうね。


ピーター@田村さん
→元マリウス俳優ということ以外何もしれなかったけど…かわいい!!
とにかく、可愛い。
「それって黙らそうとしてる?」
「そうだよ」
「ずるい!!」
この、ずるい!!でめっちゃハート飛ばして抱きついてるのかわいすぎた。
ジェイソンがロミオの台詞喋ってる時のときめいてる動きとか、こっちがメロメロになってしまう。
大麻やって、ふらふらしながらジェイソンに甘えるシーンは可愛いけど切なくて。
ジェイソンの服の袖をつかんだり手をつなごうとしたりして甘えるのに
「そういう態度やめろよ」
「そういう態度って?恋人みたいな!?」
「声落とせよ!」
見ていてしんどいです。
彼には、母親(といっても私はあまり信頼していないけど)と優しいシスターがついていたから。

ジェイソンが主役らしいけど、私は完全にピーターが主役と思っていた。
それはやっぱり、私が彼に共感と同情をしていたからか。
重い恋。子どものそれなんだ。焦りと、短絡さ。もっと彼にもできることがあったかもしれない。
でも、今はただ、ピーターには幸せになってもらいたいと思う。
許すことを知っている彼なら、ジェイソンのことも、自分のことも許して前に進めるから。


アイヴィ役
→アイヴィのことはよくわからない。私と、とても遠い人物だと思う。
そう考えた一度目。
二度観て、ようやくアイヴィが見えてきた。

@平田さん
→声が、菊地美香ちゃんに似てる。彼女の表現もやっぱり日本人的。すごく繊細そう。ビッチという言葉に乗っかってあげて空気読んでる感じ。弱いから。
とても歌が上手いのだけど、歌い方がこのミュージカルにあまり合ってないかも…別ので見たい。本当に上手だから。
繊細なアイヴィが優しいジェイソンに、母性さえ向けるような恋。

@宮澤エマさん
→ソウルフルな歌声。透明感がある声質だけど、声量があってさすがハーフで「オーマイガッ!」な歌い方。ジェニファーさんタイプだ。
もっとストレートにぶつけてくる。強がりで、弱いというよりも頭が良いから空気読んじゃう感じ。はいはい、ビッチ役してあげるわよみたいな。
その奥にある、か弱い少女の恋心が火付いちゃった感じ。

「大人」では、どちらも力強い歌声。平田さんは爆発してる。エマさんは静かに徐々にこぼれ落ちてくる。
それぞれのアイヴィらしくていいなあって思う。

思うのは、感情の表現が繊細な平田さんと鯨井くんはやっぱり感情の振れ幅が大きく感じる。我慢して我慢してドカーン!ってなる。
ストレートな辛源さんとエマさんは逆にそういうシーンの方が繊細。
アイヴィなら「私は大人」の時、ジェイソンなら神父様のところへ行った時。
前者二人は怒りを爆発させるのに対し、後者二人は今までの強がりの反動のように弱さが見える。

ちょっとした発見です。Wキャストおもしろすぎます。


ナディア@三森さん
→彼女は、見ていて辛かった。私に似ているかもしれない。というか、コンプレックスある人ってこうなりがち?
自分を卑下する彼女は、見ていてイライラするの。どうしてそういうことばっかり言うのって。自虐するのって。
でも、やっちゃうよね自分も。つまりは同族嫌悪。こっちがbareにされる。

素晴らしい声量と歌声。強がっているし、嫌味言うくせに、本当は優しい。
その優しさをずっと、自虐の奥、コンプレックスの奥に隠してる。
アイヴィの妊娠によって、ジェイソンの死によって、それがbareされていく。
ジェイソンの秘密を知っていた彼女の「どうすればよかったんだろうね」が胸に突き刺さる。
どうか、アイヴィを支えてあげて欲しい。


マット役
@染谷さん
→少しばかり気が弱そうで、1番になれないことを気にしているけど、なにより欲しかったのは「アイヴィ」
そんな感じがしたから、彼を責めないであげて欲しいと思う。

@神田さん
→逆に、神田さんのマットはなんでも1番になりたがり。成績も、役も、アイヴィも全部欲しい。そんなだからアイヴィに愛されないのよ><
どちらも、不器用さん。神田さんの役作りの方がわたし的に、わかりやすかった。よくいる、ちょっとやなやつ(笑)可愛らしいなって思えて、結構好き。

マットとピーターのデュエットや、最後のマットが謝るところ。
好きなんだよね。


クレア@伽藍琳さん
→私には理解しがたい母親というか、理想の母親像ではない、という感じかな。
けれど、仕方ないこと。彼女が悪かったわけじゃない。キリスト教徒で、同性愛は罪としてきた人が、自分の息子がゲイという現実をそうやすやす受け入れられるわけがない。
それでも彼女は母親で、ピーターの幸せを願い、抱きしめたいという想いだけは変わらないのだから。
それにしても、この人歌が上手い。嫌だなと思わなかったのは、演技力のせいだろうか。


ルーカス&ターニャ
→良いカップル!
ルーカスの態度でジェイソンの性格がわかるのも良い。ドラッグやるし、もうダメダメじゃね?って思うけど、可愛げがあるし友人は大切にする。
しかも、彼女も大切にできるし結構いい男だよねルーカス。彼女といちゃついてる男に怒ってたのかっこよかった。
ターニャも、彼氏思いでルーカスを可愛いと思ってそうなところが良い。しっかりものって感じだし、うまくいきそう。


シスター・シャンテル@妃香里さん
→黒人には見えない(笑)顔立ちとスタイルがせめて白人かな。
10年ぶりくらいに見たけど、変わっていなくて、面白い感じとか歌い方踊り方手の振り…あー私、この人のファンなんだなって思いました(笑)

シャンテルは、自身が抱える黒人差別の問題から、ゲイという秘密を抱えるピーターを理解しようとしてくれた人。励ましてくれた人。それだけで嬉しい。
アランに対し「シェイクスピアの時代は全員男が演じたのよ。どうかその無知を知られないように、口を閉じて、一生息を止めておくことをオススメするわ」に痺れた。


神父@阿部さん
→歌上手い…ジャベールと聞いて納得。
「答えは明らか 求めらるは清らか」のところがゾクゾクする。厳格。シャンテルは許しの神。神父は罰を与える神。まさにジャンバルジャンとジャベールの違いのよう。
神父様というのは難しいです。


大人たち、みんな理解がなかったわけじゃない。それぞれが、差別、宗教、倫理観、いろんな中で迷い彷徨っている。誰も彼もが、bareできずにいる。
そんな寂しさ、愚かさ、哀しさ、いろんなものが詰め込まれた舞台でした。


『RENT』より青い。と表していた方がいらっしゃって、まさしくその通りだなと。
その青さに、すっかり魅了されてしまいました。

2015/11/5『ダンス・オブ・ヴァンパイア』帝国劇場

 

 

ダンスオブヴァンパイア、何度も観たい観たいと思いつつなかなか行けてなかったので念願の観劇でした!

 

帝国劇場は良いですね。休憩中にロビーでお土産を見たり、カツサンドを食べるのがとても幸せです。

 

さて、内容ですが。

何言いたいのか、つかみどころが難しい話でした(笑)

例えば、ロッキーホラーショー死霊のはらわた、リトルショップオブホラーズみたいにちょっとイロモノでなんかよくわからないけど楽しい!みたいな作品…ではないし。かといって、レミゼやエリザのように歴史上の人物を絡めたものでもない。

ゴシックな雰囲気を漂わせつつ、ちょっとバカバカしい、それでいて伯爵はシリアスに自身の孤独さを歌い上げる…と思ったら最後はみんなヴァンパイアでモラルもルールもまっぴら!?

もう、え!?って感じです。

曲も、これといって頭に残るほど(ロミジュリならエメ、エリザなら闇広)のものはなかったかな…カテコで歌う曲は同じフレーズを繰り返すので頭に残ったけど。

これだけ書いて、じゃあ面白くなかったのか?と言われれば面白いから困る(笑)
コメディと思えばコメディだし、その中で垣間見える伯爵の孤独に心を打たれたかと思えばその後キラッキラな宝塚ばりの衣装を来て階段を下りてくる伯爵様。
あまり深く考えずに楽しめということか?と思いきや、ふと考えてみればあれってこういう意味なんじゃ!?と解釈の余地がある。
こういう作品を、帝国劇場でやる、むしろ帝劇レベルでなければ伯爵様の豪華さがなくなって面白くなくなってしまう。
私的に、新しいミュージカルでした。
帝国劇場で光るブレスをつけて踊ることになるとは(笑)

 


人間は誰しも欲望がある、理性では抑えきれない欲望が。
大人への憧れ、恋、人のものであっても欲しいと望む愛…
それを目覚めさせる伯爵の誘惑、吸血鬼の牙。

 


教授:石川禅さん
→一番かわいいのは禅さんでした(笑)
理性理性、研究、結果、大学、理論理論理論!!!!お堅くて本が大好き、理論大好き、でもおちゃめで憎めない(笑)
あ~禅さんだなって。一番歌うまいの絶対禅さんでしょ(小声)ほんと大好き!
最終的に、教授だけは助かったの?理性があるから?その辺よくわからなかったな…
ラストみんな弾けてたけど、教授だけはそうじゃないってことは…そういうこと?

 

伯爵:山口祐一郎さん
→かっこよかったです。トートより伯爵の方が好きだな。
ただ、ちょっと歌詞を聴き取りづらいかな。
あんなに笑ってる山口さん初めて見た。いつも眉間に皺を寄せた役ばかり見てきたから。
教授がぶるぶる震えてるせいでなかなか本を渡せないシーン、めっちゃかわいかったw

 

ルフレート:平方さん
→かわいかった。ああいう、お坊ちゃんっぽいけどヘタレみたいな役が一番似合うと思う。
つまり、絶対にティボルトじゃない(笑)
サラに一目惚れして、サラ~サラ~って色恋に溺れて研究どころじゃない。
つまり、彼は理性より欲望が勝ってた。教授とは違ったのね。

なんか、アルフとサラを見ていると男はいつまでも子どもで、女の方がさっさと少女から大人の女になっちゃうんだろうなって。
男は置いてけぼり、現実を見て男のあしらい方をさっさと覚えていく女に勝てない。かわいい。

歌が聴き取りやすいしさわやかでよかったです。


サラ:美海ちゃん
→かわいい…とても可愛いのだけれど…
やっぱり宝塚補正ってあったんだなって。チョンガンネで観た時は周りがDぼだし気付かなかったのかもしれないけど…なんて双方に失礼なことを思ったりして。
顔のつくりがとても可愛くてアーモンド型の目と大きな口。舞台映えばっちりなので平方さんと比べて双眼鏡なくても見えました。笑
身のこなしはさすがで、ドレスさばきも可憐さもある。どことなく娘役を感じさせるのも悪くなかった。
でも、歌が弱い。細い。腹から出すタイプじゃないのは宝塚の時からだけど、デュエットすると消えてしまう。
娘役は男役相手に二の次でいなくちゃいけなかったかもしれないけど、今はヒロインとしてもっと堂々と歌声を披露していいはずなので物足りなさが否めない。

目当てで行ったのでちょいがっかり…けど、短いながらもダンスシーンはさすがでした。美しい。

やっぱり、美海ちゃんはダンサーなんだと思う。カテコでも踊ってる時いきいきしてたもん。踊ってるところ見たいな~。

サラはもう18歳だけど世間知らずの少女。美海ちゃんの役作りなのか、ジュリエットのような純粋な少女でも小悪魔ロリータでもなく。
単純に父親に閉じ込められたことを怒るより、外の世界の闇に魅入られてる感じ?
年頃の女の子が悪いものに憧れるあの感覚。夢見る少女じゃいられない。
少女が夢見る、大人の女になりたいという夢や欲望。それを18歳になって一気に爆発させてしまったんだろうな。

 

マグダ:ソニン
→もし美海ちゃんと一緒に歌ったりしたら完全に食ってたと思う。
なんか、モーリーンから立て続けだったからなのかモーリーンのようだった(笑)さすがの貫録…
歌が弱いヒロインならソニンが歌ったら?と思ったけど、たぶんあの少女感は出ないタイプだなソニンは…
声量合戦みたいなRENT直後だし、もともと声量ばっちりで爆発したみたいなバズーカ歌唱のソニン
とにかく聞いてて気持ちがいい!禅さんが耳をなでるように気持ちいい歌声だとしたら、ソニンはもっと頭殴ってくるみたいな歌声(笑)すっきりする!大好き!
「笑っちゃうよ~死んじゃうなんて~」「あたしここよ~触っていいよ~」のところあたりは、ちょっと涙ぐんだ。あ、マグダも彼のことを一応愛してはいたのかなって。


ヘルベルト:上口さん
→るひまの明智で知って、楽しみにしていた上口さん。
るひまのファンの中では、視線泥棒なんて言われてたけど、ほんとそれだわ…
役どころは、伯爵の息子。そしてゲイ(笑)
ぴったりと体に張り付く服に、怪しげな黒とブルーグレーのグラデな髪。サングラス。怪しい(笑)

伯爵の城を訪れた教授とアルフに対し、伯爵が「息子も喜びます」みたいなことを言ってから出てきたヘルベルト…
「退屈にさよなら~~~~♪」高らかに歌い上げつつ平方さんにべったりでめっちゃ怖いww
明らかに男を狙ってるぞ☆って雰囲気をまとってた。笑

サラはよくお風呂に入っていてそこで「Ah~♪」なんて歌ってその美しい声にアルフは誘われお風呂に行っちゃうのだけど
サラのピンクのシャワーカーテンではなく、ブルーのシャワーカーテンの奥から「Ah~♪」と綺麗だけど男の声が…
絶対ヘルベルトだろ!?wwって感じなのにあっさり誘われたアルフwばかww
カーテンが開くとやっぱりヘルベルトが…「一緒に入る?」じゃねえよww

ヘルベルト…キャミソールにTバックに装飾レースのパンツ?レギンス?みたいなのをお召しで…アルフが怖がらないわけないww
以前は吉野圭吾さんがこの役を演じていたとか…一周まわってもう見たくないよねそれw怖いwハマるわww

上口さんはもっと踊りたそうな感じで、カテコではだいぶ弾けていました。
私はカテコでは役をそんなに守らなくてもいいよ~なタイプなので、楽しそうに(というかMJ風に)踊る上口さんが楽しかった(笑)

 


ダンサーさんたち
→ひとまとめにしてしまいましたが、新しい発見が、もうひとつ。
今度初めてシルヴィギエムの公演を観に行くわけだけど、ダンスだけの公演なんて見たことない!
眠くなったり退屈になったりしちゃうんじゃないか…と。
思ってたけど、今回のヴァンパイアダンサーさんがソロで踊るシーン。
横で伯爵様が歌っているのに、それがまったく頭に入ってこないくらいとにかくダンサーさんを見てしまった。
綺麗な肉体、怪しげな存在感、動き…観ちゃう。

体の隅々まで、指先が、脚が、爪先が、間接がここまで動くか…というほど肉体全てを使って表現することの凄さを改めて実感。
ああ~次のロミジュリも死は中島さんでお願いします…

伯爵の歌だけではなく「夜を感じろ」というナンバーでは眠っているアルフと教授のそばでヴァンパイアたちが踊る踊る踊る…

ベッドの天蓋から蝙蝠のように逆さになって表れたヴァンパイアにもう胸のときめきが収まらない!!
曲そのものも激しくて、ベッドのもっと上の方で歌う人たちと何人もで踊る、そのエネルギーの強さ!ヴァンパイアなのに生命力に溢れてるよ(笑)

幻影のサラとアルフがヴァンパイアたちに翻弄とされていく様…単純にダンスとして楽しんでしまった。
人間の体って、表現力って凄い。

 


そういえば、サラがお風呂に入っているときに伯爵がやってくるシーン。
なんか、海外のホラー映画って美女がシャワー浴びてる時に殺人鬼とかそういうのに襲われたりするイメージあるからそれを思い出したな。

 


私は、ミュージカルや舞台には必ずしもメッセージ性が必要だとは思わない。
特に、ミュージカルには。だって、歌って踊って台詞も言って、エンターテインメントだから。
メッセージがあればあったで面白いけど、なければないでその場面その場面を楽しませてくれればそれで面白いと思う。
そういうミュージカルもいっぱいある。

感動っていうのは、何も泣いたりすることだけじゃない。
笑ったり、ドキドキしたり、何か残ったかって言えば「あー面白かった」それだけでもいいと思う。

そこはほんと、自分というか人の感性次第だけど。

人が死んで泣けるお話もいっぱいあるけど、人が死んだのになぜか笑えちゃうみたいなのもあっていいよ。シュールコメディとして。

 


ダンスオブヴァンパイアは、観る側の感性に完全にゆだねられてると思った。

メッセージを受け取ろうと思えば受け取れるし、あー面白かったで済ませられればそれもそれでよしというか。

フィナーレでみんなで踊って、劇場出た時に思うのは「楽しかったなあ」だし。

リトルショップやロッキーホラーともまた違う、新しい感覚を味わったミュージカルでした。

 

2014/12/11『ビリー・エリオット』日劇

銀座日劇で、わずか一週間の上映期間。
他は六本木、有楽町と本当に限られた回数しか上映せず、私が情報を知った時にはすでに始まっていて残り4回となっていた。

ソニンさんのツイッターで知り、その絶賛ぶりにいてもたってもいられずすぐさまチケットを手配。
そのおかげで、真ん中のとても良い位置で観ることができました(*´∀`*)


映画版の邦題は『リトル・ダンサー

名前だけは知っていて、いつかいつかと思っていた。
そして、映画からミュージカル化し、日本からはるか遠くロンドンのウエストエンド、ロイヤルコート劇場で上演されたものの特別上映。
これを、日本で、大画面で公開していただけたことが本当に嬉しい。こんなに素敵な出会いになったのだから。

そして、作品に触れた今、「リトル・ダンサー」という日本での公開名に少し疑問が。
この作品は、小さなダンサーの物語だろうか?
そのタイトルで想像するのは、可愛らしい男の子がお上品なバレエ教室で落ちこぼれで可愛らしくレッスンをしてどんどん上達していくような話でした。
しかし実際は、ビリー・エリオットというちょっと生意気なひとりの少年がバレエに触れ、厳しい現実にぶつかり、家族の愛に触れ、人の愛に触れ、現実に触れ、成長し夢を実現させていくストーリーだと感じた。
なので、リトルダンサーよりも「ビリー・エリオット」でよかったんじゃないかと思う。


炭鉱町に住む少年がボクシングの稽古に行ったところたまたまバレエを知り、
その楽しさを知り、バレエのレッスンを積んでいくうちロイヤルバレエ学校を受験する夢を持つ。
しかし、炭鉱不況の真っ最中で父や兄はストライキに参加、さらに男がバレエをやるなんてオカマかゲイだけ。
そんな環境下で、ビリーが掴みとった生きる道。


良いシーンはたくさんありすぎて書ききれないので特に印象に残ったシーンを。

 

第3位:ブギーを踊るために生まれてきた

→ビリーがどんどん成長していくシーン。椅子を片手でくるくる回しながらプリエって何!?
曲も歌詞も楽しくて、その中でビリーがとても楽しそうでよかった。
ウィルキンソン先生もっと出ても良いくらいよかったなあ。しかし、走り回ってくるっと回って今度はピルエットして回って回って…
すごいです。


番外編:友人マイケル

→ビリーのお友達のマイケルが可愛すぎて。女装趣味のあるマイケルは、とにかく面白いというか役者がそうなのかとてもパワフルでエンターティナー。
いくつの子なのかわからないけど、こんな役を器用に演じてしまう子役がいるだなんて、世界は広い。
自分は女装趣味があるのに、バレエをやるビリーに「変だと思われるよ!」という台詞。笑いどころ。
クリスマスにビリーと二人きり。
「ここは寒いよ」そう言って自分のコートを肌蹴させて、ビリーの手を取り胸に当てさせた。
「冷たくない?」の問いに「気持ち良いよ」と答える。
ビリーの頬にキスしたマイケルに「バレエをやる男がみんなゲイなわけじゃないよ」と。
ここ一連、一応笑いどころなんですよ。バレエやる男なんてオカマとゲイだけ。そんな偏見を笑いどころに変え随所に詰め込んであるの。
でも、ちょっとアレな私はがんばれマイケル!みたいな気持ちになっちゃうのね。ちなみに、この時マイケルはチュチュをもらって嬉しそうに踊ってました。これも笑いどころw
物語の最後の最後、ロイヤルバレエ学校に入学するためロンドンに発つビリーを自転車で追いかけてきたマイケル。
そんなマイケルに自分から近づいたビリーはマイケルの頬にキスをして「じゃあね」と。また会おう。友人なのです、二人は。それ以上なのかはマイケルにしかわかりません。
てっきりウィルキンソン先生の娘がヒロインかと思ったら、お前がヒロインかよマイケル。彼の好演には、私から絶えない拍手を送りたい。
(映画版では、大人になり大劇場で白鳥の湖を踊るビリーを、男性の恋人と一緒に観に来たマイケルの姿がありました)


第2位:小さいビリーと成長したビリーが踊るシーン

→この上映の際の公演には、初演オリジナルキャストでビリーを演じた人が成長したビリー役を演じているのだそうです。
とにかく、溜め息が出てしまう美しさ。青いライトの幻想的な世界観の中、静かに流れる白鳥の湖
踊る少年と青年。もちろん、ビリー少年もめっちゃくちゃうまいのですが、リアルにロイヤルバレエで踊っている大人ビリーさんはその体幹から軽さからバネから、すごい。
あまりにも美しすぎて見惚れました。男性ダンサーにはあんまり興味がなかったし、バレエなら断然女性派でしたが、女性の軽さ柔らかさと体の線からくるかたい雰囲気とは別の。
とにかくとにかく、見る者の目を奪う世界でした。


番外編:お兄さん

→ビリーのお兄さんはストライキに参加していて、割と過激派な人。
怒鳴るし、すごい怖かった。
お父さんがビリーの夢のためにあの子はスターになる明るい未来を与えてやりたいと泣きながらストライキをやめる決意をした時。お兄さんは止めたの。
私はそれを見て、何堅いこと言ってるの、ビリーは才能を持っているのにって。そう思った。
けれど、お兄さんが熱く語りながら涙を流すのを見てハッとした。
彼は父親の背中を見て、その反骨精神を見て、信じて育ってきた。そして炭鉱夫になった。
それが今、覆されようとしている。信じてきたものを奪われようとしている。なんて悲しいんだろうと思って、泣けた。
父親ストライキをやめ反スト派になること、それは自分の人生を否定されること。自分を否定されること。
そして、やっぱり兄という立場が自分と重なったのかもしれない。
ビリーのオーディションの合格を自分のことのように喜んだ兄さん。でも、その直後自分たちの敗北の知らせ。
「大丈夫だよ」「何が大丈夫なんだ!?お前が故郷に戻ってきた頃には、この町も隣の町もその隣の町のやつらもみんな失業してる」
現実は厳しい。


第1位:1幕ラスト

→ビリーがバレエ学校のオーディションを受けさせてもらえず、叫びをあげるシーン。
もう、圧巻でした。息をするのも忘れてしまいそうなほど。
ビリーの部屋はセリ上がるセットの螺旋階段の一番上の小さな空間を利用してる。そこに置かれるベッドの横で、叫び声をあげ苦しそうにタップを踏むシーン。
悔しさに共感した涙なのか、感動の涙なのか、何かよくわからないものが流れてきた。瞬きさえ惜しいほどに視線が画面に釘づけになった。
舞台の上で激しく踊り、現実との狭間に揺れ、自分の無力さを知り、やりきれなくて、それでも踊ることが好きだという気持ちが抑えきれない、体中から溢れている。
ただでさえ出ずっぱりの中、最後にこれだけ激しくあちらからこちらへ飛び回り踊り倒し。
こんな演技をされたら、こんな表現を見せつけられたら、観客はただただ目を見開いて見守るだけだ。ビリーの心に触れる、印象的なシーンでした。

 

他にも、ママからの手紙を読むシーンや、マイケルと踊る洋服のシーンや、お父さんが認めてくれるきっかけになるクリスマスの夜、
そして、オーディションの最後の質問に答えるシーン。たくさん素敵なシーンがありました。


子役がこれだけ堂々と、舞台の中央であちらからこちらへ踊り倒しあれだけのことを表現してみせる。
これだけのエネルギーを感じる舞台は、生のものでさえそうそう出会えない。
舞台の上をひとりであれだけパワーで満たしてるなんて。はあもうほんとすごい。
子どもはともかく、大人でもこれだけ歌って踊って演技して舞台を自分のものにする、なんて人はそうそういないんじゃないかと思う。

そしてなにより、カーテンコールも面白い(笑)
見所満載の素晴らしいミュージカルでした。

こんなにも素晴らしいミュージカルがまだあったなんて。まだまだ勉強不足。もっとたくさん知りたい。

一生、ミュージカルを好きでいるなと確信した夜でした。