Open Sesame!

日々の観劇の感想や感じたこと

『幽霊』ヘンリック・イプセン 紀伊國屋ホール

 

この作品は、朝海さんが演じるアルヴィング夫人は、私自身が女であることを浮き彫りにした。
だから、込められた皮肉や滑稽さを理解してもなお、彼女に同情する気持ちを抑えることはできない。
それが本能的なことなのか『幽霊』によるものなのかは、わからない。

 

舞台上にはたった5人、セットは暗いお屋敷一つ。
どこかおどろおどろしいような雰囲気のそこは未亡人であるアルヴィング夫人の屋敷で、夫人と女中のレギーネが暮らしている。
そこへ、パリへ留学し絵を描くことを仕事としていた息子オスヴァルが帰ってきた。
アルヴィング夫人が建設した孤児院の財務管理を任されたマンデルス牧師、レギーネ父親である指物師のエングストランも屋敷に集う。
明日は、今は亡きアルヴィング大尉の名誉を讃える記念式典、という日。

彼はそのような式典が行われるほどの人物──というのは嘘。
正しくは、虚像である。
本来のこの男は”放蕩者”であり、世間での評判は全てアルヴィング夫人が夫に代わって行ってきた事業や取り繕ってきた体面の結果。

だからこそ夫人は知っている、世間というものが何を見ているのか。
人には何が見えているのか、何が見えていないのか。

それぞれの事情がそれぞれの視点から垣間見え紐解かれ醜態を曝け出し、物語は悲劇的な結末へと向かっていく。

 

オスヴァルは、安西君が今まで演じてきた役柄の中でも見目が美しいというか、装いが彼自身に似合っている。
清楚で品のある服装はより魅力的に見えるので、こういった時代の、特に外国の作品は合っていると思う。
また、口にパイプを咥え煙を吐き出しながらどこか不敵な、読めない笑みを浮かべながら登場する。
葉巻を吸い、水のようにシャンパンを飲み、女中であるレギーネに対し欲をチラつかせる。

葉巻、パイプ、酒、女!

あまりこういう役柄を演じているところを見る機会がないので、謎の感動を覚えました。新鮮で良い。

彼は、アルヴィング夫人の一人息子。
これまで女として夫や世間と戦い、またオスヴァルの為に母としても戦ってきた夫人にとっての最愛の息子だ。
幼い頃から母親の都合で留学し、現在はパリで絵描きたちと交流しながら絵を描いていた。
一年のほとんどが雨か雪の薄暗い生まれ故郷と違い明るく華やかなパリは、オスヴァルに希望を与えた。
しかし、彼は病気を患って戻ってくる。
その”病気”がなんなのかはいまいち濁されたまま物語は進む。
今年はリヴァ・るを観劇していたこともありどうにもゴッホの姿を思い浮かべてしまった。精神的なものなのか?と。

そんなオスヴァルを、真面目なマンデルス牧師はあまりよく思わない。
そこで、アルヴィング夫人はマンデルスに夫について隠してきた一切を話す。
夫が、世間の評判とは全く違う”放蕩者”のままであったことを。
夫人はかつて、”ふしだら”が家の中で起きたことさえもすっかり打ち明ける。
夫と女中ヨハンナの情事の声を聴いたことを。温室に隠れた二人の声が今でも耳から離れないのだと。

その時、オスヴァルと女中レギーネの声が食堂から聞こえてくる。
「オスヴァル様!いけません!放してください!」

夫人は叫ぶ。
「幽霊ですわ!温室のあの二人が、また現れたんですわ!」

アルヴィング夫人は語る。
私たちに取りついている、父や母からの遺伝、古い思想、信仰…。
それらが、この作品における幽霊の姿だと。

物語は進み、オスヴァルがレギーネを妻にしたいと打ち明ける。彼女には生きる希望があるのだと。
しかし、夫人にはそれを喜べるはずがない。レギーネこそ、夫と女中ヨハンナが浮気してできた子どもであったから。
それを知ると、さっきまで戸惑いつつも可愛らしさのあったレギーネが手の平を返したように態度が変え、怒って屋敷を出て行った。

オスヴァルは絶望する。
その絶望の理由がなかなかハッキリしないまま交わされる台詞。
それらを緊張しながら一字一句聞き逃すまいとしている時には、序盤に少し退屈だなと感じていたことなんて忘れていた。

息を飲み見守る中、こちらの心さえ絶望に落とす展開へ。

とうとうオスヴァルは、自分が先天性の梅毒─父親からの遺伝─であり、すでに発作も経験していると告げる。
そして、レギーネにこだわっていた理由こそ、次に発作が起きた時にはモルヒネを使って自分を殺して欲しかったからだった。薄情な彼女なら、病気によって幼児のようになっていく自分を面倒見ることに嫌気がさして絶対にそうしてくれるだろうと。
事実、レギーネはオスヴァルの病気のこと、お互いの関係のことを知ってあっさりとオスヴァルを見捨てている。
近しいもので薄情なレギーネがいない今、母さんがそれをするのだと。
「助けてあげます」そう、答えるしかないアルヴィング夫人。

そして──ソファに座るオスヴァル。
太陽、太陽。見上げて、ただただ呟くばかりの息子に「──たまらない!」夫人はモルヒネを手にする。
一瞬思い留まり夫人が天を仰ぐと、暗く雨が降り続いていた空に太陽が現れ、全てを白日の下に曝け出した。


***


これまで戦い続けてきた彼女を、追い詰めるような仕打ち。
なんてことだろう。彼女は何を思ったのだろう。

観終えてすぐ、どうして、とやりきれない苦しさに苛まれました。

しかし、アルヴィング夫人があまりにも自己中心的な考え方の持ち主であることにも気付いてしまう。
父親の正体を隠すことも、息子をパリへやったのも息子のためと言いながら自分のためだ。
夫から息子を遠ざける=自分の理想通りにする。
それなのに、息子に親子関係を求める。母親として愛されたい、息子を愛しながら自分を愛している身勝手な女。

その夫人と親子であるオスヴァルも漏れなく自己中心的な男。
レギーネのことを薄情だなんて言うけれど、肉欲的関心から近付き勝手に生きる希望を見出しレギーネの意見さえ聞かずに妻にしたいなんて言い出す。
最後には自分を産んだ母親に、自分を愛している母親に、自分を殺せと言う。

なんて親子だ!!

と、改めて考えれば思えてしまう(むしろそれでいいのかもしれない)内容でした。

けれど、私にはそう見えなかった。物語自体の本質とは別のところで。
それは、朝海ひかるさんと安西君が演じたからなのだと思う。

先ほどあげた「自己中心的な考え方」はアルヴィング夫人とオスヴァルの共通点で、親子であることを実感させる。
それとは別に、朝海さんと安西君の共通点がある。
「下品さが一切ない」こと。

朝海さんを見たのはエリザベート以来で、戦う女性としても母としてもどこかシシィを思い出さずにはいられない。
実際、時代も同じ頃ということで彼女らの抱える問題は同じで、精神の自由を求める点も似ていると思う。
ルドルフ好きの私からすれば、シシィは信用ならないので(笑)朝海ひかるさんが母親役?大丈夫なの?なんて思っていましたが、杞憂でした。

朝海さん演じるアルヴィング夫人は、一度は逃げ出しながらも、ずっとずっと、誰にも本当のことを悟られることなく戦い続けてきた女性であり、それでいて息子のことも大切に思っている人でした。
凛とした佇まい、スッと伸びた背筋。小さくて綺麗な顔はキリッとした表情で、それでいて漂う「ことなかれ主義」の憂いと諦め。
とにかく始終美しかったです。

そして、安西君もまた、とても美しかった。
というか、前から絶対に宝塚出身女優さんとの相性が良いと思っていました。
(それに、るひまのブックレットやパンフとかで和装やら応援団やら着ているのを見るとこれは宝塚おとめだっけ?となることがある)
単に顔立ちの雰囲気からそう思っていた(音月桂さんに似ていると思うこともある)のだけど、生々しくも品や清潔感を失わないお芝居の感じが近いのかもしれません。
ノーブルな服装は似合うし、多少品が無さそうに見えることをしても下品にはならない。
でも、口許に手をやって「栓を抜いてやるかな…」と言ったところなんかは妙な色気があって良かった。

ともすれば、オスヴァルは母親に親子以上の感情を抱いているのではないかと疑いながら観てしまいました。
「僕のためならどんなことでもしてみせるって?僕が頼めば?」
切羽詰まりながらのこの台詞を聞いて、放蕩者の息子で、レギーネにできて母親にできないこと、という連想から肉欲的な方向に考えて邪推してしまった私を許してくださいね。
しかし、近親相姦的な関係に見えてさえ不快にならない程の二人の美しさ。生々しくないいやらしさというか。
手を取る、抱きしめる、前髪をはらう、見つめ合う。ひとつひとつが画になりました。

しかし、見目麗しい親子を待っているのは悲劇でした。
そして、その悲劇が彼らの本性を暴いていく。

まず、孤児院が焼けてしまったこと。
そうしてより一層浮き彫りになった、エングストランやマンデルス牧師の人間性
もう、マンデルス牧師に関しては苦笑せざるを得ないというか、愚直というか、保守的な人なのでしょう。
エングストランには、もう最初から最後まで不快さしかありません。演じている吉原さんは、グランドホテルでも女性に対し酷い役柄だったので本気で怖かった。なので、アフタートークで見せた明るく気さくな雰囲気にはホッとしました(笑)

そして、オスヴァルが実の妹であるレギーネに恋をしていたこと。
オスヴァルが感じていた通りレギーネは薄情だったので、控えめで奥様の言うことには逆らわない女中から豹変してさっさと親子に見切りをつけて出て行きました。
葉巻、酒、女!に続いて近親相姦まで網羅するオスヴァル凄いです。
安西君は苦悩する青年役というジャンルだけでどれだけ枝分かれして演じていくのでしょうか(笑)

極めつけは、オスヴァルを蝕む病。
夫人が恐れていたことは、最悪の形で姿を現してしまった。

あのような男が父親だと思わせたくない、よくない家庭の空気の中に息子を置きたくない。
息子から父親の幽霊を遠ざけようとして戦ってきたというのに。
とうのオスヴァルには、亡き父親の幽霊が遺伝性の病気という形で取り憑いていたのだから。

だからこそ彼は、レギーネを求めた。生きる希望、つまり絶望しないために。
しかし、夫人はオスヴァルからレギーネという「救い」を取り上げてしまった。
エリザベートで例えれば、ルドルフにとってのトートがオスヴァルにとってのレギーネ
先天性の梅毒であることや発作の症状などからこれ以上の悲劇が起きないように、オスヴァルはレギーネに救い=破滅を求めた。けれど、アルヴィング夫人がそれを阻止してしまった。
結局はそれがアルヴィング夫人にとって最大の悲劇となり、守り抜いてきた全てが崩壊へと向かう。

「産んでくれと頼んだ覚えはありませんよ」
「あなたがくれたのはどんな命です?こんなものは欲しくない!」

この辺りの台詞は、思い出しても辛い。
私は独身で子どももいないので本当の意味でアルヴィング夫人の気持ちを理解することはできないかもしれないけれど、実の息子に、大切な一人息子に“生きる希望”を見出してきた彼女が、どんな思いだったか。

私は、アルヴィング夫人に対し同情しすぎなのかもしれない。
岩波文庫から出ている本も読みましたし、おそらくはもっともっとドロドロとした生々しさが渦巻いた作品として取れるのだと思う。直接的ではないけれど、裏にあるのはそれというか。
“放蕩者”と表すのが古い演劇ならではで私はとても好きだけれど、鵜山さんの言葉を借りて”スッキリ”した物言いをすればアルヴィングという男は浮気性のヤリチンの性病持ちで、その結果がレギーネという私生児で、レギーネに対し父親はなんだかいやらしい感じだし、彼女にオスヴァルが性的関心を抱けば異母兄妹であるし、本人は虫喰い─遺伝性の梅毒に罹っている。

性が乱れている!!

だから本当はもっと、肉欲の匂いや性のどうしようもなさを強く感じてもよかったのかもしれない。
けれど、私には女性として精一杯戦ってきた彼女を抱き締めたいとさえ思う。女として。
こういう見え方も有りなのではないだろうか。
朝海さんが演じた意味がそこにある。役者本人の色が透けて見えてくるのも演劇の楽しみ方だと思う。
観客として、女として、娘として、人間として。
この作品はあまりにも考えることが多すぎるし、立場によって見えてくるものが違いすぎる。

そうして考えていく中で気付くのは、私もまさに幽霊に囚われているうちの一人であるということ。
そして自分もまた、誰かにとっては幽霊であること。

誰しも一人で生まれ一人で生きることはできず、父親と母親がいて、血を受け継ぎ生まれてくる。
人と関わり、影響を受けながら育っていく。
その”影響”そのものが幽霊。

この作品では、幽霊はあまりよくない方向に作用しているけれど、私は“愛情”だって幽霊だと思うんです。
血であったり、愛情であったり、思想であったり、性と世間とのしがらみであったり。
憎いものであったり、時に愛おしいものであったり。
人が生きる上で常にまとわりつき、切り離せないもの。ずっとずっと昔から。人類の営みそのもの。
それが幽霊の正体なのだと。

時代背景や、女性という性の歴史、ものの見え方、色々なことを考えることのできる素敵な作品でした。

嘘で塗り固め武装し戦い抜いてきた彼女が全てをかけて守ろうとしたものが、自分の手によって消え去ろうとしている。今、まさに選択を迫られている。
太陽が顔を出し陰鬱としていた屋敷に、光が射す。

「それにみんな、私たち、光をひどく怖がっていますものね」

白日のもと真実を全て曝け出させるその容赦ない残酷さが、彼女自身の愚かさや滑稽さごとを明るみに出してしまう。
「太陽…太陽…」
オスヴァルが求めた生きる希望、抑圧からの解放の象徴である太陽。しかし、それはアルヴィング夫人に何の救いももたらさない。彼女だけが救われることを許さない。

あの、空を見上げた彼女の姿を、全てが崩れ去った瞬間を、私は忘れられそうにない。

 

舞台『喜びの歌』DDD青山クロスシアター

 

「じゃあ、なんで死んじゃわなかったんです?」


キラキラとした目で無邪気に問いかける彼を怖いと感じるのは、二度目の観劇から。


『喜びの歌』

背景は近未来。政府によって様々なことが制限され、個であることを禁じられた人々はお互いを監視している。しかし、だからこそ戦争もなく平和である。
ジンダイジの経営するウォーターバーの常連イケダは、海の底に憧れを抱きバーチャル素潜りを繰り返していた。
そこへ偶然、ジンダイジの過激派時代の相棒であるヨダが現れる。
二人がいた組織のリーダーであったソノベは10年前に自害しており、彼等は負けを悟り組織をやめ、今の暮らしに至っている。
実はイケダは母方の旧姓を名乗っており、本名はソノベであり彼等のリーダーの息子であった。
イケダは父親が自害したことへの恨みを晴らすために二人を殺そうとする。

書き起こせば単純なストーリーなのに、感想がすんなりと出てこない。
たった三人しかいないこの舞台は、観た人自身の価値観や感受性、知識と直結していて感想はまさに十人十色だと思う。
DVDになるそうなので、半年後、一年後、五年後と時が経ち見返せばまた違う答えが出てくるのでしょう。
それは、観る人に寄り添いはしなくても突き放すことも決してしない作品だから。

イケダが何を思い、何をしようとしていたのか知ってから観ると、本当に物語が違って見える。
ジンダイジとバーで過ごしているひとつひとつの瞬間が、ジンダイジを試しているように見えて仕方ない。

「じゃあ、なんで死んじゃわなかったんです?」

笑顔でこの質問をしたイケダに、背筋がぞくっとしました。

イケダのひとつひとつの言葉が尋問に感じるし、明るい表情さえも裏に意味があるように見えてくる。初見でも面白いけれど、二回以上観れたらさらに面白い。
私がしんた君のファンなので、とにかくイケダに注目しまくってしまったのもありますが。
イケダはちょっとお馬鹿そうで無邪気な笑顔が可愛らしい好青年。しんた君によく似合う役です。
舌足らず気味で時々裏返ってしまう声は普段の本人に近いかなと。なので、途中までは可愛らしい役だな~なんて思って観ていました。

この舞台では音楽や音が効果的に使われていて、セルロイドレストランでもスズカツさんが話されていたけれど編集された舞台。
映画のカットが入るように切り取られ切り替わるのですが、それを音や照明を使って表現していました。(ノイズが入ったり、机を大きく叩いたり)

過去のシーンでジンダイジとヨダが話している場面でも、舞台上にイケダはいる。
ノイズが入り、スポットがイケダに切り替わる。

「明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ」
「人間は、その人の思考の産物にすぎない。 人は、思っている通りになる」

ガンジーの言葉ですが、その独白が入ったことでアレ?となりました。イケダなにかありそうだなと。
彼は海底に憧れを抱き、いつか潜りたいと言ってバーチャル素潜りを繰り返している不思議な青年。
序盤では実際にしんたくんは水槽に顔を突っ込み、そこでのやりとりは可愛らしい。

しかし、物語も終わりに近づいたところでイケダは一人、水槽を前に独白する。

「猫の足 鉄の爪 神経外科医たちが「もっと」と金切り声をあげる……」

もっと続くのですが、これはキングクリムゾンの21世紀のスキッツォイド・マンの和訳とのこと。
これを気が狂ったように呟き、叫んでいる。8/26ソワレでは水槽にポタポタと涙が落ちるのが見えた。
そして、顔を水槽に突っ込む。
この時点で、もうイケダはヤバい奴とわかりました。あ、これしんた君がよく演じている好青年と見せかけてやべーやつだ、と。

ヤバい奴とわかりつつ、じゃあこいつは何がしたいんだ?とわからないので初日はドキドキして体が緊張で強張っていました。

「仕事何してるの?」
「害虫駆除です」

「昔は良かった~っていうジジババどもが。その良かった昔を作ったのはお前らじゃないうえに、今の世の中をつくったのはお前らだろクソどもが、って思っちゃいます」

声も口調も明るく、なんてことない仕事の愚痴。けれど、ラストを知ったうえで観るとこの言葉がジンダイジやヨダに掛かっていることがわかる。
イケダは、あっさりと正体を明かす。彼のヨダに対しての表情が怖い。

デイトレーダーにおなりとは、拝金主義まっしぐらですね」
「拝金主義とはなんだよ~」
「親父の言ってた原始共産主義とは真逆ですよね?ある意味凄いな」
「あ、褒めてたんだ」
「ばーか」

この、「ばーか」を彼らの前では好青年の彼が急に言い出すんですよ。ゾクッとしました。さっきまで敬語で喋っていたのに。
しかし、びっくりしたのがこの「ばーか」のシーンで一部笑いが起きていたこと。こういう奇妙さが起こるのが、この雰囲気の舞台特有の現象だなと思いますね。人それぞれ感じ方が違う。
イケダは、父親キリスト教に強い興味を示していたことや父の日記の内容を話す。
この時にヨダはそれこそ「ばーか」と言われて仕方ない口ぶりだったけど、ジンダイジはソノベやイケダの言いたいことを理解していたように思う。
そして、会話の末イケダはヨダに水をぶっかけて、また21世紀のスキッツォイド・マンを唱え彼らに本心を明かす。

父が死に、貧乏のどん底まで落ち、母は頭がおかしくなり、地獄を見た。

この時のジンダイジとヨダの違いもまたわかりやすいというか。
ジンダイジはただならぬイケダの様子に焦り、ソノベの死に関すること(息子のその後も含め)罪の意識があるのがわかる。自分を責めている。
けれどヨダは自分に水を掛けたイケダに怒りを感じているようで、過去の出来事について自分を責める様子はあまりない。
イケダは、豹変したかと思えばさっきまでと同じように明るく好青年な雰囲気に戻り酷く不気味。
就職が決まったという彼にお祝いを渡すと言った二人。

「でも、今は準備が」
「いいんです、こっちで用意してきましたから!」

イケダが鞄から取り出したのは拳銃。さすがにヨダも焦る。
ヨダに銃を向けると21世紀のスキッツォイド・マンが流れる。それも爆音で。暗いステージで、淡く冷たい光に照らされるイケダの美しいこと。

ジンダイジに銃を向け近付くと、ジンダイジはイケダの腕を掴み自分の額に当てさせる。
しかし、しばらくしてもイケダは引き金を引かない。
ジンダイジはイケダの腕を引っ張り体ごと抱きしめてしまう。暴れ、叫ぶイケダ。その声さえも爆音の音楽で微かにしか聞こえない。
全てが最高潮になったところで音が途切れ、イケダも大人しくなる。
ジンダイジは、イケダを抱きしめたまま呟く。

「俺は君が好きなんだ。だからこんなことはしてほしくない」
「…嫌いだよ、あんたなんか。なんで死ななかったんだ、全てに絶望して幻滅したんだろ」
「生きることが、好きだからだ」

イケダが、ジンダイジを見つめて、一度逸らしてまた見つめていたのが印象的で。
ただこれは千秋楽しかよく見てなかったので他の日がどうだったかよく覚えていないのですが。
全てに絶望して幻滅して いたのは、イケダも同じ。
だからこそ、ジンダイジになぜ生きるのかをずっと問いたかったのかもしれない。
イケダが去り、ラストシーンは冒頭と同じくジンダイジが一人踊る。
違うのは、踊った後、イケダが去った方を見て、それから水槽に顔を突っ込み、そしてやはり死にきれずに顔を上げたこと。

ジンダイジは何かと過去のことを思い出していたし、墓参りにも行けず、あの頃に囚われたまま。
現実を見ているフリがうまいけれど、実際はずっと目を逸らし続けている。
彼は「みんなお前みたいだったらいいのにな」とヨダに言ったけど、あんなふうに切り替えて生きていけたら。
「好き」は常に楽しいものじゃない。
生きることが好きという言葉に嘘はないと思うけど、それでも死にたくなる時があって、死にきれないまま生きる。
いっそ狂ってしまえれば楽なのに。こんな世の中で生き、狂う一歩手前の彼は、そして私たちもまた、21世紀のスキッツォイド・マンなのだろうか。


なんていろいろ言ってみるけど、主義とか思想とか、義務とか責任とかそういうの抜きにして「好き」という感情で動いた二人というところに私は注目したい。
イケダは、父親の死にまつわる自分の絶望的な境遇への恨み辛みを晴らさなくては、害虫は駆除しなければと考えていた。
幼い10歳にして父は死に、母は狂い、貧乏のどん底で辛かったであろう彼の10年間の行動原理はそこにあった。
ジンダイジも、責任をとろうと思うのであればイケダに殺されるべきだし、自分で死にきれないのであれば他者に殺されていいと考えたはずだ。
原子レベルでは死なないだとか小難しく考える彼のことだから、一瞬のうちにそれくらいの頭の整理はできたに違いない。

だからこそジンダイジは銃を額に当てさせた。

けれど、イケダはジンダイジをすぐに撃つことはできなかったし、ジンダイジもまたイケダを抱きしめた。

「好き」だからだ。

イケダはジンダイジを嫌いだと言ったけれど、嫌いでなければならなかった。ずっとずっと、そう考えていたのだろう。父のため、恨みのため。
けれど、人の好き嫌いは理屈に左右されるものではない。ソノベもジンダイジを可愛がっていたようだし、頭も良い。好ましく思うのは必然だったように思える。
確証が持てなかった「好き」は、生きることにもジンダイジへもどちらにも掛かっていたんじゃないかと。そうであってほしい。
これは、私のイケダに対する希望でもある。

メッセージ性とか無視してイケダに関してだけ直接的な表現すれば、好きになっちゃいけない相手に好きって言われた、っていうことかなって。
「好き」って凄い。
例えば「性格いいですね」って言われたら、褒められてるのに「そんなことないですよ」って否定できてしまう。
でも、「あなたの性格好きです」って言われたら、どうしようもない。それは言った相手の価値観の問題であって、言われた方は手も足も口も出せない。

「好き」って、全部受け入れるような言葉。

イケダの恨み辛みは、ジンダイジによって受容されて流されて、10年間の行動原理が一度破壊されて、好きっていう形で構築されなおされてしまった。
イケダにとっては、価値観ひっくり返される出来事。

だからこそ「好き」という美しいような言葉ではあるものの、素敵だとかそれこそ美しいラストだなとは言い難いのかなって。
ある意味狡い行動だよね、ジンダイジさん。
けれど、ある意味救いでもあり、イケダは穴ぐらから出ていくことができた。
できないのは、ジンダイジただ一人。イケダが出て行った方を見つめ、そして今日も死にきれない。
死にきれないことで生への執着を確認しているのか、生きていることを実感しているのか、彼もまた潜ることで何か変わるかもしれないと思ったという変化なのか…窒息マニアなのか(笑)

視点を変えればあらゆることを考え、あらゆる意味にとれるようになっているこの舞台。
良いようにも悪いようにも取れるけど、このラストについて、21世紀への希望も込めて前向きに捉えていたい。

いつか、もしかしたらもうずっと先かもしれないけど、二人が出会うことができたら何か変わるかもしれないって。
イケダがジンダイジを穴ぐらから引っ張り出して、海の声を聴きに行ってもいいんじゃないかって。
小さな水槽なんかじゃなく、砂浜で、エメラルドブルーの大きな海を前に思わず歌を口ずさむ二人。

自由は私の中にあり、誰もそれを奪うことができないのであれば、そこそこ幸せな未来を想像することだって私の自由なはずだ。

タイトルの『喜びの歌』は、時計じかけのオレンジを観てからはちょっと不穏に感じる。
21世紀のスキッツォイド・マンを唱える時のイケダはやばい時だし、彼にとっての喜びの歌なのかなとか。
彼自身、戒めとしての曲でもあるのかなとも思うし。忘れてはいけない過去への。
曲の使われ方がかっこよすぎて、クライマックスのあのボルテージが最高潮まで上がるあの瞬間は忘れられそうにない。
ジンダイジのような大人はたくさんいると思うし、みんないっぱいいっぱい。みんなスキッツォイドマンの一歩手前。

最後に劇場について触れておきたい。
青山劇場の横のとおりを奥に入ると、地下への入り口がある。一瞬わかりにくいけれど立地のいい劇場。
たった、180席くらいの小さな劇場だ。
中はパイプ椅子ではなく、図書館とかに置いてありそうな椅子。不思議だ。
椅子の並びが千鳥ではないこと、トイレが少ないのが難点だけど、私は秘密基地っぽくて好きだ。

好きなんだ。

 

2015/12/30「晦日明治座納め・る祭~あんまり歌うと攻められちゃうよ~」明治座


第一部:お芝居「将の器~泣くよウグイスHEY!HEY!HEY!~」

 

観終えてすぐ、バッドエンドだと思った。

 

坂上田村麻呂は、人の心の声が聞こえてしまう。
そのため人間不信で感情はとうに捨てたと言い、動揺などしない能面のような男。
一方阿弖流為は、蝦夷のリーダーで天真爛漫な大食漢。
素直で心優しく暴力を嫌うのに、怪力の持ち主。

そんな正反対の、二匹の「怪獣」のお話でした。

田村麻呂のいる朝廷軍はストレート。
阿弖流為率いる蝦夷たちはミュージカル調での芝居の表現。
相容れない者たちの対比。

田村麻呂は、人の心の声を聞えないようにする勾玉を、桓武天皇より授かっていた。
その桓武天皇の命により、蝦夷討伐に向かう。
森の中で偶然、阿弖流為に出会う。そして、彼の心の内を聞く。「お前の望みはなんだ」『おにぎりが食べたいな~』「おにぎりだと!?」
人間は笑顔で嘘をつく。それを知り人間不信となった彼にとって、言葉と心の声が同じ阿弖流為は不思議な存在。
「美味しいご飯を食べて美味しいお酒を飲んで、みんなで美味しいねって言えるようになったらいいね」そんなことを心の底から願う阿弖流為を、田村麻呂は受け入れた。
自ら名前さえ名乗ってみせた。田村麻呂は阿弖流為を気にかけるようになる。彼らは天皇が言うような「獣」ではない、自分と同じ「人間」だと。

阿弖流為は、アラハバキ神に愛され「蝦夷の未来を紡ぐ者」と言われていた。
しかし彼は、戦を好まない性格のせいで蝦夷たちの中で浮くことがあった。その素直さと怪力によって仲間を傷つけ、責められ、悔いて自ら力を手放せば「役立たず」と罵られた。彼はその力を失くすためにアラハバキ神に相談していた。神聖な取引には何か代償が必要だった。
「力を失えば、次にその力を取り戻し使う時、それは阿弖流為が死ぬ時」
阿弖流為は全てわかっていて、蝦夷を、仲間を、みんなを救うために覚悟を決めた。
力があってもなくても悲しいことがあるなら、自分の力を受け入れその力でみんなを護ろうと。

田村麻呂はとある出来事により、阿弖流為は自分に嘘をついたと誤解。
両軍の勝敗を掛け田村麻呂と阿弖流為は斬り合った、はずだった。刺さる田村麻呂の刀。阿弖流為の刃は寸止めで田村麻呂を傷つけることはなかった。
阿弖流為は、自らの命を犠牲にして蝦夷を救った。
阿弖流為は、自らの命を礎に「蝦夷の未来を紡ぐ者」。
阿弖流為は、田村麻呂なら自分を殺してくれると信頼していた。
田村麻呂の身体を引き寄せ、さらに刀を深く貫かせた。

最後に、「人間ってさ、そんなに悪いもんじゃないよ」悪い声だけじゃない、別の声も聞こえるかもしれないよと田村麻呂に伝えると、アラハバキ神の元へ召された。

現実はそう甘くない。
その後も、田村麻呂には相変わらず人間の醜い声ばかりが入り込んできた。
けれど、田村麻呂は阿弖流為の目指した「美味しいご飯を食べて美味しいお酒を飲んで、みんなで美味しいねって言える」国を作ることを目指し、天皇より授かった勾玉を、刀で砕いた。

自分の力を、自分自身を受け入れ、生きていく道を定めた。

 

田村麻呂と、阿弖流為の対比が見事でした。
外からの声、内にある力。
心を閉ざした田村麻呂と、素直に感情を出す阿弖流為

2幕の冒頭で歌う曲で
田村麻呂は「この国の為」と歌い
阿弖流為「みんなのため」と歌う。
言葉は違うけど、命を懸ける意味というか先にあるものは同じで。

怪力を取り戻した阿弖流為や、阿弖流為を犠牲にすることを受け入れるしかない蝦夷たち、そして田村麻呂が歌う怪獣のバラードはとにかく泣けた。
まさかこの年で、怪獣のバラードで手拍子しながら泣く日がくると思わなかった。

 阿弖流為が武器を持って歌う姿はまさに怪獣で
「海が見たい 人を愛したい 怪獣にも心はあるのさ」
歌詞が、阿弖流為の優しい心とリンクするから。

蝦夷の仲間たちと共に歌う阿弖流為の後ろに田村麻呂が一人歌う。
直前に側近であり友だと思っていた綿麻呂に裏切られ、一人となった田村麻呂。
「海が見たい 人を愛したい 怪獣にも望みはあるのさ」

気付きました。人並み外れた能力を持つ彼もまた、怪獣だった。力持ちで身体が大きな阿弖流為だけじゃない。
人の心の声が聞こえてしまう田村麻呂だって。その力のせいで人を嫌い、嫌われ、でも感情をなくすなんて無理だ。
傷付かないように、心に蓋をして気付かないふりをしていただけ。本音では「人を愛したい」。
愛のある未来を、平和な世を、同じ未来を二匹の怪獣は望んだ。
それは阿弖流為亡き後も、田村麻呂の生きる道となった。

阿弖流為は自分の力のせいで仲間も自分も傷付けながらも、最終的には自分自身の力を含めすべてを受け入れた。阿弖流為だって、人が嘘をつくことを知っている。嘘には種類があることも知っている。
それは紀古佐美のような姑息な嘘であったり、阿弖流為が仲間についた人を護ろうとする嘘であったり。
そのうえで信じる強さを持っている。わかりやすくヒーロータイプ。
凄く勝手に、広く解釈すると、ナルトとサスケみたいな対比だと思うんだよね。
田村麻呂は冷えた心を、阿弖流為の素直さに溶かされた。。
彼自身、蝦夷を「獣」だなんて思っている様子ではなかったけど、それでも森で対峙したことによって
人並み外れた怪力の阿弖流為は「人間」だと。それを知って、自分もまた人並み外れていても「人間」であるいうことを思い出せたんじゃないかな。

 怪力を持っていても、人の心の声が聞こえても、嘘をついても、感情があって、それが人間で、だから戦も起きて、それが世の中で。色々あるけど、悪いことばかりじゃないと教えてくれた阿弖流為
そんな救いのヒーローを手にかけることになってしまった田村麻呂は可哀想なんだけど、それでも阿弖流為に出会わない人生よりもずっと良かったはず。
桓武天皇に言われたからじゃない、自ら目指したい世の中を、阿弖流為も望んだ世を作ろうという強い志を持てた。
同時に、阿弖流為にとっても自らの能力や運命を受け入れ蝦夷のためと命を絶つ決断を下すのに田村麻呂の存在は必要不可欠だったと思うので、
やはりこの出会いは必要なものだったんだろうな。

阿弖流為が死ぬ間際の田村麻呂とのやりとり、二人があまりに綺麗で惚れ惚れしました。
相容れないはずだった二つが心から重なった瞬間だったんだと思います。
観終えてすぐはバッドエンドと感じていたけれど、今となってはメリーバッドエンドくらいには思えています。

ただ、すっきりした顔で田村麻呂を引き寄せて自ら刀を深く差した阿弖流為と、阿弖流為の言葉が嘘ではなく自分が誤解していたこと、阿弖流為が死ぬという事実の二つを突き付けられて
戸惑い動揺している田村麻呂の表情を見ると彼はやはり辛い現実や未来を背負ったなと。
でも、実は一番可哀想なのは母礼では?残される者たちはいつだって辛い。

全体的に脚本が、そこでその台詞を言わせるか!?っていう、人の心にズカズカ入り込んでくる感じだったんですね。良い台詞も、嫌な台詞も。今回初めて女性の脚本家さんだったということだけど、ポジティブにもネガティブにも、心に訴えてくる感じがまさに…と言った感じでした。
「なんかよくわかんないけど楽しかった」という感想の大江戸の次に生で観たのがコレという落差は凄い。
るフェアよりも容赦なくて、これくらいやってくれると作品として矛盾も甘さもなくて結構好きです。

 

田村麻呂*三上
→あんな顔をする三上を見ることになろうとは…
遡れば2009年秋…鴉が三上を初めて見た時だったけれど、あの時からなんだか高貴で几帳面そうな雰囲気の役のイメージで。失礼だけど特別うまいとか下手とか意識したことなかった。
それがなんかもう…田村麻呂可愛すぎか?不憫すぎか?
田村麻呂が花道を通ってきた時の佇まいが美しくオーラがあって、なんかもう惚れ惚れしてしまいました。
三上らしい役でもあるけど、三上=フェニックスというか熱血というかとにかく真っ直ぐな熱をいつも感じていて完全なる「陽」ではなくとも「陰」ではなかった。
それが今回は、人の心の内が聞こえるがゆえに心が死んでしまったような「陰」の雰囲気があって驚いた。しかも、阿弖流為は田村麻呂のミミかって感じでキャンドルの火を灯してくれたようで、その表情は少しずつ生き生きしていく。
なのに!めんまろこのやろ~!めんまろの仕打ちと天皇の「今度の側近には本音を出させないようにね」という言葉。
人間らしくなったはずの田村麻呂が再び表情を失った時のあの、今度こそ救いのないような、真っ黒な目…
三上のあんな表情を見ることになるとは思っていませんでした。
田村麻呂がラストにステージに残り、自嘲的な表情で笑っているシーンは今も胸に残って重くて痛いです。それはきっと田村麻呂もで、森で一度、剣を交えた時に一度、たった二度しか会っていない阿弖流為のことを思って胸を痛めているはず。彼が笑うシーンがとにかく辛くて「泣いている人よりも泣くのを我慢している人を見る方が悲しい」っていうのはこういうことなのかなとも思いました。
序盤はかなり感情を殺していて、阿弖流為に出会ってから少しずつ人間らしくなり、阿弖流為に嘘をつかれていたと誤解すると動揺し、彼らしくなくなっていく。
ある意味田村麻呂は一番人間らしく、阿弖流為以上に素直でわかりやすかったな。
田村麻呂は、げんげん、三成に続き大好きなキャラになりました。
三上さん本当に本当にお疲れ様でした。良いお芝居でした。
三上真史をこんなに可愛い可愛いと思ったことはないです。年齢を重ねてどんどん可愛くなってませんか?怖いです。
三上荒木はこんなに若くて可愛いのに、どうして鈴木だけ老けていくのか…
しかし、海尊くんの次が田村麻呂とは…自分の英雄を(メリバ以上には)救えない役が続いてるね。

阿弖流為*真志
→こんなハマり役はいるのだろうかってくらい、ハマってた。
ちょっと舞台演技が過剰というか、声を作りすぎなところが気になって最初はちょっと違和感があったけど。汗をダラダラ流しながらの熱演は、観る側にも阿弖流為という人間の器の大きさや強さ、同時に弱さも教えてくれた。
単純に、こういう太陽のようなキャラクターは好きだし、田村麻呂目線で観ていたので阿弖流為はとてもかっこよかった。
毒を盛られた食事さえ続けて食べようとする食いしん坊でw
暴力を嫌い、戦を嫌い、みんなでご飯食べて美味しいねって言えるのが幸せだと。あの蝦夷の状況でそんなことを言うのはバカバカしいことだろう。そんな場合じゃないんだから。
でも、心から思っていることをありのままに伝えられる阿弖流為の素直さの表れだと思う。おにぎり落としちゃってパッパッて払ってたのかわいかったな…。
自分が殺してしまった仲間に一番胸を痛めたのは阿弖流為だろう…辛い。悲しくて力を失くしてほしいって頼んだら、今度は森の一大事に何もできなくなってた。
でも、それで阿弖流為は自分の力ごと自分を受け入れてみんなを護るべきだと自分の運命を受け入れられたんだね。
そんな阿弖流為を見て、田村麻呂も自分を受け入れられたわけだし。
阿弖流為はバカみたいに見えるけど、決してバカじゃなくて人をよく見ていて愛していて、だから人間の悪い面もすべて受け入れてる。
田村麻呂は、逆に人を愛してるから人間の悪い面を受け入れられなかったんだろうな。
体も心もおっきくて武器振り回してる姿がとにかくかっこよかった。
もっと見たいな~と思わせてくれる役者さん。

綿麻呂*安西くん
→次は誰のことを書こうかって考えて、綿麻呂のことを書かないと収まらないなと。
綿麻呂は田村麻呂を慕う部下。るひま年末恒例の始まる前の挨拶が今年は応援団でかわいかったけど、あれ?安西くんがいないぞと。
朝廷側は物語始まってすぐ出番だったので、いなかったみたいです。綿麻呂と天皇のやりとりから始まる物語。
「お前それ、そんなの巻いてたっけ?」
「これは私がモンゴル相撲で優勝した時のものでございます」
「奇遇だな~わしもこれ初代で貰ったやつなんだよwあれ、田村麻呂動揺してる?」
↑田村麻呂を笑わせようとする日替わりネタw

綿麻呂ちゃんはとにかく可愛かったです。
田村麻呂を慕い、田村麻呂が悪く言われるとムッとして言い返したそうな顔や態度をとったり。
彼がそんなに慕う理由は、昔田村麻呂に助けてもらったからだと思い出話を始める…
「パカラッパカラッパカラッ!」
!?
「うわー!馬から落ちてしまった!幼き私が!馬から落ちてしまった!」
!?

そこへ、田村麻呂だけが気付き綿麻呂を探しに来てくれた
「た、たむらまろさまー!めんまろはここです!めんまろはここでございますー!」
怪我をした綿麻呂を自分の馬に乗せた田村麻呂。綿麻呂の馬も怪我をしていて、けれど天皇からの授かりものだから置いてはいけないと自ら馬をひいて帰った田村麻呂。

「それを見て、私はこの方に対する忠義は変わることがないだろう、と思ったのです」

もう、安西くんツッコミどころ満載だねいつも通りだね。気持ち悪い枠になれちゃったほうが笑ってもらえて得だよ大丈夫w
なんでもやる子だなあ…
綿麻呂はその後もずっと田村麻呂のそばで、田村麻呂を見守ってる。
阿弖流為に出会い、変わっていく姿も。
彼はしっかりしているので、桓武天皇が勝手に綿麻呂の刀を抜いて蝦夷の一人を殺した時もひざまずいてその刀を片付けたりしてね。
歌の中で「追いかけたい背中がある 主であり兄のような」と田村麻呂について歌う
田村麻呂は阿弖流為に出会い変わった。桓武天皇に頼み、蝦夷たちに恩義をと説得しに行こうとする。
そんな田村麻呂を見た綿麻呂は急に雰囲気を変え刀を抜いた…

桓武天皇はねぇ、これを恐れていたんですよ」
!?
田村麻呂に刀を向ける綿麻呂。
「人の心を聴かないようにする宝玉があるなら、心を聴かせないようにする宝玉があるとは思わなかったのか?」
田村麻呂が持つものと色違いの玉を取り出す綿麻呂。
「人間不信の割に、簡単に人を信じるんだなぁ?私が笑顔を見せたから?思い出話をしたから?」
動揺する田村麻呂を、弟麻呂が助けに来る。綿麻呂は気絶させられ退場。
弟のように思っていた綿麻呂に裏切られ、ショックを隠せない田村麻呂。そのすぐ後で怪獣のバラードを…あああ…
うん、私もショックを隠せないよ!!!!!言ってたじゃん!!!綿麻呂は田村麻呂を慕ってるって言ってたじゃん!安西このやろー!
実は綿麻呂は王族の子どもで、命を狙われていたので匿われていたと。その問題がなくなり、家へ帰って行った綿麻呂。
思い返せば、天皇は最初も綿麻呂と話していたし、綿麻呂の刀を使ってたし、そのことに驚いたりしない綿麻呂はつまり最初からってことで。
私は、この綿麻呂をどう解釈していいのかとても悩んでる。思い出話も歌も、嘘なのか、そうじゃないのか。
嘘じゃないとも思う。でも、綿麻呂は天皇側、朝廷側の人間であることが前提で。その天皇の考えや綿麻呂の理想から外れていったのは田村麻呂の方だし。
田村麻呂が人間らしくなりはじめ遠くで戦う阿弖流為を見て嬉しそうというか、生き生きした表情をしていた姿を横で見ていた綿麻呂が少し寂しそうに見えたんだよね。
変化してしまったのは田村麻呂の方で、綿麻呂は何も変わらないのかなとも思うし。綿麻呂の忠義とは…?
はあ~しかし騙された。綿麻呂このやろー安西コノヤロー。安西くん嫌いになるかと思ったwでも、それだけ熱演でしたよと言うこと。
高笑いを見て天草四郎を思い出した。彼もほんと、気になる役者さんです。
あー、でもショックだった…三成の後の落差ひどくない?笑
美味しい役もらいましたね。

 母礼*辻本くん
→軍師モレ。母礼で、モレ。
軍師であり全体を考えなくてはならない母礼にとって、阿弖流為は暢気すぎて苛立ちが募る。母礼は阿弖流為に「好きにしろ」と言ってしまう。阿弖流為は彼を信頼しているので言葉のとおり好きに動いた。その結果が、我を失い味方さえ傷つけた。
阿高楽に「お前なら阿弖流為をうまく動かせると思ってお前を軍師にした、阿弖流為はお前を信頼していた」と聞かされて阿弖流為の気持ちを無視したことに気付く母礼
結局、母礼のそういう部分のせいで阿弖流為は母礼に相談せず力を失ったし、その後仲直りできたから不死身ではないことを母礼だけに伝えたんだよね。
母礼が歌うStory「一人じゃないから 君が私を守るから」パロだし笑っちゃいそうなんだけど、この頃には涙が止まらず笑うとか無理でした。
母礼は軍師として序盤厳しそうな感じだから、つじもっちゃんらしくない?と思ったけど、とても優しい人だったのでなるほどな~と思いました。
あの優しい声色でStory歌われるとたまらない…。
ただ、一番厳しいのは母礼の立場だと思います。軍師として、阿弖流為を救う軍略はなく、母礼の代表(リーダー?)として桓武天皇のところに出入りしているのが…
田村麻呂同様、目に光がなく天皇の意志に背くことがないよう人形のような母礼を見て辛くなった。
あんなに明るかった蝦夷たち、今、歌えてますか?
あの最後の出番の一瞬でそれだけ思わせてくれるつじもっちゃん凄いと思いました!よかった!

桓武天皇*コバカツさん
→まさかこういう感じで来るとは…
「弟の怨霊が~怨霊が~」とずっと言ってるめんどくさそうな人だなと思ったら、コバカツさんもエキセントリックな役と言っていたけど
大江戸の吉良、るフェアの後白河法皇みたいな感じだった。主人公じゃないけど、出番は多くないけど、なんか、うああ~って役だ。
蝦夷から交渉に来た阿高楽と蓮杖陀の話をまともに聞く気なんてなくて、自分たちに逆らったくせに何言ってんの?って感じで
綿麻呂の刀で阿奴志己を刺殺し、阿高楽を見て「脚悪いの?じゃあこいつ連れて帰れば?」と言い放ち「早く片付けて、なんか血なまぐさいよ」とまで言う。
最後、綿麻呂のことに言及しつつ新しい側近をつけるという話を田村麻呂にして「次の側近には本音ださせないようにね」なんて。
怖すぎ。コバカツさんもエグい役と言ってたけど、もう作品のラストごとエグいです。
めんまろあんざいとおなじで、コバカツさんも嫌いになる~~!って感じだった。カウコンでやっぱりかっこよかった。うん。
官兵衛からの落差が凄いな…コバカツさんならではの雰囲気の天皇だったな…。

紀小佐見*龍くん
→龍くん…顔に合った役だry
龍くん綺麗だからすごく意地悪そうに見えるんだよね、本当はとっても優しいのに。今回は龍くんの演技と顔立ちとかすべてが合ってて凄かったし良い役だった。
蝦夷の森に火をつけた時は殺意が沸いたけどね。「冬の枯れ木はよく燃えるだろうな」って台詞がもう…
ある意味小物でしかないし最初から嫌な役とはいえ、悪役を貫き通した点で桓武天皇や綿麻呂よりはいいかな。うん。

 入間広成*竹村くん
→ほとんど出番ないけどかわいかったw
紀小佐見の側近?なんだろうけど慕ってなくて、心の中では悪態ついててすっきりしたw
田村麻呂と向き合うと「…かっこいいなぁ~」とか言ってるし(笑)
私が観た会ではないけど、彼が描いた田村麻呂と綿麻呂の似顔絵がツボすぎてww

鷲葛城*原田さん
→原田さんってこういうの出るんだ!?って思ったけど、クリエイターでもあるしなんでもやるんだろうなあ。
私は、彼女(?)の言い分が結構わかる。
母礼の言うこともわかるけど、鷲葛の「誇りはお金にならない」という考え方のおかげで青森が豊かになっていることは事実。
やり方は汚いし「犬」と言われれば「ワン」と鳴くプライドの無さは悲しいしマネはできないけど、否定はしない。
結局、母礼たちもそうやって生きることを選ぶしかなかったわけだし。
鷲葛の良いところは、決して従順ではないところ。誇りを捨てて「ワン」と鳴いても、自らの考えや利益(自分だけではなく青森の)を考えて行動しているところ。
したたかな強さだと思った。将の器とタイトルにあるけど、国のトップではなくとも自分が住んでいる地域のトップが鷲葛なら安心できると私は思う。
原田さんは歌を聴いてて気持ちいいし、綺麗だったしwよかった!!
2幕早々出落ち感凄かったし意外と面白いことやる人なんだ~って知れて楽しかったww

アラハバキ神*高嶺さん
→綺麗だった~~。しかし、アラハバキモーツァルトのヴァルトシュテッテン男爵夫人と同じにおいがする。。。
彼女は、阿弖流為を傍に置きたかったのかなというか。最後、召されていく阿弖流為に対してのアラハバキ様の表情が…うーん。
トートのようだった、と言ってる人がいたけどわかる!!って感じ。
あのような立場から、阿弖流為に惹かれていたんだろうな…やっぱり、連れて行かれちゃったのかな阿弖流為は。

ヨン*みねくん
→なんでヨンなのか、観ている時には気付かなかった。
ヨンの衣装はもののけ姫のサンにそっくりでwでもそれは、アシタカが蝦夷の末裔だからとかそういうことなんだと思ってたら、サンだからヨンなのかと。やられた!
しかも、そこにヨン様を掛けてくるというWパンチ。みねくんじゃなきゃできない!
美しい美脚を惜しげもなくさらしながら「生きろ」とか言ったり。ジブリのパロっていいのかな?w
背中にかかった細いピラピラを手に取って「これなんだと思う?…そうめん」「一回ゆでたやつ」とアドリブも可愛い。
衣装が衣装なので、基本は女性のように足を閉じて座ったりするんだけどそれがまたww
アラハバキ様を呼ぶにはヨンの力が必要で、ヨン自体も静電気的なものは起こせて、それをやぎょうまるにビリビリってやったりしてて鳥ちゃんと仲良くて可愛かった!
でも、座る鳥ちゃんに跨って顔に股間を押し付けた結果、スパッツ越しにぺたっと股間に触れられるという一連の流れがww
しかもその後、わーって股間を隠しながら退いたヨンと股間を触った右手を見つめるやぎょうまる…面白いし可愛いしで…和む。
ヨンはアラハバキ様が大好きだけど、阿弖流為のことだって大好きなんだよなー。アラハバキ様が好きすぎて阿弖流為に冷たくすることもあるけど。
ヨンについて深く考えるには、あと2回くらい観ないとわからない気がする。
阿弖流為さえいなければ」というのは半分本当で半分嘘だと思う。だって、阿弖流為が自分を犠牲にするつもりだって知ってあんなに必死になってくれたんだもん。

伊佐西古*前山くん
→ガランチードでの劇団員のイメージが強くてうーんて感じだったけど、今回は良い役だった!
蝦夷達の中には仲間を傷つけた阿弖流為に対してちょっと不信感を持ってしまう人もいたけど、イサセコはずっと阿弖流為の味方をしてくれてた!うれしい!
背中に何背負ってんだろって思ってたら、まさかの子どもたち…!とと様って感じには見えないけどw
嫁と子どもの為なら頑張れるっていう役は良かったと思うし、基本ぴょんぴょん飛び跳ねててかわいかった。最後まで阿弖流為を見守ってくれてありがとう。

物部矢仰丸*鳥ちゃん
→鳥ちゃんもっと見たかったよ~。阿弖流為と仲良しで、あてるいーって走っていってぴょんって抱きついて降りて、阿弖流為のお腹をぽんってするところとか真志と鳥ちゃんの仲の良さが伝わってくるw
物部氏もなかなか厳しい状況。物部兄弟のやりとりが…経済的に厳しくなりながらも本当のことを言わずに笑顔で蝦夷たちを勇気づけようとした矢仰丸が健気で可愛く、辛かった。
彼もまた、気になる役者さん。

郷手&鶉*こばけんさん
→二役こなしていました。一幕では阿弖流為のおかげで蝦夷達の仲間になった郷手。すぐ死んじゃうけどw
「えっ俺死にそうなの!?一幕も終わってないのに!?」って言ってすぐ死ぬの笑えるんだけど、阿弖流為のせいだから笑えないしこの微妙な空気感るひまだなって思いました。
こばけんさんがいることによる年末るひまらしい安定感半端ない。

鶫*井深くん
→ゴリラ連れたオカマでした。はい。
井深くんは今回こばけんさん演じる鶉と双子設定。無理があるww
エチュードの時には「田中邦衛パウダー」を掛けられて田中邦衛さんのモノマネを強要されるも「元に戻るパウダー」を掛けてもらえずというww
しかし、可愛かった。あの衣装が似合うのは井深くんだけ!
「人前で双子って言わないで!僕たちなんて呼ばれてるか知ってる?ゴリラ連れたオカマだよ!」

他にも触れたい人はたくさんいるのですが、これ以上書くと長くなりすぎるのでやめます!
今回はほぼセンターの2列目という最高の席での観劇で、とにかく役者の表情はよく見えるし素晴らしかったけどるひま年末ってこんなだった?というような容赦ない話だったせいで二部は心が荒んでユニットどころではなく(笑)

とりあえず、この素晴らしいお芝居についてすべて吐き出してしまいたかった。

泣いている人を見るより、泣くのを我慢している人を見る方が辛く悲しくなる、という言葉に納得させられた。

笑い納めではなく泣き納めになりましたが、久々にキャラクターにこんなにも入れ込みました。楽しかった。

2015/12/9『シルヴィ・ギエム ファイナル』川口リリアメインホール

 

有吉京子先生の漫画「SWAN」のファンである私が、ミーハーな気持ちで観に行ったシルヴィ・ギエムの引退ツアー初日の感想です。

 

私にとって、初めてのダンス公演観劇となりました。

 

ミュージカルが好きな私にとって、ストレートプレイでも長いなって思う時はあるので、ダンスのみで耐えられるのか?眠くならないか?と考えていたのですが、まったくそんなことはありませんでした。

19時スタートの、20時45分終了予定で二回の休憩をはさんでいるから当然かもしれないけど。

仕事を終えて、会場である川口リリアのメインホールへ。
普段観るミュージカルや舞台とはまた違う客層。おそらくバレエなどをやっているであろう子もいました。
観劇マナーは大人よりも子どもの方がずっといいですね、食い入るようにだけど静かに前のめりにならず観てましたよ。
大人は寝るし動くし喋るし最悪ね。今まで行ったどの舞台よりも一番最悪な観劇マナーでしたね。
うん、怒りが思い出されるので多くは語りたくないですが。

 

 

シルヴィ・ギエム

100年に一度のダンサーと呼ばれる、女王。
私が彼女のことを知ったのは、有吉京子先生の漫画「SWAN」の続編である「まいあ」の中で。

主人公まいあの友達フィオナが「ギエムばりに上がる」と言われていた脚。
ギエムって?と思い、検索。そうして知ったのが、シルヴィ・ギエムでした。

一目見てみたい、そう思っているうちに彼女が引退してしまうとのこと。
では、今観に行かなくては一生後悔するだろうとチケットを取りました。
以下は、初めてダンス公演を観る、バレエもモダンもコンテンポラリーもなんだかあまりよくわかっていない漫画知識しかないド素人の私が書いた、感想です。
あまりにも無知で、万が一ダンスを、バレエを、知っている人が読んでしまったらいろいろと非常識かもしれません。ご了承ください。

 


『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』

一作目はこの作品。
東京バレエ団の方が、女性6名男性3名で踊る。
全員レオタード姿で、女性はポワント。
セットは何もないのかと思いきや、頭上にはなにやらぶら下がるものが。

 

ダンスだけなんて退屈してしまうのでは?、という考えは始まってすぐに払拭された。
何しろ、9名ものダンサーがステージの上をあちらこちらに動きこれでもかというほど洗練された肉体を動かしていれば、目が休む暇なんてない。
左目のコンタクトが乾いて痛かった。
私はどちらかというと女性ダンサーのしなやかさの方が、高く上がる脚を見る方が好きだと思っていたけど、こうもダンスだけに集中するとどちらにも良さがあると実感させられる。
細くしなやかな女性の体。
強く逞しい男性の体。
どっちもいいなあ。

これでもかというほど激しく動き、かと思えば歩いて普通に退場する。練習風景を切り取ったよう。
この話に物語はあるのかな?と後から検索したところ、特にないらしい。
ギエムが「なんて振付なの」と言ったそうだけど、私もところどころ思った、なんて振付なのって。
あと、ダンサーたちがあまりにも軽々飛び、軽々脚を上げるものだから忘れがちだけど、とってもハード。
ダンサーってすごい。
ポワントの音がカツカツ鳴るのが、私は結構好きだったりする。ポワントに憧れがあるせいでしょうか。


そして、これだけ人がいると目立つ人がいるもの。
私が注目して(拍手が一番大きかったので私だけじゃないけれど)いた女性。
女性なのにダイナミックで情熱的でエモーショナル。
高い身長に強気な雰囲気が漂いつつ、崩れないバランスに高く上がった綺麗な長い脚。
細く壊れそうなのが女性バレエダンサーのイメージだったけど、もっと、強くかっこいい、しっかりとした線の身体つき。
SWANならラリサのイメージ。上野水香さんという方らしい。

 

そして、男性。
肩から腕へしっかりとついた筋肉が美しい。
とにかく筋肉があって、細いというよりはたくましい体つき。顔や髪型の雰囲気を含めてもレミゼのアンジョルラスを彷彿とさせる。
女性をサポートして踊る時もなんだか情熱的で、技術に関してはよくわからないし何がどうとか言えないけれど、その色気にただただ目を奪われた。
色を付けるなら、赤。そう、やっぱりアンジョルラスの衣装が似合いそう。つまり私が好きな雰囲気だということ。柄本弾さんという方らしい。
上野さんと柄本さんが組んで踊った時は、急に舞台上が華やいで見えた。
ええっこの作品にそんな振付あるの?と思うくらいになんだかパッションが弾けて…同時に、緊迫感がある。
振付も曲もそんなではないのだけど、まるで張りつめた空気の中でタンゴを踊っているように、私には感じた。色っぽい雰囲気でした。
柄本さんがくるっと回ると髪から飛び散った汗…ああ、有吉京子先生が書いているのは本当なんだな、なんて思ったりもしました。
ダンサーの、美しい筋肉ついた背中を落ちていく汗が見えて、やっと彼らが生身の人間だということを思い出す。同じ人間とは思えないダンサーさんたち。

突然終わりを迎えるこの作品、けっこう長かったと思うけどずっと胸が充実していて心地よい感覚。とても楽しかった。
ダンサーさんの身体の美しさやひとつひとつの技、ポーズに酔いしれることができる作品です。

もう一人、印象的だったダンサーさんがいて。
その方はずいぶんと線の細い男性ダンサーさんで、なぜ彼はこんな振付なんだ?というような、ちょっと面白くなってしまったりして。

 

『TWO』

ステージに現れたその身体から、光が放たれているのだと思った。
オレンジ色のオーラがゆらゆらと。

数秒経って、それが照明のものだと気付く。

広いステージに一人ギエムが存在し、照明で縁取られたその場所から動くことなく踊る。
動かされる肩甲骨から肩、肘から指先までを繋ぐそのラインとしなやかさに目を奪われた。
なにより、ちらりと目に入ったつま先。
情報として頭にあっても、視覚から入ってきたものとすぐに結び付くわけじゃない。
それなのに、ただその見事な足の甲のラインに息を飲んだ。
そして理解する。ああこれが、ギエムの足なんだ、と。

さっきまでも何人も素晴らしいダンサーを見た後なのに、そのうえで美しいと思う体が、彼女は全身が、ひとつの芸術作品なのだと思わされた。

曲が激しくなるにつれ、照明の凄さにも気付く。
まるで彼女自身が光り輝き、その長い腕からオーラを放ち残像を残しているように見えた。
切り裂くのでも包み込むのでもない。美しく、強くしなやかな肉体が生み出す、光の線、残像。
後で確認すると、照明デザイナーさんという方がいるらしい。ほう、凄い…。
照明、振付、曲、それらすべてをそこにひとつの作品として体現したギエムの存在感。

彼女が踊る間は本当にあっという間で、私は左目の痛みも忘れていた。

 


『ドリームタイム』

ステージにの中央と後方に下がる、謎のキラキラした幕。
東京バレエ団、女性ダンサー3人と、男性ダンサー二人の作品。

振付としては一作目と比べて、私が思い描いていたバレエ的なものに近かった。

細くしなやかな女性らしい動きをする女性ダンサーと、それをリフトし支える男性ダンサー。
ゆったりとした女性の動きから始まり、まるで夢心地とうっとりしていると、忘れそうになる。

そう、女性をあまりにも軽々と持ち上げているけれど、その女性にだってちゃんと体重はあるわけですよ。
いくら脂肪がなくたって筋肉はあって、あれだけハードに汗だくになっても踊れるだけの身体ですから。
初めて本格的なダンスを見た私にとっては、とんでもない技だなと感じるようなリフトもあって。
まるで、そこだけ重力がおかしくなっているんじゃないかと錯覚します。

 

 

ボレロ


私にとって目当ての作品であり、おそらくこの公演の中でも目玉であろう作品。
私がボレロを知ったのは、やっぱり有吉京子先生のSWANの中で。
真澄が、私にはバランシンのバレエは、モダンは理解できない。
私はクラシックで育ってきた、クラシックのように感情表現のないモダンを理解できない、とモダンを踊ることはできない、と完全に委縮してしまった真澄に対し。

「モダンには感情表現が無いだって? 君はモダンをまったく理解してないよ!モダンほど自分を表現できる踊りはないのに!」

そう言ってルシィが踊って見せたのが『ボレロ』だった。
私は、SWANに登場するキャラクターの中でルシィが大好きで大嫌い。この作品を引っ掻き回し、真澄の心の中を引っ掻き回し、私の心の中も引っ掻き回した。
金髪のくせ毛に、有吉先生独特のあの、何とも言えない色気に溢れた目。男にも女にも恋をさせる、ルシィ。
そんなルシィが、夜のバレエスタジオで踊って見せたボレロのシーンは、SWANのNY編の中でもとくに印象に残る。
正直、レオンよりも印象に残った。
自分勝手に命を懸けただけの、ルシィなのに。
そんなルシィが踊った「ボレロ」が気にならないわけがない。

ルシィにはモデルがいるとのことで、それはボレロの振付師であるモーリス・ベジャールの分身とも言われたジョルジュ・ドン。
写真を見て吃驚した。有吉先生が描く人間は三次元にいないと思っていたら、そこにはルシィがいたから。

彼が踊るボレロは映像にも残っているので、もちろん見た。気になったものはとりあえず見てみないと気が済まない。
でも、正直言って何が凄いのかよくわからなかった。
単調なボレロという曲。物語があるようにも感じないし、少しずつ変化していく振付が続くだけ。
もちろん彼の身体や技術は素晴らしいのだろうけど、素人の私には理解できないのかもしれない。

「私にはボレロなんて理解できないのよ!」

真澄のように嘆いたのが、この作品に触れた最初。


そんな経緯がありつつも、どうしても観てみたくてこの夜初めて『ボレロ』を観ました。

 

円卓の上にレオタード姿のギエム。
その周りを取り囲む、数十人の男性ダンサーたち。
メロディを踊るギエムと、リズムを踊る男性ダンサーたち。

静かに始まった曲が徐々に激しくなっていく。
その曲の中心で、ギエムの繊細で力強い、鋼のような体がまるで神聖な儀式のように踊る。
男性ダンサーたちも、まるでギエムの虜になっていくみたいに取り囲み踊る。
ギエムが虜にしているのか、囚われているのか…
振付が生々しくいやらしいわけじゃない。ギエムの体つきは鍛え抜かれたダンサーのそれで、言ってしまえば女性らしい丸みはない。
それなのに、なぜだか官能的で。
神聖なものに触れてはいけないという緊迫感と、だからこそ触れたくて堪らないという欲望と衝動と。
男性ダンサーが少しずつ踊りに加わっていく様子が、そのギエムの禁忌的な官能性に引き寄せられているように見えて。

高く上がった脚だとか、高く飛ぶための地を蹴る動作だとか、股関節がなくなったんじゃないかと錯覚させるような開脚とか。
そんなもう私にはよくわからない技術的なところよりも、曲の激しさと共に増していく熱量に、とにかく胸が熱くなった。
祭壇を取り囲むような男性ダンサーたちが全員加わりリズムを刻み、より一層激しくギエムが踊り。
曲は終了する。


15分の上演時間。
言葉もなく、歌もなく、流れる音楽の中に計算しつくされた照明と振付。
普通、ミュージカルの歌を一曲聴くだけならおよそ5分足らず。長いか短いかと言えば、私は15分という時間を長いと思う。
でも、このボレロの15分は本当に本当に、あっという間だった。そう感じた。

 

曲が終わり、拍手が鳴り響いた時、私はうっかり前のめりになった。
身体が自然に、立つ準備をした。
どう考えても、早すぎる。
普段スタオベなんて滅多に進んでやろうとしないうえ、周りを一応きょろきょろ見てから立つ私が。
スタオベの衝動ってこういうことなんだ、と思いながら大人しく背もたれに背中をつけて拍手をし直した。
鳴り止まない拍手と声援と、何度も何度もギエムもほかのダンサーたちもお辞儀をする。

ギエムは、マイクはついていないので聴こえないけれど口元で「ありがとうございます」と日本語で何度も言っていた。
笑顔がかわいらしくて、それはさっきまであそこで強く踊っていた彼女とは別人のようだった。
周りのスタオベに合わせて私も立ち上がり、最後までギエムや東京バレエ団のダンサーさんに拍手を送りました。

 

とても、素敵な夜でした。
幼い頃から舞台を観ることが普通だった私にとって、映像越しで観るものと「生」で観ることの違いは理解していたつもりだった。
それでも、映像と生ではこんなにも迫力が違うかと驚いた。
やはり、生の魅力があるものは実際に劇場に足を運んで自分の目で、目の前にある実物を見て曲を聴いて空気を感じて触れて体感するものだなと。
そう考えると、もうジョルジュ・ドンのボレロは生で観れないことが残念だ。
ぜひ、あの人も観てみたかった…
いやでも、100年に一度と言われたダンサー、シルヴィ・ギエムを観ることができたんだからそれだけで私は、その100年の間に、今こうして観ることができたラッキーな人間だ。

 


あと、またSWANの話になるけど、続編で真澄が見せたという春の祭典での官能性。
ショートヘアにダンサーの体つきで普段色気なんてない真澄がモダンの中で官能性なんて…
って思っていたけど、つまり有吉先生が言いたいのはこういうことだったのかなって。
男性だとか女性だとか、そういう性の先にあるいろんなものを超越した雰囲気に、官能性さえ感じさせる。
ギエムのようなダンサーとして真澄を書きたいのかもしれないなと思いました。

 

 

2015/12/22「残酷歌劇 ライチ☆光クラブ」アイアシアター

 

ライチ光クラブ
それはある共同体においては
そう規定されている

しかし
これは東京グランギニョルライチ光クラブか?NO
これは江本純子ライチ☆光クラブか?NO
ライチ光クラブとは曖昧で実体がない

ここ
アイアシアターにおいて
この舞台は 残酷歌劇ライチ☆光クラブ と規定される!』

 

まさに、こんな感じでした。
一度は舞台化された作品を、改めて歌劇という形で生まれ変わらせた意味というか、その結果をしっかりと見せつけられました。
東京グランギニョルが当時上演したものとは結構違いがあるという兎丸先生の漫画。その漫画も、本編だけではなく番外編としてぼくらのひかりクラブが上下巻ある。
江本純子版の舞台はその本編を、今回の残酷歌劇においては番外編を混ぜ込みより一層兎丸先生テイストが増したものへ。
この二つの舞台、まったくの別物です。同じ原作なのに。
私がこの作品そのものを知ったのは今年で、江本版ライチはDVDでしか観たことがないうえ感想を書いた時にはしょっぱなから「おいおい原作のカタルシスどこいった?」って感じに酷評した部分もあったんですが。
「ミュージカル死霊のはらわた」とか「ロッキーホラーショー」が好きな私は、ああいうあえてのチープな演出というのが大好きなのです。
だから、ダフの自慰シーンとかヤコブの人形とかカネダの逆パカとかめっちゃくちゃ楽しかったんです。
あの、なんともいえないアングラ感や妙な生々しさがライチの作風に合っているなと。今では、改変なども含めて「江本版 ライチ光クラブ」として繰り返し楽しくDVDを観てます。そんな経緯もあり、私の脳内の舞台ライチ光クラブは大量の血糊ブシャーふざけ倒してやるぜキャッハーン!みたいな映像で埋め尽くされており、画面越しでしか観たことのないあの小さな地下の秘密基地に取り残されていてました。

そして、今回の「残酷歌劇」
ぶっちゃけ、全然グロくない。多分、グロ苦手な人でも普通に観てられると思う。
スタイリッシュ!かっこいい!そんな言葉を、まさかライチで使うことになるとは!
まず、セットが思っていたよりすっきり。踊るスペースの確保かな。
というか、私の席がかなりかなり前方の端っこの席で、アイアのあの席はほんと見切れ席として売り出すべきだろうというような場所でして。
セットが良く見えない、正面を意識して作られた演出でしょうから端からだといろんな仕掛けが見える見える…ちょっと残念。開演5分前になんとか着席して、そわそわ待ちました。だって、ようやくこの作品を生で観られるわけですから。
女教師のエラガバルスについての授業から始まり…
いやもう、江本版とはかーなーり違う。なにせ、今回は歌劇ですから。歌うわけです。

「ラーララーラーイーチー光ークーラーブー♪」

ええええええ!
女教師の処刑シーンで、うっわーこの人スタイルめっちゃいいーって思ってたらなんか急に夕暮れみたいなライトが点いて歌いだすわ女教師はポールダンスを始めるわダンサーが出てきて踊りだすわで、なんだこれ、テニミュか!?なんかもう、凄い!!!凄いぞ残酷歌劇!!!
おおまかな流れや台詞は基本的に漫画通りで、そこも改変の多かった江本版と違います。そこに「ぼくらの光クラブ」が盛り込まれてきて、その分本編の台詞カットもありましたがとてもよかったです。
ゼラとジャイボの出会いのシーンを観られるとは思いませんでした。 「♪ミカン♪電線♪富士山♪スプーン♪木材♪鎖骨♪ゼラ♪ゼラチン♪ゼラ」
子どものジャイボって色っぽいし、ゼラの何色にでも染まっちゃいそうな小学生の危うさが堪らない。
なにより、タミヤ、カネダ、ダフ、タマコのシーン…あの、メッセージを込めた瓶のシーン。
それだけならただただ、感動的な場面だと思う。
けど、演出として舞台ならではですごく良かったのが、舞台前方では4人の良いシーン、後方ではダフの自慰シーンなんです。
同時に進み、自慰を終えたダフが絶頂後息切れしながら願い事を言った時に、展開を知っている私はただただ…泣くでもなく、息をのんで憐れむことしかできない。
いいんだ、ダフ…君はそこそこ健全だよ…
しかし、女教師惨殺の辺りから抱いていた違和感はここでさらなる疑問へ。
血糊が…ない?ダフの処刑までの流れは最高に良くて、ぼくらの~を読んだ人ならみんな感じたであろうタミヤの切なさ。あれをしっかり再現してくれていたのだけど、ダフの額を打ち抜いたのに、血糊が…ない。
その後、カネダの処刑シーンも…血糊が…ない。しかも逆パカじゃない!なんだって~!
観ている時にはわかりませんでしたが、改めて江本版を思い返してみると三人娘がうるさかったのを思い出します。
でも、あの三人娘は必要です。だって、血糊の掃除が必要なんだから!
というわけで、今回はダフやカネダなど途中で死ぬ人物に関しては血糊を出さず掃除の時間を稼がなくていい演出になったのだなと納得しました。

ゼラが疑心暗鬼になっていくシーンを、残りのメンバーたちのダンスで表現するところは素晴らしかった。
あっかんべーをしながらゼラを囲んで踊る…狂気です。怖いです。ゼラじゃなくたって怖いよ。

ニコの目玉のシーンは…江本版と合わせても一番グロいシーンだと思う。

そして、ライチとカノンの様子を丁寧に描いてくれたことがとてもうれしい。
江本版ではそこがカットされた分、少年たち(主にヤコブや雷蔵)の出番が増えていたけど、兎丸先生の漫画を原作とするならやはりカノンの歌は必要だと思うので。
カノンが歌う賛美歌や、オルガンを弾くシーン、ともに眠る場面。
何より、二人が踊るほんの少しの時間。ライチは怪物にされてしまった王子様で、カノンはお姫様。そんな空想を語るカノンと、合わせて踊るライチのシーンはあまりに美しくて、幻想的で、なんというか…
ゼラの思想が”常識”になっているおかしなあの光クラブの中で、カノンは、ライチは、あまりにも眩しい存在すぎる。
その神々しさと美しさに、涙がじわじわと込み上げました。
そこからはもうラストに向かってグランギニョルが進められていくのみ。
血糊の少なさに物足りなさが半端なかったわけですが、ここでテンションが上がります。ヤコブ、雷蔵、デンタクが殺され…ジャイボが逃げ…ゼラがカノンに触れていたその時…

た、滝だ~~~!ってそんなまさか!

本当に頭上から大量の水が!最前列の人達に配られたビニールは、血糊避けではなく水避けだったらしいです。ほんとに容赦なくザーザーと水が降ってきます。滝だー!ここは地下だから、こんなに水が降ってきたら埋もれて基地が沈んでしまいます。

「ぼ、ぼくの光クラブが~!」
そりゃあゼラだって慌てます。

「なんか間違ってねぇか!」

「ここは俺の光クラブだー!」

タ、タミヤ君~~~~~!
私の中のカネダとダフが感涙です。
そう、このシーンはね…なんかもう言い表せない。
階段にタミヤがいて、そこから鉄パイプを持って叫びながら飛び降りてゼラに殴り掛かる、ここのタミヤのかっこよさ。漫画と一緒だった…(涙)
ここでいろんな謎が解けます。
斜めになった舞台。これは、舞台前方にだけ水が集まるようにという配慮。制服にブーツという謎の服装。これも、靴に水が入って動きにくくなったりしないように。
カノンの制服の変な生地。妙にテカテカしてビニールみたいだなと思ったら、水に濡れて重くなったり乾きにくかったりしないようにということですね。
気付けば、あっという間にゼラが死んで、あっけなく終わってしまう。
その「あっけなさ」こそ、この漫画ライチ光クラブだと思うんです。
人間の命のように、若さのように、美しさのように、永遠ではないあっけなさ。
吹けば飛ぶ、花のように散る。
江本版では玉座に座って死んだゼラも、今回は他のメンバーと同じように床に転がって死んだのも良いと思った。
水の中で、おそらく腐乱し、そこに何があったか、どんな惨劇が起きていたのか、誰がいたかなど何も知られないまま命を散らした光クラブ
そして、まさか世界中の科学者が集まっても完成しないであろうライチを燃料とする感情を持つロボットがそこにいたことも、誰も知らない。
知るのは、ひとりの少女カノンだけ。カノンの人生のほんの数日間にだけ存在する、通り過ぎて行く青春の記憶。

「さよなら、ライチ…光クラブ

 

ゼラ@中村倫也さん
→キャストを見た時、なんとなく納得しつつもいまいち想像できなかった。
中村さんと言えば私の中ではRENTのロジャーで。でも、映画とかでは個性派俳優という感じで、なんとなくゼラも想像できるし…?みたいな。
舞台上に立つ彼を見て、「兎丸先生の描いたゼラだ~!」という感じです。こんなにもハマるものなのかと。
木村了のゼラは江本版のゼラで、またちょっと違う。漫画自体、ガチで狂気渦巻くというよりは客観的に、冷静にその狂気を見ている感じの作風だから。
なんか冷静になると変な奴で笑えちゃうのがゼラ。まさにそういうゼラだった。木村ゼラも笑えるゼラだったけど、大人の男の雰囲気も持っててもっと自信家なパラノイアっぽかったしテイストが違う。もっと子どもっぽい。小学生の頃のゼラがまだ生きてる。やっぱり、ここはぼくらの~を混ぜてきたからこそ。ゼラの家庭環境などのバックボーンが垣間見えるからこそ、ゼラがより複雑な人間らしく見える。
自分は凄いんだ!と「過信しまくっている」木村ゼラ。
自分は凄いんだ!と「思いたい」中村ゼラ。
という印象。タミヤへのコンプが見えた。
光クラブの憧れの対象にまで上り詰めておきながら、ナチュラルにリーダー気質を備えた人望があるタミヤには張り合えないと知っていたんだろうね。
タミヤ君が裏切るから悪いんじゃないか!」タミヤ君とか言っちゃってるしね!うわぁ~ただの常川くんだ~うわぁ~。
もうね、ライチいったん停止あたりからはゼラに対してニヤニヤが止まらないんです。
中村ゼラが、わかる!原作ではこう聞こえてたよ!ってトーンで台詞を言ってくれるものだから、こっちは内心ひーひー笑ってました。ゼラの滑稽さに。
君はエラガバルスに憧れながら結局大人の真似事をして、君の嫌いな大人と同じことをしているんだよ~~って耳元で言ってあげたい。ああ、ゼラかわいい!
中村ゼラ、とにかく可愛いんです。あと、当たり前ですが歌もうまい。歌でダンスで、しっかり締めてくれるイメージ。
あと、今回特に感動したのはゼラが死ぬシーン。
江本版ではゼラが自分で制服のボタンを開け、なぜか後ろから便器を持ったニコが登場すると言う謎演出でしたがw
今回は、しっかりゼラの腹を便器が貫いてくれました。絶対無理だろうと思っていたので嬉しいです。君たちも、結局醜いと思う大人と一緒なのさ。

ジャイボ@吉川さん
→き、菊馬ぁ…
ほんっとに申し訳ないけど、ほんっとに綺麗な顔してるしスタイルもジャイボなんだけど…菊馬がちらつくんだよ~~~!オカマの菊馬にしか見えないんだよ~~!声が同じで顔も同じだから、うまく演じ分けているようでもちらつく…あと、私と吉川さんで解釈違い起こしてる。
吉川ジャイボは「オカマの少年」にしか見えなかった…
私が玉城ジャイボを好きすぎるんだと思うんだけど、ラストでネタ晴らしするところの狂気が…うっすーい。
なんていうか、普通なんだよ。普通のオカマなんだよ。雷蔵と被りすぎてて、どっちなのかパッと見でわからないんだよ~~!
ジャイボに関してだけは常川さんに同意。何を考えているかわからない謎で猫で、みたいなのを求めてた。
もっとこう、不思議な存在っぽく演じてほしかったな…
「声変わりが始まったよ ひげもうっすら生えてきたよ」のところが、可愛すぎた。
ああなんて言うんだろう、恋する乙女?だった!吉川ジャイボは乙女だ!
「僕を捨てないで」って、可愛い猫が訴えているように見えた。
玉城君のは「ゼラは渡さない!女殺す!みんな殺す!」って感じだったんだよね。
幼さゆえの純粋な悪意、執着、っていう玉城君のそれが私の中の基準になってしまったんだ。
ただ、前作にないからか子どもの頃の出会いのシーンはすごくハマって見えた。可愛くて、幼くて、でも色っぽくて、女の子みたい。
女の子みたい、っていう台詞があったから吉川さんは女の子のようなジャイボを演じて、ゼラに女の子として見てほしいと思っていたのかもね。

タミヤ@玉置さん
→脚の長いタミヤだ!!
今回見て、私結構中尾くんのタミヤ好きだったんだな~って思った。あの熱量とか兄貴感。ただ、中尾くんに足りないのは原作に近いビジュアルだったので…
今回の玉置さんは、そういう部分では中尾くんに比べタミヤでした!顔立ちやオーラはちょっと思ってたのと違うけど…いや、それはただ私がタミヤ三浦春馬にやってほしいだけなんだけど…
ゼラほどの頭ではないけど勉強できて家族大好きで親友も大切にしてるぜ!みたいなタミヤでよかった!
階段の上からジャンプした時や水をザブザブ蹴り上げながらゼラと戦うシーンは感動した。あと、カノンとのやりとりとか。タミヤって最高にかっこいいわ。
ヒーロー感のあるタミヤでうれしかった!

デンタク@BOWさん
→あっ女性なんだーと気付きはしたけど違和感0。すげ~~死ぬ時の間接あっちこっちな感じも、ダンサーさんならでは。パンフレットのコメントも、面白かった。
デンタクってこうだな~って思ったし、中学生っぽい。

雷蔵@池岡くん
→さとちゃんの雷蔵良かったからな~どうかな~あれ…可愛い…のに、男らしい…いいじゃない!
「男子どいて!」っていう声が低いとか、オカマキャラの扱い方わかってるな~
演技うまいんだなって印象がついた。ゼラにあっかんべーしながら踊ってる時、ホント怖かった…狂気の顔だよあれ。
死ぬ時のあの壁…あれ…どうなってたんだろう?なんで気付かなかったんだろう?
「お母さーん!私にも生理がきたわよー!」って台詞はそういえば原作にはなかったんだって気付いたw

ダフ@味方くん
→ご、ご両親とか観にこない?大丈夫?
役者として生きていくであろう彼、きっと一皮むけたのでは??自慰シーン、前回真央くんのアレもやべぇと思ってたけど、今回はなんかもう、ガチの自慰シーンだったのでもっといろんな意味でやべぇ。
でも、ちゃんと鬼気迫るシーンであることも理解したうえで演じているのが伝わってきて、ダフに対するなんともいえない思いがこみ上げてきました。よかった!

カネダ、ヤコブ、ニコはいまいち印象に残らなかったな…ニコは…ニコだったよ、うん。

 ライチ@皇希さん
→ダンサーさんだったのか。
こちらも、可もなく不可もなくというか普通にライチだった!
個人的にはもっとでけーなぁ…って人にやってもらいたいなとも思うけど、今回は踊れる人の方がよかったってことかな。

カノン@七木奏音ちゃん
→すっごく可愛い…今までのカノンや帝一の美々子の中で一番兎丸顔の女の子だと思う!ほのかりんちゃんも美少女だけど現代的すぎると言うか、兎丸先生の画風から遠かった気がした。
澄んだ声から歌…綺麗な身のこなし…
いやしかし、彼女もご両親が観に来たりしないのだろうか…
ダフがスカートの中に頭突っ込んでましたけど…いやでも、なんていうんだろう、カノンの何を考えてるかわからない感じ?ちょっと不思議な美少女みたいな感じが良く出てました。可愛い!
歌えて踊れる美少女がカノンを演じてくれてよかったです。

女教師や東京ゲゲゲイの方たちも凄く良かったです…
なんかもう、述べきれません。

そしてそして、中村ゼラと木村ゼラのWゼラ対談がパンフレットに載っていました~!わ~!その中で、この作品を「隙がある」作品だから愛されると、中村さんが言っていました。

それを聞いてとても納得しました。
普通に考えたら、この話はどう考えてもおかしい。
まず、子どもたちだけで地下室であんなことをして集まっていて人が気付かないものか?女教師や生徒が殺されていて、気付かないものか?
ライチの実を燃料にしたロボット!?人間と同じ感情を持つロボット!?それをたった1年で!?中学生がたった三年で埋立地に赤い森を!?NO!笑
とにかく、ツッコミどころが満載。作者もそのつもりで描いているようだから、耽美系ゴシック系、エログロ、というよりは「それっぽさ」を中二くさく取り入れながら冷静なツッコミを待っている感じ。
そういった、ツッコミやすい作品だからこそ読者が自分の好きに解釈できるんだと思う。
理論や美学をみっちり詰め込んだような計算に計算を重ね、矛盾のないよう緻密に練られた作品だったら、また別の部分でウケるかもしれないけどもっとマニアックでとっつき辛くなる。
それなりに手に取りやすく、中二心をくすぐりつつ、なんちゃってアングラを体験できるところがこの作品のいいところ。
とんでも展開が繰り返されるが、主人公たちの悲劇っぽい大衆的な終焉。

「若さゆえの純粋さと愚かさでもあり、ツッコミどころは満載だけど悲劇的」
ああなるほど、「ライチ光クラブ」って「ロミオとジュリエット」なのね、と納得しました。
大人になる前の不安定で多感で、大人でも子どもでもない不完全な青春の刹那。
本当にその一瞬でしかない一番綺麗な時間に、何に出会ったか。
ロミオは愛すべき存在ジュリエットに出会い、ゼラは自分を崇拝してくれる光クラブに出会い、それ以外の面子はゼラに出会ってしまった。
そのどちらも、終焉は主人公の死。子どもゆえの視野の狭さで起こしてしまった悲劇。
どちらも隙だらけの作品で、だからこそ惹かれてしまうんだなと。
ライチの方はもちろん血と内臓とエロと同性愛と…みたいな作風だけど、ラストでは悪のゼラ(と言ってはあれだけど)が滅びて、ヒロインカノンが生き残るわけだし。
大衆はやっぱりそれを望んでるってことかな。
ゼラが疑心暗鬼になったあたりから怒涛に押し寄せるグランギニョル
もうやめて!とは不思議と思わない。ゼラが追い詰められ、最後には全員死んでしまい、カノンだけが生き残るラストはなんだかちょっとスッキリする。
カノンはこれから大人になる。たくさんの取捨選択を迫られながら、自らの人生を歩んでいく。
光クラブの時は止まったまま。
子どもらしい夢と希望を、疲弊した大人や町が禍々しい野望に代えてしまった少年たち。

「この機械が完成したら僕たちは無敵だ!」

無敵のはず、だった。狂気渦巻きつつも輝いていた、その瞬間があったのに。
お前らバカだなあとさえ大人の視点から思ったはずなのに、良く考えれば言いたいことはたくさんあるのに。
やっぱり、すべてが終わり水に沈んだ秘密基地を見ると、悲しくなる。切なくなる。その儚さに思いを馳せてしまう。ノスタルジックな感傷にさえ浸ってしまう。
頭と心は、別のところにあるんだなあと思う。
ロミジュリもライチも、そう。
いつの時代も、人が求めるものは同じなのかもね。

願わくば、今度はもう少しこじんまりとした劇場で観たいです。

 

2015/11/27 「黒執事-地に燃えるリコリス-」ソワレ 赤坂actシアター

 

黒執事-地に燃えるリコリス2015-

 


去年も観ているのでストーリーの流れや結末は知っていました。
けど、演出や大道具、装飾が結構変わっていたのでなんか…うおおおってなりました。

actシアターだからできるのかわからないけど、全体的に華美で派手な感じになっていて感動した。
今回の方が断然いいです!私が初めて観た黒執事もactだったからその時を思い出した。
音響も、ブルーシアターに比べればマシ!(それでも酷かったけど、会場のせい?)
ロミジュリも同じ会場で録音でやってても、もっと綺麗に聴こえたのは席の問題かな?
なにはともあれ、よりミュージカルらしくなってくれてうれしかったです。

 

ストーリーはもう今更感想を書くまでもないので、役者個人について語ろうとしたら…
思い入れのある人がたくさんいて、また長くなってしまいました。

 

セバスチャン@古川くん

→初演から四作も務めた松下セバスからのバトンを受け取り、それも去年やった演目を再演でなんて、ハードルが高過ぎるのでは?と。

どうしても、二代目と初代は比べて見てしまうので。
それが、もう、素晴らしかったです。
特別ファンです!というわけではないのですが、古川君のことは「エリザのルドルフ」「ロミジュリのロミオ」「レディベスのフェリペ」と大きな舞台でソロがあるような役で何度も見ています。
だからこそ声量は大丈夫か、演技は大丈夫か、そもそもが歌手である松下くんと力量やテクニックで比べられてしまうんじゃないか
そうなることで、演じることに委縮してしまうんじゃないか、松下くんの演技に引っ張られてしまうんじゃないか、と勝手な心配をしてました。

けれど、舞台を観て「彼は役者なんだなあ」と納得させて頂きました。

思えば、初めての帝国劇場であるエリザではトリプルキャストで歌うまの平方さんと比べられ

ロミジュリでは城田君や柿澤さんと比べられ、レディベスでは再び平方さんと比べられ…

それよりも前に、テニミュでは二代目三代目と頑張ってきた相葉君と比べられ…
そんな環境にずっとずっと身を置いてきた彼が、今更誰かと比べられることで演技を左右されるなんてことはないんだろうな、と。

どうにも弱々しく儚いイメージが強かったのですが、セバスチャンで見事にそのイメージを払拭してくれた。
古川セバスを観ていて一番思ったのは、あまり小野Dを意識していないなってこと。
基本的なトーンはもちろん近いんだけど、松下くんは初演はともかく(それでも寄せてきてたけど)千の魂~の当たりはかなり意識していたと思う。
それこそ、リコリスで松下セバスらしさがぐんっと開花した気がした。それは、アニメにある話だから違いをより感じたってことなのかもしれないけど。

松下セバスとの違いで特に感じるのは、古川セバスは『役者』が演じてるんだなということ。
演技は「声」だけじゃない。とにかく全身でセバスチャンという生き物を演じてる。
バレエが基盤のダンスの素養がある分、繊細で美しくて細身の古川セバスの良さが出てる。
怪しい動き、仕草、表情…いろんな舞台で培ってきた、彼の役作りなんだと。

 

松下セバスの悪魔らしさは、シエルへの枯渇。
古川セバスから漂う悪魔らしさは、シエルへの余裕。

 

どちらも悪魔を解釈して演じてるんだなって思うと感動する。
後は何より、松下セバスは面白くて彼の人柄が出ていて、笑いに理解のありそうなセバスだったなとw
古川セバスは静かで笑いに対してもちょっと冷めていそうでありつつ、必要とあらば面白いこともやってみせる、そんな感じでした。だから、古川セバスの方がグレルにも冷たかった気がする。

どちらも彼等が作り上げたスタイルで、しっかりとセバスチャンでありながらこれだけ違う魅せ方ができるのかと感動しました。

あと、古川セバスの腰の高さ足の長さ細さ顔の小ささが人間離れしてて、立つだけで異次元の存在。見惚れます。

初めてルドルフ演じてた時なんてもうずいぶん前だけど、歌も上手になったなあとか色々考えてしまいました。

とにかく、古川セバス素晴らしいので一度は見てほしいです!!!


シエル@なゆたくん
→もう…もう…感動しました…
シエルの「出して」から始まって、そこから歌や台詞が続いて…私はそれだけで涙が出てしまった。

去年のなゆた坊ちゃまといえば、とにかく小さく、子どもが台詞を言わされてるって感じで…良く言えば及第点、でも正直なところ変な発声や語尾の癖が気になって仕方ないので次は変えて欲しいと思っていました。

それが、本当に…子どもの成長というのは早いですね。まず見た目は小さな坊ちゃまではなくフィニとそう変わらない身長まで伸びててどう頑張っても片手抱っこはきついなって感じになっていました。
でも、成長は見た目だけじゃない。
第一声から、台詞や歌がちゃんと”シエル”だった!
この一年の間に、こんなに成長するなんて、と。

多少癖は残っているけど、そこにいるのは台詞を言わされる子どもじゃない。
「なゆたくんが演じるシエル」であり「子どもながらにファントムハイブ家の当主として英国女王に仕える番犬」なんだなって。

彼なりに解釈してシエルを演じているのが台詞の端々から伝わってきて感涙しました。
もちろん去年も彼なりに考えながら演じていたのでしょうけど、初舞台への戸惑いが多く感じられたのと比べ、余裕もあった。それがまたシエルらしさにつながる。
歌もうまいとは言い難いけど、去年よりずっとずっと良い。
最後のディンドンとか本当に本当に切なくなった。
なゆた坊ちゃまがあまりにしっかり背筋を伸ばして堂々と演じているものだから、最後のアンダーテイカーの「その指輪はまるで首輪のようだねぇ」という台詞が余計に重く、重く感じた。
子どもなのに、子どもではいられない哀しさを。

そして、セバスに対し「お前だけは僕を裏切るな!」と言う時の立ち姿。
あの衣装、あの帽子、杖、台詞。それが全部似合って、似合っているからこそ悲しくて、そこに立ってる。そのシルエットの堂々とした姿がシエルで…
ほんと、お母さんかって感じなんですけどすごく成長したなとまたここでも泣いてしまったわけです。

初演を観た人には、ぜひそこを注目してほしいなと思える再演でした。

続投の人も多いのでこれと言って変わったところはないのですが、気付いたところとかを。

 

メイリン坂田しおりさん
→さっそくアレなんですけど、代わった意味あるのかな~?というか、メイリンが変わるたびに思うことなんだけど。
今回のメイリンの人はちょっと声が無理して出してる感がすごくて気になってしまった。
声以外はよかったな~。ダンスもかわいらしくて!
セラミュでヴィーナスやってた子なんだよね。せっかくのあのオレンジハイヒールでさえ霞まなかったという美脚が拝めなかったのが残念だ。
可愛い顔も見えないし、メイリン役は女の子にとってあまり美味しい役ではないのかもしれないね。

 

チャールズ・グレイ@矢田ちゃん
→矢田ちゃんのグレイ良かったけど、惜しいのは声の相性が広瀬くんとあまり良くないっぽいところかな…
太田&広瀬の声の相性が最高だったので矢田ちゃんの声質のせいか二人で歌うと矢田ちゃんの声聞こえにくくなっちゃうね…声量はあるんだけど。
これはもう完全に相性の問題かと。
演技としては、太田グレイよりも性格悪そうというかw太田グレイはキャッチ―でコミカル。
矢田グレイは意地悪って感じだったw意地悪って言うか、意地が悪そうというかww
セバスの作ったお菓子を食べて「まあまあ」っていうところがいかにもらしい感じで。
顔立ちが派手だしきれいだし、歌もうまいのでもっとまたグレイが出てくる時には続投だといいな~

 

ラウ@荒木
→荒木だな~という感じです。歌に関しては、アーティストとしても活動してるわけだけど荒木さんの歌はこれが上限なのか…
うーん。声量はそこそこあるんだけど、だからこそ音程がふわふわしてるのが気になって気になって。
ジャックザリッパーが編曲されてわーっと歌わなくなったのは、荒木のためか…?と勘繰りしてしまう。
声質もいいし、声量もあるし、もうちょっと頑張れればなあ…ガランチードの時もそうだけどとにかく音程が定まってないのが不安になるのでもうちょいそこは頑張ってほしいな。変なビブラートなら使わずに歌っちゃう方が聴きやすいと思う。これは矢田ちゃんにも言えるけど、ビブラートきかせればいいってもんじゃないよね。
降りやまぬ雨~の「あ~や~ま~ち~」のところ聴いてて声出るか、震えないか、通るかって心配になる(笑)
芝居は良いんだけど。
自分の台詞がない時でもちゃんと芝居できるところは、相変わらずいいなって思う。ちょこまか動いてて、かといってメインで台詞をしゃべっている人の邪魔にならない塩梅で動ける。そういうところが好きです。
スッと細めた目の冷たさはいつ見てもたまらないなあ…ラウはいったい何をどこまで知っているんだい?と聞きたくなります。
あと、ちょいちょいマダムと仲良しなのが見ていて楽しいです。

 

 

マダム@AKANEさん
→相変わらず素晴らしくて、これといって述べる必要はないんですけれども…
道に迷わないように、の曲の最後「ただいま おかえり いつもの…キス」ってキスのところを強調してというか強く台詞のように発音していてゾクっとした。
その方がグレルの「奥様…(おどおど)」が引き立つし、マダムには何があるんだ!?って感じがする。


グレル@たっくん
→たっくんの声は音響の悪いブルーシアターとアクトシアターでは聴き取りづらいね!!
それでも、素晴らしいダンスは変わらず。
「ハァたし、女優なの」のところも前回同様ぞくぞくする。
女性ダンサー引き連れて踊るシーンでは、今回は男性もいて。より、たっくんグレルの魅力が引き立つ。
何より、振付変わったよね?前よりダンスが激しくなった!美しい人のダンスって何時間でも観ていたい。
松下セバスより冷たい古川セバスにあしらわれているところも良いです。


ドルイットとアバハン@ひとまとめ
→もうここはまとめちゃうw
アバハンの最初の登場時のネタパワーアップしてて最高でした。
アバーラインは変態って言われるのに、ハンクスくんはモテモテなのねw
「おいしー」がまた聞けてそれが嬉しかったくらいプレミア感あるアバハン。
通り名ネタは「爆笑コメディ アバーライン」というタイトルの映画の宣伝ネタ。
途中まではかっこよかったのに、爆笑コメディとついたせいで台無しにw


ドルイットは基本的にパワーアップしていて、もう誰にも勝てないんじゃないかw
最初に出演した時、また出たいドルイットやりたいとスタッフさんに打ち上げでアピールしまくったそうだけど、ドルイットファンも望んでました!
ヒデイット最高すぎて私は美の化身だけ一時間くらい聴いていたいよ…
あの「アーン」は稽古場の雰囲気が良くなかったからアドリブで最初はやったと聞いてめちゃくちゃびっくり。ヒデ様もそういうことするんですね。
今回もしっかりオペラグラス使ってじっくり見ました。
パーティのシーンでは、ずいぶんとパワーアップしていらしてwもうあなたは女性と踊るのやめた方がいいのではww
個人でアピールしまくりのドルイット。ソロで踊っちゃうドルイット。かわいい。
シエルを見つけて近づこうとするも阻まれまくるドルイット。かわいい。
「君には少し早いかもしれないよ」の辺りで気持ち悪くてかなりぞわっとするwでも、そんなにかわいい駒鳥だったのに手を付けずに売るんだなと思ってみたりして。
ドルイットが倒されみんなバタバタと倒れているところにアバハン到着。
意識があるかを確認する仕草の手本を見せるアバーラインw
女性に馬乗りになって確認する…
「近くないですか!?意識有りました!?」
「ああ、嫌な顔をされた」

「この人でやってみろ!」ドルイットを指さすアバーラインwww
「いきなりハードル高くないですか!」
と、ドルイットに覆いかぶさるハンクス…
と、ガバっと抱きついて腰を押し付けるドルイットwwこわいこわすぎるwwww


逮捕後の流れでは、ヒデイットがしゅんりーのアドリブ?に笑ってしまい笑ったまま台詞を言って突っ込まれてたww
いやこの三人最高だな…またDVD買っちゃうな…

 


今回の再演を見て思ったのは、松下君は自分のセバスチャンを作り上げ、表現し、座長としてそこにいたんだなっていうこと。
古川セバスももちろんよかったんだけど、やっぱりそこは4回もやってきた松下君とは違うね。
リーダーシップ取れるタイプだと思うし、なんというか、独自の?wセバスを作ってたよね。

関西人の松下君が演じるセバスチャンという彼にしかできないセバスチャンを、そこに確立していたんだなと。
そう思うと、もうセバスでできることを彼はやりきっての役替わりかなって。
バトンを渡していい、っていうところまでやりきったんだと。
去年急遽一回増やして二回観ておいてよかったなと。つくづく実感しました。


改めて、松下セバスチャンお疲れ様でした。

そして、せっかく素晴らしい古川セバスチャンが降臨したので、
今度は何か新作をやってほしい!待っています!

2015/11/17ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー』初演 アイアシアター

 

ハイパープロジェクションとはなんぞや?

 

とにかくこれに尽きる。

 

原作ファンゆえに、かなり個人的な、だいぶ辛口な感想なのでご注意を。

 

まず、初のアイアシアター。思っていたよりも悪くなく、立地を考えても六本木ブルーシアターよりはマシかなと感じました。トイレがよくないと聞くのですが、私は幕間でトイレに行くことがあまりなく、今回も席を立たなかったのでわかりません。

椅子が2時間じっと座るにはきつい。とにかく背中と腰に来るので改善してほしいです。

 

若い子が多いだろうということで心配していましたがマナーもそんなには気にならず、スタッフさんも強気だったので良かったです。

特定のキャラ同士の会話やリアクションなどに、「キャー!」とはしゃいだりする素直なファンが多かったですね。賛否両論出そうなところです。私は否定はしませんが、調子に乗る役者がいたら嫌だなと思います。

 

元々原作好きなので、役者に拘らずの観劇でした。

あらすじは、旭さんがバレー部に戻ってくるまでのあたり。脚本にも色々言いたいことはあるのだけれど、とにかく演出が気になって仕方ない。

正直「ハイパープロジェクション演劇」と謳うほどではない。

今時、レミゼでさえ映像を使っているのでその範疇を超えないというか、そこに使うの?みたいな。
そもそもあんまり映像を使うことに肯定的ではないので、合わなかったのだと思います。

演劇には演劇の良さがある。何もない舞台上がまるで本当にその場所その景色に思える、見えてしまうのが、ドラマや映像とは違う生の舞台の良さだと。

だから、レミゼの映像さえ受け付けなかった。

もちろん、あった方が映える瞬間もある。

日向が自転車で町を走り抜けるところからドアを開けるところ、はその疾走感が日向らしくて好き。
だけど、その後の「なんでいるー!?」を映像で映す必要はまったくないんじゃないかと。
ところどころ台詞を言うところを漫画のコマ割りみたいにしているのが、私にはきつかった。そんなの舞台なんだから台詞聞いてればわかる、役者見てればわかる。
役者をなんだと思っているのか?観客をナメているのか?
帝一の國みたいにシュールなシーンであえて使っていたのは笑えていいけど、真剣なシーンでアップで役者がコマ割りみたいに映し出されても。漫画原作とは言え、舞台なのにと思ってしまう。
あんなのやるなら影山の後頭部にボールぶつけた後の影山の表情を映し出そうよ…
オープニングはとてもかっこよくてよかったです。特に、縁下さんのところ。

 

OPから日向と影山の出会い辺りでかっこいいなと感じたり、微妙だなと感じたり。でも、これだけ映像やプロジェクションマッピングを多用しているのだから、これからの要となるシーンではこちらをあっと言わせるような演出があるに違いないと期待しました。

しかし、意外にも白いベンチコートみたいなのを着た白子(その場でメインで出演していない子がアンサンブルとして登場)たちが活躍。

そこそこ古典的なアンサンブルの使い方。小道具運んだりはわかる。ガヤ的な感じなのもわかる。
面白く昇華できてるっちゃできてるけど、日向の翼のシーン。

 

いやそこは映像使えよ!?プロジェクションマッピングなんのためにあるんだよ!?

 

そこは人力で物理なのかよと、思ってしまいました。

ハイパープロジェクション演劇なのに?そこはいっそハイパープロジェクションしちゃえよって。

色々文句を書き連ねましたが、思っていたよりは面白かったです。
もちろん良い演出もあった。けど、多分、演出家、さらには脚本家の解釈が私と相性が良くなかったのだと思います。

ただ、全体的に荒削りで初めての舞台化、初演!というのが見え隠れする感じが、まさにハイキューというか烏野っぽかったです。

 


日向@須賀くん
→いい!日向の声のイメージあるからどうかなって思ってたけど、違和感なし!
高い身体能力にテンションが上がりました。
あと、舞台慣れというかお仕事慣れをしているのがよくわかります。

 

影山@達成くん
→影山時々海堂。
悪いとこひとつもない。かわいい。100点満点の影山。時々海堂を思い出して桃城を探してしまいそうだった。
ジャンプ高いしちょっとした歩く動作だけでもダンスできる子だなっていうのを感じた。須賀くん同様、身体能力が高い。ちゃんと、2.5次元の魅せ方を知っているなとも。

大地さん@啓太さん
→解釈違い起こしました。ビジュアルで一番期待していた分びっくりした。

私は割と解釈違いも許せる方なのですが、なんというか予想もしていなかった方向の大地さんでした。アニメに似せないと許さん!とは言いませんが、もう少し意識してくれてもよかったのでは…?テンションが若い。あと、舞台慣れしてなさそうだなと感じました。

 

スガさん@猪野くん

→スガさんが三次元にやってきた~~~~~!
みゆくんのスガさんとはちょっと違う部分もあるけど、スガという軸からはブレてなくてむしろアニメより好きな台詞回しだなって思うシーンもあった。
特に、町内会とのシーン。よかったな~。あと、旭がそっぽを向いた後自分の手を見つめているところとか切なすぎて胸がぎゅっとした。
男っぽくて、リアルな男子高校生してたし、旭の鞄を押さえつけるところとかはいい感じにスガスパイス効いててかわいかったなあ
大地さんが怒鳴るシーンになると、ひとりそれを悟って耳塞いでるのかわいすぎた。ちゃんとスガさんがスガさんでよかった。

 

田中@塩田くん
→田中以外の何物でもない。田中が存在してた。一幕はずっと田中見てたww
アニメから飛び出してきちゃったって感じで最高の田中。頼れる先輩、可愛い後輩、ムードメーカーな同級生。すべてを兼ね備えているだと!
踊れる動ける台詞聴き取りやすい。やっぱり経験を感じる。田中がダメだと空気がダメになる。
塩田くんが田中でよかった!!!!めっちゃ坊主頭をなでられててかわいかったw

 

旭さん@ジャス
→ジャスかわいいし旭さんだし声が氷室ローランドでいろいろ混乱したw
でっかいくせに体を丸める旭さん可愛すぎなんですけど。スガとの教室のシーンをスタンバってるジャスのかわいさがそのまま旭さん。
武ちゃんが土下座したことにびっくりして一緒に土下座しちゃうのとか、楽しいなって思った。
コーチにお前も入れ!って言われてその場で着替えてる時に「やる気満々じゃねーか!」って言われてるのとかもほんと…旭さん…

 

西谷@祥平くん
→声をまさか岡本さんに寄せてくるとは思わずびっくりした!あの声は無理だろうって思ってたから!
顔立ちや体型とか、すごく合ってる。西谷をよく研究してるっていうのが伝わってきた。ハイステで初めて知った俳優さんですが、2.5次元慣れしているというか、素晴らしい。
ぴょんぴょん跳ねたり、レシーブのフォームだったり物凄くノヤだし、旭さんより断然小っちゃいのに頼もしさがすごいんだよねw

 

縁下@一馬くん
→なるほどそう来たかって感じです。経験値の高さがこうさせたなと。私は好きです。
紹介のところで壁殴ってる縁下よかったな~あと、コーチが監督の孫って聞いて逃げようとしたのもよかった。


月島@小坂くん
→月島だった!初舞台ということで全然期待してなくて、でもちゃんと月島でした!いいと思います!
3対3の時とかあまりにツッキーで…声優さんを意識して喋るのも結局、本人の演技力がなかったら棒読みになってしまう。
見た目もバランスが取れてて、烏野の貴重な長身選手という感じが出てた!なんか山口に対してアニメよりやさしかった(笑)
頭ぽんてしたり。捌ける時に机片づけたりしてるのがなんか月島なのに、って感じで可愛すぎでした!

 

山口@三浦君
→こっちも月島同様アニメに近付けてきてて、月島との距離感もうまく作ってた。いつかツッキーに物申す山口が舞台で描かれるならこの子にやってほしいな。
「すごい一年が入ってきた」の件で、自分と月島を指さして「俺達???」ってはしゃいでるのたやみを感じた…


烏養コーチ@林さん
→ヴィ、ヴィレッジ兄さん!!いや、間違えた烏養コーチ!!!
割と中の人まんまだったけどwでも、かっこいいしちゃんとコーチでした!!違和感ないし、アニメよりちょいヘタレっぽいというか、押しに弱そうな感じも含めてw


武ちゃん@内田さん
→押し強そうwアニメより強そうw
神谷とは違う強さを感じたよ…土下座によりすべてを解決してきたのだこの人は…
「わーいわーい!」って喜んでるの見てびっくりした。最初どの生徒だよ!?って思ったら武ちゃんなんだもんw
れっきゅーをお手本にしているんじゃないか疑惑。あと、ぴょんぴょん飛び跳ねる姿が身体能力?そうでバレーできそうでした(笑)


及川さん@遊馬くん
→思ってたよりよかったよ!棒読みじゃなかった!笑
浪川に近付けようとした努力も感じるので。それ以上は言わないでおきます。
もし、この先もストーリー展開した舞台をやるなら成長しておいてほしい!それだけである!


岩ちゃん@平田くん
→いた?あれ、岩ちゃんだったんだ!以上!


金田一@坂本さん
→特別うまくないけど、なるほど男の金田一だな~って感じでした!
ちょっと性格悪そうな感じが北一時代の金田一を良く表せててよかったし、笑かしてもらった部分もあった。ぽいってするとこね。
身長も高くて国見とのバランスが最高。そんなに言うことはないです。よかった!

 

国見@有澤くん
→国見は綾波レイだと思っていたのですが、使徒でした。
ちょい猫背な感じと長い手足にサイズ間違っちゃったのかと思うくらい小さな頭が…国見でした。

二人並ぶとでっかいなあと。そんなところにリアルを感じて楽しかったです。

 

松川@畠山さん
→アニメよりいい人そうだった。

 

花巻@金井くん
矢巾にハイタッチ無視されて怒ってたのがかわいい。あともう個人的に挨拶慣れしてないところがツボで。
彼は人間不信のようなので(挨拶の内容より)ぜひハイキューで人を信じることの良さを知ってほしいですね。

 

矢巾@和田くん
→初めて見る俳優さんでしたが、個人的に青城の中で一番印象に残りました。和田君、覚えました。かなり爪痕を残していたと思います。

まず、メンバー紹介でのポーズ。それから、花巻のハイタッチを無視し、最前列の女の子をナンパするという。こういう矢巾、有りだなと。


渡っち@さいとうくん
→ご、ごめん…見て…なさすぎて…

 

滝ノ上@坂口さん
→悪くなかったのに出番が少なくてこれと言って…
「お前らたまには俺の店で買い物しろよ~」って言うところはかわいかった。


嶋田マート@山口さん
→「あー!嶋田マートだ!」と言われているのが可愛かったです。
ジャンプフローターやって烏養さんに「大人気ねーぞ」って言われて「黙りなさい金髪豚野郎」って言ったのがツボでした。
こういうの嫌な人もいるかもですが、不意打ちすぎて笑いました。山口とのこれからを連想させるシーンもあり、見た目も嶋田で、良いキャスティングでした!

 

 

だいぶ偏った感想ですが、楽しかったのは事実です。

ただ、どうしても気になる部分が目に付いてしまった。これから観る時はライブビューイングでいいかなと思いました。