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Open Sesame!

日々の観劇の感想や感じたこと

2015/12/9『シルヴィ・ギエム ファイナル』川口リリアメインホール

観劇 バレエ

 

有吉京子先生の漫画「SWAN」のファンである私が、ミーハーな気持ちで観に行ったシルヴィ・ギエムの引退ツアー初日の感想です。

 

私にとって、初めてのダンス公演観劇となりました。

 

ミュージカルが好きな私にとって、ストレートプレイでも長いなって思う時はあるので、ダンスのみで耐えられるのか?眠くならないか?と考えていたのですが、まったくそんなことはありませんでした。

19時スタートの、20時45分終了予定で二回の休憩をはさんでいるから当然かもしれないけど。

仕事を終えて、会場である川口リリアのメインホールへ。
普段観るミュージカルや舞台とはまた違う客層。おそらくバレエなどをやっているであろう子もいました。
観劇マナーは大人よりも子どもの方がずっといいですね、食い入るようにだけど静かに前のめりにならず観てましたよ。
大人は寝るし動くし喋るし最悪ね。今まで行ったどの舞台よりも一番最悪な観劇マナーでしたね。
うん、怒りが思い出されるので多くは語りたくないですが。

 

 

シルヴィ・ギエム

100年に一度のダンサーと呼ばれる、女王。
私が彼女のことを知ったのは、有吉京子先生の漫画「SWAN」の続編である「まいあ」の中で。

主人公まいあの友達フィオナが「ギエムばりに上がる」と言われていた脚。
ギエムって?と思い、検索。そうして知ったのが、シルヴィ・ギエムでした。

一目見てみたい、そう思っているうちに彼女が引退してしまうとのこと。
では、今観に行かなくては一生後悔するだろうとチケットを取りました。
以下は、初めてダンス公演を観る、バレエもモダンもコンテンポラリーもなんだかあまりよくわかっていない漫画知識しかないド素人の私が書いた、感想です。
あまりにも無知で、万が一ダンスを、バレエを、知っている人が読んでしまったらいろいろと非常識かもしれません。ご了承ください。

 


『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』

一作目はこの作品。
東京バレエ団の方が、女性6名男性3名で踊る。
全員レオタード姿で、女性はポワント。
セットは何もないのかと思いきや、頭上にはなにやらぶら下がるものが。

 

ダンスだけなんて退屈してしまうのでは?、という考えは始まってすぐに払拭された。
何しろ、9名ものダンサーがステージの上をあちらこちらに動きこれでもかというほど洗練された肉体を動かしていれば、目が休む暇なんてない。
左目のコンタクトが乾いて痛かった。
私はどちらかというと女性ダンサーのしなやかさの方が、高く上がる脚を見る方が好きだと思っていたけど、こうもダンスだけに集中するとどちらにも良さがあると実感させられる。
細くしなやかな女性の体。
強く逞しい男性の体。
どっちもいいなあ。

これでもかというほど激しく動き、かと思えば歩いて普通に退場する。練習風景を切り取ったよう。
この話に物語はあるのかな?と後から検索したところ、特にないらしい。
ギエムが「なんて振付なの」と言ったそうだけど、私もところどころ思った、なんて振付なのって。
あと、ダンサーたちがあまりにも軽々飛び、軽々脚を上げるものだから忘れがちだけど、とってもハード。
ダンサーってすごい。
ポワントの音がカツカツ鳴るのが、私は結構好きだったりする。ポワントに憧れがあるせいでしょうか。


そして、これだけ人がいると目立つ人がいるもの。
私が注目して(拍手が一番大きかったので私だけじゃないけれど)いた女性。
女性なのにダイナミックで情熱的でエモーショナル。
高い身長に強気な雰囲気が漂いつつ、崩れないバランスに高く上がった綺麗な長い脚。
細く壊れそうなのが女性バレエダンサーのイメージだったけど、もっと、強くかっこいい、しっかりとした線の身体つき。
SWANならラリサのイメージ。上野水香さんという方らしい。

 

そして、男性。
肩から腕へしっかりとついた筋肉が美しい。
とにかく筋肉があって、細いというよりはたくましい体つき。顔や髪型の雰囲気を含めてもレミゼのアンジョルラスを彷彿とさせる。
女性をサポートして踊る時もなんだか情熱的で、技術に関してはよくわからないし何がどうとか言えないけれど、その色気にただただ目を奪われた。
色を付けるなら、赤。そう、やっぱりアンジョルラスの衣装が似合いそう。つまり私が好きな雰囲気だということ。柄本弾さんという方らしい。
上野さんと柄本さんが組んで踊った時は、急に舞台上が華やいで見えた。
ええっこの作品にそんな振付あるの?と思うくらいになんだかパッションが弾けて…同時に、緊迫感がある。
振付も曲もそんなではないのだけど、まるで張りつめた空気の中でタンゴを踊っているように、私には感じた。色っぽい雰囲気でした。
柄本さんがくるっと回ると髪から飛び散った汗…ああ、有吉京子先生が書いているのは本当なんだな、なんて思ったりもしました。
ダンサーの、美しい筋肉ついた背中を落ちていく汗が見えて、やっと彼らが生身の人間だということを思い出す。同じ人間とは思えないダンサーさんたち。

突然終わりを迎えるこの作品、けっこう長かったと思うけどずっと胸が充実していて心地よい感覚。とても楽しかった。
ダンサーさんの身体の美しさやひとつひとつの技、ポーズに酔いしれることができる作品です。

もう一人、印象的だったダンサーさんがいて。
その方はずいぶんと線の細い男性ダンサーさんで、なぜ彼はこんな振付なんだ?というような、ちょっと面白くなってしまったりして。

 

『TWO』

ステージに現れたその身体から、光が放たれているのだと思った。
オレンジ色のオーラがゆらゆらと。

数秒経って、それが照明のものだと気付く。

広いステージに一人ギエムが存在し、照明で縁取られたその場所から動くことなく踊る。
動かされる肩甲骨から肩、肘から指先までを繋ぐそのラインとしなやかさに目を奪われた。
なにより、ちらりと目に入ったつま先。
情報として頭にあっても、視覚から入ってきたものとすぐに結び付くわけじゃない。
それなのに、ただその見事な足の甲のラインに息を飲んだ。
そして理解する。ああこれが、ギエムの足なんだ、と。

さっきまでも何人も素晴らしいダンサーを見た後なのに、そのうえで美しいと思う体が、彼女は全身が、ひとつの芸術作品なのだと思わされた。

曲が激しくなるにつれ、照明の凄さにも気付く。
まるで彼女自身が光り輝き、その長い腕からオーラを放ち残像を残しているように見えた。
切り裂くのでも包み込むのでもない。美しく、強くしなやかな肉体が生み出す、光の線、残像。
後で確認すると、照明デザイナーさんという方がいるらしい。ほう、凄い…。
照明、振付、曲、それらすべてをそこにひとつの作品として体現したギエムの存在感。

彼女が踊る間は本当にあっという間で、私は左目の痛みも忘れていた。

 


『ドリームタイム』

ステージにの中央と後方に下がる、謎のキラキラした幕。
東京バレエ団、女性ダンサー3人と、男性ダンサー二人の作品。

振付としては一作目と比べて、私が思い描いていたバレエ的なものに近かった。

細くしなやかな女性らしい動きをする女性ダンサーと、それをリフトし支える男性ダンサー。
ゆったりとした女性の動きから始まり、まるで夢心地とうっとりしていると、忘れそうになる。

そう、女性をあまりにも軽々と持ち上げているけれど、その女性にだってちゃんと体重はあるわけですよ。
いくら脂肪がなくたって筋肉はあって、あれだけハードに汗だくになっても踊れるだけの身体ですから。
初めて本格的なダンスを見た私にとっては、とんでもない技だなと感じるようなリフトもあって。
まるで、そこだけ重力がおかしくなっているんじゃないかと錯覚します。

 

 

ボレロ


私にとって目当ての作品であり、おそらくこの公演の中でも目玉であろう作品。
私がボレロを知ったのは、やっぱり有吉京子先生のSWANの中で。
真澄が、私にはバランシンのバレエは、モダンは理解できない。
私はクラシックで育ってきた、クラシックのように感情表現のないモダンを理解できない、とモダンを踊ることはできない、と完全に委縮してしまった真澄に対し。

「モダンには感情表現が無いだって? 君はモダンをまったく理解してないよ!モダンほど自分を表現できる踊りはないのに!」

そう言ってルシィが踊って見せたのが『ボレロ』だった。
私は、SWANに登場するキャラクターの中でルシィが大好きで大嫌い。この作品を引っ掻き回し、真澄の心の中を引っ掻き回し、私の心の中も引っ掻き回した。
金髪のくせ毛に、有吉先生独特のあの、何とも言えない色気に溢れた目。男にも女にも恋をさせる、ルシィ。
そんなルシィが、夜のバレエスタジオで踊って見せたボレロのシーンは、SWANのNY編の中でもとくに印象に残る。
正直、レオンよりも印象に残った。
自分勝手に命を懸けただけの、ルシィなのに。
そんなルシィが踊った「ボレロ」が気にならないわけがない。

ルシィにはモデルがいるとのことで、それはボレロの振付師であるモーリス・ベジャールの分身とも言われたジョルジュ・ドン。
写真を見て吃驚した。有吉先生が描く人間は三次元にいないと思っていたら、そこにはルシィがいたから。

彼が踊るボレロは映像にも残っているので、もちろん見た。気になったものはとりあえず見てみないと気が済まない。
でも、正直言って何が凄いのかよくわからなかった。
単調なボレロという曲。物語があるようにも感じないし、少しずつ変化していく振付が続くだけ。
もちろん彼の身体や技術は素晴らしいのだろうけど、素人の私には理解できないのかもしれない。

「私にはボレロなんて理解できないのよ!」

真澄のように嘆いたのが、この作品に触れた最初。


そんな経緯がありつつも、どうしても観てみたくてこの夜初めて『ボレロ』を観ました。

 

円卓の上にレオタード姿のギエム。
その周りを取り囲む、数十人の男性ダンサーたち。
メロディを踊るギエムと、リズムを踊る男性ダンサーたち。

静かに始まった曲が徐々に激しくなっていく。
その曲の中心で、ギエムの繊細で力強い、鋼のような体がまるで神聖な儀式のように踊る。
男性ダンサーたちも、まるでギエムの虜になっていくみたいに取り囲み踊る。
ギエムが虜にしているのか、囚われているのか…
振付が生々しくいやらしいわけじゃない。ギエムの体つきは鍛え抜かれたダンサーのそれで、言ってしまえば女性らしい丸みはない。
それなのに、なぜだか官能的で。
神聖なものに触れてはいけないという緊迫感と、だからこそ触れたくて堪らないという欲望と衝動と。
男性ダンサーが少しずつ踊りに加わっていく様子が、そのギエムの禁忌的な官能性に引き寄せられているように見えて。

高く上がった脚だとか、高く飛ぶための地を蹴る動作だとか、股関節がなくなったんじゃないかと錯覚させるような開脚とか。
そんなもう私にはよくわからない技術的なところよりも、曲の激しさと共に増していく熱量に、とにかく胸が熱くなった。
祭壇を取り囲むような男性ダンサーたちが全員加わりリズムを刻み、より一層激しくギエムが踊り。
曲は終了する。


15分の上演時間。
言葉もなく、歌もなく、流れる音楽の中に計算しつくされた照明と振付。
普通、ミュージカルの歌を一曲聴くだけならおよそ5分足らず。長いか短いかと言えば、私は15分という時間を長いと思う。
でも、このボレロの15分は本当に本当に、あっという間だった。そう感じた。

 

曲が終わり、拍手が鳴り響いた時、私はうっかり前のめりになった。
身体が自然に、立つ準備をした。
どう考えても、早すぎる。
普段スタオベなんて滅多に進んでやろうとしないうえ、周りを一応きょろきょろ見てから立つ私が。
スタオベの衝動ってこういうことなんだ、と思いながら大人しく背もたれに背中をつけて拍手をし直した。
鳴り止まない拍手と声援と、何度も何度もギエムもほかのダンサーたちもお辞儀をする。

ギエムは、マイクはついていないので聴こえないけれど口元で「ありがとうございます」と日本語で何度も言っていた。
笑顔がかわいらしくて、それはさっきまであそこで強く踊っていた彼女とは別人のようだった。
周りのスタオベに合わせて私も立ち上がり、最後までギエムや東京バレエ団のダンサーさんに拍手を送りました。

 

とても、素敵な夜でした。
幼い頃から舞台を観ることが普通だった私にとって、映像越しで観るものと「生」で観ることの違いは理解していたつもりだった。
それでも、映像と生ではこんなにも迫力が違うかと驚いた。
やはり、生の魅力があるものは実際に劇場に足を運んで自分の目で、目の前にある実物を見て曲を聴いて空気を感じて触れて体感するものだなと。
そう考えると、もうジョルジュ・ドンのボレロは生で観れないことが残念だ。
ぜひ、あの人も観てみたかった…
いやでも、100年に一度と言われたダンサー、シルヴィ・ギエムを観ることができたんだからそれだけで私は、その100年の間に、今こうして観ることができたラッキーな人間だ。

 


あと、またSWANの話になるけど、続編で真澄が見せたという春の祭典での官能性。
ショートヘアにダンサーの体つきで普段色気なんてない真澄がモダンの中で官能性なんて…
って思っていたけど、つまり有吉先生が言いたいのはこういうことだったのかなって。
男性だとか女性だとか、そういう性の先にあるいろんなものを超越した雰囲気に、官能性さえ感じさせる。
ギエムのようなダンサーとして真澄を書きたいのかもしれないなと思いました。