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Open Sesame!

演劇とミュージカルと美味しいお酒とご飯。

1/18「フランケンシュタイン」日生劇場

観劇 ミュージカル

 

”怪物”とは何か。

 

まず、間違えてはならないのは「フランケンシュタイン」とは、怪物の名前ではないということ。
有名な映画の影響か、『怪物くん』の影響か、私はてっきりフランケンシュタインは頭にボルトが刺さったモンスターのことだと思っていた。
実際は、この怪物を造った人の名前がヴィクター・フランケンシュタインという人であった。

 

本作でも、主人公のビクター・フランケンシュタインが怪物を産みだしている。

では、怪物とはなんだろうか。

怪物は、怪物であったり化け物であったり、さまざまな呼ばれ方をしているが決まった名前はない。
名前”さえ”ないのだ。


ちなみに私が観た回は
ビクターandジャック:中川晃教
アンリand怪物:加藤和樹

 

1幕は、生命創造の研究をしているビクターが戦場で軍医アンリに出会い、処刑されそうになっている彼の命を救う。そこから友情が生まれ、二人は親友となった。ビクターにとって初めての心からの理解者であり友人だった。
しかし、ビクターが関係する殺人事件の濡れ衣を自ら被りアンリは処刑されてしまう。君以外この研究はできない、君の為なら死んでも構わないのだと。ビクターは、その首を盗み親友の命を再生させることを誓う。
ところが、雷に打たれ命を得た男はビクターの知る親友ではなく、アンリの頭を持つ継ぎ接ぎだらけの"怪物"だったのだ。
赤子同然の知能でありながら怪力を持つ怪物は故意ではなくビクターを襲い、そして、ビクターの執事を殺してしまう。ビクターが怪物を銃で撃ち殺そうとするも、怪物は窓から飛び出して逃げて行った。

 正直、この一幕を観ていまいち楽しめずにいた。
韓国ミュージカルというのを今回初めて観た。なるほどパワーがある、ヨーロッパやBWのミューと並んでやろうという気概も感じる。
でも、曲も脚本も今一歩だなあという印象。他の作品を観ていないから何とも言えないけど、日本も含めアジアはミューではまだまだだなあと思った。
とはいえ、これだけやってやろう!というクリエイターがいるのは凄いことだと思う。しかし、どうにも一幕は退屈で曲は難解すぎて耳に残りにくいし(エリザやロミジュリは偉大)、ビクターが殺人を犯すくだりとか雑!!
それを吹き飛ばすほどの魅力のない曲はどうなのか。
おいおいこれは二幕大丈夫か?楽しめるか?と思いつつの二幕。

 巷では一幕が人気のようでしたが、私は二幕の方が断然好きです。

 二幕は、怪物となってしまったアンリの見てきた人間の世界が中心となって構成されている。
一幕からすでに三年が経っておりビクターはジュリアと結婚していた。
平穏な生活の中でもビクターはずっと怪物への恐れが拭えずにいた。
そして、とうとう怪物は戻ってきた。ビクターに復讐するために。
創造主よ──怪物は語る、三年の間に自分が何を見てきたのかを。
人間がどれだけ醜いのかを。

怪物は、鉄のベッドで生まれビクターに首を絞められたことから記憶が始まっている。
言葉も知らず、人に追われ、寒さと空腹と、孤独に苛まれていた。
闘技場を営む夫婦に拾われ、そこでカトリーヌという下女に恋をする。
しかし、カトリーヌに裏切られ更に彼女の悲惨な姿を目にしてしまう。
人間の醜さを知った怪物は、その闘技場に火を放つ。
最後には、北極と言う地でビクターとアンリが死んでしまうというラスト。

 二幕、特に前半が楽しかった!!
見世物小屋や闘技場、そして人間の汚れた欲望。そういうのがぎっしり詰まった二幕前半凄く好みです。

そして何より加藤さんの怪物最高でした。
この人はおそらく、本人がどう演じようと基本的には”品よく”見えてしまうタイプだと思う。パーソナルスタイル的な問題で。
同時に、悲劇的な展開が大変似合うタイプでもある。
ただいるだけで、目を伏せれば物憂げな表情に見える。役者としてはとても画になるタイプで舞台に立つのに向いてる人だと思う。くわえて、声は甘く低く、それも若々しく青年のような甘ったるさじゃなくて、大人のセクシーでロマンチックな声。
何気にミュー界には、特に若手にはあまりいない影のあるタイプ。
とは言っても、歌声は少々本格ミュージカルにしては硬いというか音域もあまり広くないし、柔軟な歌声を持つアッキーと並ぶにはきついのでは?と思っていた。

 

正直、一幕では割とその印象から変わらずでした。
アンリというキャラクター自体は、エキセントリックで癖のある生粋の天才中川ビクターを見守り受け止めることのできる落ち着きを持っている。
科学者であり、ビクターと同じ研究への欲求を持っていながらも神への領域に入ることを理性と良心で踏みとどまった人。
とろけた声で「君の瞳に恋をした」なんて歌い、ビクターのために死んでいく姿は、さすが横に立てばどんな女優も可愛く見せてしまう加藤和樹様…!という感じで中川ビクターも可愛らしく見えた(笑)
しかし、怪物と呼ばれる存在になると一変、腰布一枚で鉄のベッドの上をのた打ち回り、生まれたての赤子のような存在になってしまう。母親と遊ぶ子どものように無邪気ににこにこと笑い、ビクターにじゃれ付く。この人、こんな芝居できたんだ!!と驚いた。

そして、怪物が闘技場に拾われカトリーヌに恋をするシーン。
ようやく言葉を覚え始めてきた彼が、下女カトリーヌとする会話。

「あなた、私をクマから助けてくれた!」
「クマ オイシイ(にこにこ)」

 こんな姿見たことない!!と、私にとってはなかなかの衝撃でした。

鉄のベッドで生まれ、自らを産みだしたビクターには怪物扱いされた彼が、初めて心を通わせた人間がカトリーヌだった。
下女である彼女は人間から酷い仕打ちを受けているため「あなたは人間じゃないから怖くない」と言った。
「私、北極へ行きたい!そこには、人間がいないんだって!」
いつか、北極に二人で行けたら…二人のデュエットがとてもロマンチックで美しかった。
けれど、それを闘技場の主人に見つかってしまう。女主人は「色気づいたか?」とカトリーヌに暴力をふるう。

 カトリーヌもまた、可哀想な女だった。
怪物と心を通わせたせいで主人の手下に襲われ、ボロボロになっているところに「自由にしてやろう」とそそのかされる。
その条件は怪物に毒を飲ませること。
カトリーヌは迷いつつも決断する。この時の歌を聴いた時、私はこの作品を観に来てよかったと思うくらいの価値を感じた。
音月さんを見るのは宝塚最後の仁以来で(怪物にわかりやすく言葉を話しかける時が仁先生がおばあちゃんにワカメを勧めている時を思い出した笑)
まだ女性としての音域は狭いところが惜しいけど、力強い歌声でカトリーヌの心情が痛いくらい伝わってきた。父に犯され母に売られ、服も心もズタズタの自分。それでも生きたい。
明日は自由になって、人になれる。そうすればもう誰も自分に唾は吐かない。人になるため、カトリーヌは怪物に毒を盛ることに決めた。
『誰かが足を洗った水で 喉を潤した』という歌詞があまりに衝撃でハッキリ覚えている。
彼女は怪物を裏切ったけれど、それでも生きたいと叫ぶ彼女を責める気にはなれなかった。

 このことは女主人にバレ、カトリーヌは自分をそそのかしてきた男にも見捨てられてしまう。
彼女は女主人によって、酷い殺され方をするだろう。
怪物から視線を向けられると「こっちを見ないで化け物!!」と返した。
ここで、少しの違和感がある。

その違和感がわかるのは、散々痛めつけられ焼き鏝を当てられた怪物が『俺は怪物』を歌った時。

 まずは、その歌の上手さに驚いた。歌よりも芝居で魅せる人というイメージだったけど、今回は芝居も歌も以前(レディベス)よりずっとこちらに力強くなっていて本当にびっくりした。ボイトレをして音域を広げたと言っていたけど、すごい進歩だと思う。
怪物の心の叫びと悲痛なシャウトに心を奪われた。

 そして、さっきの違和感の理由。
怪物には名前がない。彼の創造主であるビクターは彼をアンリと呼んだけれどアンリの頃の記憶がないと言う彼はアンリではない。
そして、怪物と呼ばれ、カトリーヌには化け物と呼ばれた。

そんな”怪物”だったり”化け物”であったりする彼は、ひとりぼっちであることに寂しさを覚えている。
彼は確かにルンゲを殺したかもしれないが、故意ではなく事故のようなものだった。自分の身を護ろうとしただけなのだ。
『血は誰かの血 肉は誰かの肉』
では、自分はなんなのか。人間でもなく、ただ気まぐれに作られただけの何か、ひとつの命なのに。
ビクターの自分勝手で生み出されただけなのに。普通の人として生まれたならば、親からもらう最初のプレゼントになるはずの名前。彼は名前さえ、生みの親からもらっていないのだ。
カトリーヌをクマから助け、言葉を話し、心を通わせ、孤独を嘆く彼は怪物か?化け物か?

 人が勝手にそう呼んだだけではないのか?

 ”怪物”からしてみたら、自分を殺そうと銃を向け、戦わせ、面白半分に拷問してくる人間の方がよっぽど怪物だ!

そういうことなのだと気付いた。
この作品はメインが一人二役で、ビクターは闘技場の女主人の旦那であるジャック、アンリは怪物、ジュリアはカトリーヌ…というように。
解釈として、人は環境が違えばまったく違う人間になってしまうということなのだろうと。
私は特に、ジュリアとカトリーヌを同じ役者が演じるというところに意味を感じた。

音月さんは、(その解釈を踏まえて演じられるほど)自分は器用ではないから別人として演じると言っていたけど、もちろん別人でいいのだと思う。
でも、両親に大事にされお嬢様として育ったジュリアも、もし両親に捨てられ虐げられながら生きてきたらカトリーヌになってしまうのかもしれない…という、もしもの可能性が、同じ役者が演じることによって伝わってくる。
カトリーヌだって、怪物と心を通わせた優しさと人間らしさを持っているのに、それでも良心を捨て怪物を裏切った。生きたいから、現状を変えたいから!
生きたい抜け出したいと思わざるを得ないその環境が、彼女を怪物にした。

 つまり、誰しもが”怪物”になってしまう要素を心に持っている。

 そういう意味での、一人二役であり、怪物が名前さえ持たない意味なのだろうと思います。

 二幕はその後、怪物の復讐劇が始まる。
演出として一番好きだったのは、ビクターの姉であるエレンのシーンです。

濱田めぐみさんは、この作品で初めて見たんですけど優しく包容力のある歌声と、シャウトまでする力強さとのギャップ、使い分ける技術に驚いた。
エレンが濡れ衣を着せられ、絞首刑にされてしまう場面。
死を迎えることへの「さよなら」と、幼い頃留学をするために姉弟が別れることになった時の回想の「さよなら」を掛けている。
弟を想う優しい歌声と「今度あなたに会えたら 私がぎゅっと抱いてあげるから」という歌詞。
エレンの深い優しさと愛が伝わってくるのと同時に、死んでしまう彼女にはもう二度と会えない「今度」などないという矛盾があまりに切なく哀しい。
全てが最高で、私も両隣も泣いていた。去っていくエレンに「行かないで 姉さん!」と初めて子どものようになってしまったビクターにも泣けた。

 この後、ビクターは姉もアンリと同じように生き返らせようとする。
このあたりからは「え?ビクターまた!?同じことするの!?」って感じで、いまいち入り込めず(笑)
ジュリアの死のあっけなさとか、リトルビクターと怪物のシーンとか…観客の解釈に委ねすぎのような…。
ただ、怪物が北極に行ったという事実はなんとなく切なくなった。

 演出の板垣さん(今回は板垣さんの演出目当てでもあった)も言っていたけど、韓国ミュージカルは脚本が甘いということなのかもしれない。
でも、原作のテーマも良いし、アンリというオリジナルキャラクターも設定も良いと思うので、もっともっと練り上げたらすごく良くなりそうな気がする。

 そして何より、キャストの熱演が良かった。怪物のことばかりに焦点を当てすぎたけど、アッキーのビクターの天才っぽさが好き。
アッキーは歌うことがあまりに自然だから、台詞を喋っているのか歌っているのか、わからなくなりそうなくらい。突き抜けるようなハイトーンボイスは、定期的に聴きたい。

 このミュージカルを観たことで、原作が気になって今読んでいるけどとても面白い。舞台ではわからなかったところも少し補間されたり、逆にビジュアルイメージがあるからなんとなく伝わってくるものがあったり。ただのモンスターパニックだと勘違いしていた自分を殴りたい。わくわくして、ドキドキして、ロマンにあふれていて、切なさと人間の探究心や欲求の罪深さを感じる。

私は自分が人造人間とか人体実験とか錬金術とか、現実的に考えたら「え?」なSF設定が好きなのだと知った。ライチ光クラブも似たようなものかもしれないな…。

 

文句も書いたけど、CDが出たら買うし、このキャストで再演があったら絶対に観に行く。