Open Sesame!

日々の観劇の感想や感じたこと

2/25、2/26「猿狸合戦」東京芸術劇場シアターイースト

 

私は、豊臣贔屓で石田三成が好きだ。
歴史、特に日本史には全くと言っていいほど興味のなかった私が
戦国無双に手を出し、司馬遼太郎の小説を読むほどまでになったのは

全て、る・の祭典が始まりでした。

織田信長徳川家康、そして豊臣秀吉
あまりにも有名すぎるこの三人が何を行った人で、どういう人柄だったかなんて興味もなくまともに勉強さえしてこなかった。
せいぜい学生の頃テストのためにその場しのぎに覚えた程度。
かろうじて今でも覚えていたのは本能寺の変くらいで、それもどういうワケがあったかなんてどうでもいいことだった。
そんな私はこの作品を観たことで、つじもっちゃんの演じる殿が好きになった。豊臣秀吉が好きになった。

好きになったから勉強した。秀吉が辿った、信長の死後から天下統一そして晩年へという流れを知っている。
だからこそ、今回の続編である猿狸合戦はとても怖かった。
脚本を担当されたのが納祭の赤澤ムックさんというのもまた、怖かった理由のひとつ。
良い作品になるに違いないという期待と共に、あの容赦のなさ、身構えます。

秀吉がどんな人物として描かれるのか。
辻本秀吉はとても穏やかで優しくて、ついていきたくなる、殿!と呼びたくなる人。
そんな人物が、どう変わっていくのか。

【あらすじ】
時は戦国。本能寺の変から約2年。清州会議を経た、賤ヶ岳の戦いから更に後。
信長の後を継いで、この戦乱の世で「天下人」となるのは一体だれか…。
誰よりも心優しく、貧しいものが殺されていく世の中を嘆き、自分がこの世界を、殺されていく人たちを守りたいと心に誓った、あの羽柴秀吉は…変わっていた。
天下が近くなればなるほど、秀吉は強かに、そして少しずつ冷酷に。 しかしそんな秀吉に、人々は従い始める。
同じころ。天下統一を目指す戦に名乗りを上げた男が。
彼の名前は徳川家康。人を動かす能力に秀吉以上に長けた男。 じりじりと頭脳戦を繰り広げる、秀吉と家康の猿と狸の化かし合い合戦の決着とは…?
更に、大阪城築城へと動き出した秀吉の想いとは…。 その後の秀吉の物語。
公式サイトより


信長の死後、本来であれば織田を継ぐのは信忠の息子・三法師だが彼はまだ幼い。
信長を討った光秀に”敵討ち”をした秀吉が、幼子の代わりを務めたところで文句を言う者はいない。言えるはずがない。
今秀吉に逆らうこと、それは織田家への謀反と変わりない。

そんな現状に不満を持つ者がいて当然。

あちこちに愛想をばら撒く人たらしの猿・豊臣秀吉
不満を持つ者の一人で策略家の狸・徳川家康

天下人の座を奪い合い争う二人の、猿と狸の化かし合い。

もう公演から時間も経っているので、結論から。

幼馴染である前田利家が心配そうに見つめるように秀吉は、確かに以前と比べ狡猾に冷酷になっているように見えた。
対立しいがみ合う徳川家康との争い。
家康が上手か、いや待てよ秀吉の方が上なのか。それを繰り返し、戦い、そして家康の上洛を巡っての駆け引き。
千利休が言ったように、天下が近付けば人は変わってしまうのか。

しかし、辻本秀吉は、あの時のまま変わってなんていなかった。

家康上洛の前の晩、秀吉は家康の元へ共もつけずに現れた。
挑発する秀吉を、家康は服部半蔵の目の前で切り付けた。
倒れる秀吉、嘆く半蔵。
これで徳川家は終わりだ──

と、思ったら笑いだす家康と秀吉。
切りつけられ息を引き取ったはずの秀吉まで笑い転げているとは。

なんとここまで、いや明日からも、全ては秀吉と家康による大芝居だった。

家康は自身の息子が切腹を命じられると、秀吉に助命嘆願をしていた。
「どうか命だけは」その言葉に秀吉はただ「はい」と答えている。
まさかそんな返事がくるとは思ってもいなかったのだろう家康がもう一度同じ言葉を口にすれば、秀吉は再び「はい」と答える。
驚いた表情の家康。

秀吉は、もう二度と竹中半兵衛の息子・重太郎の時のようなことがあってはならないと考えていた。

だから、家康の息子の命を助けこっそりと逃がしてやることにしたのだ。
秀吉の言葉を聞いた瞬間に、この話がる典の続編である意味、る典の秀吉である意味を理解した。頭の中で、秀吉と半兵衛の首実検の場面がフラッシュバックした。
ここにいる秀吉は、私が好きになった秀吉だと。辻本秀吉は何も変わっていないのだ。あの時のまま、心優しい殿がいる。

今でも息子は元気にしている。そのことに恩を感じている家康は、秀吉を天下人にするために自ら対立する役を買って出たのだった。
敵が多い秀吉にとって、影響力の強い家康が影で味方になってくれることほど心強いことはない。
家康が秀吉を天下人と認めることで、敵となりうる武将たちも納得するだろう。

全ては明日の為。
明日の家康の上洛の日、その日その時こそが天下を掛けた大芝居の見せ場。

まさに”猿と狸"の化かし合い!

 

もう、すっかり化かされた!
ムックさんがネタバレ禁止でとツイッターでおっしゃっていたので何かあるんだろうとは思っていたけど、まったく予想がつかず。
ムックさんは言葉遊びが上手な人で、納祭のリーディングの「綿麻呂の独白(毒吐く)」の時におお!と思っていたけど。やはり今回も。
騙された~!と思いつつ、この感じはとても気持ち良い。

それにプラスして、最低限のセットに小気味良い音楽、キラキラの照明(笑)
あと、るひまらしいなと思ったのが衣装とメイク。
小さな劇場でそれも歴史ものなのにスタイリッシュ寄りのアイラインの入れ方だったり、秀吉は金髪で家康の髪にはメッシュが入ってたりするのがとても好き。
る・フェアのヘアメイクなんか特に好きだな。

 

徳川家康◆鳥越裕貴
→私は徳川家康が好きではない。
だから、鳥越君が家康と聞いた時にはどうなることかと思ったけど凄く良かった。
家康らしい狡賢さの中にある鳥越君らしい弄られキャラっぽさやコミカルな雰囲気が、絶妙なバランスで愛されキャラな家康を作り出していた。
加藤啓さんとの絡みはとっっっっても大変だったと思う(笑)
腹太鼓のくだりは、特に千秋楽は笑いが止まらなくて大変だったw
半蔵に顎を掴まれて「わしの顎がもっと割れたらどうするんじゃ!!!」と叫んだ瞬間もう笑いが止まらずw
相変わらずの顎いじりですが、鳥ちゃんの切り替えしが面白いので”この人これしかないね”にはならない。頑張って元の流れに戻そうとしたり、必死にツッコミをいれるがために言い間違いをして半蔵や数正にツッコムはずが「わしは!」と言ってしまい「今自分にツッコんだのかわしは!?」とテンパったり。本当に貴重なキャラだ。
アフタートークでは、る典で演じた清正のことを「清康」と言ってしまったり、一日三公演で脳内も混乱していた模様。

石川数正二瓶拓也
→へいにーはさすがの安定感。
着物を着ての所作も綺麗。個人的に今作の登場人物の中で数正が一番好き。
人柄もよく、忠誠心があり本当に心から殿を慕っている人。
数正が家康の元を離れる時や、秀吉の元にいる数正と家康が再び出会った時のくだり。
とてもグッときた。
一日に三回公演はへいにーにとっても初めて。もう一公演できそうという発言をするもつじもっちゃんと、るひまさんは本当にやりかねないという話になり「もう限界です」とのこと。笑

前田利家◆蒼木陣
→今回初めて知った子で、彼自身も初めてのる・ひまわりさん
さっそく加藤啓さんにまとわりつかれて洗礼を受けていてかわいかったですw
つじもっちゃんにも「今回この制作会社は初めて?どう?」「バタバタしてますね」「大丈夫、このバタバタにも慣れるからw」とやりとりをしているのが微笑ましかった。
前田利家といえば秀吉の親友で、下剋上の時代らしくない真っ直ぐな人柄のイメージ。
蒼木くんはそれにぴったり合った、若さと溌剌とした雰囲気で利家を演じてくれた。
素直なお芝居がとてもよかった。今後の年末のお芝居にも出演しそうな若手の子。

織田信雄◆碕理人
→同時に柴田勝家も演じられていました。
どうしてもそちらは兼崎勝家のイメージが強すぎて違和感が拭えず。理人君が悪いわけではなく。
ただ、信雄に関してはもう理人くんしか演じることのできないところまでの仕上がりっぷりだった。
”バカ王子”って感じの役で、下手すれば痛々しくなるかイライラさせてしまいそうなキャラを、笑えるところまで持ってきてくれる。
お馬鹿な子に徹することに変な照れがない。細くて長い脚に白タイツがまた絶妙にシュールでした。

なか、朝日姫、ねね、服部半蔵加藤啓
→啓さんはもう本当に本当に面白い。
る典のオンジが大好きで今回も楽しみにしてました。
秀吉を支える三人の女性を演じる時の若手への絡みっぷりはもうさすがですね。ねねの時の「ねねだよ」っていうちょっと一昔前のグラドルっぽい芝居が最高でw
そして服部半蔵の時の口で伝える忍者の動きとか「殿、こちらへ」って言う時の手の動きとか、とにかく笑いが止まらずww
半蔵にしろ朝日姫や秀吉の母にしろ、鳥越くんへの絡みが一番えげつなく。
啓さんのボケ続きに鳥越君も「先に進ませてくれ!!」と絶叫。
しかし、最後の挨拶では控えめな啓さんでした(笑)

羽柴秀吉◆辻本祐樹
→私が好きになった秀吉がそこにいました。
優しい声に柔らかい表情。それにくわえて、少し冷めたような表情も見せるようになった秀吉。
る典の時とは同じ人だけれど間違いなく時を重ねた、そんな辻本秀吉。
ここまでたどり着くのにたくさんの出来事があった。重太郎の死に未だ心を痛めることのできる秀吉には辛いだろう。
利家に対し「おまえはそんな風に笑うな」と言う姿は、自分は下剋上の時代に染まり変わってしまったがそれでいい、だが利家にはそうなって欲しくないという心の表れだったと思う。変わりゆく自分に、秀吉自身もまた心を痛めているがそれを隠している。
優しい辻本秀吉だからこそ。こうしてこの人は天下を取りに行くんだな。ついていきたい!
つじもっちゃんが座長として気を遣っているのは蒼木くんへの声のかけ方でもわかるし、人柄が見えてきて頼もしい。
お客さんが楽しんでいるかもちゃんと気に掛けてくれている。そして、続編への期待を隠さない姿も好き(笑)
ぜひ!猿狸は続編が観たいし、つじもっちゃん座長の年末の期待もし続ける。

石田三成◆安西慎太郎
→安西三成は、どうした?笑
ずんどこみっちゃんよりもひどくなっていたけれど、インフルエンザということなので仕方ないのでしょう。顔色の悪い安西君が着ると寝間着もまるで死装束。
しかし、やはり私の好きになった石田三成がそこにいた。殿をただ真っ直ぐに慕う姿。
幕が開いて最初の登場人物紹介のところではゲストが秀吉の名を呼ぶので、それだけで込み上げてくるものが有った。
清正や正則の話になると二人のことを認めていることを吐露し、けれどそれを指摘されると自画自賛を始め照れ隠しのような態度。不器用な三成らしい。
秀吉がどう変わろうと、天下や世がどう動こうと、三成はただ殿の後をついていく殿の天下を信じるという意思しかないのだな。
島左近にくわえ、新之丞のエピソードから禄高の話まで出て石田三成好きとしては最高の数分間。
新之丞に禄全てをやって家臣にしていた三成。「あの時の私はもう居候みたいなもんでしたからね!?自分のやった禄でww養われてww」
最後は「ジャスティス!!」と叫んで去っていった三成。やはり、安西三成は情緒不安定である。
最後のアフタートーク時につじもっちゃんにジャスティスのことを聞かれて「(理人くんのが)ウケてたからやった、そうじゃなかったらやらなかった」などと発言w
トーク終わりですよの合図が鳴るとおそらくわかっているくせに「なんの音ですか?」と聞き「終わりの合図だよ」と言われると「やだやだやだ!」と拒否ww
「お前三回公演やってねぇだろ!お前が言うな!笑」と返され笑っていました。

竹中半兵衛木ノ本嶺浩
→半兵衛殿、期待を裏切らぬ気持ち悪い登場の仕方。
「化けて出ました」まるで台詞の後にハートマークが付きそう。
「成仏してくれ!」と言った秀吉wに対し幽霊ライフを満喫しているらしい半兵衛殿。
ふざけたようなしりとり、最後に”ん”をつけてしまった秀吉に「ンジャメナ」と返す。変わってないな…。笑
しかし、秀吉が吐露した天下を取ることへの重圧や不安の欠片をしっかりと拾って導いてくれる。
天下人が背負う重責をそれはそれと理解しながら、秀吉が悪いわけではないのだと。
その姿を見ていると、殿のため殿の今後の為、それゆえに官兵衛のため、重太郎を犠牲にしたあの半兵衛殿なのだと改めて思う。
そして、半兵衛がこうして秀吉を信じ続け導いてくれるのも、殿への信頼あってこそ。それは、秀吉の人柄あってこそ。リーディングの二人のストーリーを思い出した…。
みねくんゲストで、まさかこんな話になるとは思わず、不意打ちに泣きそうになりました。
秀吉の天下はたくさんの人の意志、夢、命を礎にして成り立っているものなんですね。
しかし、去った後にひょっこりとカーテンから顔をのぞかせているのを見ていると半兵衛殿はやはり半兵衛殿だなと。笑

 

笑いとジンとくる感覚、まさにるひまさん年末の作品の続編なんだなと実感しました。
この後の秀吉がどうなっていくのかもぜひ見たい。「今のところはな」期待してます!

そして欲を言えば、安西三成での関ヶ原もお願いしますその時は清正は鳥越君でお願いします…

2/25「ALTAR BOYZ合同公演」品川ステラボール

 

終わってからもう三週間が経とうとしているのに。
すべてがあまりにも楽しすぎて、終わってしまったことが今でも信じられない。

彼等は”ALTAR BOYZ”というバンドで、あちこちでライブをしていつでもあのメンバーでライブをしている、どこかで魂浄化コンサートをしているのだと、そう思いたくなってしまう。

ミュージカルを観たというよりも、ライブに参加したと言う感覚が強い。
それは、きっと第四の壁を取り払った脚本演出にくわえて、出演者たちの演技が演技じゃなかったからなんだろうな。
エネルギーをダイレクトに感じすぎて、私の魂救われたどころか持っていかれた気がする。

新宿FACEよりもずっと大きな品川ステラボールの広いステージで出演者がそろうOPは圧巻でした。
席がとても良くて、彼等の足元までよく見えたしキラキラした表情もそのエネルギーも直に伝わってくる。
ちょうどGOLDが目の前に、なんなら法月マークが目の前に来てくれる席だったので神様ありがとう!ジーザスハレルヤ!って感じでガン見しました。

We Are the Altar Boyzでの、サビ最初のジャンプする振付が大好きなのであんな距離で見ることができて嬉しかった。
そして、私と同じ回に入った人は皆さん気付かれていたと思うので書きます。
私はそれまで法月マークに一点集中しすぎていて気付かなかったのですが、メンバー紹介の時にアブラハムだけが一人しかいませんでした。
他のキャストはWでキメていて、中河内マークのダイナミックな体の使い方と法月マークのキュートなハートマーク。
なんて、違いを楽しみつつの中、常川アブラハムだけがアブラハム!」とひとりぽつん。
私の前の友人同士で来ていると思われる方も一瞬お互い顔を見合わせていてああ、やっぱりトラブルなんだなと思いました。良知さんだけがいないステージは続いていたのですが、事前の連絡があったのかな?どうしたんだろう?としばらく歌が入ってこず。
結果を言うと、このことはステージでも他でも説明はありませんでした。
どんな理由があったのかはわかりませんが、役者も人間なので言いにくいことがあったのかもしれないので追求したい気持ちはありません。
ただ、良知さんファンはヒヤヒヤしただろうなと思う。だって、幕が上がってみて推しだけがいなかったら怖い。ファンの方たちはみんな怖かっただろうと思うし、最終的には通常通りステージに立っている姿を見ることができたので怪我や病気ではなさそうかな、というところは救い。

あと、常川アブラハムだけがひとりで8人からの「それってユダヤ人?」を受け入れているのを見るのはなんだか、胸がぎゅっと切ないような苦しいような気分でした。
彼だけがひとり、という姿がアブラハムの抱える孤独と重なるような気がしたから。
仲間を慕いながらもユダヤ人である自分だけがこのグループにいるなんて、というバックボーンが自然と浮き彫りにされたような。

その後のRhythm In Meは、本来ならLEGACYチームがやるはずがGOLDチームに変更になったようです。
正直なところ、あの広いステージのど真ん中で腰を振る法月マークを、あの距離で、あんな視界の良い場所で最後にもう一度見れたのは幸せでした。
Church RulezもそのままGOLDで続き、その後のアルターボーイズの創世記からLEGACYチームへバトンタッチ。

創世記は子ども時代の話し…のはずなのに、LEGACYはマシューがアダルトすぎて見ていて凄くドキドキしてしまった…
だるそうに寝転がる東山マシューの元へ「何寝てるんだい?」とやってくる中河内マーク。
セクシーに肩を見せつけるマークに対する「髪型変えた?」「すげー似合ってるよ」という流れ。耳元で言うのはズルすぎる。こっちが照れるよ!!!

Wキャストの面白さで、この二人の関係性は特に違って見えるなと感じた。

LEGACYの二人は、熟年夫婦のようでマシューもマークからの好意に気付いていて、数年後あっさり恋人同士になってしまえそう。
GOLDの二人は、大山マシューはぽわ~んとしていてマークからの好意に気付かないし、その残酷な優しさを持ったまま自分はあっさり結婚してしまいそう。
ただ、法月マークの方がちょっとミステリアスすぎるのもあってわからない部分が多いかなとも思う。
ひとつ言えるのは、中河内マークは東山マシューだから、法月マークは大山マシューだから惚れたんだなって見えたことがとても良い。
重ねてきた年齢や役者同士の関係性がお芝居に出ているからこそ、見えてくるものが違う。やはりWキャストは面白い。

あと、植木フアンを見て初めて創世記の時のフアンが「まいど!」って言ってることを知った。松浦フアンの声可愛すぎて「まろ!」って聞こえてて、まろってなんだろうと思ってました(笑)
GOLD公演を見ているときに、フアンの前で両親がいることの幸せを語るルークとかを見て違和感を持っていたんだけど植木フアンは「捨て子って言うなよ!」と割と普通に怒っていたりしたのでちょっと納得しました。

そんなLEGACYチームの元へぽんと放りこまれた常川アブラハム
良知アブはメガネを掛けているようで、常川さんも同じようにメガネを。可愛かった。

アブラハムが楽譜を見てペンをマシューに貰おうとするところで手を差し出すと
「どうもマシューです」
「どうもフアンです」
「「二人合わせて、ウインクです」」
と握手されてしまったためにポカーーーーーンとしてしまった常川アブちゃん(笑)

「あいつ大丈夫か?」と言われていたけど、お兄さんたちに遊ばれてかわいそかわいかったです。
「なんか痩せた?(気苦労で)」と中河内マークに聞かれていたw

神の声が聞こえた時には、マークを背に庇い守るマシューと、それを見て真似してアブちゃんを守るフアン。
お兄さんたちの中でわちゃわちゃしたりThe Callingを歌う常川さんはとてもレアでした。

そして、曲終わりGOLDに切り替わる直前の暗転で着用していた白いポンチョをステージ上で脱がされるのも可愛かったw
常川アブちゃん、GOLDの中にいるとどこかホッと安心したような雰囲気になっているのが印象的。お兄さんチームの中にいるとそわそわしている。

Everybody Fitsは、振付がありつつもそんなに違いがないからなのかLEGACY+常川アブちゃん。時々うしろから服を引っ張られたりしながらポジションを直されたりするのが可愛い。

懺悔の時間になると、良知アブちゃんが登場。
しかし、気まずいのかなぜかGOLD側に並んでしました(笑)
質問の後に東山マシューに「そっちのアブラハムはどう思う?」と聞かれるも「ちょっと質問の内容が頭に入ってきませんでした」とw

懺悔についての説明やオスカーワイルドについて語っている法月マークの後ろで懺悔BOXを開ける鍵がないとわちゃわちゃする後ろ(笑)
中河内マーク「ごめんちょっとバタバタしてるw」

『LEGACYのファンです。でも、GOLDチームの子たちを見ていると応援したいなって思っちゃいます』という懺悔内容に
大山マシュ「それは、くわなくて…ッ悔いなくていい!!」
東山マシュ「お前はもう食わなくていいんだよ!!」
大山マシュ「そうです俺はもう食わなくていい!!」

GOLDチームの面子全員そうだけど、先輩たちの前だと本当に後輩ちゃんって感じで可愛い。法月マークも普段は飄々としている風だけど中河内マークの前だとたじたじになってたりするのが新鮮。

中河内「だから、LEGACYのファンだけどGOLDもいいなってことでしょ?はい終了~!」

と、強制終了されて最後の懺悔へ(笑)

植木フアン「midnight radioの時間です」
Wフアンで懺悔カードを読む。
松浦フアン「…これなんて読むんですか」
植木フアン「括弧、けんご……」
松浦フアン「括弧、とじる…」

妙にキメキメな二人。カードを読む植木フアンの後ろで謎の即興ダンス(東山マシュー曰く”脚気ダンス”)を踊る松浦フアンにLEGACYメンバー大ウケ。即興とは思えないと言われていました。

Something About YouはLEGACYだけど、そこへ大山マシューも登場して二人で歌う。
ソロ曲はどの曲も二人で歌うらしい。
「緊張すると、僕二人になっちゃうんだ。恥ずかしいな//」とエンジェルさんに声を掛ける大山マシュー

東山マシュ「こっちの身体が大きいだけが取り柄のGOLDマシューと、ああ、そうだな…生まれもそこそこ良くて品もある、踊るとセクシーで笑うとチャーミングで」
大山マシュ「汚ねぇw」
と、そこへ中河内マークが大山マシューに何か耳打ちするとエンジェルさんに向かって
大山マシュ「でもプライベートは最悪w」
と、東山マシューを落とす(笑)

エンジェルさんは慣れている方なのか、指でどっちかな~と二人を交互に指差したのでうっかり大山マシューは自分が選ばれたのだと勘違いして喜んでしまうも東山マシューが選ばれる。
エンジェルさんのストールをさっと手に取り、後ろから掛ける感じで寄り添って歌う姿はアダルティすぎてGOLDでは見られない光景でした。
私はうわあ~なんだあれ~って照れてるのに、エンジェルさんはそんなに動揺した様子でもなく、慣れてる…大人だ…と思いました。笑
そこへ中河内マークがエンジェルさんのストールをスマートに奪い、マシューへキス待ち顔。最終的にキスしてました~LEGACYすごいなあ。

ひとりぽつんの大山マシューの元へ「マシュー」と現れる法月マークは天使のようだと思ったのも束の間、
「またダメだったよぉ~」に対し「はいはい、わかってたでしょ」と手を引っ張ってさっさと歩いていく。笑
「己を見なさい?」と言われて笑いつつしょんぼりの大山マシューでした。

Body, Mind & Soul
森ルークの自由さが凄い!!面白い!!
私は石川ルークしか知らないので、それでも石川ルークは”不良なストレスを抱えたアメリカの若者”っぽさというか、そういうものを感じていたのでもちろん不満はなかった。ちゃんとそう見えていた。
森ルークを見てから思ったのは、石川ルークはそんな不良少年としての優等生なんだなと!GOLDは基本全員そういう真面目さがある。
客席の煽り部分は「おいルーク言ってやれ!」と森ルークに言われて石川ルークが担当することが多かった。

森ルーク「that's wanna!」
全員「that's wanna!」
森ルーク「……あthat's wanna!」
全員「that's wanna!」
森ルーク「どうした!」
全員「どうした!笑」
森ルーク「3年B組!」

森ルーク「talking about!」

なんて自由なんだ…笑
こういう遊びも込みで楽しめるのがアルターの良いところだなと思う。

La Vida Eternalでは芝居部分をLEGACYが、歌うところだけ松浦フアンも入るという演出だったので曲が曲だけに歌い辛くないかなと。
最後に、
植木フアン「みんな最高や!特に、もう一人のわて…」
松浦フアン「…うん!」
頷いて、袖の方へ帰っていく松浦フアンが可愛かったです。

Epiphanyも、同じように中河内マークが語り歌うところから法月マークが入ってくるという演出だった。
ラビダと違うのは、こちらの曲は両チームがステージ上にいたこと。法月マーク以外はステージで中河内マークの言葉を聞いている。
やはり語る人が違うと違って聞こえるもので、これは役者の年齢もあると思うんだけど、目線が違う。
法月マークはやっぱり若くて、これは私が彼と同世代だから感じることなのかもしれないけど凄く身近な感じがした。”いま現在”を語っているような。向けているメッセージもティーン宛てというか、子どもから思春期くらいまでの子を応援しているようなイメージ。
中河内マークは、彼自身がもっと落ち着いていてまるで昔話をするように後押ししてくれる。昔こんなことがあったわね、ってニュアンスでもう本当に思い出に昇華しているんだなっていう話し方だった。そのせいか、彼のメッセージは法月マークにも向けているのかなとさえ思えた。

歌い上げたりフェイクを入れたりするところは法月マークが歌ってました。マーク同士が顔を見合わせて歌うのは可愛い。
あと、法月マークが出てきた時に大山マシューの視線が中河内マークからそっちに移ったのが印象的だったな。

迫力が凄すぎて逆にあまり覚えていないNumber 918.
最高だったとしか言いようがない。曲自体も大好きだし、ダンスで魅せる低音のLEGACY、キラキラしている高音のGOLDが合わさるとこんなことになるのかと。
ここのキメは両チーム並ぶとこうなるのか!と思ったフォーメーションがあるのだけど、言葉では説明できない。興奮が止まらなかった。
法月マークの、両手を広げてぐるーってやるところの振付(伝わってくれ)のところでの、腰の角度がとにかく良かったのは覚えてる。笑

ラストのI Believe.
良知アブラハムが歌うところへ静かに歩いてくる常川アブラハム
良知アブが胸の六芒星をぎゅっと掴んで歌っているのを見て、常川アブが同じように自分の六芒星に触れる。
そして、良知アブラハムが差し出した手を取った。
二人が手を繋いだ。
その瞬間、涙が次から次へと溢れてきた。

正直なところ、この曲やユダヤ教(ユダヤ人)に関して勉強することはできても文化として肌で感じるには至っていないからか、考えることはできても深く感動することはできずにいた。
それが、二人が手を繋いだ姿があまりにも美しくて思わず涙が出た。
GOLDの公演を単独で観ている時に感じた者とは違う何かがあった。
アブラハムは決して一人じゃないんだ、と頭ではない部分で感じたのかもしれない。
彼らの手が離れ、それぞれの仲間…家族の元へ帰っていく姿を見て再び泣けてしまった。

そんなに泣くこともないだろうとハンカチを用意していなかったのは失敗だった。
アブラハムは一人ではないし、他のメンバーもまた。間違えることがあっても、それでもやり直すことができる。
アブラハム同士の手が繋がった瞬間は、バトンタッチのようにも見えてこうして受け継がれていくんだなと思えた。

メドレーでは、LEGACYメンバーがGOLDチームを見守るというような演出がちょこちょこ見られた。
Epiphanyで、自分が歌うはずだったパートを忘れていたらしき中河内マークに笑う法月マーク。可愛い。

行けてよかった。観れてよかった。感じられてよかった。
すっかり、ALTAR BOYZのファンです。

 

LEGACY
重ねてきた時間の違いが、GOLDとの一番の違い。
”家族”という言葉がとてもしっくりくる。アドリブを言っても脱線しても、それを受け入れつつさらっと元の流れに戻せる力がある。それは気を遣いすぎなくてよい関係性や、互いのリズムを知っているからこそ。
安定感があるし、笑える要素も強くて”笑っていい”雰囲気がある。これはきっともともとオフBWで上演されているアルターに近いんだろうな。それぞれに、面白いとかイケメンとかダンスが~という感想があるんですけど、東山マシューがとにかくセクシーすぎてドキドキが止まらなかった。
それに尽きます。笑
元々ダンスがうまくてセクシーな人に弱いんだけどね、もう、こわい。色気って素晴らしい。ちゃんと本公演観ればよかった…
中河内マークの体のラインもとってもセクシー。綺麗な形の筋肉だし、しなやかで体を大きくつかうダイナミックなダンスは男らしくもありこれはこの人にしか演じられないマークだと感じた。

GOLD
お兄さんチームに比べると、やっぱりまだ優等生。
それは全然悪いことじゃなくて、できる人ばかりが集まっていて歌もうまいしなんの不満もないけど合同公演を観たことによって彼等はまだお互いのことを知らないんだろうなって思った。当たり前のことなので責めるわけではなく。
もし、このチームでもっともっとやることができたらきっと変わる。良い方向に。だって実力があるから。
性格面でのバランスも良いと思うから、私はこの5人のGOLDが、ALTAR BOYZがもっと観たい。

願わくば、本当にこの5人で進化成長した姿を見せてほしい。お兄さんたちにも。

 

 

 

 

はじめての『ALTAR BOYZ』新宿FACE

 

GOLDチームの千秋楽を終えはやくも一週間以上過ぎたものの、未だ呆然としています。
あの日はあまりにもあまりにも最高で、これがお芝居なのかそれとも本当にALTAR BOYZが来日して我々の魂を救済しにきてくれたのか、もう現実と芝居の境目もわからなくなりながら楽しみました。
来日してくれてありがとうバイバイ東京なんて言わないで~~!って思いながら終演をむかえ、ああそういえばこれはミュージカルだったなと気付く。

でも、終わってみると足取りは軽くビル7F新宿FACEからの階段降りもなんのその、歌舞伎町のど真ん中を晴れやかな気持ちで歩いている自分がいる。

ああ、わたしの魂救済されてる…!

それが私のはじめての『ALTAR BOYZ』でした。

 

思えば2012年に橋本汰斗くんが出演していたことでこの作品を知り、それなら観てみようかなと思いつつも何かしらの理由で結局チケットを買わなかった。今でこそ、その時に観ておけばもっと早くに出会えたのにと思うけれど、こういうのは巡り合わせというものがあるのできっと今の私にこそ必要だったのかもしれない。
その年の半ば頃にRENTに出会い、私が求めていたものはこれだ!と思った。ブロードウェイ、オフ・ブロードウェイというものの凄さを知った。
そして、2016年。
club SLAZYという作品を知って、法月君を知り他の役でも見てみたいしかも真志と共演する、ああそういえばこれ気になってたんだよね観てみよう!という流れでチケットを取った。

2/4に初めてこの作品を観て、あれなんだか思ってたのと違うぞと思いながらも気付けばリピチケの列に並んでいた。
宗教や海外の文化に疎いからしっくりこなかったのかと考えていたのだけれど、なるほど調べてみれば私の思い違い。
なんとなくRENTやbare的なものを想定していたけど、それよりもリトルショップオブホラーズや死霊のはらわたロッキーホラーショー(とまではいかないけど)くらいの感覚で楽しんでいいものだと。
よくわかっていなかったくせにリピチケを買った辺り、理解は及ばずとも魂でこの作品をもう一度観たいと感じていたに違いない。

その二日後の2/7のソワレで二度目の観劇。
ラフに楽しんでいいと思うとまるで違う作品を観ているようだった。ルークの運ぶケーキを乗せたワゴンがキィキィ鳴ることに笑えた。
笑えるけど、だからこそ、そこに見え隠れする哀愁や彼等が抱える傷跡、そして絆。そういったものが鮮明に見えてきた。

二度も観れば満足するだろう。そう思っていたはずなのに、有り難い御縁で手に入った千秋楽のチケットを握りしめ向かった新宿FACE
狭い会場は所狭しと立ち見の観客、熱気が凄くて、ビールが美味しかった。ふと後ろを見るとLEGACYのメンバーが二人。千秋楽らしい特別感を久々に味わった気がする。
ラストということでとにかくみんな気合が入っていた。
普段なら"千秋楽だから特別"というのがあまり好きではないんだけど、ALTAR BOYZという作品に関しては、このミュージカルらしからぬライブ感と相まってとても良い雰囲気だった。

 

幕開けの彼等のシルエットが、今でも思い出せる。

M1のWe Are the Altar Boyzは、はじまりこそ重々しい雰囲気だけど盛り上がってくるとアイドルらしい曲になる。
耳に残るキャッチ―なメロディをもっと聴いていたくて2012年版のCDも買った。でも、今回のキャストでも同じ一曲でいいからCDが出てくれたら嬉しい。
始まった手拍子に思わず目で周囲を見渡して、一緒になって手拍子をした。
日本版のRENTも手拍子はあるし初日や楽こそかなり歓声が上がって盛り上がるけど、こんなにも客席が盛り上がって楽しめる舞台は他に観たことがない!
歌に乗せて客席を煽りながらのメンバー紹介。

おそらくマジョリティ側として描かれているリーダーのマシュー(大山真志)
ゲイでマシューを好きなマーク(法月康平)
不良…ではなくストレスが多いルーク(石川新太)
ヒスパニック系で捨て子のフアン(松浦司)
唯一のユダヤ人であるアブラハム(常川藍里)

アメリカが抱える問題をぎゅっと濃縮したような彼等は、キリスト教の教えを伝え人々の魂を救うべくバンドを組み世界ツアーを行っている最中。
その最終公演がここ、新宿FACE
どうやって救われた魂の数を計測するのかというと、ソウルセンサーDX12という機械を使う!
初回でこの機械を見て気付くべきだった。この作品、ツッコミどころいっぱいで、そこ全部笑っていいんだよってことに(笑)

続いてのM2、Rhythm In Me.
言えることはもう、マークが最高ってことだけです。
「God put the rhythm in me」という歌詞のとおり神は僕の中にリズムを~という流れで、つまりあくまで”リズムを”なんだけど、
マークが「いれてちょうだい」「僕にいれて」と”何を”か明言せず歌うことでちょっとこうアレなダブルミーニングになっているという。
千秋楽ではかなりノリノリで歌ってくれて、あそこまでテンションを持って行ける法月君は凄いし、それに応える観客も凄いと思った。
この作品は会場に観客が入って完成するのだなと実感した。

Church Rulezでは教会ではこうするんだよ、というのを教えてくれる。日本で言うところの神社の参拝法みたいな感覚だろうか。
「Stand up」「Sit down」の掛け合いがとても楽しい曲。
ミサは終了!

その後は彼等がどうやってバンドを組むことになったのか、アルターボーイズの創世記として劇中劇で教えてくれる。
どうやら福音書というものに乗っ取っているらしいのだけど、その辺は詳しくないのでまったくわからない。
マシューが曲を書いているところに「はあい、ましゅー」とやってくるマーク。子どもの頃の二人の掛け合いはとてつもなく可愛い。
「髪型変えた?」「いつもとおなじだよ」「なんだかとっても似合ってるよぉ~」「…ありがとう!!嬉しい!!!」
ここのマークの表情ひとつひとつが素直で愛らしいのと、マシューは子どもの頃から天然で人をたらしていく才能があるんだね(笑)
親しい友人へ一種のラブソングを書いているというマシューに期待するものの、その相手はキリストでがっかりするマークに、特に気にするふうでもなく「歌詞、いっしょにかんがえてほしい」なんて言って服の 裾を掴んじゃう。笑顔でうなずくチョロいマークお嬢様。マークは小さい頃から少しおませさんで、マシューは(今も)おにぶさん。
そこへルークがやってきて、さらにフアンもやってくる。フアンは教会の前に捨てられていた捨て子で、スペイン語訛りの英語…もとい関西訛りの日本語を喋る。すごくうまいなと思うのは、フアンのラテン系らしさと大阪出身者のオープンで明るい感じが見事にマッチしていて、そのあたりの微妙な雰囲気というものが(移民等は抜きにしても)感覚で伝わりやすいとこ ろ。
最後にやってきたのはユダヤ人のアブラハム。「ユダヤ人がキリスト教の教会に入っていいのぉ?」というマークの言い方が凄く嫌な感じで…笑
けれど、最終的に泣いてしまった(泣かせた?笑)アブラハムも仲間にしてマシューの書いた曲の歌詞づくりに参加させたりと、マークも悪い子ではない。
他4人とは空気が違うアブラハムが仲間に加わったことで、彼らに神のお告げが。

「バンド トゥギャザー」

神のお告げを聴いている最中に、マークはこそこそとマシューの隣へ移動し大きな音がするたびにお尻を触ったり、果ては背中に乗ってみたり(笑)
そして、ゴスペル調のThe Callingはあまりにも綺麗な曲なので初見時はうっかり涙が出てきてしまいました。天井から携帯がぶらさがってきたり、今時は神様のお告げも携帯電話からくるんだねっていうふざけた要素がありつつも(笑)本当に本当に美しい曲。
マークパートの「街を歩いてると除け者の気分」が切なくなるけど、その後の「やり直せるさ」を笑顔で歌ってくれるのが嬉しい。
ルークパートの高音でジーザスからの~と引っ張って歌って行くところは本当に心が洗われるような綺麗さ。

神の起こした奇跡の物語を教えてくれるThe Miracle Song.
ルークにお腹をもみもみされるマシューが可愛かったし、その後ルークをひょいっと抱き起すマシューがかっこよすぎる。

急に子ども向け番組の曲のようになるEverybody Fitsでは、みんな手にひつじのパペットをつけていて可愛い。
アブラハムだけ黒いひつじ。ひとりだけ違うアブラハム。でも、だいじょうぶ。
容姿、人種、なんでもだいじょうぶ、みんなを励ましてくれる優しい曲。
いわゆるマイノリティ側であるマークが「みんな愛し合える家族」と歌うことの意味。
マークとアブラハムの羊が顔を見合わせる姿を見ていると、明るい曲なのに胸に来る、上手く言葉にできないけどすごく幸せな気分になれる曲です。
パペットの口が大きく開く真志マシューがパペットとそっくりに見えてくる不思議(笑)
みんな仲間、いつもファミリー。

そして、この後は懺悔の時間。
座席に置いてある懺悔カードに観客が書いた懺悔内容を読んでくれる。
個人的に面白かったのは2/4の「毎回拍手がズレる」に対するメンバーがやってくれるだけで有り難い!と言っている言葉に同意して頷いて「どんどんズレちゃって」と言ったマーク(笑)
2/7は懺悔カードを読む前にマークが「読むわね」「…読むわよ?」とマシューを何度か見て「太ると…」と読み始め「なんで俺のこと見たんだよ!?」「読むわよ、っていう意味よ」のやりとりw
太ると口の中も太る、という内容に「誰かこの気持ちわかる人いるかしら?」と白々しく聞いたマークw
千秋楽は最初の方の罪の重さが重度だったので、すかさず「だめね」と言ったマークが面白かった(笑)アブラハムの”神社”発言がなかなかに爆弾でした。

最後の懺悔は、童貞を捨てるか捨てないか、に悩む男性から。こちらは日替わりで男性の名前が(匿名なのに笑)変わる。
同じような悩みを、マシューも持ったことがある…Something About You.
この曲は簡単に言うと婚前交渉が禁止されているカトリックであるマシューが童貞を捨てるか捨てないか。本場では笑える曲らしいけど、正直マシューがかっこよすぎて笑えない(笑)
毎回、観客の女性ひとり(エンジェル)をステージに上げて、マシューはその子に向かって歌う。「緊張すると、僕、体がおっきくなっちゃうんだ」
マークはやっぱりそんなマシューを見て女の子に嫉妬してしまう。女の子の代わりにキスをねだってみたりするものの、キス待ち顔のマークの唇にマシューは仕方ないなって顔で人差し指を当てる。その動作も表情もかっこよすぎる。マークがマシューに惚れるのも仕方ない。
通常では女性を褒めながら「こういうのって、日本では”ゲロかわ”って言うんでしょ?今日の君は、とってもゲロかわだよ」と言うのに
千秋楽では「今日の君は、すっごく……綺麗だよ」と言ったのでhu!と客席が沸いて楽しかった。盛り上げ上手な観客。
曲終わりにマシューが汗を拭いたタオルを女性にプレゼントするのだけど、女性を客席に送ったマークがそれを奪い、そのせいでソウルセンサーの数字がひとつ増えてしまう(笑)
人を批判するな、批判するものは自分も批判される。とメンバーに諭されても「なによそれ(笑)」とあしらう、この時の表情良い。はんって鼻で笑うような。
でも、やっぱりマシューにも咎められると泣き出してしまう。そんな可愛らしい一面が…と思いきや、どんどん顔がぐしゃぐしゃになって「ぷひゅっ」と噴出して泣くからマシューの顔に唾が飛ぶ…というか、飛ばしてる よね?笑
俳優同士の仲の良さが伝わってくるw
結果、バスタオルはちゃんとエンジェルさんの元へ戻りました。

魂を鍛えろ!そんなBody, Mind & Soul.
魂を鍛えろってワードが凄い。熱く鼓舞されている感じがする。ルークらしくてかっこいい!
この曲はとにかく、ノッて楽しむ曲。ミュージカルであんなにコーレスあることってあるの?っていうレベル。
we are the worldを歌うところが、千秋楽はその後空前絶後の~!になっていて観客も沸いていた。

救われない魂は残り33。「33だぁああああああ!33がきたぁぁああああ!!」とマークが騒ぐ。これは、回を追うごとに過剰になる。笑
33という数字が出ると、必ず歌う曲があるということでフアンが装いを変えてくる。意味を説明をしているマシューの横で「33~♪」って客席を煽るフアンが可愛くて楽しい!
この日は、フアンにだけは知らされていなかったけど特別な日。フアンの誕生日のお祝いと、捨て子である彼のために探偵事務所に両親を探してくれるよう依頼していて、その結果が届いた。
このことを知ってから観劇すると「今日は特別なことがある」という説明の時にフアン以外がニヤニヤしているのがわかって楽しい。
しかし、楽しい気分もつかの間、散々に騒いだもののフアンの両親の住所は、墓地…もう亡くなっていた。
心配するメンバーに、フアンはいつも通り明るく答える。自分には最初から家族なんていないんだからと。けれど、その強がりもすぐ崩れてしまう。そんなフアンを「大丈夫だ」と咄嗟に抱き締めたマシューの包容力が素晴らしい。
本当に、素早く抱きしめる。フアンの泣き顔を客席に見せてしまう前に。この人がリーダーなんだ、と思わせてくれる。
そしてこの流れが切ないのは、これまでのフアンが普段とっても明るく陽気でみんなを和ませてくれるムードメーカーだから。そんなフアンが見せた涙だからこそ、こんなにも胸が苦しくなる。
ここで歌われるのはフアンの曲、La Vida Eternal.
最初は歌詞がなかなか聞き取れなかったんだけど、行くたびに聞こえるように。ラテン系のフアンに合う曲調でありながら、歌詞は意外にも暗く、前半では迫る夜闇や死への恐怖が歌われている。
泣き顔で自棄になるように「堂々巡りやわ」と歌うのが印象的。泣いてしまって歌えなくなったフアンの代わりに、歌詞を書いたアブラハムが後半を歌う。
後半の歌詞と他の四人に励まされ、促されてさえアクロバティックに暴れていたフアンが、今は歌うしかないともう一度マイクの前に立つ。
「もし朝までに死ぬことがあっても 僕の魂を神様よろしく」
フアンの思想に触れる歌詞。最後まで歌い切ったフアンは客席に向かって「特にあんた、最高や!」と言うのだけど千秋楽だけは「特にあんた、(さいこうや)」と最後口パクでエアーになっていたw
最後は笑いに昇華してくれるフアンの強さを感じた。
いろんなものを振り切るような顔で歌う松浦フアンのその表情がとっても印象的でした。
あと、この曲は振付も色っぽくて好き。

残り10人。その10という数字に何かを感じると言うマークが歌うEpiphany.
”隠し事”をしている君たちへ、マークからのメッセージ。

まず、この曲は彼の告白から始まる。
マークは、昔からその仕草や気質のせいでいじめられていた。そのいじめの内容は壮絶で、押し倒されて身体中の毛を剃られてしまったと言う。
「そんな時はなるべくオシャレな帽子を買って、いくつも買って」
ここの喋り方がとても好き。
眉毛は鉛筆で描いた。それでも、ダメ。マークは、いじめっ子連中が言うように自分は気持ち悪いやつなんだと自身を否定し、どうして自分だけが違うのかと悩んでいた。
そして、とある日曜日。その日もマークは全身に脱毛クリームを塗りたくられていた。
そんな時、見たこともないやつがいじめっこを蹴散らしてくれた。それがマシューだった。
「彼はぼくの身体を抱きおこし、ぼくの涙を拭いてくれた」
ここの、”抱きおこし”の部分で自分の身体を抱き締めているマークの表情と仕草が、その思い出がどれだけ大切なものなのかを教えてくれる。
マシューに「覚えてる?」と問いかけるのだけど、その時のマシューの「何を?」とでも言いたげなわざとらしい表情がなんとも言えないくらいにかっこいい。ちゃんと覚えてるんだろうなっていうのも伝わってくるのがにくい。
演者や演出意図がどうなのかはわからないけど、真志マシューはマークに向けられている"恋愛感情"に気付いていないのだろう。
マークがゲイであること、誰か好きな人がいること、には気付いている。でも、それが自分だと思っていない。友人として特別に思われてるくらいにしか認識してない。じゃなかったら、軽々しく手の甲にキスなんてできないよ。
無自覚のそういう行動とか、歌っている(告白している)マークを見つめる優しい表情と視線が何よりも罪作りだ。懺悔してほしい。笑

法月マークは、淡々と、とても気丈な話し方をする。
前述の通り帽子をいくつも買うのくだりや、いじめられている内容を話す時の声が、もう気にしてないよ!って言っているような声色で。
でも、マシューに涙を拭いてもらった話をする時の声は笑っているけど泣いているような雰囲気で、なんかもうこっちまで泣きそうになった。
千秋楽ではもっと吹っ切れたような声色だったので、その日のお芝居にもよるのだろうけど、その一歩先に進んだような明るさが法月マークの答えでもあるのかもと思った。マークは、マシューを見て自分を守ってくれる天使「ガーディアンエンジェル」と呼んだ。
しかしマシューは「天使ってのはあっちにいるもんだよ」と空を指さした。だから、マークは本気で宇宙旅行しなくちゃと思ったらしい。

そして、マシューに出会ったことで”ある大切な真実”に気付いたのだという。
それは、自分でも認められなかった、けれど決して恥じることのない自分の真実。
つまり、「自分はゲイでマシューが好き」ということなんだけどこの曲が曲も歌詞も何もかも素敵で。
その事実を告白すれば人に嫌われるし親に捨てられるよという歌詞がコーラスで入ると「I know」と答える。
そんなことはわかってる、でもどうしようもない自分でもどうしていいかわからないっていう寂しげな「I know」。

そうして「ぼくは…」ととうとう切り出すかと思うと「カソリック!」と歌う。
私は決意したように自分はカソリックなんだと宣言するマークを見て泣いた。
僕はカソリック Yes I am!(同性愛を許容しないカソリックだけど)それでも僕はカソリックだしそれを誇りを思う!と自分を否定せずに受け入れ、笑顔で言うマークの強さや、自分の弱い部分を曝け出すことでそこにいる魂を救おうとするその優しさに。
しかし、実際に海外で公演される本作ではこの曲は笑える曲らしい。
これだけ溜めての告白がそれかよ~!知ってるよ~!見るからにゲイなのにカソリックかよ~!というニュアンスとのことで、その辺は宗教観や文化の違いもある。
日本では熱心な宗教の信者というとどことなく悪いイメージがあったりするし、それに熱心なキリスト教信者の方と同じくらいゲイの人にもそうそう出会うことはないし。(隠しているだけかもしれないけど)
確かに、CDで聴いた感じや動画で見られる海外のEpiphanyは笑える雰囲気で言葉はよくわからないけど私も笑ったw

パンフレットに、法月君がその違いに悩み真意を伝えられていないのかと悩んだというようなことが書いてあったけど、今では日本版はそれでいいのだと思っていると。
台本や歌詞を日本語訳してくれた北野さんも他のどの国と比べて一番感動的なEpiphanyになっていると言っていた。
そして、僕はカソリックの"カソリック"の部分は、マークとしてはゲイという言葉に置き換えられるのだと思う。後ろで光る十字架がレインボーになるのはLGBTの象徴カラーだからだろうし。
この”カソリック”は様々な悩めるマイノリティの人やコンプレックスを抱えた人にもあてはめられるようにできてる。
自分に嘘はつかないで、だってそれは誰に恥じることもないんだよ、っていうたくさん悩んできたマークからの励ましの言葉。

歌の最中に、マークがほかの四人ひとりひとりと向き合うところがある。
手を出せば同じように返してくれる、そんな仲間が彼にはいる。ひとりじゃない。
最後はマシューなんだけど、マークがマシューを見る前に大きな体で両腕を広げて待っていてくれてるところ。
フアンに対する時も思ったけど、本当に本当にこの包容力はどこからくるのかと。マークも千秋楽は歌う前から涙ぐんでしまっていたこともあり、腕を広げたマシューに向き合うと更に泣いてしまっていた。
そりゃああんな優しい雰囲気で”愛する人”に腕広げて待たれたら泣いちゃうよね。

私はこの作品の、特にマークにおけるテーマについては近い要素を持つ作品はRENTやbareだと思っている。
けれど明らかに違う点がひとつ。それは、ALTAR BOYZは観客に直接メッセージを投げかけていること。
ライブという設定だからこそそれができて、私たちはマークの語りや歌を目の前で聞いている。常川さんがアフタートークで”第四の壁”の話をしていたらしいけど、まさにそれがないのが特徴。
それに、RENTのエンジェルは彼…彼女自身が天使だけど、マークにはマシューという守護天使がいて仲間がいて、だからこうして自分を肯定し「ひとりぼっちじゃない」「誰に恥じることもない」と歌える。
より等身大で身近に感じられるマーク、アルターボーイの存在は、私たちの背中を直接押してくれている気がする。
だからもし、bareな子たちのように悩んでいる人がいるならぜひこの作品を観てみてほしい。

どの曲も本当に素晴らしいけど、特に大好きなのはこの曲。
歌の最後をファルセットで歌っていたのに、千秋楽で聴いた時は地声で歌い上げていた。法月君は音域が広いけどそれでも少しきつそうに歌う、でもそのギリギリの力強さこそがマークの答えと祈りとメッセージのようで深く胸を打たれた。

そして、そんなマークの告白が終わってもなお4人の魂が救われずにいるので、聖歌集666頁にあるというNumber 918を歌う。
この666という数字やメンバーの顔色からしてもワケ有りな様子。ここでは後ろで演奏しているバンドの方もお芝居してくれるので楽しい(笑)
「マシュー、僕怖い」とマークがマシューの腕に自分の腕を絡めると「大丈夫さ、怖がりだな」とマシューが返してくれてさらには腰に手を添えるのがかっこよすぎて…ほんと…マシュー天然たらし…
「悪魔去れ」「心も魂も雁字搦め」「その皮膚一枚ずつ剥かれ」とか物凄い歌詞が出てくるのに、マシューがシスターマリーがお昼寝の時に歌ってくれたと説明するので初見では混乱したのだけど、つまりはツ ッコんでいいところなんですね。
かっこいいダンスとかっこいい歌と、照明が合わさって迫力があって興奮した。マークが良く通る声で「助けたまえ」って歌ってるのが綺麗。

しかし、曲の最中にマシューが止めに入ってしまう。
そこで告げたのは「この4人のうちの一人は自分」だということ。マシューは、良い契約条件を提示されソロデビューの契約をしてしまっていた。
自分を責めるマシューを止めたのはマーク、優しいな…と思ったら「僕もソロ契約したんだもん!」ということ!おいおい!
ピコ太郎事務所と契約したというマークに真剣に言葉を返すマシューの面白さにくわえ、そこからフアン、ルークもソロ契約をしたことを告げていく雰囲気のツッコミどころ満載。

「僕だけですか」アブラハムの問いかけに、一瞬で空気が変わる。
アブラハムだけが、ソロ契約はしていなかった。もちろんより良い契約条件を提示されながらも、彼はALTAR BOYZの一員であることを選んだ。
彼は、自分がユダヤ人でありながらキリスト教を布教するバンドに所属していることを”事故でしかありえないこと”だと思っていた。
結束力の強いユダヤ人というくくりから一人飛び出し、黒い羊となりながらもこのバンドに所属していた彼は、今までそんな風に考えていたのだ。
それでも、このバンドに残るという気持ちが揺らがなかったのは。
このバンドは自分にとって、ソニーミュージックともピコ太郎事務所とも取引できない大切な、大切な……「家族ってことや」そう返したのはフアンだった。
フアンが告げる”家族”という言葉がどれだけ大きな意味を持つのか、ここまで見届けた観客なら言葉にせずとも知っている。
この物語の最後の台詞は、フアンのこの一言だという感想を見かけて物凄く感動した。この物語が言いたいことはそういうことなんだ。

ラストのI Believe.
創世記の中で、マシューが書いた曲。途中までしか書けていなかった歌詞が、ここで完成する。創世記の時点ではどこまで書けていたのだろうか。
明言されないけれど、私はアブラハムの歌に共鳴するようにひとりずつソロで加わっていくままに、ひとりひとりが完成させていったのだったら嬉しい。

初めて聴いた時、ソウルセンサーがマシューが歌った時にカウントが「0」に切り替わった瞬間が視界に入って思わず涙が出た。
マシューソロ部分のI Believeの力強さと、美しいコーラスと、彼らを照らす真っ白な照明。あまりにも綺麗で、心が洗われていく気がした。

アブラハムユダヤ人。ユダヤ人といえばヴェニスの商人などで描かれているように商魂逞しく利益を求める人物として描かれがちだ。
でも、この作品ではそうじゃない。
例えば人種、例えば同性愛者、例えば移民。例えば、マジョリティ側の人。
それぞれがその枠組みという事情を抱えているけれど、大切なのはその人自身、または自分自身がどうなのかということ。
それは、自身のアイデンティティを捨てることじゃなく、そのままの自分を見つめ、そのままの相手を見つめること。
思えば、この物語には最初から少しずつそのメッセージが散りばめられている。Everybody Fitsにしても、La Vida Eternalにしても、Epiphanyにしても。
人種も見た目も血も育ってきた環境も何もかもが違う、他人であっても。そんなことは壁にはならない。大丈夫、繋がれる愛し合う家族になれる。
そのメッセージが、最後の最後でこの一曲に集約されてくる。
物語としてももちろんすごいし、理屈でない部分で心を動かされる。

「信じてる君を」
言葉で言うほど、簡単じゃない。不確かすぎるし、考えれば考えるだけ答えなんか出ないこと。
けれどアブラハムは金や利益のような目に見えることを捨て、さらには彼らが重んじる血の繋がりを越えて、その不確かなものを、4人を信じ、求め、彼等と歩んでいこうと決めた。
そして、フアン、ルーク、マーク、マシューもまた応えた。
アブラハムがひとり歌うところにひとりずつ集まり、視線を合わせ、手を取り、歌う。
本当に大事なものこそ、目には見えないのかもしれない。けれどそれは、何よりも掛けがえのないもの。

彼らが、ようやく本当の意味で仲間になれた瞬間を見届けて、ここからはメドレーでさよなら!
これがとにかく楽しくて、ミュージカルというとラストナンバーが終わってああ感動した~~で拍手をしながらカテコを見守るという感じだけど、最後にもう一度こんなに楽しい気分にさせてくれるなんて!
こういう終わり方があるんだ!と衝撃的だった。

千秋楽はキャストも観客もノリにノッているという感じで、最高の時間だった。
リズムインミーの「い・れ・て」のところの法月マークを見ていた私のテンションは、今年1最高潮になった瞬間と言っても過言ではない。
Body, Mind & Soulの石川ルークの「終わっても耳から離れないくらいの声を聞かせてくれよな!」という煽りもかっこよかった!
「GOLDって言うからYeah!って言ってくれよな!行くぞ!」からの
「GOLD!」
「Yeah!」
「GOLD!」
「Yeah!」
「LEGACY!」
「Yeah!」
「おい!今LEGACYって言ったのにイエーって言っただろ!」

千秋楽のみで、メドレーが終わった後もう一度We Are the Altar Boyzを歌ってくれた。曲が始まると客席のテンションはMAXで、そこに始まる大山マシューのオクターブ上がった歌声wもちろん他四人も「かい…かい…かい…(高音)」
ふざけ気味の裏声だった大山マシューに対し、法月マークは出る音域なのかかっこよく歌うので客席もhooooo!となり「ギデオンの……(吐息)…ッバイボ~~~!!」
力強い!!かっこいい!!
ハロー東京が「バイバイ東京」になっていたことに、ああもう終わってしまうんだと思うと寂しくていつまでも歌声を聴いていたかった。

しかし、始まりがあれば終わりがあるもので、物凄い熱気と歓声の中で曲も終わりました。

最後の挨拶で「これがGOLDの答えです!!」と言った大山真志は本当にかっこよかったです。
私ですら泣きそうになったので、続投組をずっと見てきた人はもっと込み上げるものがあっただろうと思います。あんな真剣な声と表情で、なんてかっこいいんだろう。
松浦さんのミュージカル初めてで、こんなにも楽しくなるのかと思ったと言ってくれたその表情を見て、ミュージカル好きですっかりこの作品のファンになった私もすごく嬉しかった。
「俺はこの5人で戻ってきたい!」そう言った真志に対し松浦さん常川さん石川くんも「俺も(僕も)この5人で戻ってきたい!」と続くのに対し「わたしもー♡」と続いた法月君が”らしい”感じがして可愛かった。

 

マシュー@大山真志さん
→作中何回、かっこいい!!!と思ったかわからない。
大きな体にハスキーな歌声にあったかい包容力。この人がリーダーなんだなっていうのが雰囲気だけでも伝わってくる。
ふざけたりいじられたり道化にもなれるのに、ソロを歌う時やフアンを抱き締める時、マークのソロを見守る時の表情などなど…かっこよすぎる!!!という面も持ち合わせてる。大山マシューに言えることは、とにかく「ずるい」。わかってないでしょ?そういうところが嫌い、だけど好き!みたいなツンデレ心を持ってしまう。無自覚の優しさがずるい!
あと、I Believeの最後にマシューが入ってきてアーイビリーブ!って歌うところ、完全にコリンズのI'll cover youなんですよね~~~絶対コリンズできるんだよそのおっきな体でエンジェルのことも包み込んでほしい…真志のコリンズ見たいよ…でもまだ若すぎるからあと5年くらい後かな…

マーク@法月康平さん
→初めて法月君を見た時、好みの声から好みの歌声が出てると思った。今回さらに、好みの体型で踊ってる!って感動した。
マークのような役は元々好きではあるけど、だからこそ演者がダメなら絶対に好きになれない。
法月君のお芝居は本当に絶妙な、1ミリ単位のところで私のツボをついてくる。
顔立ちや声質と声圧の関係で気が強そうに思えるんだけど、そこに見え隠れする繊細な表情のバランスがとっても良い。”泣いている人を見るより、泣くのを我慢している人を見る方が辛い”っていうのはこういうことかなと思った。
Qちゃんの時は衣装でわからなかったけど、ものすごーーーーく細くてびっくりした。そして、絶対にエンジェルできるからやろう。法月君のcontactを聴いたら絶対に泣く。

ルーク@石川新太くん
→終わってパンフレット読んでツイッター見て、え、17歳!?と。
歌えて踊れて、本当にルークにしか見えなくて。やんちゃで不良でyeah!みたいな子だと思ったら、意外と素顔は幼くてでも中身はしっかりしてる可愛らしい子でびっくりした。観客の煽りも上手だし、とにかくすごい。役でやってるというわざとらしさがない。9歳でアルターを観て、出たいと思って今舞台に立っている。夢を叶える力のある子。歌声が高いところから低いところまでよく出ていて、The Callingの時なんて綺麗すぎて涙が出た。将来有望すぎる。

フアン@松浦司さん
→ミュージカル初挑戦!?って感じです。ダンスはどうしてもある程度若い頃からやらないとダメな部分があるけど、歌はやっぱり素質だなと思う。
生男では「最初の音」と言われて「最初の音が5個くらい出てきてる」なんて言ってたから相当努力もされたんだろうけど、声は良いし聴いてて不安になることもなかった。
ラビダで「堂々巡りやわ~~」って歌い上げるところ、最初と千秋楽とでは歌い方を変えてきていて、変えていこうとか考えて進化成長しているんだなっていう姿に感動。ラテンノリと関西弁って相性抜群。くしゃってなる笑顔がフアンの陽気さに合っていたからこそ、ラビダでの熱唱もさらに良かった。

アブラハム@常川藍里さん
→初見は、常川さんの歌い上げ方が作品と合ってないんじゃないか?と思った。
でも、色々調べてからの二回目では、真っ直ぐで素直で突き抜けるようなクラシック歌唱が、アブラハムの唯一のユダヤ人であるという色の違いが出ていていいんだ!と納得した。他四人はアメリカンでファンキーなノリを感じる中、ひとり清潔感のある生真面目さが見えて、きっとそこは本人の人柄も出ているんだろうな。
ダンスもバレエの素養があって、その背筋のピンと伸びた姿が常川さんの演じるアブラハムなんだと。控えめに戸惑ったりする表情がとっても魅力的でした。

バンドの皆様も本当にありがとう。素敵だった…。
ちょいちょい挟まれる演技が可愛かった…。

 

挨拶を終えた後も彼等はステージ上で「GOLD!GOLD!」と円になって抱き合ってたり、捌けた後も「GOLD最高!」とか袖の奥で言っているのが客席まで聞こえてきて、なんだかとっても微笑ましくて、今でも思い出すとなんだかあったかい気持ちになる。
彼等もやりきって、楽しかったんだろうなって。

普段、ミュージカルを観て帰るのとは違う充実感があった。
松浦さんが言うように、この作品はおそらく初めて参加する役者よりもずっと見てるファンの方がコーレスのタイミングも盛り上げ方も知ってる。
観客のほとんどが日本人だと思うけど、こんなに盛り上がっているミュージカルなんて観たことがない!
普通は静かにしているのが基本だし、私もうるさくされるのは絶対に嫌だけど、この作品の観客は芝居部分では舞台の基本マナーを守り、必要な時には思い切り盛り上がることのできる人ばかりだった。
ミュージカルとしては特殊で、でも、すごくオフ・ブロードウェイっぽいなって。
まだ学生の頃、とあるバンドの追っかけをしていた頃の感覚を思い出したりもした。

歌舞伎町のど真ん中をスキップしながら帰れそうな、心も体も軽くなったような不思議な感覚。
明日からも頑張ろう!なんて、考えちゃったあたり魂が浄化されたんじゃないかって本気で思った。

これが私の初めての魂浄化体験でした。

また彼らが”この5人で”来日してくれるのを"信じて"待っていることにします!

 

合同公演も楽しみだなあ。

 

2/27 常川さんだけ役名もお名前も書き忘れてしまっていたので修正

1/29「幸福な職場」世田谷パブリックシアター


観ている間、なにもお涙頂戴シーン満載というわけでもないのに、何度も涙が出てきた。
それは、この話が”実話”であるということを実感すればするだけ温かい気持ちで胸がいっぱいになって止まらなかったからだ。
脚色されていることはわかっている。けれど、現在のこちらの会社の取り組みを見れば、会長さんのインタビューを見ればわかるように、大事なところは全て”本当”なのだ。

世の中、捨てたもんじゃないなって思った。
そして、私もまたこうありたい、こうなれるんじゃないかって思えた。

この作品は『全国初の心身障害者雇用モデル工場第1号となった日本理化学工業が、昭和30年代、初めて知的障害者を雇用した時の物語。』公式サイトより

 

とっても優しく心の広い経営者が、知的障がい者の人が雇用先がないならうちが積極的に受け入れよう!と言いまして、その考えに、従業員たちもすぐに納得!
心優しい専務と社員の方のおかげですぐに仕事を覚え、幸せになったのでしためでたしめでたし!

なんて簡単には、いきませんでした。

昭和30年代のお話というわけで、私自身、なんなら母さえ生まれていない時代のことは私にとっては想像するしかできない。
けれど、今よりもずっと障がい者と呼ばれる方への偏見や差別が強かったであろうということはわかるし、それは作品中に使用される言葉から見てもわかる。
そんな時代に、養護学校の先生の熱意に折れる形で”雇うのではなく実習”という条件で、知的障がいを持つ聡美ちゃんを受け入れた会社。
専務や、従業員たち、先生、それぞれが触れ合い苦悩し、知ることで変化していく。決して簡単にはいかなかった決断へ進む、そして今へと繋がる物語。

 

基本的には経営者である専務(安西)の視点で話は進む。
彼は、父親が亡くなったことで会社を継いだものの、役人出身の彼をよく思わない者もいて社員との信頼関係がうまく築けていないし、経営についても悩みは尽きない。
そんな中やってきた養護学校の佐々木先生(馬渕)の「うちの生徒を雇って欲しい」という言葉は悩みの種にしかならなかったと思う。
作中では先生に土下座までされて頼み込まれていて、普通の人ならそれだけで戸惑うし、頼むからそんなことをしないでくれと思うだろう。

専務は、従業員を雇うことは何十年とその人の生活を預かることになる、今はお母様が生きているからいいけどその後のことはどうする。箸の上げ下げまで面倒見切れないと本音を言った。
私は、この言葉にとても納得したし、優しく責任感がある人の言葉だと思った。

しかし、その後の先生の「それなら安心してください。彼女たちの寿命は短いです」という悲痛な表情で告げられた言葉に、言い表せない何かが突き刺さってきた。

施設に入れば彼女は働く幸せを感じないまま死ぬことになってしまうと、先生は言った。
専務は、聡美ちゃんを実習生だから給料は払えないとして迎え入れた後も佐々木先生の話から、彼女たちのような子は施設に入ると手術を受け生理をなくす、つまり妊娠できないようにされると教えられる。職員の手を煩わせないように、望まぬ妊娠をしないように、同時に愛した人の子どもを産むという夢さえも取り上げられてしまう。
大学では法律を学んでいながら何も知らなかった、とショックを受けている専務の姿はこちらも堪えた。私も知らなかったからだ。
その事実だけでなく自分の無知も突きつけられ、言いようのないショックがあった。

物語が進むと、聡美ちゃんの楽しそうに仕事をする姿に心を打たれた社員たちがどうにか彼女がこのまま働けないかと考えるようになる。
そして、久我さん(谷口)と原田(松田)が配送の仕事で不在の日、専務が聡美ちゃんのテストをしてみるものの二人の手助けがなければ満足に仕事ができないことを知る。
計量をするにも時間を見てボタンを押すにしても、聡美ちゃんは数字が読めないのだ。
雇ってあげたいという気持ちだけがあっても、経営者としてはそれだけではやっていけない。
「経営者として従業員に迷惑を掛けていた」という専務の言葉に、聡美ちゃんは密かに想いを寄せる原田に自分が迷惑を掛けていたと知る。
そこで聡美ちゃんが会社に来れなくなってしまうなど問題が発生するが、そのことをきっかけに専務は聡美ちゃんが色の認識はできるということに気付く。

そうして、計量は色で判別させ、時間は砂時計で説明するなどアイデアを出した。

「仕事に人を合わせるのではなく、人に仕事を合わせる」とは住職(中嶋)からの言葉だった。専務はそれを実行することに成功した。
彼らは、聡美ちゃんを思いやることで自分たちの作業効率も上がることを知った。
明るい彼らの表情と共に、自分の心にも光が射すような、何とも言えない温かさが胸に広がった。

実習が終わる日、専務が給料をひとりずつ手渡していく。
最後に、聡美ちゃんにも給料をくれた。
そして「正社員として迎えたい」と言ったのだ。
よく理解できてない聡美ちゃんと、泣き崩れた先生。

それから50年。時は経ち、久我さんの息子が専務──現在は会長、の元を訪ねる。
時代に合わせて必要とされるものは変化していく。それに対応してくれたのは社員たちだ。
そう答えた会長に久我さんの息子が「それで、その人はいまどちらに?」と聞くと「今お茶を出したでしょう」と言う。
勤続50年。変化する時代に合わせ会社を支えた社員のひとりには、今も聡美ちゃんがいる。


実際、聡美ちゃんのモデルになった方はすでに退職されているけれど本当に長く働いていて今も存命で聡美ちゃん役の前島さんがインタビューをしていた。
作中、障がい者の人の寿命は短いと言う話が出るけど、その人はそれに当てはまっていない。
それは、働くことで人の役に立ち人に必要とされる幸せを得て充実していたからなんだ、とこの舞台を観た人は必ず思うはずだ。

この作品は、リアルに人が生きていて、誰の気持ちにも少しずつ共感できるところが凄いところだった。
そりゃもうすごい、だって、聡美ちゃんにだって私は共感したのだから。

常に悩み雇ってあげたいけれど社員の生活が、会社が…時には「君が迷惑をかけている」なんて言葉さえ言ってしまった専務の気持ち。
子どもがもしかしたら何らかの障がいを持って生まれてくるかもしれないという不安を持ちながら、聡美ちゃんに優しく接する久我の気持ち。
近隣の人からの視線に耐えきれなかったり、仕事に持つ理想から聡美ちゃんのことを受け入れきれずにいた原田の気持ち。
大事に教えてきた生徒のため、どうにかはたらくという幸せを教えてあげたい、知ってほしい先生の気持ち。
好きな人に愛されたい、子どもが欲しい、「いつかあなたとてをつないであるきたい」聡美ちゃんの気持ち。

住職は立場上違う目線から描かれているが(それでもおちゃめなところがあったりする)、皆が皆ただ優しい人として存在するのではなくそれぞれの立場から色々考えていて社会人としてのシビアな面もありつつ、けれど人間として相手を思いやる心もある。その両方が混在した中で、聡美ちゃんという人を軸にそれぞれが答えを出している。
それに、彼らは聡美ちゃんの親や兄弟でもなんでもなく、あくまで他人でありながら会社というひとつの組織の中でこれだけ心が繋がっている。
その結果が会社の成長にもなっているのだから、本当に凄いことだ。


私は知的障がいを持つ人の気持ちを全て理解することなんて絶対にできないけれど、それは健常者同士だって同じことだ。
健常者だから障がい者だからというのではなく、できるできないから、ではなく。
誰に対しても思いやる気持ちを持てるよう心掛けることがまずは大事なのだと思う。
私自身が専務や久我や原田、そして先生のように振る舞えるかと言ったらわからない。その時になってみなくてはわからない。けれど、まずはこういう実例があるんだと言うことを知れたことが嬉しい。できるかもしれない、と思えるのだから。
同時に、いま私はどれだけ人とコミュニケーションが取れているだろう、相手を思いやった会話ができているだろう。そんなことを考えた。

 


安西君のお芝居は相変わらずとても良くて、スッと心に入ってくる。
彼の芝居を見ている時は、素敵な舞台、素敵な小説、素敵な映画に出会った時の感動をずっと味わっているような気分になれる。
何より、アフタートークでも言われていたけど安西君のまっすぐさが大森専務にとても合っているんだろうなあ。
またこういうエリートっぽかったりする役かと思っていたけど、今回は幸せで真っ当な人生を歩んでいてくれてよかった。
松田君は、聡美ちゃんに対しぶっきらぼうだけど惚れられてしまうという説得力がまず容姿からあって(笑)
そして、原田の微妙な心境の変化が感じ取れるのがとても良かった。原田みたいな人はね、多いと思う。
賢志さんは、単純にかっこいいなあと思っていたんですけど聡美ちゃんに出会ってからの優しい雰囲気や生まれてくる子どもに対する不安を吐露する場面、また原田への苛立ちなどワイルドな容姿に反して繊細なお芝居がうまいなと思いました。
馬渕さんと言えば私の中ではDステの検察側の証人なんですけど、雰囲気が全然違うのでびっくり。
聡美ちゃんや生徒に対する優しさ、専務の無知に対する責めるような視線、感謝の涙…先生が下手な人だったら感動しないだろうなと思う。馬渕さんで良かったです。
中嶋さんはお茶目な住職なんだけど、締めるところは締めるというか大事な台詞の時の声のトーンがさすがベテランだなと思いました。
そして、一人違う住職という立場からの助言などの雰囲気の差みたいなものが凄く良かったです。
そして、聡美ちゃん役の前島亜美さん。彼女が良かったから私はこんなにも感動したのだと思う。役自体はとても難しかっただろうし、どう演じたら良いのかきっと悩んだはず。でも、彼女はただ真っ直ぐに演じることが楽しいと表現してくれた。アフタートークでもそんな話をしてくれたけど、どう演じるかとかそういう理屈っぽいところではなくその素直な表現が聡美ちゃん自身の純粋さとリンクしているのだと。だからこんなに聡美ちゃんが魅力的だった。
”アイドル”と呼ばれる子にもいろんな子がいる。舞台に立ってうまい子もそうでない子もいる。彼女は間違いなく、もっと舞台で可能性を広げられる存在だと思う。

 

簡単なはずなのに、実は難しくてそれでいて大事なことを今一度考える、思い出すきっかけをくれる。
専務のアイデアから導き出された”聡美ちゃんに合わせることで、みんなの作業効率も上がる”というひとつの答え。
できるから良いのではない。常に相対する人を思いやる心があれば、それをみんなが持てれば、物事は良い方向へ向かっていくはず。
理由があるから思いやりを持って接するのではなく、誰のことでも思いやれる人間でありたい。

とても良い舞台でした。久々にこんなにあたたかい話を観た。


『人に何かをしてもらったら「ありがとう」』から始めよう。

1/18「フランケンシュタイン」日生劇場

 

”怪物”とは何か。

 

まず、間違えてはならないのは「フランケンシュタイン」とは、怪物の名前ではないということ。
有名な映画の影響か、『怪物くん』の影響か、私はてっきりフランケンシュタインは頭にボルトが刺さったモンスターのことだと思っていた。
実際は、この怪物を造った人の名前がヴィクター・フランケンシュタインという人であった。

 

本作でも、主人公のビクター・フランケンシュタインが怪物を産みだしている。

では、怪物とはなんだろうか。

怪物は、怪物であったり化け物であったり、さまざまな呼ばれ方をしているが決まった名前はない。
名前”さえ”ないのだ。


ちなみに私が観た回は
ビクターandジャック:中川晃教
アンリand怪物:加藤和樹

 

1幕は、生命創造の研究をしているビクターが戦場で軍医アンリに出会い、処刑されそうになっている彼の命を救う。そこから友情が生まれ、二人は親友となった。ビクターにとって初めての心からの理解者であり友人だった。
しかし、ビクターが関係する殺人事件の濡れ衣を自ら被りアンリは処刑されてしまう。君以外この研究はできない、君の為なら死んでも構わないのだと。ビクターは、その首を盗み親友の命を再生させることを誓う。
ところが、雷に打たれ命を得た男はビクターの知る親友ではなく、アンリの頭を持つ継ぎ接ぎだらけの"怪物"だったのだ。
赤子同然の知能でありながら怪力を持つ怪物は故意ではなくビクターを襲い、そして、ビクターの執事を殺してしまう。ビクターが怪物を銃で撃ち殺そうとするも、怪物は窓から飛び出して逃げて行った。

 正直、この一幕を観ていまいち楽しめずにいた。
韓国ミュージカルというのを今回初めて観た。なるほどパワーがある、ヨーロッパやBWのミューと並んでやろうという気概も感じる。
でも、曲も脚本も今一歩だなあという印象。他の作品を観ていないから何とも言えないけど、日本も含めアジアはミューではまだまだだなあと思った。
とはいえ、これだけやってやろう!というクリエイターがいるのは凄いことだと思う。しかし、どうにも一幕は退屈で曲は難解すぎて耳に残りにくいし(エリザやロミジュリは偉大)、ビクターが殺人を犯すくだりとか雑!!
それを吹き飛ばすほどの魅力のない曲はどうなのか。
おいおいこれは二幕大丈夫か?楽しめるか?と思いつつの二幕。

 巷では一幕が人気のようでしたが、私は二幕の方が断然好きです。

 二幕は、怪物となってしまったアンリの見てきた人間の世界が中心となって構成されている。
一幕からすでに三年が経っておりビクターはジュリアと結婚していた。
平穏な生活の中でもビクターはずっと怪物への恐れが拭えずにいた。
そして、とうとう怪物は戻ってきた。ビクターに復讐するために。
創造主よ──怪物は語る、三年の間に自分が何を見てきたのかを。
人間がどれだけ醜いのかを。

怪物は、鉄のベッドで生まれビクターに首を絞められたことから記憶が始まっている。
言葉も知らず、人に追われ、寒さと空腹と、孤独に苛まれていた。
闘技場を営む夫婦に拾われ、そこでカトリーヌという下女に恋をする。
しかし、カトリーヌに裏切られ更に彼女の悲惨な姿を目にしてしまう。
人間の醜さを知った怪物は、その闘技場に火を放つ。
最後には、北極と言う地でビクターとアンリが死んでしまうというラスト。

 二幕、特に前半が楽しかった!!
見世物小屋や闘技場、そして人間の汚れた欲望。そういうのがぎっしり詰まった二幕前半凄く好みです。

そして何より加藤さんの怪物最高でした。
この人はおそらく、本人がどう演じようと基本的には”品よく”見えてしまうタイプだと思う。パーソナルスタイル的な問題で。
同時に、悲劇的な展開が大変似合うタイプでもある。
ただいるだけで、目を伏せれば物憂げな表情に見える。役者としてはとても画になるタイプで舞台に立つのに向いてる人だと思う。くわえて、声は甘く低く、それも若々しく青年のような甘ったるさじゃなくて、大人のセクシーでロマンチックな声。
何気にミュー界には、特に若手にはあまりいない影のあるタイプ。
とは言っても、歌声は少々本格ミュージカルにしては硬いというか音域もあまり広くないし、柔軟な歌声を持つアッキーと並ぶにはきついのでは?と思っていた。

 

正直、一幕では割とその印象から変わらずでした。
アンリというキャラクター自体は、エキセントリックで癖のある生粋の天才中川ビクターを見守り受け止めることのできる落ち着きを持っている。
科学者であり、ビクターと同じ研究への欲求を持っていながらも神への領域に入ることを理性と良心で踏みとどまった人。
とろけた声で「君の瞳に恋をした」なんて歌い、ビクターのために死んでいく姿は、さすが横に立てばどんな女優も可愛く見せてしまう加藤和樹様…!という感じで中川ビクターも可愛らしく見えた(笑)
しかし、怪物と呼ばれる存在になると一変、腰布一枚で鉄のベッドの上をのた打ち回り、生まれたての赤子のような存在になってしまう。母親と遊ぶ子どものように無邪気ににこにこと笑い、ビクターにじゃれ付く。この人、こんな芝居できたんだ!!と驚いた。

そして、怪物が闘技場に拾われカトリーヌに恋をするシーン。
ようやく言葉を覚え始めてきた彼が、下女カトリーヌとする会話。

「あなた、私をクマから助けてくれた!」
「クマ オイシイ(にこにこ)」

 こんな姿見たことない!!と、私にとってはなかなかの衝撃でした。

鉄のベッドで生まれ、自らを産みだしたビクターには怪物扱いされた彼が、初めて心を通わせた人間がカトリーヌだった。
下女である彼女は人間から酷い仕打ちを受けているため「あなたは人間じゃないから怖くない」と言った。
「私、北極へ行きたい!そこには、人間がいないんだって!」
いつか、北極に二人で行けたら…二人のデュエットがとてもロマンチックで美しかった。
けれど、それを闘技場の主人に見つかってしまう。女主人は「色気づいたか?」とカトリーヌに暴力をふるう。

 カトリーヌもまた、可哀想な女だった。
怪物と心を通わせたせいで主人の手下に襲われ、ボロボロになっているところに「自由にしてやろう」とそそのかされる。
その条件は怪物に毒を飲ませること。
カトリーヌは迷いつつも決断する。この時の歌を聴いた時、私はこの作品を観に来てよかったと思うくらいの価値を感じた。
音月さんを見るのは宝塚最後の仁以来で(怪物にわかりやすく言葉を話しかける時が仁先生がおばあちゃんにワカメを勧めている時を思い出した笑)
まだ女性としての音域は狭いところが惜しいけど、力強い歌声でカトリーヌの心情が痛いくらい伝わってきた。父に犯され母に売られ、服も心もズタズタの自分。それでも生きたい。
明日は自由になって、人になれる。そうすればもう誰も自分に唾は吐かない。人になるため、カトリーヌは怪物に毒を盛ることに決めた。
『誰かが足を洗った水で 喉を潤した』という歌詞があまりに衝撃でハッキリ覚えている。
彼女は怪物を裏切ったけれど、それでも生きたいと叫ぶ彼女を責める気にはなれなかった。

 このことは女主人にバレ、カトリーヌは自分をそそのかしてきた男にも見捨てられてしまう。
彼女は女主人によって、酷い殺され方をするだろう。
怪物から視線を向けられると「こっちを見ないで化け物!!」と返した。
ここで、少しの違和感がある。

その違和感がわかるのは、散々痛めつけられ焼き鏝を当てられた怪物が『俺は怪物』を歌った時。

 まずは、その歌の上手さに驚いた。歌よりも芝居で魅せる人というイメージだったけど、今回は芝居も歌も以前(レディベス)よりずっとこちらに力強くなっていて本当にびっくりした。ボイトレをして音域を広げたと言っていたけど、すごい進歩だと思う。
怪物の心の叫びと悲痛なシャウトに心を奪われた。

 そして、さっきの違和感の理由。
怪物には名前がない。彼の創造主であるビクターは彼をアンリと呼んだけれどアンリの頃の記憶がないと言う彼はアンリではない。
そして、怪物と呼ばれ、カトリーヌには化け物と呼ばれた。

そんな”怪物”だったり”化け物”であったりする彼は、ひとりぼっちであることに寂しさを覚えている。
彼は確かにルンゲを殺したかもしれないが、故意ではなく事故のようなものだった。自分の身を護ろうとしただけなのだ。
『血は誰かの血 肉は誰かの肉』
では、自分はなんなのか。人間でもなく、ただ気まぐれに作られただけの何か、ひとつの命なのに。
ビクターの自分勝手で生み出されただけなのに。普通の人として生まれたならば、親からもらう最初のプレゼントになるはずの名前。彼は名前さえ、生みの親からもらっていないのだ。
カトリーヌをクマから助け、言葉を話し、心を通わせ、孤独を嘆く彼は怪物か?化け物か?

 人が勝手にそう呼んだだけではないのか?

 ”怪物”からしてみたら、自分を殺そうと銃を向け、戦わせ、面白半分に拷問してくる人間の方がよっぽど怪物だ!

そういうことなのだと気付いた。
この作品はメインが一人二役で、ビクターは闘技場の女主人の旦那であるジャック、アンリは怪物、ジュリアはカトリーヌ…というように。
解釈として、人は環境が違えばまったく違う人間になってしまうということなのだろうと。
私は特に、ジュリアとカトリーヌを同じ役者が演じるというところに意味を感じた。

音月さんは、(その解釈を踏まえて演じられるほど)自分は器用ではないから別人として演じると言っていたけど、もちろん別人でいいのだと思う。
でも、両親に大事にされお嬢様として育ったジュリアも、もし両親に捨てられ虐げられながら生きてきたらカトリーヌになってしまうのかもしれない…という、もしもの可能性が、同じ役者が演じることによって伝わってくる。
カトリーヌだって、怪物と心を通わせた優しさと人間らしさを持っているのに、それでも良心を捨て怪物を裏切った。生きたいから、現状を変えたいから!
生きたい抜け出したいと思わざるを得ないその環境が、彼女を怪物にした。

 つまり、誰しもが”怪物”になってしまう要素を心に持っている。

 そういう意味での、一人二役であり、怪物が名前さえ持たない意味なのだろうと思います。

 二幕はその後、怪物の復讐劇が始まる。
演出として一番好きだったのは、ビクターの姉であるエレンのシーンです。

濱田めぐみさんは、この作品で初めて見たんですけど優しく包容力のある歌声と、シャウトまでする力強さとのギャップ、使い分ける技術に驚いた。
エレンが濡れ衣を着せられ、絞首刑にされてしまう場面。
死を迎えることへの「さよなら」と、幼い頃留学をするために姉弟が別れることになった時の回想の「さよなら」を掛けている。
弟を想う優しい歌声と「今度あなたに会えたら 私がぎゅっと抱いてあげるから」という歌詞。
エレンの深い優しさと愛が伝わってくるのと同時に、死んでしまう彼女にはもう二度と会えない「今度」などないという矛盾があまりに切なく哀しい。
全てが最高で、私も両隣も泣いていた。去っていくエレンに「行かないで 姉さん!」と初めて子どものようになってしまったビクターにも泣けた。

 この後、ビクターは姉もアンリと同じように生き返らせようとする。
このあたりからは「え?ビクターまた!?同じことするの!?」って感じで、いまいち入り込めず(笑)
ジュリアの死のあっけなさとか、リトルビクターと怪物のシーンとか…観客の解釈に委ねすぎのような…。
ただ、怪物が北極に行ったという事実はなんとなく切なくなった。

 演出の板垣さん(今回は板垣さんの演出目当てでもあった)も言っていたけど、韓国ミュージカルは脚本が甘いということなのかもしれない。
でも、原作のテーマも良いし、アンリというオリジナルキャラクターも設定も良いと思うので、もっともっと練り上げたらすごく良くなりそうな気がする。

 そして何より、キャストの熱演が良かった。怪物のことばかりに焦点を当てすぎたけど、アッキーのビクターの天才っぽさが好き。
アッキーは歌うことがあまりに自然だから、台詞を喋っているのか歌っているのか、わからなくなりそうなくらい。突き抜けるようなハイトーンボイスは、定期的に聴きたい。

 このミュージカルを観たことで、原作が気になって今読んでいるけどとても面白い。舞台ではわからなかったところも少し補間されたり、逆にビジュアルイメージがあるからなんとなく伝わってくるものがあったり。ただのモンスターパニックだと勘違いしていた自分を殴りたい。わくわくして、ドキドキして、ロマンにあふれていて、切なさと人間の探究心や欲求の罪深さを感じる。

私は自分が人造人間とか人体実験とか錬金術とか、現実的に考えたら「え?」なSF設定が好きなのだと知った。ライチ光クラブも似たようなものかもしれないな…。

 

文句も書いたけど、CDが出たら買うし、このキャストで再演があったら絶対に観に行く。

 

12/30「刀剣乱舞 虚伝 燃ゆる本能寺(再演)」銀河劇場

 


初演は配信で初めて見て興奮して、DVDは何度も観た。
再演は絶対に生で観るぞと意気込んだ。
映像と違って、全体を見るのも双眼鏡を使って一点を見つめるのも自由。
初日から話題になっていたように初演とは少しだけ、けれど大きく意味のある演出や脚本の変更があった。
気になる台詞も、派手になった殺陣も、見たいところはいくらでもあった。
それなのに、どうしてもへし切長谷部から目が離せない瞬間が多すぎた。
彼を見ながら、何度も息を飲んだ。

へし切長谷部という刀剣男士について、そこまで深く考えたことはなかった。
一番好きなキャラクターではあるし、刀について書かれている本も読んだりしたのでそれなりに来歴は知っている。二次創作も読む。
でも、刀剣乱舞はゲームもメディアミックスもふわっと楽しんでいたところがあるし、刀剣男士それぞれ本丸ごとに印象も違うとなるとキャラクターについて深く考えても意味がないような気がしていた。
だから、私の中の『へし切長谷部』というキャラクターはそこまで固まっていないし、よほどのことがない限り解釈違いということもない。
ゲームでも花丸でも刀ステでも、どんな長谷部もだいたい好きだ。

それが初めて、この”とある本丸のへし切長谷部”について色々考えることになった。
ハッとさせられたその瞬間の感情はうまく言葉にできない。理屈ではない部分で、どうしようもなく胸が震えた。

まず、初演と再演で芝居自体がだいぶ違っていることに驚く。
初演のDVDは何回も観ているから、和田部の台詞回しや声のトーンは(その一公演分だとしても)頭に残っているし、映っている限りは表情もよく覚えている。
だからこそ、再演を観てその違いが明らかだった。

織田の刀に対する声色が優しくなっている。
「俺の中の信長を知ってどうする」
宗三に対するこの台詞、初演の時はもう少し突き放すような、それでいて自嘲も込められているような言い回しだった。
それが、柔らかく優しい諭すような声色になっていた。
そしてこの時、宗三に言いたかったのはおそらく不動に向けた

「俺たちにではなく、自分の心に問え」

この台詞を、和田君は一番好きな台詞としてりんたこで語ってくれた。
だからきっとこの台詞こそが、和田君が歩んできた刀ステ本丸のへし切長谷部なんだと思う。
このとある本丸のへし切長谷部はきっと、そうやって自分の心に問いかけてきて今があるのだ。
和田君は、個人的な解釈として長谷部も不動のように『歴史を変えたい』と考えたことがあるのではないかと語ってくれた。
自分だったらそう思う、とも。
けれど、同時に「主命とあらば、なんでもこなしますよ」という長谷部を象徴する台詞のとおりに今の主のことも想っている。(若干意訳してます)

和田君がそうしてたくさん考えてくれて辿り着いた解釈の先に、不動を見るあの表情がある。
明智光秀を殺せば信長は死なない、それをわかっていながらできずにいる不動を見る表情。
これを劇場で見た時は胸が詰まるような思いがした。なんて顔をするんだ、と思いながら泣きそうになったのを覚えている。
もし不動が光秀を傷つけるようなことがあればすぐに対処できるように、と刀を抜いて構える薬研と長谷部。ブレずに真っ直ぐ不動を見据える薬研とは対照的に、長谷部の表情は苦しそうで手に力が籠るのか剣先が震えていた。
彼の中には『不動を止めたくない=信長を助けたい』という気持ちがほんの僅かだとしてもあるんだ、と思うと堪らなかった。
和田君の「歴史を変えたいと思ったことがあるのではないか」という解釈がここで生きている。
信長を憎む気持ちと同時に、顕現したばかりの頃の自分と重なる不動の考え方や行動への同族嫌悪のようなものが彼の中にはあったのかもしれない。

そして、信長が自刃して果てるその瞬間。
初演ではただ見つめるだけだった長谷部が、悲痛な表情を浮かべて首を横に振り、信長に向けて手を伸ばす。

へし切長谷部という刀は、人の身や心を得るにはなんて生きづらそうな刀なんだろう。

信長に対する思いにしても、長政様に対する思いにしても。
(おそらく)大好きだったのに下げ渡されたから、憎む。
大好きだったのに置いて逝かれたし共に逝けないから、忘れる。
過去のことでさえ、そんな不器用で極端なやり方でしか自分を保っていられない。
物である彼らに人間のような生死の概念は元々ないはずなのに、しょせん自分は物で相手は人間だからと割り切れない心の豊かさが彼自身を傷つけている。
不動のように表に出すことができたら違うのかもしれないけど、この刀はもっと複雑に考えることができる分損だ。

人は誰であっても死ぬ、信長であっても同じことだと不動に冷たく言っていたけれど、長政様の死に強く心を痛めていた長谷部だったからこその重みのある言葉なんだろう。
きっと、彼を作った人、主だった人。
それぞれが、へし切長谷部に対してそういうたくさんの想いを込めて扱ってきたからこそ、付喪神として顕現した彼がこんなにも人間らしい心を宿しているのかもしれない。

本能寺の変では、すでに黒田家にあった長谷部にとっては元の持ち主である信長の死を目の当たりにするのは本丸に顕現してからが初めてということになる。(刀ステ時点での出陣回数は不明だけど)
信長の死に辛そうな表情をしていた彼が、気持ちを切り替えて光秀を護るために戦う。

「主に仇名す敵は切る!」

と、やはり今大事にすべきは現主なのだと理解している。
歴史を変えたい、という気持ちを振り切った彼がこうして真剣必殺している。

そして、明智光秀の言葉。
「あのお方に必要とされたかった」
「あのお方に見捨てられるのがこわかった」
この言葉にハッとするような表情を見せる長谷部は、きっと光秀の中に自分と重なるものを見つけた。
和田君自身も、長谷部には不動や宗三、薬研とはまた違う明智光秀と通ずるものがあって、だからこそああいうお芝居になったのだと言っていた。
他の三振りには直臣でもない者に下げ渡された長谷部の気持ちはわからないだろう。
不動が長谷部に対し「ちいせぇな~」なんて言うシーンがあるけど、可愛がられていた蘭丸の手に渡った不動に何がわかる?と思ってしまう。
その中で、若い蘭丸と比べて老いていくことを恐れ、ただ必要とされたかっただけだと願う光秀に長谷部は一瞬でも自分を重ねていたはずだ。
和田君は初演よりも人間らしく演じたい、と希望していたと語ってくれている。どう演じるかのプランを立て、そしてあとは舞台上で生まれてくる感情のままに。舞台中はいろんな感情が入ってきて、終わった後は身体とは別の部分でとても疲れていたと。
それだけの熱量を、想いを込めて演じてくれたのは観ているこちらにもしっかりと伝わってきた。

刀ステ長谷部の背景には、彼が刀として背負ってきた歴史、本丸に顕現して肉体を得てからの葛藤や変化、そして優しさが見えてきてとっっても嬉しい。
へし切長谷部を好きでよかったとも思うし、和田君が長谷部として歩んでくれて本当に良かったと感謝でいっぱいです。

和田君は、もっとキャッチ―な芝居をするイメージがあった。
キャラクターを捉えるのが上手だし、2.5次元向きだなと。
原作ファンの喜ぶところを抑えつつ、ギリギリのラインを攻めるのも上手という印象だった。

2.5次元で上手だなと思う役者さんには、私の中で二通りあって
ひとつは、キャラクターが原作から出てきて三次元にいるかのように演じるのがうまい人
もうひとつは、キャラクターが現実を生きているように演じるのがうまい人
キャラが三次元にいるのと、現実に生きているというのは似て非なるものだと考えている。

どちらが良いということはなく好みの問題で、和田君は前者のタイプだと思ってた。

でも、今回のへし切長谷部を見てイメージが変わった。
こういうお芝居をするんだ!!と、驚かされました。
演目全体のことにしても、キャラクターのことにしても、深くまで自分なりに考えてそのうえでプランを作りその時その時を生きているんだなと思うと、嬉しい。
和田君は「演じました」ではなく「歩ませて頂きました」と言うけど、それも上っ面だけじゃなく中身が伴っている。
その人物がこれまでどういう人生を生きてきたか、が伝わってくるお芝居をする役者が好きなんだけど和田君もそうなのか。
これは、2.5次元以外での和田君も見たくなってしまうな。
今まではただ「可愛いな、かっこいいな」だったのに本格的に役者として気になってしまうと、これはまた推しが増える。

もちろん、長谷部や和田君だけでなく、他の人もそれぞれの思いを抱えて演じていたのが強く伝わってきました。
それは座組全体を通してもそうで、今回メインは新キャストが二人いるけど仲の良さや信頼がこちらにまで届いてきて和みました。
末満さんがキャストを信頼しているからこその難易度の高い殺陣も、派手で見応えがあってエンタメ感が増していて楽しかった!
殺陣が長すぎると飽きるし、短いと物足りないけど、末満さんとはそのあたり相性がいい気がしています。

荒牧くんは元々殺陣が綺麗だけど、今回はブログで語ってくれたように印象に残る技もあって改めて凄いなと感じた。
いち兄と鯰尾、廣瀬くんと大志くんのコンビネーションも良かった。

宗三ヒデ様の踊るような殺陣はやはり生で見ることができて良かった…。
ダンスがうまいし手足がしなやかだからか、ひとつひとつの動きがステップみたいで、その流れるような動作が宗三のイメージに合ってる。

鶴丸の健人くんは、染様の鶴丸があれだけ良かった分どうなる?と思ったけど、違うタイプの鶴丸を演じているのを見ておお!となりました。
染様の鶴丸はまさに「年の功」っぽいズルさみたいなものがあったけど、健人くんはもっとトリッキーでマジシャン的な掴みどころのない雰囲気があった。


私が見た回は軍議がきんつばミュージカルだったり(笑)
不動と客席のやりとりだったり、紅白戦で見せた燭台切の長谷部への挑発の仕方だったり、最後の鶴丸の山姥切への無茶ブリだったり、笑いもいっぱいありました。

興奮しながら観ていたのでところどころ記憶が飛んでいるけど、とにかく楽しかった。
観に行ってよかった、観に行けて良かった。

織田信長ほど有名でロマンのある武将はいないと思うし、そのうちひとつの”虚伝”を見ることができてよかった。
やっぱり、戦国武将好きだ。
『虚伝 燃ゆる本能寺』は終わってしまったけど、また次があると思うとうれしいです。


まずは、チケ取りの陣にて勝たなくては。

 

 

2016/12/18 『RENT』20周年記念ツアー 来日公演

 

「RENT」以上に大好きなミュージカルは、もうこの先現れない。

 今までも思っていたことだけど、やっぱりそうだと確信した。

 この作品のパワーは、何度観ても変わらない、色褪せない。

 

今日という日、今この時、そして家族、友人、

自分が誰かに向ける愛情や、自分が受け取る誰かからの優しさ、

それらがどれだけ尊くて大切なものなのか、観るたびに教えてくれる。

 

有名作品だからと何気なくレンタルした映画を観てから、すっかりRENTの虜になり映画もBW版も何回も観た。
日本版にも何回も足を運んだ。
いつか、この作品を英語のまま生で観たい、聴きたい、感じたい、と望んでいた。

 

それが、ようやく叶った!!

原曲は英語だし、もちろんそれに合わせてメロディが作られているから日本語訳で聴くよりも耳馴染みが良いし言葉遊びのリズムが心地良い。

あと、日本版は基本的には日本人(ハーフの方も多いけど)が演じているので、キャストの体格に差がない。
来日版のキャストはやはり体格差や喉の違い(特にコリンズやジョアンヌ)があって、これだなあ~~!とそれだけで感動した。

 

出来る限り字幕を見なくていいように少しだけ英語の勉強もしたけど、もうすでに何回も観ているおかげかほとんど字幕を見ることはなく。
なんて訳されているのかな?って気になって数回チラ見した程度で、あとはもうフィーリングで入ってくる。
曲や作品の持つ力が、言葉以上に伝えてくれる。
というか、ステージを見るのに忙しくてそんな暇もない!笑

 

どの曲ももちろん大好きだけど、特に二幕のHalloween~Good bye love~What you ownまでの流れがとにかく大好き。

まずContactで高まってI’ll Cover Youのリプライズで、コリンズや仲間の想いに涙が出てくる。

けれど、その後にHalloweenでみんなの関係が壊れていってしまう様が、いつだって喧嘩を止めてくれたエンジェルがもういないんだって実感してしまってもっと泣けてしまう。

今回思ったのが、今まで日本版で観ていた時よりもマークとロジャーがより親友っぽく見えたなということ。

(マークがリア充っぽくてロジャーがちょっとなよっとして見えたからかな笑)

 

だから、二人が言い合うのはとても悲しいし「but who Mark are you?」の言葉が突き刺さる。

ミミが死ぬかもしれないとか現実を突き付けたり、マークが孤独から仕事に逃げているだとか散々言い合いした後にロジャーが「I'll call」って言うのが好き。
それでも電話はする。ちゃんと仲間で友達なんだなと思える。
そうして、別れを経てからの「What you own」。

 

日本版を観ている時も、映画を観ていた時も、この歌はなんだかとても印象に残る。心に響く。
理由を問われたら、きっとうまく説明できない。
曲だけで言えば「RENT」の方が好きで、歌詞が特別切ないだとかそういうわけではないのに、どうしてか涙が溢れて止まらない。

 「I'm not alone.」

 「俺は一人じゃない」

 そう言いながら二人が眩しいくらいのライトを浴びて歌う姿に、言葉にはできない何かを感じる。

改めて来日版を観たことで、私はけっこう日本版が好きなんだなと思った。

 

 

英語で上演するものが本物で、日本版を偽物とする気はないけどどこかそんな気がしていた。
けれど、そんなに悪いものでもないなって。

 

私の母国語である日本語だからこそ、ストレートに伝わってくるものがあるのだなと。

 

母国語のニュアンスだから伝わること、わかりやすいこと。そうした環境で観劇できるのは貴重なことでもあると感じました。

 

あと、去年のマークだった村井君の芝居はとても繊細で丁寧だったのだとも。
マークにしては声や表情が堅い印象だったけど、お芝居そのものは、特に二幕は、良かったと思う。

 

そして何より、モーリーンは断然ソニンのモーリーンが好みです。
はっちゃけ具合や客席を殴るような声、そしてコミカルなMooの煽り、小悪魔だけど憎めない、みたいな雰囲気が好きです。

 

さすがに全体的な歌やダンスのクオリティそのものは事務所や役者個人の人気云々が絡みに絡み合う日本版とは違って、平均が高かったけど。
なんというか、某エンジェルの悪夢は一生忘れないと思う。
来日版を観て、ここまでのことを、この若さで(今回カンパニー全体がかなり若い!)やってのける俳優がたくさんいるんだ、
というのを知ってしまったので私の中でさらにRENT出演者へのハードルは上がった(笑)

 

 

Mark:Danny Kornfeld
→ど~~~しても、アンソニー・ラップのイメージが強すぎるんです。
なんだかちょっと冴えない(失礼)だけど、歌うと声がイメージと違ってて、ロックな曲を歌うとかっこいい、みたいな。
今回の方は、アンソニーに比べるとキラキラしていたかなって(笑)
でも、あのセーターとマフラーを身に付けるマークが見られて嬉しかったです。
La Vie Bohemeの時に手を使わずテーブルに飛び乗って横たわったのを見てすげえ…ってなりました。
ジャンプした時にチラッと見えた腹筋がバッキバキに割れていたので、なるほどと納得。

 

Roger:Kaleb Wells
→最初に見た時はなかなかゴツい方だなって思ってたけど、やっぱりいつ見てもロジャーは繊細ですね。
日本版は特に去年堂珍さんが演じていてかーなーり繊細というか弱そうと思っていましたが、正直、今回のロジャーが今まで見た中で一番よわよわでした(笑)
ミミと一緒に死んじゃうんじゃないかとハラハラ。笑
そもそもロジャーってマークやコリンズにぐりぐりやられていじられたりもしているけど、そんな雰囲気が目立ったからでしょうか。
でも、歌は安定しているしロジャーの声で良かったです。

 

Mimi:Skyler Volpe
→背が高くてしっかりした体つきで、これが本場のミミかー!ってちょっと感動しました。
あの、BW版のDVDとほぼ同じ振付の「Out Tonight」が見られたことが嬉しくって嬉しくって。
この曲は本当にテンションが上がります。終わらないで欲しい。
ぼわっとした髪型がキュートで、声はハスキーだけど可愛かった。
そして例のごとく死にそうにはない(笑)

 

Angel:David Merino
→個人的に今回一番好きなキャストです。
演じてて楽しい!って感じのキャピキャピした可愛いエンジェルでした。
若々しいんだけど、やっぱりあのブーツのままでテーブルに飛び乗ったりしていて感動。
エンジェルはこうでなくちゃ!と実感しました。
包容力はちょっと物足りなかったけど、 誰よりもはしゃいで可愛くて、喧嘩の仲裁はいつもやってくれて、そんなエンジェルが死んでしまうからこそ悲しいのだと改めて思った。

 

Collins:Aaron Harrington
→声がコリンズだー!という感動がありました。
日本人とは骨格そのものが違うので出る声も違うなあと。日本版だとにSOLでコリンズが負けそうかも…と思う時があったけど、逆でした。
ATMのコード「ANGEL」を言う時のお芝居が可愛くって好き。

 

Maureen:Katie LaMark
→モーリーンの出番ってこんなに少なかったっけ?となってしまった。ちょっと印象が薄い。
ミッキーの物まねはギリギリ感あって好きだけどw
Mooの煽りもお尻出す時も、もっとはっちゃけてもいいのになあって思った。

 

Joanne:Jasmine Easler
→安定のジョアンヌ。声といい体型といい良い感じで嬉しかった。
日本版のキャストも上手な人が多いジョアンヌ。
「Tango: Maureen」好きだなあ。
歌がうまくて声量もあったので、マークに負けないというか勝ってる!ジョアンヌはこうでなくちゃ!

 

Benny:Christian Thompson
→思ったより小柄だったのでびっくり。
でも、私はやっぱりベニーが結構好きなんだよなあというか憎めないなというのを実感しました。
喧嘩の仲裁したり、みんなと一緒に居たがったり。
譲れないこだわりを持って生きる彼等の仲でベニーの選択は浮いていたのだろうけど、ベニーにはベニーなりのこだわりや夢があるんだ、と私は思う。

 

ウェイター
→ウェイター役の彼の、レギパン?的なものを履いた脚があまりにセクシーで気になってしまったので書き残しておく。笑

 

 


同性愛者、HIV、ドラッグ…夢を追い求め、ボヘミアンな生き方を望む彼等。
言ってしまえば、世間的にネガティブな要素を持った人物ばかり。
けれど、この作品を観ている間は私はそんなことを忘れてしまう。
とにかくパワフルで、病気だとか依存症だとかセクシャルマイノリティだとか、はたまた人種の違いだとかそんなものを吹き飛ばすエネルギーを彼らから感じるから。

 

現実を確かに生きていて、今のところ大きな病気をしたこともなく平凡に生きている私よりもずっと、彼らは一生懸命に生きている。
特に、セクシャルな部分に関しては同性愛だろうが異性愛だろうがなんの違いもなく、ただ人を愛するという自然な、そして大切なこととして描かれている。
作中、最も涙を誘うのはエンジェルのお葬式のシーンで、コリンズの愛溢れる優しくも悲しい歌声に客席も泣いている人がいっぱいいるけど、その時、私たちは「二人がゲイのカップルだから泣いている」わけではないし、ただただ愛する二人の別れに、エンジェルという尊い人の死に、涙を流しているだけ。
そこには押し付けがましい説教じみたメッセージはなにもない。
それは、ジョナサン・ラーソン自身が余計な色眼鏡無しに彼等を見ていたからで、そうでなければこんな作品を作ることができるわけない。

 

改めて、彼が最高の作品をこの世に残してくれたことに、感謝したい。

 

私は、博愛主義というわけではないし、好き嫌いはもちろんある。
それに、やっぱり狭い島国で、人生のほとんどを日本人と接して生きているので日本人以外の方に話しかけられたりした時はびっくりするし、どんなに綺麗事を言っても、違う国で暮らしている日本人以外の方と打ち解けるのはきっと時間がかかると思う。
でも、そういう感情があるからこそジョナサン・ラーソンの視点がどれだけ素晴らしいかわかる。
だから、時間がかかったとしても、自分に優しく接してくれた人にはちゃんとその優しさを返したい。

 

それはもちろん、人種という問題だけではなく。誰かと接するうえで大切にしていきたいこと。

 

描かれている時代としては、私が生まれた頃の話だから少し古いのかもしれない。
けど、一番大事なものはきっとこの先もずっと変わらない。
言葉では上手く説明できないものを、この作品は教えてくれた。

 

RENTという作品が大好き。本当に本当に、出会えてよかった。