Open Sesame!

日々の観劇の感想や感じたこと

2015/12/22「残酷歌劇 ライチ☆光クラブ」アイアシアター

 

ライチ光クラブ
それはある共同体においては
そう規定されている

しかし
これは東京グランギニョルライチ光クラブか?NO
これは江本純子ライチ☆光クラブか?NO
ライチ光クラブとは曖昧で実体がない

ここ
アイアシアターにおいて
この舞台は 残酷歌劇ライチ☆光クラブ と規定される!』

 

まさに、こんな感じでした。
一度は舞台化された作品を、改めて歌劇という形で生まれ変わらせた意味というか、その結果をしっかりと見せつけられました。
東京グランギニョルが当時上演したものとは結構違いがあるという兎丸先生の漫画。その漫画も、本編だけではなく番外編としてぼくらのひかりクラブが上下巻ある。
江本純子版の舞台はその本編を、今回の残酷歌劇においては番外編を混ぜ込みより一層兎丸先生テイストが増したものへ。
この二つの舞台、まったくの別物です。同じ原作なのに。
私がこの作品そのものを知ったのは今年で、江本版ライチはDVDでしか観たことがないうえ感想を書いた時にはしょっぱなから「おいおい原作のカタルシスどこいった?」って感じに酷評した部分もあったんですが。
「ミュージカル死霊のはらわた」とか「ロッキーホラーショー」が好きな私は、ああいうあえてのチープな演出というのが大好きなのです。
だから、ダフの自慰シーンとかヤコブの人形とかカネダの逆パカとかめっちゃくちゃ楽しかったんです。
あの、なんともいえないアングラ感や妙な生々しさがライチの作風に合っているなと。今では、改変なども含めて「江本版 ライチ光クラブ」として繰り返し楽しくDVDを観てます。そんな経緯もあり、私の脳内の舞台ライチ光クラブは大量の血糊ブシャーふざけ倒してやるぜキャッハーン!みたいな映像で埋め尽くされており、画面越しでしか観たことのないあの小さな地下の秘密基地に取り残されていてました。

そして、今回の「残酷歌劇」
ぶっちゃけ、全然グロくない。多分、グロ苦手な人でも普通に観てられると思う。
スタイリッシュ!かっこいい!そんな言葉を、まさかライチで使うことになるとは!
まず、セットが思っていたよりすっきり。踊るスペースの確保かな。
というか、私の席がかなりかなり前方の端っこの席で、アイアのあの席はほんと見切れ席として売り出すべきだろうというような場所でして。
セットが良く見えない、正面を意識して作られた演出でしょうから端からだといろんな仕掛けが見える見える…ちょっと残念。開演5分前になんとか着席して、そわそわ待ちました。だって、ようやくこの作品を生で観られるわけですから。
女教師のエラガバルスについての授業から始まり…
いやもう、江本版とはかーなーり違う。なにせ、今回は歌劇ですから。歌うわけです。

「ラーララーラーイーチー光ークーラーブー♪」

ええええええ!
女教師の処刑シーンで、うっわーこの人スタイルめっちゃいいーって思ってたらなんか急に夕暮れみたいなライトが点いて歌いだすわ女教師はポールダンスを始めるわダンサーが出てきて踊りだすわで、なんだこれ、テニミュか!?なんかもう、凄い!!!凄いぞ残酷歌劇!!!
おおまかな流れや台詞は基本的に漫画通りで、そこも改変の多かった江本版と違います。そこに「ぼくらの光クラブ」が盛り込まれてきて、その分本編の台詞カットもありましたがとてもよかったです。
ゼラとジャイボの出会いのシーンを観られるとは思いませんでした。 「♪ミカン♪電線♪富士山♪スプーン♪木材♪鎖骨♪ゼラ♪ゼラチン♪ゼラ」
子どものジャイボって色っぽいし、ゼラの何色にでも染まっちゃいそうな小学生の危うさが堪らない。
なにより、タミヤ、カネダ、ダフ、タマコのシーン…あの、メッセージを込めた瓶のシーン。
それだけならただただ、感動的な場面だと思う。
けど、演出として舞台ならではですごく良かったのが、舞台前方では4人の良いシーン、後方ではダフの自慰シーンなんです。
同時に進み、自慰を終えたダフが絶頂後息切れしながら願い事を言った時に、展開を知っている私はただただ…泣くでもなく、息をのんで憐れむことしかできない。
いいんだ、ダフ…君はそこそこ健全だよ…
しかし、女教師惨殺の辺りから抱いていた違和感はここでさらなる疑問へ。
血糊が…ない?ダフの処刑までの流れは最高に良くて、ぼくらの~を読んだ人ならみんな感じたであろうタミヤの切なさ。あれをしっかり再現してくれていたのだけど、ダフの額を打ち抜いたのに、血糊が…ない。
その後、カネダの処刑シーンも…血糊が…ない。しかも逆パカじゃない!なんだって~!
観ている時にはわかりませんでしたが、改めて江本版を思い返してみると三人娘がうるさかったのを思い出します。
でも、あの三人娘は必要です。だって、血糊の掃除が必要なんだから!
というわけで、今回はダフやカネダなど途中で死ぬ人物に関しては血糊を出さず掃除の時間を稼がなくていい演出になったのだなと納得しました。

ゼラが疑心暗鬼になっていくシーンを、残りのメンバーたちのダンスで表現するところは素晴らしかった。
あっかんべーをしながらゼラを囲んで踊る…狂気です。怖いです。ゼラじゃなくたって怖いよ。

ニコの目玉のシーンは…江本版と合わせても一番グロいシーンだと思う。

そして、ライチとカノンの様子を丁寧に描いてくれたことがとてもうれしい。
江本版ではそこがカットされた分、少年たち(主にヤコブや雷蔵)の出番が増えていたけど、兎丸先生の漫画を原作とするならやはりカノンの歌は必要だと思うので。
カノンが歌う賛美歌や、オルガンを弾くシーン、ともに眠る場面。
何より、二人が踊るほんの少しの時間。ライチは怪物にされてしまった王子様で、カノンはお姫様。そんな空想を語るカノンと、合わせて踊るライチのシーンはあまりに美しくて、幻想的で、なんというか…
ゼラの思想が”常識”になっているおかしなあの光クラブの中で、カノンは、ライチは、あまりにも眩しい存在すぎる。
その神々しさと美しさに、涙がじわじわと込み上げました。
そこからはもうラストに向かってグランギニョルが進められていくのみ。
血糊の少なさに物足りなさが半端なかったわけですが、ここでテンションが上がります。ヤコブ、雷蔵、デンタクが殺され…ジャイボが逃げ…ゼラがカノンに触れていたその時…

た、滝だ~~~!ってそんなまさか!

本当に頭上から大量の水が!最前列の人達に配られたビニールは、血糊避けではなく水避けだったらしいです。ほんとに容赦なくザーザーと水が降ってきます。滝だー!ここは地下だから、こんなに水が降ってきたら埋もれて基地が沈んでしまいます。

「ぼ、ぼくの光クラブが~!」
そりゃあゼラだって慌てます。

「なんか間違ってねぇか!」

「ここは俺の光クラブだー!」

タ、タミヤ君~~~~~!
私の中のカネダとダフが感涙です。
そう、このシーンはね…なんかもう言い表せない。
階段にタミヤがいて、そこから鉄パイプを持って叫びながら飛び降りてゼラに殴り掛かる、ここのタミヤのかっこよさ。漫画と一緒だった…(涙)
ここでいろんな謎が解けます。
斜めになった舞台。これは、舞台前方にだけ水が集まるようにという配慮。制服にブーツという謎の服装。これも、靴に水が入って動きにくくなったりしないように。
カノンの制服の変な生地。妙にテカテカしてビニールみたいだなと思ったら、水に濡れて重くなったり乾きにくかったりしないようにということですね。
気付けば、あっという間にゼラが死んで、あっけなく終わってしまう。
その「あっけなさ」こそ、この漫画ライチ光クラブだと思うんです。
人間の命のように、若さのように、美しさのように、永遠ではないあっけなさ。
吹けば飛ぶ、花のように散る。
江本版では玉座に座って死んだゼラも、今回は他のメンバーと同じように床に転がって死んだのも良いと思った。
水の中で、おそらく腐乱し、そこに何があったか、どんな惨劇が起きていたのか、誰がいたかなど何も知られないまま命を散らした光クラブ
そして、まさか世界中の科学者が集まっても完成しないであろうライチを燃料とする感情を持つロボットがそこにいたことも、誰も知らない。
知るのは、ひとりの少女カノンだけ。カノンの人生のほんの数日間にだけ存在する、通り過ぎて行く青春の記憶。

「さよなら、ライチ…光クラブ

 

ゼラ@中村倫也さん
→キャストを見た時、なんとなく納得しつつもいまいち想像できなかった。
中村さんと言えば私の中ではRENTのロジャーで。でも、映画とかでは個性派俳優という感じで、なんとなくゼラも想像できるし…?みたいな。
舞台上に立つ彼を見て、「兎丸先生の描いたゼラだ~!」という感じです。こんなにもハマるものなのかと。
木村了のゼラは江本版のゼラで、またちょっと違う。漫画自体、ガチで狂気渦巻くというよりは客観的に、冷静にその狂気を見ている感じの作風だから。
なんか冷静になると変な奴で笑えちゃうのがゼラ。まさにそういうゼラだった。木村ゼラも笑えるゼラだったけど、大人の男の雰囲気も持っててもっと自信家なパラノイアっぽかったしテイストが違う。もっと子どもっぽい。小学生の頃のゼラがまだ生きてる。やっぱり、ここはぼくらの~を混ぜてきたからこそ。ゼラの家庭環境などのバックボーンが垣間見えるからこそ、ゼラがより複雑な人間らしく見える。
自分は凄いんだ!と「過信しまくっている」木村ゼラ。
自分は凄いんだ!と「思いたい」中村ゼラ。
という印象。タミヤへのコンプが見えた。
光クラブの憧れの対象にまで上り詰めておきながら、ナチュラルにリーダー気質を備えた人望があるタミヤには張り合えないと知っていたんだろうね。
タミヤ君が裏切るから悪いんじゃないか!」タミヤ君とか言っちゃってるしね!うわぁ~ただの常川くんだ~うわぁ~。
もうね、ライチいったん停止あたりからはゼラに対してニヤニヤが止まらないんです。
中村ゼラが、わかる!原作ではこう聞こえてたよ!ってトーンで台詞を言ってくれるものだから、こっちは内心ひーひー笑ってました。ゼラの滑稽さに。
君はエラガバルスに憧れながら結局大人の真似事をして、君の嫌いな大人と同じことをしているんだよ~~って耳元で言ってあげたい。ああ、ゼラかわいい!
中村ゼラ、とにかく可愛いんです。あと、当たり前ですが歌もうまい。歌でダンスで、しっかり締めてくれるイメージ。
あと、今回特に感動したのはゼラが死ぬシーン。
江本版ではゼラが自分で制服のボタンを開け、なぜか後ろから便器を持ったニコが登場すると言う謎演出でしたがw
今回は、しっかりゼラの腹を便器が貫いてくれました。絶対無理だろうと思っていたので嬉しいです。君たちも、結局醜いと思う大人と一緒なのさ。

ジャイボ@吉川さん
→き、菊馬ぁ…
ほんっとに申し訳ないけど、ほんっとに綺麗な顔してるしスタイルもジャイボなんだけど…菊馬がちらつくんだよ~~~!オカマの菊馬にしか見えないんだよ~~!声が同じで顔も同じだから、うまく演じ分けているようでもちらつく…あと、私と吉川さんで解釈違い起こしてる。
吉川ジャイボは「オカマの少年」にしか見えなかった…
私が玉城ジャイボを好きすぎるんだと思うんだけど、ラストでネタ晴らしするところの狂気が…うっすーい。
なんていうか、普通なんだよ。普通のオカマなんだよ。雷蔵と被りすぎてて、どっちなのかパッと見でわからないんだよ~~!
ジャイボに関してだけは常川さんに同意。何を考えているかわからない謎で猫で、みたいなのを求めてた。
もっとこう、不思議な存在っぽく演じてほしかったな…
「声変わりが始まったよ ひげもうっすら生えてきたよ」のところが、可愛すぎた。
ああなんて言うんだろう、恋する乙女?だった!吉川ジャイボは乙女だ!
「僕を捨てないで」って、可愛い猫が訴えているように見えた。
玉城君のは「ゼラは渡さない!女殺す!みんな殺す!」って感じだったんだよね。
幼さゆえの純粋な悪意、執着、っていう玉城君のそれが私の中の基準になってしまったんだ。
ただ、前作にないからか子どもの頃の出会いのシーンはすごくハマって見えた。可愛くて、幼くて、でも色っぽくて、女の子みたい。
女の子みたい、っていう台詞があったから吉川さんは女の子のようなジャイボを演じて、ゼラに女の子として見てほしいと思っていたのかもね。

タミヤ@玉置さん
→脚の長いタミヤだ!!
今回見て、私結構中尾くんのタミヤ好きだったんだな~って思った。あの熱量とか兄貴感。ただ、中尾くんに足りないのは原作に近いビジュアルだったので…
今回の玉置さんは、そういう部分では中尾くんに比べタミヤでした!顔立ちやオーラはちょっと思ってたのと違うけど…いや、それはただ私がタミヤ三浦春馬にやってほしいだけなんだけど…
ゼラほどの頭ではないけど勉強できて家族大好きで親友も大切にしてるぜ!みたいなタミヤでよかった!
階段の上からジャンプした時や水をザブザブ蹴り上げながらゼラと戦うシーンは感動した。あと、カノンとのやりとりとか。タミヤって最高にかっこいいわ。
ヒーロー感のあるタミヤでうれしかった!

デンタク@BOWさん
→あっ女性なんだーと気付きはしたけど違和感0。すげ~~死ぬ時の間接あっちこっちな感じも、ダンサーさんならでは。パンフレットのコメントも、面白かった。
デンタクってこうだな~って思ったし、中学生っぽい。

雷蔵@池岡くん
→さとちゃんの雷蔵良かったからな~どうかな~あれ…可愛い…のに、男らしい…いいじゃない!
「男子どいて!」っていう声が低いとか、オカマキャラの扱い方わかってるな~
演技うまいんだなって印象がついた。ゼラにあっかんべーしながら踊ってる時、ホント怖かった…狂気の顔だよあれ。
死ぬ時のあの壁…あれ…どうなってたんだろう?なんで気付かなかったんだろう?
「お母さーん!私にも生理がきたわよー!」って台詞はそういえば原作にはなかったんだって気付いたw

ダフ@味方くん
→ご、ご両親とか観にこない?大丈夫?
役者として生きていくであろう彼、きっと一皮むけたのでは??自慰シーン、前回真央くんのアレもやべぇと思ってたけど、今回はなんかもう、ガチの自慰シーンだったのでもっといろんな意味でやべぇ。
でも、ちゃんと鬼気迫るシーンであることも理解したうえで演じているのが伝わってきて、ダフに対するなんともいえない思いがこみ上げてきました。よかった!

カネダ、ヤコブ、ニコはいまいち印象に残らなかったな…ニコは…ニコだったよ、うん。

 ライチ@皇希さん
→ダンサーさんだったのか。
こちらも、可もなく不可もなくというか普通にライチだった!
個人的にはもっとでけーなぁ…って人にやってもらいたいなとも思うけど、今回は踊れる人の方がよかったってことかな。

カノン@七木奏音ちゃん
→すっごく可愛い…今までのカノンや帝一の美々子の中で一番兎丸顔の女の子だと思う!ほのかりんちゃんも美少女だけど現代的すぎると言うか、兎丸先生の画風から遠かった気がした。
澄んだ声から歌…綺麗な身のこなし…
いやしかし、彼女もご両親が観に来たりしないのだろうか…
ダフがスカートの中に頭突っ込んでましたけど…いやでも、なんていうんだろう、カノンの何を考えてるかわからない感じ?ちょっと不思議な美少女みたいな感じが良く出てました。可愛い!
歌えて踊れる美少女がカノンを演じてくれてよかったです。

女教師や東京ゲゲゲイの方たちも凄く良かったです…
なんかもう、述べきれません。

そしてそして、中村ゼラと木村ゼラのWゼラ対談がパンフレットに載っていました~!わ~!その中で、この作品を「隙がある」作品だから愛されると、中村さんが言っていました。

それを聞いてとても納得しました。
普通に考えたら、この話はどう考えてもおかしい。
まず、子どもたちだけで地下室であんなことをして集まっていて人が気付かないものか?女教師や生徒が殺されていて、気付かないものか?
ライチの実を燃料にしたロボット!?人間と同じ感情を持つロボット!?それをたった1年で!?中学生がたった三年で埋立地に赤い森を!?NO!笑
とにかく、ツッコミどころが満載。作者もそのつもりで描いているようだから、耽美系ゴシック系、エログロ、というよりは「それっぽさ」を中二くさく取り入れながら冷静なツッコミを待っている感じ。
そういった、ツッコミやすい作品だからこそ読者が自分の好きに解釈できるんだと思う。
理論や美学をみっちり詰め込んだような計算に計算を重ね、矛盾のないよう緻密に練られた作品だったら、また別の部分でウケるかもしれないけどもっとマニアックでとっつき辛くなる。
それなりに手に取りやすく、中二心をくすぐりつつ、なんちゃってアングラを体験できるところがこの作品のいいところ。
とんでも展開が繰り返されるが、主人公たちの悲劇っぽい大衆的な終焉。

「若さゆえの純粋さと愚かさでもあり、ツッコミどころは満載だけど悲劇的」
ああなるほど、「ライチ光クラブ」って「ロミオとジュリエット」なのね、と納得しました。
大人になる前の不安定で多感で、大人でも子どもでもない不完全な青春の刹那。
本当にその一瞬でしかない一番綺麗な時間に、何に出会ったか。
ロミオは愛すべき存在ジュリエットに出会い、ゼラは自分を崇拝してくれる光クラブに出会い、それ以外の面子はゼラに出会ってしまった。
そのどちらも、終焉は主人公の死。子どもゆえの視野の狭さで起こしてしまった悲劇。
どちらも隙だらけの作品で、だからこそ惹かれてしまうんだなと。
ライチの方はもちろん血と内臓とエロと同性愛と…みたいな作風だけど、ラストでは悪のゼラ(と言ってはあれだけど)が滅びて、ヒロインカノンが生き残るわけだし。
大衆はやっぱりそれを望んでるってことかな。
ゼラが疑心暗鬼になったあたりから怒涛に押し寄せるグランギニョル
もうやめて!とは不思議と思わない。ゼラが追い詰められ、最後には全員死んでしまい、カノンだけが生き残るラストはなんだかちょっとスッキリする。
カノンはこれから大人になる。たくさんの取捨選択を迫られながら、自らの人生を歩んでいく。
光クラブの時は止まったまま。
子どもらしい夢と希望を、疲弊した大人や町が禍々しい野望に代えてしまった少年たち。

「この機械が完成したら僕たちは無敵だ!」

無敵のはず、だった。狂気渦巻きつつも輝いていた、その瞬間があったのに。
お前らバカだなあとさえ大人の視点から思ったはずなのに、良く考えれば言いたいことはたくさんあるのに。
やっぱり、すべてが終わり水に沈んだ秘密基地を見ると、悲しくなる。切なくなる。その儚さに思いを馳せてしまう。ノスタルジックな感傷にさえ浸ってしまう。
頭と心は、別のところにあるんだなあと思う。
ロミジュリもライチも、そう。
いつの時代も、人が求めるものは同じなのかもね。

願わくば、今度はもう少しこじんまりとした劇場で観たいです。