Open Sesame!

日々の観劇の感想や感じたこと

『スーツの男たち』アトリエファンファーレ高円寺

 

ラストの、ボビーがマックスの下ろされた前髪を撫でつけ後ろに流そうとする仕草。
たったそれだけのことが、どうしても哀しかった。

『スーツの男たち』

たった80席の狭い劇場は、最前列に座ると爪先がステージに当たる。
当のステージはほんの段差程度しかない高さ。
役者が椅子に座ればまるでテーブル越しに向かい合っているかと思うほどに近い。
そしてそこは、幕が上がると同時にニューヨークのグランドセントラル駅になる。
ざわついた構内で、イタリアンマフィアであるマックスとボビーはある男を待ち伏せしていた。二人は、ボスからの指令に当てはまる男を殺すために待ち伏せしていたのだ。
殺しの前の緊張からお喋りのボビーと、何やらずっと書き物をしているマックス。そのためなのか、背景のセットはマックスが持つメモ帳になっている。

テンポの良い会話が続くうちに、二人がどのような人物なのかわかってくる。
マックスは短大卒で頭が回るタイプのスマートな男だ。艶があるグレーのスリーピース・スーツはしっかりとアイロンが掛かっていて清潔感があり、彼自身の性格が表れている。
対してボビーは、お喋りで頭がよくない。しかし、仲間内のことで告げ口などはしない義理堅いところもある。大食いで店員に対して怒鳴り、フケが肩の周りに落ちているような男。ボスの前では調子の良いことも言える。

そんな二人は、イタリアンマフィアで、殺し屋で、ビジネスパートナーで、幼馴染で、友達だ。
凸凹だからこそうまくいくというのはよくある話で、互いに苛立ちを抱えながらもうまくいっていた。

安西君演じるマックスは、まあそうだろうと言うほど安西君らしい雰囲気。彼自身が持つ清潔感はマックスにぴったりだ。
アフタートークになると急に安西君に戻って、ぽやっとした少年の柔らかさを残した雰囲気になってしまうのに、役に入ってキリッとしているとエリートですという顔になる。常に危ういマックスの情緒不安定さも合っている。そして、黒よりもネイビーよりもグレーのスーツがいっとう似合う。
おバカなボビーを演じる章平さんは、さすがの体格。スーツ越しにでもわかる胸板の厚さや太腿の逞しさ。
ブレーンがマックスで、実際殺しをしているのはボビーだという説得力がある(という褒め方もあれだけど)。筋肉フェチなので章平さんをこれだけ近くで見られるのは嬉しい。
普段は優しげで控えめな章平さんが、ボビーを演じると本当に人をイラつかせる程のバカになってしまうのだから役者は凄い。無双で正則を演じていた時とも違う種類のバカを演じ分けている。

物語は、90分の間ほぼこの二人の会話で進んでいく。
秀逸な脚本と、狭いステージの上を駅から車内からファミレス、ホテル、ボスの部屋とあちこちに変えてしまう演出、音響音楽や役者の表現力のおかげでまったく飽きない。
あっという間に、ラスト30分の緊張感がやってくる。

ボビーとマックスは、ニューヨークセントラル駅で誤って指令と違う男を殺してしまい、ボスに謝りに行くことに決めた。
一晩かけてボスの家があるバーモントに向かうが、その道中に彼らの『イタリアンマフィアで、殺し屋で、ビジネスパートナーで、幼馴染で、友達』という関係が浮き彫りになっていく。

ボビーはとにかく人をイラつかせる男だ、と私は思っている。
というのもボビーは、マックスがボスにどう報告するか、何を言うか決めなくてはと真剣に話そうとしているのにどのパンケーキを頼むかに夢中で報告のことなどすっかり忘れてしまうような男なのだ。
マックスがわかりやすく例え話をしようとしてテーブル上を駅に例え「俺たちは塩と胡椒だ」と言えば「俺はブラック(胡椒)は嫌だぜ!」と黒人を揶揄するように急にラップを歌いだす。一生懸命説明しようとしているマックスに「聞いてるよ」と言って爪を切りだす。
いいから人の話を聴け、真剣に聞け、落ち着け、黙ってろ!と、思わずにはいられなかった(笑)

しかし、逆に言えばボビーにとってもマックスは正反対すぎて苛立つ男なのだろう。私には理解できないけど(笑)
腹が減ったからパンケーキを食いたいのにそれを邪魔しようとする、難しい言葉を使ってくる。ボス曰く”学がない”ボビーにとってはなんというか、鼻につく部分があるのだろうと思う。

会話の中で感じることだけれど、彼等はおそらく互いに見下しているところがあるようだ。
マックスは、ごみ処理場で働いていたお前をあんなところから出してやったのは自分だと、ボビーを見下している。
ボビーは、常にアレコレ答えの出ない"ボビーにとっては"意味のないことを考えているマックスのことを見下している。
テンポの良い会話のなかで、互いにマウントを取り合っている。
マックスが、ボスの家に行くのをやめてUターンしようとした時の会話で「俺に逆らうな!」と言うと、ボビーは「逆らってるんじゃない、言ってやってるんだ」と返す。

これは安西君がアフタートークの時に言っていたことだけど、二人はお互いに主導権を奪い合いながらも同じ高さになる瞬間がありそれが面白いと。
それを聞いて、ストンと落ちてくるような感覚があった。二人は対照的だけどある部分では似た者同士で、そして長い付き合いゆえのある種の甘えもあるのだと。
その証拠にお互い”自分が上だ”と思っているかもしれないが、聞いているこっちからすればどんぐりの背比べというか同レベルで言い合っている瞬間もある。
バカバカしい言い合いがそれに当てはまる時もあれば、以前マックスが女と一夜明かした後に爆睡して、相手の女がマックスが心臓発作で死んだと勘違いし警察を呼んだ。起きて警察に囲まれて焦っているところを助けたのはボビーだった。ボビーが「俺が同じ状況でもお前は同じことしただろ?」と言うと「まあな」と、マックスはごく自然に返返してみせる。二人は間違いなく幼馴染で友達なのだ。
そんな姿を見ていると、彼らがただの幼馴染として過ごしてきた時代のことにも思いを馳せてしまう。

だからこそ、ラストが哀しいんだ。

ずっと書き物をしていたマックスだが、何を書いているのかは観客にもわからない。
それが明かされるのは、ボスの家の近くまで着いてひと眠りにと入ったホテルで。ボビーは、読むなと言われていたマックスのメモ帳の中身を見てしまった。
そこには、今まで彼等が殺してきた人やボビーのこと、もちろんマックスのこと、それからボスのことなどが書かれていた。マックスは、小説を書いてそれを出版する気でいたのだ。
そのことにボビーを腹を立てるが、マックスにはそうしなければならなかった理由がある。

マックスには、声が聞こえるのだと言う。
弱みに付け込んできた人の、殺してきた人の「殺したのは俺だ!」俺の手は血で汚れてる「血は洗えば落ちる!」。話の本質を捉えようとせず言葉を遮るボビーに、マックスは苛立ちながらも悲痛な表情で訴える。
頼むから聞いてくれと。その様子は、これまで張りつめていた糸が切れてしまったかのように見えた。
苛立ち、目を潤ませ、毎晩見る悪夢が本気で辛いのだと訴えた。だから、抜けたい。こんな生活をやめて普通に家庭を持ち屋根の修理費用とか些細なことに悩むそんな生活が欲しい。
今までのことを密かに告白することで、それが贖罪になるのではないかと。それ以外の手段がわからないのだと吐露する。
3/30ソワレの時には熱が入っていたのか、台詞が詰まるほど泣いていた。ボビーを見上げた時に頬を伝っていった涙にこちらも泣けてきそうだった。
しかし、彼の思いがボビーに通じたとは思えない。
そんなことよりも、マックスが小説の中でボビーの手を優雅で”女のようだ”と例えたことが腹立たしいようだった。

そして、ボスの家に辿り着いたところからラスト30分の緊張が始まる。
まだボスがいない部屋の中で調子にのってボス専用の椅子に座ったりするボビー。その後現れたボスが「椅子の位置が違う!」と銃を持ち出して大激怒。すぐに穏やかになるボスだが、マックスもボビーも完全に委縮してしまう。

張りつめた空気の中、ボスは部屋の近くに来ているキツネに目を留める。
キツネの強い仲間意識の話を他愛ないことのようにしているが、もちろんそれを他人事のようには聞けない。

何の報告に来たかと聞かれた二人は「指令通りの男には会わなかった」と事前の打ち合わせ通りのことを告げた。
しかし、ボスは知っていた。その時、例の男は駅に居てそれを彼らの仲間が目撃していた。どういうことなのかと問われ焦る二人。

「ボビーが違う男を刺したんです」

そう言ったのは、マックスだった。
驚嘆の表情でマックスを見るボビーと「お前が違う男を刺したのか」と詰め寄るボス。
一応は助け舟を出そうとしたマックスだったが、それをボスに止められたうえ「お前はニューヨークに帰った方が良い」と言われてしまい、思案するような表情を見せるもボビーを残し部屋を出ていく。

ボビーと二人きりになるとボスは、マックスには学があり俺やお前とは違うと言った。

それから、例え話を始めた。
ボスのお気に入りで高級な、イタリアから取り寄せたという高級エスプレッソカップ。
とても美しいそれをボビーに見せた後、わざと床に落とす。
割れてしまったエスプレッソカップ。
「これはなんだ?」
ボスの問いかけに「カップの欠片です」と答えたボビー。もうすでにカップではなく使えないそれをどうするかとさらに問われると「俺が接着剤で元に戻します!」と見当違いの返答をしてしまいボスを困らせる。笑えつつも緊張感は拭えない雰囲気だ。
もう一度、どうするか問われる。

「捨てます」

その答えに機嫌よく「そうだよ!」と穏やかな表情を見せたボスは、さらに懐から5セントで買ったという安物のエスプレッソカップを見せる。接着剤でくっつけた高級カップはどこかで漏れるかもしれない。けれどこれは安物だがちゃんとカップとして使える、と言った。

それから、再びキツネの話をする。キツネの子どもが人間に懐きその世界で生きようとすれば、母キツネに食われてしまうと。彼等は家族意識が強いのだと。
ボビーは、ハッとした表情をした。

「多分、俺ニューヨークに戻った方がいいですね」
「…多分な」

にっこりと笑うボス。
マックスの例え話はろくに聞きもせず理解しなかったくせに、どうして今だけ察しが良いんだよと泣きたくなった。

駅にて、まるで普通の青年のように私服姿で前髪を下ろしたマックス。大きな荷物を抱え辺りを伺うように視線を動かしている。
「誰だ」
後ろには、ボビーの姿があった。
ボビーが無事だったと知り、本気で安心した顔をするマックス。
お前は嘘をついたわけじゃなかったし、俺は無事だと言うボビーにマックスは問いかける。
俺は逃げた方がいいのか、行っていいのか、その方が安全なのか。逃げていいのか。

「俺はお前に聞いてる」

主導権を握ろうとしていたマックスが、初めてそれをボビーに委ねた瞬間だった。

「行っても行かなくても、安全と言う意味では変わらないよ」
ボビーの言葉を信じ背を向けたマックスだったが、後ろからナイフで刺されてしまった。
マックスは、ボビーからボスの”例え話”のことを聞いた。
「ボスはお前を高級カップだと言ってから、俺を安物のカップだと言った。高級カップの方を俺の前で割って見せた」
「お前はそれを俺を殺せと言ったと思ったのか? なんてことだ…」

事実、ボスはマックスを殺せなんて言っていない。
あくまでエスプレッソカップの、それからキツネの話をしてみせただけだ。ただそれだけのことだった。
決定的な台詞がほとんど排除され人間の想像力に委ねられたこの作品の、集大成がここに詰まっているようだった。
マックスは死の直前に、ボビーに告げる。

「お前に"話のネタ"を残していく」と。

それは、マックスが聞いている”声”のことだ。半笑いで脅しにさえ聞こえる言葉にボビーは怒り、再度ナイフで刺し、さらには腹を殴った。
動かなくなったマックスの前髪を、ボビーは殺した相手にするとは思えないような手つきで撫でつける。ボビーはその髪を手ですくって、オールバックに戻そうとしていた。それを見ていると、ボビーの手を優雅でまるで女の手だと褒めたマックスの気持ちがわかる。

自分に”声”なんて聞こえるはずがない、怖いわけがない。
しかし、立ち去ろうとした時。ボビーの耳には届いてしまった。
恐ろしい悲鳴が。

 

もし、ボスがボビーに「マックスを殺せ」とはっきり命じたのならマックスは「話しのネタを残していく」悲鳴が聞こえるはずだ、などと死に際に言わなかったのではないかと思う。
二人は、イタリアンマフィアで、殺し屋で、ビジネスパートナーで、幼馴染で、ちゃんと友達だった。
マウントを取り合いながらも、互いに認め合う部分を持った二人だった。

ボビーのナイフを操る手を優雅でまるで女だと褒めたマックス。
切り捨てられたも同然でありながらボスに向かってマックスを「いい奴なんです」と言ったボビー。
ボビーに至っては、マックスの方から言い出した辻褄合わせを無視してボビーが悪かったことにしようとしたわけだから怒って当然だ。それなのに、嘘の報告を言おうと提案したことも、小説のことも、ボビーは言わなかった。
マックスを「いい奴」だと認めているから。
マックスもボビーのことを友人として信頼していたからこそ「お前に聞いてる」と最後の選択を委ねたはずなんだ。
でも、だからこそマックスは自分の気持ちを他でもないボビーには理解してほしかったと死に際の一瞬に思ったのだろう。
自分が一生懸命にした報告の例え話を、ボビーが人を刺す時の手先の優雅さを、自分がどれだけ苦しんでいたのかを。一番に理解してほしかったのが相棒であり幼馴染であり友人のボビーだったのに、ボビーはそれを一切理解しなかった。
そのくせ、ボスの例え話は理解して自分を殺しに来た。

自分を刺したことよりも、"自分の話はわかろうともしなかったのに"という部分がどうしようもなく腹立たしくもあり悲しかったのではないだろうか。
そうして出た言葉があれで、最終的にボビーを苦しめることになる。

ラスト、ボビーの耳にも届いてしまった悲鳴について。
今まで聴こえなかったものがなぜ聴こえるようになってしまったのだろうか。
それは、他でもないマックスを刺殺してしまったから、だといいなと私は思っている。

組織とは良い部分もあれば怖い部分もある。今作はその怖い部分が浮き彫りにされた。
良くも悪くも本能的で単純なボビーは、ボスを神だと思っている。(I HOPの場面)
学の無さが想像力の欠如、視野の狭さだとは思いたくないがボビーは完全にそう考えている。
対して、マックスはボスを神だなんて思っていない。
この違いが、二人の罪に対する意識の違い。
ボビーからしてみたらボスの指令通りに人を殺すことは、神のお告げに従うことを同じなのだから人殺しは罪ではない。
マックスにとってはボスはただの人間でしかないし、自分の犯したことは法的にも道徳的にも罪である。
だからボビーは、任務を失敗したことで始終ボス(神)からの仕打ちに怯えている。
マックスは任務失敗に関してボスに何をされるか、あまり心配していない。彼はそれよりも、自分の罪の重さと所在、そして死に怯えている。
ボビーには罪の意識がないのだからいくら弱者から搾取しようと声を聴くことはなかった。だからどんなに、マックスが必死に声のことを訴えたところで理解できるはずもない。
けれどそれが、マックスを殺したことで声が、悲鳴が聴こえるようになってしまった。

それは、ボビーにとってマックスの存在が、マックスの命が、自分が信じる神に匹敵するほど重みのあるものだったと私は思いたい。

マフィアはまるで新興宗教のようだ。
安西君はついこの間まで『幸福な職場』でまさに幸福な良い組織のトップとしてその素晴らしさを教えてくれていた。
今回はその逆。
マフィアというものが本来どういうものかはよくわからないが、彼らにとっては学歴も必要なければマックスのような考えを持つ人間は排除すべき者。ボビーはその方針に忠実に、いらない人間を消しただけ。けれどそれは、世間的、法的に見れば殺人であって罪であり、罰せられるべきこと。それがわからなくなってしまっていることが問題だ。
羽場さん演じたボスは非常に恐ろしい。一見コミカルにも見える一生懸命にボビーに説明するボスと、お馬鹿なボビーのやりとり。
しかし、そんなボスは人の指を潰しキン〇マを磔にし人を殺すことだって簡単にできてしまう人。一般的に考えればとんでもない人を父と慕いその指令を全うすることの恐ろしさ。まさに飴と鞭を使い分けるその表情は不気味で恐ろしい。
羽場さんご本人はテレビでもよくお見かけするベテランさんなのに気取らず、アフトでも凄く周りを気遣う素敵な人でした。

舞台背景がマックスのメモ帳になっていた。洒落ているなとしか思っていなかった。
ラストの駅でのシーン。そのメモ帳には

「I would like to live.」

と映し出されていた。
マックスは形としては小説を書いていたけれど、そのメモ帳には彼の「生きたい」という願いが書かれていたのだ。

そしてそれは、ボビーに刺されたと同時に一瞬で消えた。

ボビーは、まるで善良な市民のような私服姿で目を閉じるマックスの下ろされた前髪を、元に戻そうと後ろに流す。
彼は”ボーイスカウトのバッジ”を手に入れたけれど、それよりもマックスに同じマフィアとして相棒で居てほしかったと望んだのだろうか。

そうであってほしい。

そうであったとしても、どちらの願いももう叶わないのだけれど。

スーツを脱げば殺されるマフィアの世界、そんなスーツの男たちの物語。