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Open Sesame!

日々の観劇の感想や感じたこと

3/16 天井棧敷~万有引力『身毒丸』世田谷パブリックシアター

 

私がこの作品の上演を知ったのは、1月に観た幸福な職場の時。
どさりと大量に渡されたチラシ。少し減らして帰ろうと興味のあるものだけ持ち帰ることにした。
その中に『身毒丸』のチラシがあった。禍々しくも綺麗な絵と共に書かれていた”見世物オペラ”の文字。
その時私は「へぇ~身毒丸ってオペラバージョンもあるんだ~」と思った。

恥ずかしながら、こちらがオリジナルだと言うことを私は知らなかった。それどころか、蜷川幸雄さんのオリジナル作品とさえ思っていた。
私は舞台好きだけど海外ミュージカルが主で、ストレートであっても海外の翻訳作品が多い。特に一般的に名を知られている日本の演出家の作品はあまり観たことがない。
蜷川さんは一度、あとはつかこうへいさんの作品を二度観たことがある程度。
観たことがなければ代表作さえよく知らない。
別に好まないというわけではなく、なんとなく観知る機会がないだけ。
本気で観たければチケットを取っているはずで、当の本気がなかなかこないのだ。

そして、その本気が今回だった。

よく知りもしないのにどうにも気になって仕方なくなり、持ち帰ったチラシを見ながらすぐにチケットを取った。
こういう時は巡り合わせがあるのか、何かに突き動かされたようにすぐさま行動できてしまうから不思議だ。

当日、会場に着くとキャンセル待ちの列、客席には立ち見の観客。
ステージには、開演前からうろうろとする何者かたち。
始まると暗闇から浮かび上がる舞台「わたしの産みの母には顔がなかったのです!」途端に強く鳴りだす楽器に、手毬に、ソプラノボイスに読経に、混沌とした板の上。
凄い作品を観に来てしまったと思った。

正直なところ、歌詞は半分以上聴き取れていない。
それどころかあちこち飛ぶ場面についていくのに必死で、内容の理解もきっとほぼできてないだろう。
しんとくの家族の話を描かれているかと思えば急に巨大な頭の兄妹の話がやってくる。なんでも消せる消しゴムの話に肺病の女、柳田國男と地下へ行ける穴。めまぐるしく変わっていく場面と、詳細が明かされない謎の登場人物たちについていくのに必死だ。
この感覚は岩松了さんの『国民傘』を観た時に似ている。
けれどもっと強く、不条理劇というよりは、まるで起きながらに夢を見ているような繋がっていないようで繋がっているような奇妙な感覚。
「夢か現か」まさにそんな気分だった。
理解なんてできてないくせに、どうにも強く惹かれてしまうのだから困ったものだ。
時々出会ってしまう、こういう作品に。


まず、そのセットに圧倒される。
三段に組まれた高く大きなセット。真ん中の飛び出した部分の端にも小さな舞台。
背景を稼働する禍々しい絵はあまりに気になってオペラグラスで覗いてしまった。
そして、その舞台上にたくさんの出演者。役者に語り手歌い手踊り手奏者。
この作品の上演を知っていた人はどれだけいるのだろう?そりゃあもちろん立ち見客までいるほどなのだからたくさんの人が知っていただろうけど、生演奏に生歌に踊り暴れ狂う人のエネルギー。耳と目がいくつあっても足りない豪華さだった。
まず、それだけで物凄い価値がある。

それから音楽。
呪術的ロックと称された、ロック×オペラ×説教節が融合された曲はあまりにも衝撃だった。その幅の広さゆえに使用する楽器の多さから、再演することが難しかったというのも頷ける。
うねるような迫力ある音に、弦楽器の響き、合わさるオペラ歌唱。
家族合わせゲームの歌は童謡のようでもありつつどうにも不気味だなと感じていたのだけど、それは意図的な不安定な音程と変拍子のせいだろうか。
昨今ではロック×ミュージカルも珍しいものではないけれど、今から37年前の日本!でこんな作品が作られていたのだと思うとなんだか信じられない。なんでみんなもっとこの作品はすごいと教えてくれないんだ。どうしてシーザーさんの音楽がかっこいいことを教えてくれないんだ!
これは現代にあって、まったく色褪せることのない新しい刺激だ。

物語に関しては、前述の通りほとんど理解できていない。
日本生まれ日本育ちな生粋の日本人であるにも関わらず、日本語とはこんなに難しいものなのかと痛感した。
同時に、なんて美しいのだろうと。
七五調の耳馴染みの良さに、この国に根付いてきた歴史が私の血にも流れているのだと感じた。
最近は海外ミューのために英語の勉強ばかりしていたけど、改めて日本語の大切さを忘れてはいけないと思う。

しんとくの父は、見世物小屋で継母となる蛇娘の撫子を買う。
見世物小屋とはなんだろうか?
私が物心ついた時には、聞いたことのない言葉であり触れたことのない文化になっていた。誰かがそう私に教えたわけではない、そういう空気ができていたから。
大人になってから断片的に得た知識の中で、触れてはいけないもの口にしてはいけないもの気味が悪くて見て見ぬ振りをしなくてはいけないもの、そんな気がしていた。
しかし、この舞台ではそんな風には見えなかった。
確かに猥雑で不気味ではあったけれど、それはそれで生き生きとしているようにさえ見えたからだ。
舞台にしろ映画にしろ、作者の視点がそのまま形となると思っている。
調べてみると、寺山さんは見世物小屋復権を掲げていたとのことで、妙に納得した。寺山さんは、見世物小屋の存在を蓋をするもの、排除すべきものとは思っていなかったのだ。

舞台は作者の視点、と思っているからこそ感じたのは、
ただ"普通"に母を母として慕っている人には絶対に書けない話だ、ということ。
この作品には産みの母は結局出てこないし、最後に出てくる母親たちにも顔はない。
それはもしかしたら、寺山さんの中で産み育ての”普通”の母というものが概念でしかないのかもしれないと考えたりもした。
女である私には母=異性という感覚がないことや、私の母も必要以上に女を出さない人なので母=女という感覚も強くない。
しかし、逆に言えば女だからこそ撫子の心がわかってしまうような気がした。

撫子は母であるが女であり、女であるから母性も持っている。
実子であるせんさくを跡取りにするためにしんとくを排除しようとするのはせんさくの母としての気持ち。母性がそうさせるのだ。
しんとくは彼女にとって実子を阻む邪魔な存在だが、産みの母と間違われ縋りつかれて一瞬でも母の振りをしたのもまた母性ゆえではないだろうか。

しんとくが子とも男ともつかぬ存在なら、それはどちらでもあるということ。
子どもらしくただ母を慕うしんとくの姿で甘え縋られては簡単に振りほどけないと思うのだ。

けれど、どちらでもあるということはまた男でもあるということ。
その時の撫子は女だ。
しかし、彼等には”家”がありその家の中で二人は母と子でいなくてはならない。
撫子は継母であり所詮産みの母にはなれない。
母でなければ女でしかない。
家の中では女としてしんとく(子)を愛すわけにはいかない。愛せなければ憎むしかない。因習としがらみ全てが憎しみとなり、その憎しみは呪いとなる。

卒塔婆に釘を打ちつける撫子と、もがき苦しむしんとくの場面はもう圧巻でした。
藁人形を使うのも怖いけれど、しんとくの戒名が書かれた卒塔婆に釘を打つ方がよっぽど陰湿でおそろしくて悲しい。
憎しみかそれとも悲しみか、黒髪と朱襦袢を振り乱す撫子の姿は狂気そのもの。
そして、舞台上には彼ら二人だけではなく、しんとくと撫子がたくさんいるのだ。
どの撫子も釘を打ち、どのしんとくも苦しみもがく。
情念が具現化したような場面に、ただただ圧倒されるしかない。

終わらぬ家族合わせ、独り占めした母札、箒で掃き捨てられた家。
その結末。

「おかあさんもういちどぼくをにんしんしてください!」

その言葉はまるで愛の告白のようでもあり、女を呪う言葉にも聞こえた。
だって、もう一度妊娠することなどできるわけがないのだから。
できないと理解っていて言うのだ。
そもそも”もう一度”と言っているが、撫子はしんとくを妊娠したことがなければ産んでもいない。
盲目のしんとくは誰を見ているのか、もう狂っているのか。

「もういちど、もうにど、もうさんど、できることならお前を産みたい。おまえをにんしんしてやりたい」

それに応える撫子の言葉もまた、愛しい者への優しい返事のようでもあり、呪いをそっくりそのまま返す言葉のようでもある。

二人は最後にようやく抱き合うことができるが、撫子は一瞬で白髪になりしんとくは無数の”母”に食われてしまう。
壮絶な終わりを迎える物語だった。

 

これが、ただの母と息子の禁断の愛を描いたラブストーリーならもっと簡単に感想も出てきただろうが感想らしい感想は浮かんでこない。
継母と息子の決して女々しくないが陰湿な物語だ。
強い情念に満ち、哀れでもあり滑稽でもあり、けれど共感も覚えてしまう。
それは彼らが妖でも獣でも鬼でもなく、人間だからなのだろうと思う。狂いながらも愛し悲しみ憎むその心はまさしく人間のものだった。

しんとくが迷い込んだ地獄。
それは、あまり現実場面の混沌と変わりないように見えた。地獄へ通じる穴も、ゴム消しも、病気も。
この世は地獄と相違ないのかもしれない。だからどうにかして幸せのひとつでも手繰り寄せながら必死に生きていくしかない。

そうして手繰り寄せたのが、この作品だった。

37年の時を経ての再演。私にとっては、とてつもなく新しい刺激だった。

『スーツの男たち』アトリエファンファーレ高円寺

観劇 安西慎太郎

 

ラストの、ボビーがマックスの下ろされた前髪を撫でつけ後ろに流そうとする仕草。
たったそれだけのことが、どうしても哀しかった。

『スーツの男たち』

たった80席の狭い劇場は、最前列に座ると爪先がステージに当たる。
当のステージはほんの段差程度しかない高さ。
役者が椅子に座ればまるでテーブル越しに向かい合っているかと思うほどに近い。
そしてそこは、幕が上がると同時にニューヨークのグランドセントラル駅になる。
ざわついた構内で、イタリアンマフィアであるマックスとボビーはある男を待ち伏せしていた。二人は、ボスからの指令に当てはまる男を殺すために待ち伏せしていたのだ。
殺しの前の緊張からお喋りのボビーと、何やらずっと書き物をしているマックス。そのためなのか、背景のセットはマックスが持つメモ帳になっている。

テンポの良い会話が続くうちに、二人がどのような人物なのかわかってくる。
マックスは短大卒で頭が回るタイプのスマートな男だ。艶があるグレーのスリーピース・スーツはしっかりとアイロンが掛かっていて清潔感があり、彼自身の性格が表れている。
対してボビーは、お喋りで頭がよくない。しかし、仲間内のことで告げ口などはしない義理堅いところもある。大食いで店員に対して怒鳴り、フケが肩の周りに落ちているような男。ボスの前では調子の良いことも言える。

そんな二人は、イタリアンマフィアで、殺し屋で、ビジネスパートナーで、幼馴染で、友達だ。
凸凹だからこそうまくいくというのはよくある話で、互いに苛立ちを抱えながらもうまくいっていた。

安西君演じるマックスは、まあそうだろうと言うほど安西君らしい雰囲気。彼自身が持つ清潔感はマックスにぴったりだ。
アフタートークになると急に安西君に戻って、ぽやっとした少年の柔らかさを残した雰囲気になってしまうのに、役に入ってキリッとしているとエリートですという顔になる。常に危ういマックスの情緒不安定さも合っている。そして、黒よりもネイビーよりもグレーのスーツがいっとう似合う。
おバカなボビーを演じる章平さんは、さすがの体格。スーツ越しにでもわかる胸板の厚さや太腿の逞しさ。
ブレーンがマックスで、実際殺しをしているのはボビーだという説得力がある(という褒め方もあれだけど)。筋肉フェチなので章平さんをこれだけ近くで見られるのは嬉しい。
普段は優しげで控えめな章平さんが、ボビーを演じると本当に人をイラつかせる程のバカになってしまうのだから役者は凄い。無双で正則を演じていた時とも違う種類のバカを演じ分けている。

物語は、90分の間ほぼこの二人の会話で進んでいく。
秀逸な脚本と、狭いステージの上を駅から車内からファミレス、ホテル、ボスの部屋とあちこちに変えてしまう演出、音響音楽や役者の表現力のおかげでまったく飽きない。
あっという間に、ラスト30分の緊張感がやってくる。

ボビーとマックスは、ニューヨークセントラル駅で誤って指令と違う男を殺してしまい、ボスに謝りに行くことに決めた。
一晩かけてボスの家があるバーモントに向かうが、その道中に彼らの『イタリアンマフィアで、殺し屋で、ビジネスパートナーで、幼馴染で、友達』という関係が浮き彫りになっていく。

ボビーはとにかく人をイラつかせる男だ、と私は思っている。
というのもボビーは、マックスがボスにどう報告するか、何を言うか決めなくてはと真剣に話そうとしているのにどのパンケーキを頼むかに夢中で報告のことなどすっかり忘れてしまうような男なのだ。
マックスがわかりやすく例え話をしようとしてテーブル上を駅に例え「俺たちは塩と胡椒だ」と言えば「俺はブラック(胡椒)は嫌だぜ!」と黒人を揶揄するように急にラップを歌いだす。一生懸命説明しようとしているマックスに「聞いてるよ」と言って爪を切りだす。
いいから人の話を聴け、真剣に聞け、落ち着け、黙ってろ!と、思わずにはいられなかった(笑)

しかし、逆に言えばボビーにとってもマックスは正反対すぎて苛立つ男なのだろう。私には理解できないけど(笑)
腹が減ったからパンケーキを食いたいのにそれを邪魔しようとする、難しい言葉を使ってくる。ボス曰く”学がない”ボビーにとってはなんというか、鼻につく部分があるのだろうと思う。

会話の中で感じることだけれど、彼等はおそらく互いに見下しているところがあるようだ。
マックスは、ごみ処理場で働いていたお前をあんなところから出してやったのは自分だと、ボビーを見下している。
ボビーは、常にアレコレ答えの出ない"ボビーにとっては"意味のないことを考えているマックスのことを見下している。
テンポの良い会話のなかで、互いにマウントを取り合っている。
マックスが、ボスの家に行くのをやめてUターンしようとした時の会話で「俺に逆らうな!」と言うと、ボビーは「逆らってるんじゃない、言ってやってるんだ」と返す。

これは安西君がアフタートークの時に言っていたことだけど、二人はお互いに主導権を奪い合いながらも同じ高さになる瞬間がありそれが面白いと。
それを聞いて、ストンと落ちてくるような感覚があった。二人は対照的だけどある部分では似た者同士で、そして長い付き合いゆえのある種の甘えもあるのだと。
その証拠にお互い”自分が上だ”と思っているかもしれないが、聞いているこっちからすればどんぐりの背比べというか同レベルで言い合っている瞬間もある。
バカバカしい言い合いがそれに当てはまる時もあれば、以前マックスが女と一夜明かした後に爆睡して、相手の女がマックスが心臓発作で死んだと勘違いし警察を呼んだ。起きて警察に囲まれて焦っているところを助けたのはボビーだった。ボビーが「俺が同じ状況でもお前は同じことしただろ?」と言うと「まあな」と、マックスはごく自然に返返してみせる。二人は間違いなく幼馴染で友達なのだ。
そんな姿を見ていると、彼らがただの幼馴染として過ごしてきた時代のことにも思いを馳せてしまう。

だからこそ、ラストが哀しいんだ。

ずっと書き物をしていたマックスだが、何を書いているのかは観客にもわからない。
それが明かされるのは、ボスの家の近くまで着いてひと眠りにと入ったホテルで。ボビーは、読むなと言われていたマックスのメモ帳の中身を見てしまった。
そこには、今まで彼等が殺してきた人やボビーのこと、もちろんマックスのこと、それからボスのことなどが書かれていた。マックスは、小説を書いてそれを出版する気でいたのだ。
そのことにボビーを腹を立てるが、マックスにはそうしなければならなかった理由がある。

マックスには、声が聞こえるのだと言う。
弱みに付け込んできた人の、殺してきた人の「殺したのは俺だ!」俺の手は血で汚れてる「血は洗えば落ちる!」。話の本質を捉えようとせず言葉を遮るボビーに、マックスは苛立ちながらも悲痛な表情で訴える。
頼むから聞いてくれと。その様子は、これまで張りつめていた糸が切れてしまったかのように見えた。
苛立ち、目を潤ませ、毎晩見る悪夢が本気で辛いのだと訴えた。だから、抜けたい。こんな生活をやめて普通に家庭を持ち屋根の修理費用とか些細なことに悩むそんな生活が欲しい。
今までのことを密かに告白することで、それが贖罪になるのではないかと。それ以外の手段がわからないのだと吐露する。
3/30ソワレの時には熱が入っていたのか、台詞が詰まるほど泣いていた。ボビーを見上げた時に頬を伝っていった涙にこちらも泣けてきそうだった。
しかし、彼の思いがボビーに通じたとは思えない。
そんなことよりも、マックスが小説の中でボビーの手を優雅で”女のようだ”と例えたことが腹立たしいようだった。

そして、ボスの家に辿り着いたところからラスト30分の緊張が始まる。
まだボスがいない部屋の中で調子にのってボス専用の椅子に座ったりするボビー。その後現れたボスが「椅子の位置が違う!」と銃を持ち出して大激怒。すぐに穏やかになるボスだが、マックスもボビーも完全に委縮してしまう。

張りつめた空気の中、ボスは部屋の近くに来ているキツネに目を留める。
キツネの強い仲間意識の話を他愛ないことのようにしているが、もちろんそれを他人事のようには聞けない。

何の報告に来たかと聞かれた二人は「指令通りの男には会わなかった」と事前の打ち合わせ通りのことを告げた。
しかし、ボスは知っていた。その時、例の男は駅に居てそれを彼らの仲間が目撃していた。どういうことなのかと問われ焦る二人。

「ボビーが違う男を刺したんです」

そう言ったのは、マックスだった。
驚嘆の表情でマックスを見るボビーと「お前が違う男を刺したのか」と詰め寄るボス。
一応は助け舟を出そうとしたマックスだったが、それをボスに止められたうえ「お前はニューヨークに帰った方が良い」と言われてしまい、思案するような表情を見せるもボビーを残し部屋を出ていく。

ボビーと二人きりになるとボスは、マックスには学があり俺やお前とは違うと言った。

それから、例え話を始めた。
ボスのお気に入りで高級な、イタリアから取り寄せたという高級エスプレッソカップ。
とても美しいそれをボビーに見せた後、わざと床に落とす。
割れてしまったエスプレッソカップ。
「これはなんだ?」
ボスの問いかけに「カップの欠片です」と答えたボビー。もうすでにカップではなく使えないそれをどうするかとさらに問われると「俺が接着剤で元に戻します!」と見当違いの返答をしてしまいボスを困らせる。笑えつつも緊張感は拭えない雰囲気だ。
もう一度、どうするか問われる。

「捨てます」

その答えに機嫌よく「そうだよ!」と穏やかな表情を見せたボスは、さらに懐から5セントで買ったという安物のエスプレッソカップを見せる。接着剤でくっつけた高級カップはどこかで漏れるかもしれない。けれどこれは安物だがちゃんとカップとして使える、と言った。

それから、再びキツネの話をする。キツネの子どもが人間に懐きその世界で生きようとすれば、母キツネに食われてしまうと。彼等は家族意識が強いのだと。
ボビーは、ハッとした表情をした。

「多分、俺ニューヨークに戻った方がいいですね」
「…多分な」

にっこりと笑うボス。
マックスの例え話はろくに聞きもせず理解しなかったくせに、どうして今だけ察しが良いんだよと泣きたくなった。

駅にて、まるで普通の青年のように私服姿で前髪を下ろしたマックス。大きな荷物を抱え辺りを伺うように視線を動かしている。
「誰だ」
後ろには、ボビーの姿があった。
ボビーが無事だったと知り、本気で安心した顔をするマックス。
お前は嘘をついたわけじゃなかったし、俺は無事だと言うボビーにマックスは問いかける。
俺は逃げた方がいいのか、行っていいのか、その方が安全なのか。逃げていいのか。

「俺はお前に聞いてる」

主導権を握ろうとしていたマックスが、初めてそれをボビーに委ねた瞬間だった。

「行っても行かなくても、安全と言う意味では変わらないよ」
ボビーの言葉を信じ背を向けたマックスだったが、後ろからナイフで刺されてしまった。
マックスは、ボビーからボスの”例え話”のことを聞いた。
「ボスはお前を高級カップだと言ってから、俺を安物のカップだと言った。高級カップの方を俺の前で割って見せた」
「お前はそれを俺を殺せと言ったと思ったのか? なんてことだ…」

事実、ボスはマックスを殺せなんて言っていない。
あくまでエスプレッソカップの、それからキツネの話をしてみせただけだ。ただそれだけのことだった。
決定的な台詞がほとんど排除され人間の想像力に委ねられたこの作品の、集大成がここに詰まっているようだった。
マックスは死の直前に、ボビーに告げる。

「お前に"話のネタ"を残していく」と。

それは、マックスが聞いている”声”のことだ。半笑いで脅しにさえ聞こえる言葉にボビーは怒り、再度ナイフで刺し、さらには腹を殴った。
動かなくなったマックスの前髪を、ボビーは殺した相手にするとは思えないような手つきで撫でつける。ボビーはその髪を手ですくって、オールバックに戻そうとしていた。それを見ていると、ボビーの手を優雅でまるで女の手だと褒めたマックスの気持ちがわかる。

自分に”声”なんて聞こえるはずがない、怖いわけがない。
しかし、立ち去ろうとした時。ボビーの耳には届いてしまった。
恐ろしい悲鳴が。

 

もし、ボスがボビーに「マックスを殺せ」とはっきり命じたのならマックスは「話しのネタを残していく」悲鳴が聞こえるはずだ、などと死に際に言わなかったのではないかと思う。
二人は、イタリアンマフィアで、殺し屋で、ビジネスパートナーで、幼馴染で、ちゃんと友達だった。
マウントを取り合いながらも、互いに認め合う部分を持った二人だった。

ボビーのナイフを操る手を優雅でまるで女だと褒めたマックス。
切り捨てられたも同然でありながらボスに向かってマックスを「いい奴なんです」と言ったボビー。
ボビーに至っては、マックスの方から言い出した辻褄合わせを無視してボビーが悪かったことにしようとしたわけだから怒って当然だ。それなのに、嘘の報告を言おうと提案したことも、小説のことも、ボビーは言わなかった。
マックスを「いい奴」だと認めているから。
マックスもボビーのことを友人として信頼していたからこそ「お前に聞いてる」と最後の選択を委ねたはずなんだ。
でも、だからこそマックスは自分の気持ちを他でもないボビーには理解してほしかったと死に際の一瞬に思ったのだろう。
自分が一生懸命にした報告の例え話を、ボビーが人を刺す時の手先の優雅さを、自分がどれだけ苦しんでいたのかを。一番に理解してほしかったのが相棒であり幼馴染であり友人のボビーだったのに、ボビーはそれを一切理解しなかった。
そのくせ、ボスの例え話は理解して自分を殺しに来た。

自分を刺したことよりも、"自分の話はわかろうともしなかったのに"という部分がどうしようもなく腹立たしくもあり悲しかったのではないだろうか。
そうして出た言葉があれで、最終的にボビーを苦しめることになる。

ラスト、ボビーの耳にも届いてしまった悲鳴について。
今まで聴こえなかったものがなぜ聴こえるようになってしまったのだろうか。
それは、他でもないマックスを刺殺してしまったから、だといいなと私は思っている。

組織とは良い部分もあれば怖い部分もある。今作はその怖い部分が浮き彫りにされた。
良くも悪くも本能的で単純なボビーは、ボスを神だと思っている。(I HOPの場面)
学の無さが想像力の欠如、視野の狭さだとは思いたくないがボビーは完全にそう考えている。
対して、マックスはボスを神だなんて思っていない。
この違いが、二人の罪に対する意識の違い。
ボビーからしてみたらボスの指令通りに人を殺すことは、神のお告げに従うことを同じなのだから人殺しは罪ではない。
マックスにとってはボスはただの人間でしかないし、自分の犯したことは法的にも道徳的にも罪である。
だからボビーは、任務を失敗したことで始終ボス(神)からの仕打ちに怯えている。
マックスは任務失敗に関してボスに何をされるか、あまり心配していない。彼はそれよりも、自分の罪の重さと所在、そして死に怯えている。
ボビーには罪の意識がないのだからいくら弱者から搾取しようと声を聴くことはなかった。だからどんなに、マックスが必死に声のことを訴えたところで理解できるはずもない。
けれどそれが、マックスを殺したことで声が、悲鳴が聴こえるようになってしまった。

それは、ボビーにとってマックスの存在が、マックスの命が、自分が信じる神に匹敵するほど重みのあるものだったと私は思いたい。

マフィアはまるで新興宗教のようだ。
安西君はついこの間まで『幸福な職場』でまさに幸福な良い組織のトップとしてその素晴らしさを教えてくれていた。
今回はその逆。
マフィアというものが本来どういうものかはよくわからないが、彼らにとっては学歴も必要なければマックスのような考えを持つ人間は排除すべき者。ボビーはその方針に忠実に、いらない人間を消しただけ。けれどそれは、世間的、法的に見れば殺人であって罪であり、罰せられるべきこと。それがわからなくなってしまっていることが問題だ。
羽場さん演じたボスは非常に恐ろしい。一見コミカルにも見える一生懸命にボビーに説明するボスと、お馬鹿なボビーのやりとり。
しかし、そんなボスは人の指を潰しキン〇マを磔にし人を殺すことだって簡単にできてしまう人。一般的に考えればとんでもない人を父と慕いその指令を全うすることの恐ろしさ。まさに飴と鞭を使い分けるその表情は不気味で恐ろしい。
羽場さんご本人はテレビでもよくお見かけするベテランさんなのに気取らず、アフトでも凄く周りを気遣う素敵な人でした。

舞台背景がマックスのメモ帳になっていた。洒落ているなとしか思っていなかった。
ラストの駅でのシーン。そのメモ帳には

「I would like to live.」

と映し出されていた。
マックスは形としては小説を書いていたけれど、そのメモ帳には彼の「生きたい」という願いが書かれていたのだ。

そしてそれは、ボビーに刺されたと同時に一瞬で消えた。

ボビーは、まるで善良な市民のような私服姿で目を閉じるマックスの下ろされた前髪を、元に戻そうと後ろに流す。
彼は”ボーイスカウトのバッジ”を手に入れたけれど、それよりもマックスに同じマフィアとして相棒で居てほしかったと望んだのだろうか。

そうであってほしい。

そうであったとしても、どちらの願いももう叶わないのだけれど。

スーツを脱げば殺されるマフィアの世界、そんなスーツの男たちの物語。

 

3/8「舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇~スタートライン~」TDCホール

2.5次元 観劇

 

とうとう、ペダステデビューをしました。


余計な理屈関係なく、

とにかく面白い!!!

私はアニメ1~10話と、今期放送しているぶんと、あとペダステが過去何度か放送されていたのを観た分でしか弱虫ペダルについて知らない。
でも、とにかく、もうとにかく面白い!!!

元々、ペダステ初演をDVDで観た時に「なんだこの面白い舞台は!?」と物凄く驚いた。
それでも、どうしても推しが出演している舞台や海外ミューなどが優先されてしまいなかなか会場へ足を運ぶまでに至らず。
今作では和田君が今泉君を演じるということで観に行くきっかけができたなと思った。そして、前作が無料配信されていたので予習と思って見てみた。
それがもうあまりにあまりに熱くて、テニミュやハイステを観るのとはまた違うよくわからない感情が込み上げてきてとにかく泣いた。
私はこれを観に行くんだと思うと堪らなくて、溜めていたアニメも見て、楽しみのボルテージがMAXになったところでTDCホールへ向かった。

やっぱり、面白かった。

とにかく、動く、動く!体力勝負とはまさにこのこと。
必死に動いて、息を切らして、ペダルを回している。そんな彼等を見ていると、どの学校も関係なく頑張れって応援してしまう。

 

前半の、1000km合宿。
インハイメンバーを決める争いをする手嶋と古賀。
前作までメカニックでありつつ何かあることを匂わせていた古賀は、選手になると急に雰囲気を変える。
そして、実はメンバーを決めたと言うのは嘘、決まっていないのは「俺だ」と言った手嶋。
努力が天才に勝つ、そう信じる。
これは、少年漫画の永遠のテーマなんだなと思った。(ナルトとネジを思い出しつつ)
現実はどうあれ、努力が才能に勝る瞬間というのは感動的だ。
凡人である手嶋と、天才である古賀。間違えてはいけないのは、努力しているのは手嶋だけではなく古賀も同じだということ。同じ努力家ならば天才が勝って然るべきだけど、それでも手嶋が勝ったことに「なんで?」と思わせない程の熱量。
古賀はホープで期待され、でも凡人の自分は期待されない古賀が羨ましいと感じていた手嶋さんの
「頑張らないと期待なんかされない!!」
という言葉にグっと込み上げるものがあった。
脚が動いてるのが不思議なくらいだ、そんなギリギリの手嶋を表現する鯨井君の熱さ。
あれはもう前作の映像を観た時にも感じたけど、本当に今にも倒れちゃうんじゃないかってくらい必死にペダルを回してて、応援せずにはいられない。

そんな手嶋には、もちろん青八木もいる。
決着がつく時、できたら応援してほしいと控えめな手嶋。
そんな手嶋の走りを見ながら青八木が「お前以外の誰を応援するっていうんだ!!」と声を荒げた時に、涙腺は崩壊。あ~~チーム二人…
声や表情含めて八島君の青八木君とても良いです…

そして古賀も、過去の期待、怪我、金城さんへの信頼。
いろんなものを背負って走っている。結果は手嶋に負けてしまったけれど、980kmの男が三年かけて完走したんだ。
最後に「俺は怪我には詳しいんだ」と言った時には、私だけでなく周りみんなハンカチで顔を押えてた。わかる…ここで泣かなくてどこで泣くんだ。
なんて熱いんだ弱虫ペダル

熱いシーン以外にも、この合宿のために敢えて負荷をかける自転車に乗っている今泉鳴子の二人のやりとりが可愛かった。(うろおぼえ)
「なんやスカシ~そのダッサいホイール!こづかい落としたんか!」
「ああそうだ、別にこの合宿用に用意したとかそういうんじゃないからな」
「せやけどワイの方がダサイ~!ワイのホイール集合~(手招き)」
(やってくるホイール)
「ワイのは2キロや!」
「俺のは3キロだ」
「ワイのは4キロや!」

最終的に「80キロや!」「81キロ」ってなって相当重いことになってしまっていて、笑ったw
この二人は新キャストだけど、テンポもよくて聴き取りやすかった。

合宿が終わり、青八木と鏑木のシーン。
青八木が着替えている時に、秋元くんがロッカーになっているんだけどこういうキャストの使い方がペダステは面白いと思う。自販機とか(笑)
やりすぎなくて、笑いの引き際がしっかりしているから安心して笑えるし。
あと、パズルライダーの人がセット動かしながら見守ったり頷いてたりするのがたまらなく好き。

鏑木は、自身がオールラウンダーだと思い込んでいるけれど、本来の脚質はスプリンター。敢えて言わないでおこうという手嶋の言葉を守るものの、ちょっとアドバイスをしたい青八木は鏑木が好きなオレンジビーナのペットボトルの下にそっとメモを仕込んでアドバイス
おばかな鏑木はオランジビーナの神様からのアドバイスだと信じ込む。バカは可愛い。

そして、インターハイ

いやもう小鞠くんが凄い。
なんてできる子なんだ芝居も声も動作ひとつひとつも。小鞠役の天羽くんを思わず調べ事務所を見て納得。踊れる子の動きは本当に綺麗だし、安定感もある。その仕草だけで小鞠くんというキャラクターの形が見えてくる。ペダステはアニメより先に進んでいることもあって何人かのキャラクターには声優さんの声がついていない。つまり、2.5次元で、しかもアニメまで放送している人気作でありながら俳優側が最初にキャラの声をつくる。元がない中であれだけインパクトの強いキャラを押し出してくる天羽くん凄いです。小鞠くんがどんな子なのか、どう走るのか、早く見たい。

待ちに待ったインハイの会場は栃木。

会場につくと選手が「ぞろぞろぞろぞろ」自転車が「ずらずらずらずら」からの観光客が面白すぎて。
和田君と秋元君、パパと子どもになってて仲良しすぎるし(笑)
「お父さんソフトクリーム食べたい~!」「買うたろ!」
「宇都宮餃子食べたい~!」「おっちゃんが焼いとるな、買うたろ!」
りんたこでの話によれば、シャトナーさんが和田君と龍君に何かやってほしいと言うことでこうなったとか。「和田でいい」ということで関西弁。パパなりと龍坊可愛い。
「これが栃木かーーーい!」

向かうバスの中で、会場には報道陣がいると大はしゃぎの総北。
小野田「七三分けにした方がいいですかね?」
鳴子「ワイの関西弁変に思われへんかな?」
今泉「あああああああ!俺、声がらがらじゃないかな」
と、大騒ぎのバス内とツッコミを入れまくる手嶋さん。みんなリクライニングにされるところ笑ったw
今泉「リクライニングもどしまーす」
↑半分くらい和田
そして、やってくる寒咲さん「本当はもっとイケメンでもっといいこえ~~~~~♪です!苦肉の策です!」
これ大好きなので生で見れて嬉しい(笑)

総北は期待してバスを降りたものの、実際に取材されているのは箱学。
さすがは王者、キメポーズもお手の物。

インハイが始まると、ファーストリザルトを誰が獲るかの戦いに。
スプリンター対決。箱学からは銅橋、総北からは青八木と鏑木。

バカとは強いものなのだなと実感。
銅橋の獣のようなオーラにも怯まず挑む鏑木は強い。
そして、その場で的確な判断をし後輩に託した青八木も。
鏑木が自分はオールラウンダーだからと引っ込みそうになった場面でとっさにだしたオレンジビーナの神様の便箋(笑)
まさかこんなところでさっきの設定が生きてくるなんて…!
小野田を、総北をバカにした、銅橋なんて抜いてやれ~!と鏑木が頑張るものの、銅橋にも負けられない理由がある。

体のでかさ、その気性等ではみだし者扱いをされていた銅橋だが、泉田だけは「はみ出せ」と言ってくれた。
体格や持っている武器を使えと。泉田は、銅橋の個性を認めてくれた人。
そんな泉田さんに出されたオーダー。ファーストリザルトを獲ってこい、そう言われて銅橋には獲ってくる以外の選択肢なんてない!
私はこういう関係性に弱い。この人!と決めた人についていく。強い信頼の元に、その人の言葉の通りに動きたい。その人のために働きたい、働きを見せたい。ある意味で主従のような二人だと思う。

スポーツ漫画全般に言えることだけど、主人公校から見れば敵校でもその学校にはその子たちだけのドラマがあるんだよね。
こういう信頼する先輩の為(小野田や古賀とかも)、親友のため(T2とか)、みんな自分以外の大切なものを背負って戦ってる。

小野田君がインハイが始まる前に自分のゼッケン1番の重みにプレッシャーを感じていた。
それは当然で、去年の優勝は三年生も含めた全員のもの。しかし、小野田くんは自分一人で”1番”を背負う気分になってしまい震えていた。
それを支えてくれるのはやっぱり仲間で、みんなで、仲間がいるからこそ背負うものの重み自体は増していくけど、仲間がいるからみんなで持てる。

あ~~~仲間っていいな…なんて青春なんだろう…

まだその”みんな”をいまいち理解しきれていなかった鏑木君も、銅橋との勝負に僅差で負けたことでその重みを知る。
親友でインハイメンバーになれなかった段竹や、最後のインハイになる三年の古賀、インハイメンバーになることを競った杉元。
自分はその三人よりも強いから彼らを差し置いてインハイに出たのに、負けてしまった。
だから顔向けできない、そう思っている鏑木に三人は手を差し出してハイタッチしてくれる。

どうして、と思ってしまう鏑木のその感情こそが成長だな…と思うとまた感動して涙が。
彼自身元々チームをおろそかにする子ではないけれど、この辺はまだ一年生なんだなと思った。可愛い子です。
その後歌う時に、拳を上げられず気まずそうに下を向いていたけど、最後はみんなと一緒に力強く腕を振り上げていたり。
最初はどうなるかと思った鏑木君だけど、良い子でよかった。総北みんな良い子だ。総北以外もいい子だ…(涙)

まだまだインハイは始まったばかり。
良いものを観た。次も絶対にいくぞ!!
笑いと感動のバランスが本当に絶妙で、基本的にはストレートのお芝居だけどエンタメ性にも富んでいて観ていて飽きない。

カテコの「ひめのくるくるかたおもい」の時の醍醐くんが客席に向かって
「準備はいいですか~?って言ったら、ミュージックスタート!って言ってください」
と言ったので「え?スタートしちゃっていいの?笑」と思っていたら他の面子からツッコミを受けていたので安心した(笑)

醍醐くんは本当に小野田君みたいにぽわ~っとした子で可愛い。

それぞれの学校でアレコレ仕込んで小ネタをやるものだから、和田君が耐え切れずツッコミ。
和田君の「色々仕込んでくるなあ!」に対し、とんちゃんが横からひょこっと「大丈夫?何もやらなくていいの?」と余計なひと言。
「いいの?いいの?」としつこいとんちゃんに、鯨井君が便乗。
「本当にいいのか?ほら、練習してただろアレ」と言い始めて、本当に何もなくて困惑している和田君に客席も拍手して便乗ww
結局のところ何もせず終わった後「地獄みたいな先輩ばっかりや!!」と叫んだ和田君に「ごめんね」と言ったとんちゃんは、本当に葦木場くんっぽいなと(笑)
和田君は、きっと自分はツッコミキャラだと思ってるけど本当はいじられキャラだよなあ…本人はそう思ってないだろうけどってところが可愛いです。

ひめくるを踊る直前、泉田役の河原田くんが何かを置いていたのでなんだろう?と思っていたら終わった後、まつげが汗で取れてしまったので、置いたと(笑)
すかさず和田君が「片まつげくん」と呼んで「誰が片まつげくんだ!」とツッコミ。

和気藹々としていて、けれど締めるところは締まっているとても良いカンパニーだったと思う。

ペダステを観ていると、演劇って面白いな!と感じる。
舞台というものの可能性はまだまだ無限だ。
本来なら存在していないものが、舞台の上には見えてくる。
自転車が見える、自販機が見える、ロッカーが見える、トイレが見える。

こういう演劇が好きだ。

2/25、2/26「猿狸合戦」東京芸術劇場シアターイースト

る・ひまわり 観劇

 

私は、豊臣贔屓で石田三成が好きだ。
歴史、特に日本史には全くと言っていいほど興味のなかった私が
戦国無双に手を出し、司馬遼太郎の小説を読むほどまでになったのは

全て、る・の祭典が始まりでした。

織田信長徳川家康、そして豊臣秀吉
あまりにも有名すぎるこの三人が何を行った人で、どういう人柄だったかなんて興味もなくまともに勉強さえしてこなかった。
せいぜい学生の頃テストのためにその場しのぎに覚えた程度。
かろうじて今でも覚えていたのは本能寺の変くらいで、それもどういうワケがあったかなんてどうでもいいことだった。
そんな私はこの作品を観たことで、つじもっちゃんの演じる殿が好きになった。豊臣秀吉が好きになった。

好きになったから勉強した。秀吉が辿った、信長の死後から天下統一そして晩年へという流れを知っている。
だからこそ、今回の続編である猿狸合戦はとても怖かった。
脚本を担当されたのが納祭の赤澤ムックさんというのもまた、怖かった理由のひとつ。
良い作品になるに違いないという期待と共に、あの容赦のなさ、身構えます。

秀吉がどんな人物として描かれるのか。
辻本秀吉はとても穏やかで優しくて、ついていきたくなる、殿!と呼びたくなる人。
そんな人物が、どう変わっていくのか。

【あらすじ】
時は戦国。本能寺の変から約2年。清州会議を経た、賤ヶ岳の戦いから更に後。
信長の後を継いで、この戦乱の世で「天下人」となるのは一体だれか…。
誰よりも心優しく、貧しいものが殺されていく世の中を嘆き、自分がこの世界を、殺されていく人たちを守りたいと心に誓った、あの羽柴秀吉は…変わっていた。
天下が近くなればなるほど、秀吉は強かに、そして少しずつ冷酷に。 しかしそんな秀吉に、人々は従い始める。
同じころ。天下統一を目指す戦に名乗りを上げた男が。
彼の名前は徳川家康。人を動かす能力に秀吉以上に長けた男。 じりじりと頭脳戦を繰り広げる、秀吉と家康の猿と狸の化かし合い合戦の決着とは…?
更に、大阪城築城へと動き出した秀吉の想いとは…。 その後の秀吉の物語。
公式サイトより


信長の死後、本来であれば織田を継ぐのは信忠の息子・三法師だが彼はまだ幼い。
信長を討った光秀に”敵討ち”をした秀吉が、幼子の代わりを務めたところで文句を言う者はいない。言えるはずがない。
今秀吉に逆らうこと、それは織田家への謀反と変わりない。

そんな現状に不満を持つ者がいて当然。

あちこちに愛想をばら撒く人たらしの猿・豊臣秀吉
不満を持つ者の一人で策略家の狸・徳川家康

天下人の座を奪い合い争う二人の、猿と狸の化かし合い。

もう公演から時間も経っているので、結論から。

幼馴染である前田利家が心配そうに見つめるように秀吉は、確かに以前と比べ狡猾に冷酷になっているように見えた。
対立しいがみ合う徳川家康との争い。
家康が上手か、いや待てよ秀吉の方が上なのか。それを繰り返し、戦い、そして家康の上洛を巡っての駆け引き。
千利休が言ったように、天下が近付けば人は変わってしまうのか。

しかし、辻本秀吉は、あの時のまま変わってなんていなかった。

家康上洛の前の晩、秀吉は家康の元へ共もつけずに現れた。
挑発する秀吉を、家康は服部半蔵の目の前で切り付けた。
倒れる秀吉、嘆く半蔵。
これで徳川家は終わりだ──

と、思ったら笑いだす家康と秀吉。
切りつけられ息を引き取ったはずの秀吉まで笑い転げているとは。

なんとここまで、いや明日からも、全ては秀吉と家康による大芝居だった。

家康は自身の息子が切腹を命じられると、秀吉に助命嘆願をしていた。
「どうか命だけは」その言葉に秀吉はただ「はい」と答えている。
まさかそんな返事がくるとは思ってもいなかったのだろう家康がもう一度同じ言葉を口にすれば、秀吉は再び「はい」と答える。
驚いた表情の家康。

秀吉は、もう二度と竹中半兵衛の息子・重太郎の時のようなことがあってはならないと考えていた。

だから、家康の息子の命を助けこっそりと逃がしてやることにしたのだ。
秀吉の言葉を聞いた瞬間に、この話がる典の続編である意味、る典の秀吉である意味を理解した。頭の中で、秀吉と半兵衛の首実検の場面がフラッシュバックした。
ここにいる秀吉は、私が好きになった秀吉だと。辻本秀吉は何も変わっていないのだ。あの時のまま、心優しい殿がいる。

今でも息子は元気にしている。そのことに恩を感じている家康は、秀吉を天下人にするために自ら対立する役を買って出たのだった。
敵が多い秀吉にとって、影響力の強い家康が影で味方になってくれることほど心強いことはない。
家康が秀吉を天下人と認めることで、敵となりうる武将たちも納得するだろう。

全ては明日の為。
明日の家康の上洛の日、その日その時こそが天下を掛けた大芝居の見せ場。

まさに”猿と狸"の化かし合い!

 

もう、すっかり化かされた!
ムックさんがネタバレ禁止でとツイッターでおっしゃっていたので何かあるんだろうとは思っていたけど、まったく予想がつかず。
ムックさんは言葉遊びが上手な人で、納祭のリーディングの「綿麻呂の独白(毒吐く)」の時におお!と思っていたけど。やはり今回も。
騙された~!と思いつつ、この感じはとても気持ち良い。

それにプラスして、最低限のセットに小気味良い音楽、キラキラの照明(笑)
あと、るひまらしいなと思ったのが衣装とメイク。
小さな劇場でそれも歴史ものなのにスタイリッシュ寄りのアイラインの入れ方だったり、秀吉は金髪で家康の髪にはメッシュが入ってたりするのがとても好き。
る・フェアのヘアメイクなんか特に好きだな。

 

徳川家康◆鳥越裕貴
→私は徳川家康が好きではない。
だから、鳥越君が家康と聞いた時にはどうなることかと思ったけど凄く良かった。
家康らしい狡賢さの中にある鳥越君らしい弄られキャラっぽさやコミカルな雰囲気が、絶妙なバランスで愛されキャラな家康を作り出していた。
加藤啓さんとの絡みはとっっっっても大変だったと思う(笑)
腹太鼓のくだりは、特に千秋楽は笑いが止まらなくて大変だったw
半蔵に顎を掴まれて「わしの顎がもっと割れたらどうするんじゃ!!!」と叫んだ瞬間もう笑いが止まらずw
相変わらずの顎いじりですが、鳥ちゃんの切り替えしが面白いので”この人これしかないね”にはならない。頑張って元の流れに戻そうとしたり、必死にツッコミをいれるがために言い間違いをして半蔵や数正にツッコムはずが「わしは!」と言ってしまい「今自分にツッコんだのかわしは!?」とテンパったり。本当に貴重なキャラだ。
アフタートークでは、る典で演じた清正のことを「清康」と言ってしまったり、一日三公演で脳内も混乱していた模様。

石川数正二瓶拓也
→へいにーはさすがの安定感。
着物を着ての所作も綺麗。個人的に今作の登場人物の中で数正が一番好き。
人柄もよく、忠誠心があり本当に心から殿を慕っている人。
数正が家康の元を離れる時や、秀吉の元にいる数正と家康が再び出会った時のくだり。
とてもグッときた。
一日に三回公演はへいにーにとっても初めて。もう一公演できそうという発言をするもつじもっちゃんと、るひまさんは本当にやりかねないという話になり「もう限界です」とのこと。笑

前田利家◆蒼木陣
→今回初めて知った子で、彼自身も初めてのる・ひまわりさん
さっそく加藤啓さんにまとわりつかれて洗礼を受けていてかわいかったですw
つじもっちゃんにも「今回この制作会社は初めて?どう?」「バタバタしてますね」「大丈夫、このバタバタにも慣れるからw」とやりとりをしているのが微笑ましかった。
前田利家といえば秀吉の親友で、下剋上の時代らしくない真っ直ぐな人柄のイメージ。
蒼木くんはそれにぴったり合った、若さと溌剌とした雰囲気で利家を演じてくれた。
素直なお芝居がとてもよかった。今後の年末のお芝居にも出演しそうな若手の子。

織田信雄◆碕理人
→同時に柴田勝家も演じられていました。
どうしてもそちらは兼崎勝家のイメージが強すぎて違和感が拭えず。理人君が悪いわけではなく。
ただ、信雄に関してはもう理人くんしか演じることのできないところまでの仕上がりっぷりだった。
”バカ王子”って感じの役で、下手すれば痛々しくなるかイライラさせてしまいそうなキャラを、笑えるところまで持ってきてくれる。
お馬鹿な子に徹することに変な照れがない。細くて長い脚に白タイツがまた絶妙にシュールでした。

なか、朝日姫、ねね、服部半蔵加藤啓
→啓さんはもう本当に本当に面白い。
る典のオンジが大好きで今回も楽しみにしてました。
秀吉を支える三人の女性を演じる時の若手への絡みっぷりはもうさすがですね。ねねの時の「ねねだよ」っていうちょっと一昔前のグラドルっぽい芝居が最高でw
そして服部半蔵の時の口で伝える忍者の動きとか「殿、こちらへ」って言う時の手の動きとか、とにかく笑いが止まらずww
半蔵にしろ朝日姫や秀吉の母にしろ、鳥越くんへの絡みが一番えげつなく。
啓さんのボケ続きに鳥越君も「先に進ませてくれ!!」と絶叫。
しかし、最後の挨拶では控えめな啓さんでした(笑)

羽柴秀吉◆辻本祐樹
→私が好きになった秀吉がそこにいました。
優しい声に柔らかい表情。それにくわえて、少し冷めたような表情も見せるようになった秀吉。
る典の時とは同じ人だけれど間違いなく時を重ねた、そんな辻本秀吉。
ここまでたどり着くのにたくさんの出来事があった。重太郎の死に未だ心を痛めることのできる秀吉には辛いだろう。
利家に対し「おまえはそんな風に笑うな」と言う姿は、自分は下剋上の時代に染まり変わってしまったがそれでいい、だが利家にはそうなって欲しくないという心の表れだったと思う。変わりゆく自分に、秀吉自身もまた心を痛めているがそれを隠している。
優しい辻本秀吉だからこそ。こうしてこの人は天下を取りに行くんだな。ついていきたい!
つじもっちゃんが座長として気を遣っているのは蒼木くんへの声のかけ方でもわかるし、人柄が見えてきて頼もしい。
お客さんが楽しんでいるかもちゃんと気に掛けてくれている。そして、続編への期待を隠さない姿も好き(笑)
ぜひ!猿狸は続編が観たいし、つじもっちゃん座長の年末の期待もし続ける。

石田三成◆安西慎太郎
→安西三成は、どうした?笑
ずんどこみっちゃんよりもひどくなっていたけれど、インフルエンザということなので仕方ないのでしょう。顔色の悪い安西君が着ると寝間着もまるで死装束。
しかし、やはり私の好きになった石田三成がそこにいた。殿をただ真っ直ぐに慕う姿。
幕が開いて最初の登場人物紹介のところではゲストが秀吉の名を呼ぶので、それだけで込み上げてくるものが有った。
清正や正則の話になると二人のことを認めていることを吐露し、けれどそれを指摘されると自画自賛を始め照れ隠しのような態度。不器用な三成らしい。
秀吉がどう変わろうと、天下や世がどう動こうと、三成はただ殿の後をついていく殿の天下を信じるという意思しかないのだな。
島左近にくわえ、新之丞のエピソードから禄高の話まで出て石田三成好きとしては最高の数分間。
新之丞に禄全てをやって家臣にしていた三成。「あの時の私はもう居候みたいなもんでしたからね!?自分のやった禄でww養われてww」
最後は「ジャスティス!!」と叫んで去っていった三成。やはり、安西三成は情緒不安定である。
最後のアフタートーク時につじもっちゃんにジャスティスのことを聞かれて「(理人くんのが)ウケてたからやった、そうじゃなかったらやらなかった」などと発言w
トーク終わりですよの合図が鳴るとおそらくわかっているくせに「なんの音ですか?」と聞き「終わりの合図だよ」と言われると「やだやだやだ!」と拒否ww
「お前三回公演やってねぇだろ!お前が言うな!笑」と返され笑っていました。

竹中半兵衛木ノ本嶺浩
→半兵衛殿、期待を裏切らぬ気持ち悪い登場の仕方。
「化けて出ました」まるで台詞の後にハートマークが付きそう。
「成仏してくれ!」と言った秀吉wに対し幽霊ライフを満喫しているらしい半兵衛殿。
ふざけたようなしりとり、最後に”ん”をつけてしまった秀吉に「ンジャメナ」と返す。変わってないな…。笑
しかし、秀吉が吐露した天下を取ることへの重圧や不安の欠片をしっかりと拾って導いてくれる。
天下人が背負う重責をそれはそれと理解しながら、秀吉が悪いわけではないのだと。
その姿を見ていると、殿のため殿の今後の為、それゆえに官兵衛のため、重太郎を犠牲にしたあの半兵衛殿なのだと改めて思う。
そして、半兵衛がこうして秀吉を信じ続け導いてくれるのも、殿への信頼あってこそ。それは、秀吉の人柄あってこそ。リーディングの二人のストーリーを思い出した…。
みねくんゲストで、まさかこんな話になるとは思わず、不意打ちに泣きそうになりました。
秀吉の天下はたくさんの人の意志、夢、命を礎にして成り立っているものなんですね。
しかし、去った後にひょっこりとカーテンから顔をのぞかせているのを見ていると半兵衛殿はやはり半兵衛殿だなと。笑

 

笑いとジンとくる感覚、まさにるひまさん年末の作品の続編なんだなと実感しました。
この後の秀吉がどうなっていくのかもぜひ見たい。「今のところはな」期待してます!

そして欲を言えば、安西三成での関ヶ原もお願いしますその時は清正は鳥越君でお願いします…

2/25「ALTAR BOYZ合同公演」品川ステラボール

ミュージカル 観劇

 

終わってからもう三週間が経とうとしているのに。
すべてがあまりにも楽しすぎて、終わってしまったことが今でも信じられない。

彼等は”ALTAR BOYZ”というバンドで、あちこちでライブをしていつでもあのメンバーでライブをしている、どこかで魂浄化コンサートをしているのだと、そう思いたくなってしまう。

ミュージカルを観たというよりも、ライブに参加したと言う感覚が強い。
それは、きっと第四の壁を取り払った脚本演出にくわえて、出演者たちの演技が演技じゃなかったからなんだろうな。
エネルギーをダイレクトに感じすぎて、私の魂救われたどころか持っていかれた気がする。

新宿FACEよりもずっと大きな品川ステラボールの広いステージで出演者がそろうOPは圧巻でした。
席がとても良くて、彼等の足元までよく見えたしキラキラした表情もそのエネルギーも直に伝わってくる。
ちょうどGOLDが目の前に、なんなら法月マークが目の前に来てくれる席だったので神様ありがとう!ジーザスハレルヤ!って感じでガン見しました。

We Are the Altar Boyzでの、サビ最初のジャンプする振付が大好きなのであんな距離で見ることができて嬉しかった。
そして、私と同じ回に入った人は皆さん気付かれていたと思うので書きます。
私はそれまで法月マークに一点集中しすぎていて気付かなかったのですが、メンバー紹介の時にアブラハムだけが一人しかいませんでした。
他のキャストはWでキメていて、中河内マークのダイナミックな体の使い方と法月マークのキュートなハートマーク。
なんて、違いを楽しみつつの中、常川アブラハムだけがアブラハム!」とひとりぽつん。
私の前の友人同士で来ていると思われる方も一瞬お互い顔を見合わせていてああ、やっぱりトラブルなんだなと思いました。良知さんだけがいないステージは続いていたのですが、事前の連絡があったのかな?どうしたんだろう?としばらく歌が入ってこず。
結果を言うと、このことはステージでも他でも説明はありませんでした。
どんな理由があったのかはわかりませんが、役者も人間なので言いにくいことがあったのかもしれないので追求したい気持ちはありません。
ただ、良知さんファンはヒヤヒヤしただろうなと思う。だって、幕が上がってみて推しだけがいなかったら怖い。ファンの方たちはみんな怖かっただろうと思うし、最終的には通常通りステージに立っている姿を見ることができたので怪我や病気ではなさそうかな、というところは救い。

あと、常川アブラハムだけがひとりで8人からの「それってユダヤ人?」を受け入れているのを見るのはなんだか、胸がぎゅっと切ないような苦しいような気分でした。
彼だけがひとり、という姿がアブラハムの抱える孤独と重なるような気がしたから。
仲間を慕いながらもユダヤ人である自分だけがこのグループにいるなんて、というバックボーンが自然と浮き彫りにされたような。

その後のRhythm In Meは、本来ならLEGACYチームがやるはずがGOLDチームに変更になったようです。
正直なところ、あの広いステージのど真ん中で腰を振る法月マークを、あの距離で、あんな視界の良い場所で最後にもう一度見れたのは幸せでした。
Church RulezもそのままGOLDで続き、その後のアルターボーイズの創世記からLEGACYチームへバトンタッチ。

創世記は子ども時代の話し…のはずなのに、LEGACYはマシューがアダルトすぎて見ていて凄くドキドキしてしまった…
だるそうに寝転がる東山マシューの元へ「何寝てるんだい?」とやってくる中河内マーク。
セクシーに肩を見せつけるマークに対する「髪型変えた?」「すげー似合ってるよ」という流れ。耳元で言うのはズルすぎる。こっちが照れるよ!!!

Wキャストの面白さで、この二人の関係性は特に違って見えるなと感じた。

LEGACYの二人は、熟年夫婦のようでマシューもマークからの好意に気付いていて、数年後あっさり恋人同士になってしまえそう。
GOLDの二人は、大山マシューはぽわ~んとしていてマークからの好意に気付かないし、その残酷な優しさを持ったまま自分はあっさり結婚してしまいそう。
ただ、法月マークの方がちょっとミステリアスすぎるのもあってわからない部分が多いかなとも思う。
ひとつ言えるのは、中河内マークは東山マシューだから、法月マークは大山マシューだから惚れたんだなって見えたことがとても良い。
重ねてきた年齢や役者同士の関係性がお芝居に出ているからこそ、見えてくるものが違う。やはりWキャストは面白い。

あと、植木フアンを見て初めて創世記の時のフアンが「まいど!」って言ってることを知った。松浦フアンの声可愛すぎて「まろ!」って聞こえてて、まろってなんだろうと思ってました(笑)
GOLD公演を見ているときに、フアンの前で両親がいることの幸せを語るルークとかを見て違和感を持っていたんだけど植木フアンは「捨て子って言うなよ!」と割と普通に怒っていたりしたのでちょっと納得しました。

そんなLEGACYチームの元へぽんと放りこまれた常川アブラハム
良知アブはメガネを掛けているようで、常川さんも同じようにメガネを。可愛かった。

アブラハムが楽譜を見てペンをマシューに貰おうとするところで手を差し出すと
「どうもマシューです」
「どうもフアンです」
「「二人合わせて、ウインクです」」
と握手されてしまったためにポカーーーーーンとしてしまった常川アブちゃん(笑)

「あいつ大丈夫か?」と言われていたけど、お兄さんたちに遊ばれてかわいそかわいかったです。
「なんか痩せた?(気苦労で)」と中河内マークに聞かれていたw

神の声が聞こえた時には、マークを背に庇い守るマシューと、それを見て真似してアブちゃんを守るフアン。
お兄さんたちの中でわちゃわちゃしたりThe Callingを歌う常川さんはとてもレアでした。

そして、曲終わりGOLDに切り替わる直前の暗転で着用していた白いポンチョをステージ上で脱がされるのも可愛かったw
常川アブちゃん、GOLDの中にいるとどこかホッと安心したような雰囲気になっているのが印象的。お兄さんチームの中にいるとそわそわしている。

Everybody Fitsは、振付がありつつもそんなに違いがないからなのかLEGACY+常川アブちゃん。時々うしろから服を引っ張られたりしながらポジションを直されたりするのが可愛い。

懺悔の時間になると、良知アブちゃんが登場。
しかし、気まずいのかなぜかGOLD側に並んでしました(笑)
質問の後に東山マシューに「そっちのアブラハムはどう思う?」と聞かれるも「ちょっと質問の内容が頭に入ってきませんでした」とw

懺悔についての説明やオスカーワイルドについて語っている法月マークの後ろで懺悔BOXを開ける鍵がないとわちゃわちゃする後ろ(笑)
中河内マーク「ごめんちょっとバタバタしてるw」

『LEGACYのファンです。でも、GOLDチームの子たちを見ていると応援したいなって思っちゃいます』という懺悔内容に
大山マシュ「それは、くわなくて…ッ悔いなくていい!!」
東山マシュ「お前はもう食わなくていいんだよ!!」
大山マシュ「そうです俺はもう食わなくていい!!」

GOLDチームの面子全員そうだけど、先輩たちの前だと本当に後輩ちゃんって感じで可愛い。法月マークも普段は飄々としている風だけど中河内マークの前だとたじたじになってたりするのが新鮮。

中河内「だから、LEGACYのファンだけどGOLDもいいなってことでしょ?はい終了~!」

と、強制終了されて最後の懺悔へ(笑)

植木フアン「midnight radioの時間です」
Wフアンで懺悔カードを読む。
松浦フアン「…これなんて読むんですか」
植木フアン「括弧、けんご……」
松浦フアン「括弧、とじる…」

妙にキメキメな二人。カードを読む植木フアンの後ろで謎の即興ダンス(東山マシュー曰く”脚気ダンス”)を踊る松浦フアンにLEGACYメンバー大ウケ。即興とは思えないと言われていました。

Something About YouはLEGACYだけど、そこへ大山マシューも登場して二人で歌う。
ソロ曲はどの曲も二人で歌うらしい。
「緊張すると、僕二人になっちゃうんだ。恥ずかしいな//」とエンジェルさんに声を掛ける大山マシュー

東山マシュ「こっちの身体が大きいだけが取り柄のGOLDマシューと、ああ、そうだな…生まれもそこそこ良くて品もある、踊るとセクシーで笑うとチャーミングで」
大山マシュ「汚ねぇw」
と、そこへ中河内マークが大山マシューに何か耳打ちするとエンジェルさんに向かって
大山マシュ「でもプライベートは最悪w」
と、東山マシューを落とす(笑)

エンジェルさんは慣れている方なのか、指でどっちかな~と二人を交互に指差したのでうっかり大山マシューは自分が選ばれたのだと勘違いして喜んでしまうも東山マシューが選ばれる。
エンジェルさんのストールをさっと手に取り、後ろから掛ける感じで寄り添って歌う姿はアダルティすぎてGOLDでは見られない光景でした。
私はうわあ~なんだあれ~って照れてるのに、エンジェルさんはそんなに動揺した様子でもなく、慣れてる…大人だ…と思いました。笑
そこへ中河内マークがエンジェルさんのストールをスマートに奪い、マシューへキス待ち顔。最終的にキスしてました~LEGACYすごいなあ。

ひとりぽつんの大山マシューの元へ「マシュー」と現れる法月マークは天使のようだと思ったのも束の間、
「またダメだったよぉ~」に対し「はいはい、わかってたでしょ」と手を引っ張ってさっさと歩いていく。笑
「己を見なさい?」と言われて笑いつつしょんぼりの大山マシューでした。

Body, Mind & Soul
森ルークの自由さが凄い!!面白い!!
私は石川ルークしか知らないので、それでも石川ルークは”不良なストレスを抱えたアメリカの若者”っぽさというか、そういうものを感じていたのでもちろん不満はなかった。ちゃんとそう見えていた。
森ルークを見てから思ったのは、石川ルークはそんな不良少年としての優等生なんだなと!GOLDは基本全員そういう真面目さがある。
客席の煽り部分は「おいルーク言ってやれ!」と森ルークに言われて石川ルークが担当することが多かった。

森ルーク「that's wanna!」
全員「that's wanna!」
森ルーク「……あthat's wanna!」
全員「that's wanna!」
森ルーク「どうした!」
全員「どうした!笑」
森ルーク「3年B組!」

森ルーク「talking about!」

なんて自由なんだ…笑
こういう遊びも込みで楽しめるのがアルターの良いところだなと思う。

La Vida Eternalでは芝居部分をLEGACYが、歌うところだけ松浦フアンも入るという演出だったので曲が曲だけに歌い辛くないかなと。
最後に、
植木フアン「みんな最高や!特に、もう一人のわて…」
松浦フアン「…うん!」
頷いて、袖の方へ帰っていく松浦フアンが可愛かったです。

Epiphanyも、同じように中河内マークが語り歌うところから法月マークが入ってくるという演出だった。
ラビダと違うのは、こちらの曲は両チームがステージ上にいたこと。法月マーク以外はステージで中河内マークの言葉を聞いている。
やはり語る人が違うと違って聞こえるもので、これは役者の年齢もあると思うんだけど、目線が違う。
法月マークはやっぱり若くて、これは私が彼と同世代だから感じることなのかもしれないけど凄く身近な感じがした。”いま現在”を語っているような。向けているメッセージもティーン宛てというか、子どもから思春期くらいまでの子を応援しているようなイメージ。
中河内マークは、彼自身がもっと落ち着いていてまるで昔話をするように後押ししてくれる。昔こんなことがあったわね、ってニュアンスでもう本当に思い出に昇華しているんだなっていう話し方だった。そのせいか、彼のメッセージは法月マークにも向けているのかなとさえ思えた。

歌い上げたりフェイクを入れたりするところは法月マークが歌ってました。マーク同士が顔を見合わせて歌うのは可愛い。
あと、法月マークが出てきた時に大山マシューの視線が中河内マークからそっちに移ったのが印象的だったな。

迫力が凄すぎて逆にあまり覚えていないNumber 918.
最高だったとしか言いようがない。曲自体も大好きだし、ダンスで魅せる低音のLEGACY、キラキラしている高音のGOLDが合わさるとこんなことになるのかと。
ここのキメは両チーム並ぶとこうなるのか!と思ったフォーメーションがあるのだけど、言葉では説明できない。興奮が止まらなかった。
法月マークの、両手を広げてぐるーってやるところの振付(伝わってくれ)のところでの、腰の角度がとにかく良かったのは覚えてる。笑

ラストのI Believe.
良知アブラハムが歌うところへ静かに歩いてくる常川アブラハム
良知アブが胸の六芒星をぎゅっと掴んで歌っているのを見て、常川アブが同じように自分の六芒星に触れる。
そして、良知アブラハムが差し出した手を取った。
二人が手を繋いだ。
その瞬間、涙が次から次へと溢れてきた。

正直なところ、この曲やユダヤ教(ユダヤ人)に関して勉強することはできても文化として肌で感じるには至っていないからか、考えることはできても深く感動することはできずにいた。
それが、二人が手を繋いだ姿があまりにも美しくて思わず涙が出た。
GOLDの公演を単独で観ている時に感じた者とは違う何かがあった。
アブラハムは決して一人じゃないんだ、と頭ではない部分で感じたのかもしれない。
彼らの手が離れ、それぞれの仲間…家族の元へ帰っていく姿を見て再び泣けてしまった。

そんなに泣くこともないだろうとハンカチを用意していなかったのは失敗だった。
アブラハムは一人ではないし、他のメンバーもまた。間違えることがあっても、それでもやり直すことができる。
アブラハム同士の手が繋がった瞬間は、バトンタッチのようにも見えてこうして受け継がれていくんだなと思えた。

メドレーでは、LEGACYメンバーがGOLDチームを見守るというような演出がちょこちょこ見られた。
Epiphanyで、自分が歌うはずだったパートを忘れていたらしき中河内マークに笑う法月マーク。可愛い。

行けてよかった。観れてよかった。感じられてよかった。
すっかり、ALTAR BOYZのファンです。

 

LEGACY
重ねてきた時間の違いが、GOLDとの一番の違い。
”家族”という言葉がとてもしっくりくる。アドリブを言っても脱線しても、それを受け入れつつさらっと元の流れに戻せる力がある。それは気を遣いすぎなくてよい関係性や、互いのリズムを知っているからこそ。
安定感があるし、笑える要素も強くて”笑っていい”雰囲気がある。これはきっともともとオフBWで上演されているアルターに近いんだろうな。それぞれに、面白いとかイケメンとかダンスが~という感想があるんですけど、東山マシューがとにかくセクシーすぎてドキドキが止まらなかった。
それに尽きます。笑
元々ダンスがうまくてセクシーな人に弱いんだけどね、もう、こわい。色気って素晴らしい。ちゃんと本公演観ればよかった…
中河内マークの体のラインもとってもセクシー。綺麗な形の筋肉だし、しなやかで体を大きくつかうダイナミックなダンスは男らしくもありこれはこの人にしか演じられないマークだと感じた。

GOLD
お兄さんチームに比べると、やっぱりまだ優等生。
それは全然悪いことじゃなくて、できる人ばかりが集まっていて歌もうまいしなんの不満もないけど合同公演を観たことによって彼等はまだお互いのことを知らないんだろうなって思った。当たり前のことなので責めるわけではなく。
もし、このチームでもっともっとやることができたらきっと変わる。良い方向に。だって実力があるから。
性格面でのバランスも良いと思うから、私はこの5人のGOLDが、ALTAR BOYZがもっと観たい。

願わくば、本当にこの5人で進化成長した姿を見せてほしい。お兄さんたちにも。

 

 

 

 

はじめての『ALTAR BOYZ』新宿FACE

ミュージカル 観劇

 

GOLDチームの千秋楽を終えはやくも一週間以上過ぎたものの、未だ呆然としています。
あの日はあまりにもあまりにも最高で、これがお芝居なのかそれとも本当にALTAR BOYZが来日して我々の魂を救済しにきてくれたのか、もう現実と芝居の境目もわからなくなりながら楽しみました。
来日してくれてありがとうバイバイ東京なんて言わないで~~!って思いながら終演をむかえ、ああそういえばこれはミュージカルだったなと気付く。

でも、終わってみると足取りは軽くビル7F新宿FACEからの階段降りもなんのその、歌舞伎町のど真ん中を晴れやかな気持ちで歩いている自分がいる。

ああ、わたしの魂救済されてる…!

それが私のはじめての『ALTAR BOYZ』でした。

 

思えば2012年に橋本汰斗くんが出演していたことでこの作品を知り、それなら観てみようかなと思いつつも何かしらの理由で結局チケットを買わなかった。今でこそ、その時に観ておけばもっと早くに出会えたのにと思うけれど、こういうのは巡り合わせというものがあるのできっと今の私にこそ必要だったのかもしれない。
その年の半ば頃にRENTに出会い、私が求めていたものはこれだ!と思った。ブロードウェイ、オフ・ブロードウェイというものの凄さを知った。
そして、2016年。
club SLAZYという作品を知って、法月君を知り他の役でも見てみたいしかも真志と共演する、ああそういえばこれ気になってたんだよね観てみよう!という流れでチケットを取った。

2/4に初めてこの作品を観て、あれなんだか思ってたのと違うぞと思いながらも気付けばリピチケの列に並んでいた。
宗教や海外の文化に疎いからしっくりこなかったのかと考えていたのだけれど、なるほど調べてみれば私の思い違い。
なんとなくRENTやbare的なものを想定していたけど、それよりもリトルショップオブホラーズや死霊のはらわたロッキーホラーショー(とまではいかないけど)くらいの感覚で楽しんでいいものだと。
よくわかっていなかったくせにリピチケを買った辺り、理解は及ばずとも魂でこの作品をもう一度観たいと感じていたに違いない。

その二日後の2/7のソワレで二度目の観劇。
ラフに楽しんでいいと思うとまるで違う作品を観ているようだった。ルークの運ぶケーキを乗せたワゴンがキィキィ鳴ることに笑えた。
笑えるけど、だからこそ、そこに見え隠れする哀愁や彼等が抱える傷跡、そして絆。そういったものが鮮明に見えてきた。

二度も観れば満足するだろう。そう思っていたはずなのに、有り難い御縁で手に入った千秋楽のチケットを握りしめ向かった新宿FACE
狭い会場は所狭しと立ち見の観客、熱気が凄くて、ビールが美味しかった。ふと後ろを見るとLEGACYのメンバーが二人。千秋楽らしい特別感を久々に味わった気がする。
ラストということでとにかくみんな気合が入っていた。
普段なら"千秋楽だから特別"というのがあまり好きではないんだけど、ALTAR BOYZという作品に関しては、このミュージカルらしからぬライブ感と相まってとても良い雰囲気だった。

 

幕開けの彼等のシルエットが、今でも思い出せる。

M1のWe Are the Altar Boyzは、はじまりこそ重々しい雰囲気だけど盛り上がってくるとアイドルらしい曲になる。
耳に残るキャッチ―なメロディをもっと聴いていたくて2012年版のCDも買った。でも、今回のキャストでも同じ一曲でいいからCDが出てくれたら嬉しい。
始まった手拍子に思わず目で周囲を見渡して、一緒になって手拍子をした。
日本版のRENTも手拍子はあるし初日や楽こそかなり歓声が上がって盛り上がるけど、こんなにも客席が盛り上がって楽しめる舞台は他に観たことがない!
歌に乗せて客席を煽りながらのメンバー紹介。

おそらくマジョリティ側として描かれているリーダーのマシュー(大山真志)
ゲイでマシューを好きなマーク(法月康平)
不良…ではなくストレスが多いルーク(石川新太)
ヒスパニック系で捨て子のフアン(松浦司)
唯一のユダヤ人であるアブラハム(常川藍里)

アメリカが抱える問題をぎゅっと濃縮したような彼等は、キリスト教の教えを伝え人々の魂を救うべくバンドを組み世界ツアーを行っている最中。
その最終公演がここ、新宿FACE
どうやって救われた魂の数を計測するのかというと、ソウルセンサーDX12という機械を使う!
初回でこの機械を見て気付くべきだった。この作品、ツッコミどころいっぱいで、そこ全部笑っていいんだよってことに(笑)

続いてのM2、Rhythm In Me.
言えることはもう、マークが最高ってことだけです。
「God put the rhythm in me」という歌詞のとおり神は僕の中にリズムを~という流れで、つまりあくまで”リズムを”なんだけど、
マークが「いれてちょうだい」「僕にいれて」と”何を”か明言せず歌うことでちょっとこうアレなダブルミーニングになっているという。
千秋楽ではかなりノリノリで歌ってくれて、あそこまでテンションを持って行ける法月君は凄いし、それに応える観客も凄いと思った。
この作品は会場に観客が入って完成するのだなと実感した。

Church Rulezでは教会ではこうするんだよ、というのを教えてくれる。日本で言うところの神社の参拝法みたいな感覚だろうか。
「Stand up」「Sit down」の掛け合いがとても楽しい曲。
ミサは終了!

その後は彼等がどうやってバンドを組むことになったのか、アルターボーイズの創世記として劇中劇で教えてくれる。
どうやら福音書というものに乗っ取っているらしいのだけど、その辺は詳しくないのでまったくわからない。
マシューが曲を書いているところに「はあい、ましゅー」とやってくるマーク。子どもの頃の二人の掛け合いはとてつもなく可愛い。
「髪型変えた?」「いつもとおなじだよ」「なんだかとっても似合ってるよぉ~」「…ありがとう!!嬉しい!!!」
ここのマークの表情ひとつひとつが素直で愛らしいのと、マシューは子どもの頃から天然で人をたらしていく才能があるんだね(笑)
親しい友人へ一種のラブソングを書いているというマシューに期待するものの、その相手はキリストでがっかりするマークに、特に気にするふうでもなく「歌詞、いっしょにかんがえてほしい」なんて言って服の 裾を掴んじゃう。笑顔でうなずくチョロいマークお嬢様。マークは小さい頃から少しおませさんで、マシューは(今も)おにぶさん。
そこへルークがやってきて、さらにフアンもやってくる。フアンは教会の前に捨てられていた捨て子で、スペイン語訛りの英語…もとい関西訛りの日本語を喋る。すごくうまいなと思うのは、フアンのラテン系らしさと大阪出身者のオープンで明るい感じが見事にマッチしていて、そのあたりの微妙な雰囲気というものが(移民等は抜きにしても)感覚で伝わりやすいとこ ろ。
最後にやってきたのはユダヤ人のアブラハム。「ユダヤ人がキリスト教の教会に入っていいのぉ?」というマークの言い方が凄く嫌な感じで…笑
けれど、最終的に泣いてしまった(泣かせた?笑)アブラハムも仲間にしてマシューの書いた曲の歌詞づくりに参加させたりと、マークも悪い子ではない。
他4人とは空気が違うアブラハムが仲間に加わったことで、彼らに神のお告げが。

「バンド トゥギャザー」

神のお告げを聴いている最中に、マークはこそこそとマシューの隣へ移動し大きな音がするたびにお尻を触ったり、果ては背中に乗ってみたり(笑)
そして、ゴスペル調のThe Callingはあまりにも綺麗な曲なので初見時はうっかり涙が出てきてしまいました。天井から携帯がぶらさがってきたり、今時は神様のお告げも携帯電話からくるんだねっていうふざけた要素がありつつも(笑)本当に本当に美しい曲。
マークパートの「街を歩いてると除け者の気分」が切なくなるけど、その後の「やり直せるさ」を笑顔で歌ってくれるのが嬉しい。
ルークパートの高音でジーザスからの~と引っ張って歌って行くところは本当に心が洗われるような綺麗さ。

神の起こした奇跡の物語を教えてくれるThe Miracle Song.
ルークにお腹をもみもみされるマシューが可愛かったし、その後ルークをひょいっと抱き起すマシューがかっこよすぎる。

急に子ども向け番組の曲のようになるEverybody Fitsでは、みんな手にひつじのパペットをつけていて可愛い。
アブラハムだけ黒いひつじ。ひとりだけ違うアブラハム。でも、だいじょうぶ。
容姿、人種、なんでもだいじょうぶ、みんなを励ましてくれる優しい曲。
いわゆるマイノリティ側であるマークが「みんな愛し合える家族」と歌うことの意味。
マークとアブラハムの羊が顔を見合わせる姿を見ていると、明るい曲なのに胸に来る、上手く言葉にできないけどすごく幸せな気分になれる曲です。
パペットの口が大きく開く真志マシューがパペットとそっくりに見えてくる不思議(笑)
みんな仲間、いつもファミリー。

そして、この後は懺悔の時間。
座席に置いてある懺悔カードに観客が書いた懺悔内容を読んでくれる。
個人的に面白かったのは2/4の「毎回拍手がズレる」に対するメンバーがやってくれるだけで有り難い!と言っている言葉に同意して頷いて「どんどんズレちゃって」と言ったマーク(笑)
2/7は懺悔カードを読む前にマークが「読むわね」「…読むわよ?」とマシューを何度か見て「太ると…」と読み始め「なんで俺のこと見たんだよ!?」「読むわよ、っていう意味よ」のやりとりw
太ると口の中も太る、という内容に「誰かこの気持ちわかる人いるかしら?」と白々しく聞いたマークw
千秋楽は最初の方の罪の重さが重度だったので、すかさず「だめね」と言ったマークが面白かった(笑)アブラハムの”神社”発言がなかなかに爆弾でした。

最後の懺悔は、童貞を捨てるか捨てないか、に悩む男性から。こちらは日替わりで男性の名前が(匿名なのに笑)変わる。
同じような悩みを、マシューも持ったことがある…Something About You.
この曲は簡単に言うと婚前交渉が禁止されているカトリックであるマシューが童貞を捨てるか捨てないか。本場では笑える曲らしいけど、正直マシューがかっこよすぎて笑えない(笑)
毎回、観客の女性ひとり(エンジェル)をステージに上げて、マシューはその子に向かって歌う。「緊張すると、僕、体がおっきくなっちゃうんだ」
マークはやっぱりそんなマシューを見て女の子に嫉妬してしまう。女の子の代わりにキスをねだってみたりするものの、キス待ち顔のマークの唇にマシューは仕方ないなって顔で人差し指を当てる。その動作も表情もかっこよすぎる。マークがマシューに惚れるのも仕方ない。
通常では女性を褒めながら「こういうのって、日本では”ゲロかわ”って言うんでしょ?今日の君は、とってもゲロかわだよ」と言うのに
千秋楽では「今日の君は、すっごく……綺麗だよ」と言ったのでhu!と客席が沸いて楽しかった。盛り上げ上手な観客。
曲終わりにマシューが汗を拭いたタオルを女性にプレゼントするのだけど、女性を客席に送ったマークがそれを奪い、そのせいでソウルセンサーの数字がひとつ増えてしまう(笑)
人を批判するな、批判するものは自分も批判される。とメンバーに諭されても「なによそれ(笑)」とあしらう、この時の表情良い。はんって鼻で笑うような。
でも、やっぱりマシューにも咎められると泣き出してしまう。そんな可愛らしい一面が…と思いきや、どんどん顔がぐしゃぐしゃになって「ぷひゅっ」と噴出して泣くからマシューの顔に唾が飛ぶ…というか、飛ばしてる よね?笑
俳優同士の仲の良さが伝わってくるw
結果、バスタオルはちゃんとエンジェルさんの元へ戻りました。

魂を鍛えろ!そんなBody, Mind & Soul.
魂を鍛えろってワードが凄い。熱く鼓舞されている感じがする。ルークらしくてかっこいい!
この曲はとにかく、ノッて楽しむ曲。ミュージカルであんなにコーレスあることってあるの?っていうレベル。
we are the worldを歌うところが、千秋楽はその後空前絶後の~!になっていて観客も沸いていた。

救われない魂は残り33。「33だぁああああああ!33がきたぁぁああああ!!」とマークが騒ぐ。これは、回を追うごとに過剰になる。笑
33という数字が出ると、必ず歌う曲があるということでフアンが装いを変えてくる。意味を説明をしているマシューの横で「33~♪」って客席を煽るフアンが可愛くて楽しい!
この日は、フアンにだけは知らされていなかったけど特別な日。フアンの誕生日のお祝いと、捨て子である彼のために探偵事務所に両親を探してくれるよう依頼していて、その結果が届いた。
このことを知ってから観劇すると「今日は特別なことがある」という説明の時にフアン以外がニヤニヤしているのがわかって楽しい。
しかし、楽しい気分もつかの間、散々に騒いだもののフアンの両親の住所は、墓地…もう亡くなっていた。
心配するメンバーに、フアンはいつも通り明るく答える。自分には最初から家族なんていないんだからと。けれど、その強がりもすぐ崩れてしまう。そんなフアンを「大丈夫だ」と咄嗟に抱き締めたマシューの包容力が素晴らしい。
本当に、素早く抱きしめる。フアンの泣き顔を客席に見せてしまう前に。この人がリーダーなんだ、と思わせてくれる。
そしてこの流れが切ないのは、これまでのフアンが普段とっても明るく陽気でみんなを和ませてくれるムードメーカーだから。そんなフアンが見せた涙だからこそ、こんなにも胸が苦しくなる。
ここで歌われるのはフアンの曲、La Vida Eternal.
最初は歌詞がなかなか聞き取れなかったんだけど、行くたびに聞こえるように。ラテン系のフアンに合う曲調でありながら、歌詞は意外にも暗く、前半では迫る夜闇や死への恐怖が歌われている。
泣き顔で自棄になるように「堂々巡りやわ」と歌うのが印象的。泣いてしまって歌えなくなったフアンの代わりに、歌詞を書いたアブラハムが後半を歌う。
後半の歌詞と他の四人に励まされ、促されてさえアクロバティックに暴れていたフアンが、今は歌うしかないともう一度マイクの前に立つ。
「もし朝までに死ぬことがあっても 僕の魂を神様よろしく」
フアンの思想に触れる歌詞。最後まで歌い切ったフアンは客席に向かって「特にあんた、最高や!」と言うのだけど千秋楽だけは「特にあんた、(さいこうや)」と最後口パクでエアーになっていたw
最後は笑いに昇華してくれるフアンの強さを感じた。
いろんなものを振り切るような顔で歌う松浦フアンのその表情がとっても印象的でした。
あと、この曲は振付も色っぽくて好き。

残り10人。その10という数字に何かを感じると言うマークが歌うEpiphany.
”隠し事”をしている君たちへ、マークからのメッセージ。

まず、この曲は彼の告白から始まる。
マークは、昔からその仕草や気質のせいでいじめられていた。そのいじめの内容は壮絶で、押し倒されて身体中の毛を剃られてしまったと言う。
「そんな時はなるべくオシャレな帽子を買って、いくつも買って」
ここの喋り方がとても好き。
眉毛は鉛筆で描いた。それでも、ダメ。マークは、いじめっ子連中が言うように自分は気持ち悪いやつなんだと自身を否定し、どうして自分だけが違うのかと悩んでいた。
そして、とある日曜日。その日もマークは全身に脱毛クリームを塗りたくられていた。
そんな時、見たこともないやつがいじめっこを蹴散らしてくれた。それがマシューだった。
「彼はぼくの身体を抱きおこし、ぼくの涙を拭いてくれた」
ここの、”抱きおこし”の部分で自分の身体を抱き締めているマークの表情と仕草が、その思い出がどれだけ大切なものなのかを教えてくれる。
マシューに「覚えてる?」と問いかけるのだけど、その時のマシューの「何を?」とでも言いたげなわざとらしい表情がなんとも言えないくらいにかっこいい。ちゃんと覚えてるんだろうなっていうのも伝わってくるのがにくい。
演者や演出意図がどうなのかはわからないけど、真志マシューはマークに向けられている"恋愛感情"に気付いていないのだろう。
マークがゲイであること、誰か好きな人がいること、には気付いている。でも、それが自分だと思っていない。友人として特別に思われてるくらいにしか認識してない。じゃなかったら、軽々しく手の甲にキスなんてできないよ。
無自覚のそういう行動とか、歌っている(告白している)マークを見つめる優しい表情と視線が何よりも罪作りだ。懺悔してほしい。笑

法月マークは、淡々と、とても気丈な話し方をする。
前述の通り帽子をいくつも買うのくだりや、いじめられている内容を話す時の声が、もう気にしてないよ!って言っているような声色で。
でも、マシューに涙を拭いてもらった話をする時の声は笑っているけど泣いているような雰囲気で、なんかもうこっちまで泣きそうになった。
千秋楽ではもっと吹っ切れたような声色だったので、その日のお芝居にもよるのだろうけど、その一歩先に進んだような明るさが法月マークの答えでもあるのかもと思った。マークは、マシューを見て自分を守ってくれる天使「ガーディアンエンジェル」と呼んだ。
しかしマシューは「天使ってのはあっちにいるもんだよ」と空を指さした。だから、マークは本気で宇宙旅行しなくちゃと思ったらしい。

そして、マシューに出会ったことで”ある大切な真実”に気付いたのだという。
それは、自分でも認められなかった、けれど決して恥じることのない自分の真実。
つまり、「自分はゲイでマシューが好き」ということなんだけどこの曲が曲も歌詞も何もかも素敵で。
その事実を告白すれば人に嫌われるし親に捨てられるよという歌詞がコーラスで入ると「I know」と答える。
そんなことはわかってる、でもどうしようもない自分でもどうしていいかわからないっていう寂しげな「I know」。

そうして「ぼくは…」ととうとう切り出すかと思うと「カソリック!」と歌う。
私は決意したように自分はカソリックなんだと宣言するマークを見て泣いた。
僕はカソリック Yes I am!(同性愛を許容しないカソリックだけど)それでも僕はカソリックだしそれを誇りを思う!と自分を否定せずに受け入れ、笑顔で言うマークの強さや、自分の弱い部分を曝け出すことでそこにいる魂を救おうとするその優しさに。
しかし、実際に海外で公演される本作ではこの曲は笑える曲らしい。
これだけ溜めての告白がそれかよ~!知ってるよ~!見るからにゲイなのにカソリックかよ~!というニュアンスとのことで、その辺は宗教観や文化の違いもある。
日本では熱心な宗教の信者というとどことなく悪いイメージがあったりするし、それに熱心なキリスト教信者の方と同じくらいゲイの人にもそうそう出会うことはないし。(隠しているだけかもしれないけど)
確かに、CDで聴いた感じや動画で見られる海外のEpiphanyは笑える雰囲気で言葉はよくわからないけど私も笑ったw

パンフレットに、法月君がその違いに悩み真意を伝えられていないのかと悩んだというようなことが書いてあったけど、今では日本版はそれでいいのだと思っていると。
台本や歌詞を日本語訳してくれた北野さんも他のどの国と比べて一番感動的なEpiphanyになっていると言っていた。
そして、僕はカソリックの"カソリック"の部分は、マークとしてはゲイという言葉に置き換えられるのだと思う。後ろで光る十字架がレインボーになるのはLGBTの象徴カラーだからだろうし。
この”カソリック”は様々な悩めるマイノリティの人やコンプレックスを抱えた人にもあてはめられるようにできてる。
自分に嘘はつかないで、だってそれは誰に恥じることもないんだよ、っていうたくさん悩んできたマークからの励ましの言葉。

歌の最中に、マークがほかの四人ひとりひとりと向き合うところがある。
手を出せば同じように返してくれる、そんな仲間が彼にはいる。ひとりじゃない。
最後はマシューなんだけど、マークがマシューを見る前に大きな体で両腕を広げて待っていてくれてるところ。
フアンに対する時も思ったけど、本当に本当にこの包容力はどこからくるのかと。マークも千秋楽は歌う前から涙ぐんでしまっていたこともあり、腕を広げたマシューに向き合うと更に泣いてしまっていた。
そりゃああんな優しい雰囲気で”愛する人”に腕広げて待たれたら泣いちゃうよね。

私はこの作品の、特にマークにおけるテーマについては近い要素を持つ作品はRENTやbareだと思っている。
けれど明らかに違う点がひとつ。それは、ALTAR BOYZは観客に直接メッセージを投げかけていること。
ライブという設定だからこそそれができて、私たちはマークの語りや歌を目の前で聞いている。常川さんがアフタートークで”第四の壁”の話をしていたらしいけど、まさにそれがないのが特徴。
それに、RENTのエンジェルは彼…彼女自身が天使だけど、マークにはマシューという守護天使がいて仲間がいて、だからこうして自分を肯定し「ひとりぼっちじゃない」「誰に恥じることもない」と歌える。
より等身大で身近に感じられるマーク、アルターボーイの存在は、私たちの背中を直接押してくれている気がする。
だからもし、bareな子たちのように悩んでいる人がいるならぜひこの作品を観てみてほしい。

どの曲も本当に素晴らしいけど、特に大好きなのはこの曲。
歌の最後をファルセットで歌っていたのに、千秋楽で聴いた時は地声で歌い上げていた。法月君は音域が広いけどそれでも少しきつそうに歌う、でもそのギリギリの力強さこそがマークの答えと祈りとメッセージのようで深く胸を打たれた。

そして、そんなマークの告白が終わってもなお4人の魂が救われずにいるので、聖歌集666頁にあるというNumber 918を歌う。
この666という数字やメンバーの顔色からしてもワケ有りな様子。ここでは後ろで演奏しているバンドの方もお芝居してくれるので楽しい(笑)
「マシュー、僕怖い」とマークがマシューの腕に自分の腕を絡めると「大丈夫さ、怖がりだな」とマシューが返してくれてさらには腰に手を添えるのがかっこよすぎて…ほんと…マシュー天然たらし…
「悪魔去れ」「心も魂も雁字搦め」「その皮膚一枚ずつ剥かれ」とか物凄い歌詞が出てくるのに、マシューがシスターマリーがお昼寝の時に歌ってくれたと説明するので初見では混乱したのだけど、つまりはツ ッコんでいいところなんですね。
かっこいいダンスとかっこいい歌と、照明が合わさって迫力があって興奮した。マークが良く通る声で「助けたまえ」って歌ってるのが綺麗。

しかし、曲の最中にマシューが止めに入ってしまう。
そこで告げたのは「この4人のうちの一人は自分」だということ。マシューは、良い契約条件を提示されソロデビューの契約をしてしまっていた。
自分を責めるマシューを止めたのはマーク、優しいな…と思ったら「僕もソロ契約したんだもん!」ということ!おいおい!
ピコ太郎事務所と契約したというマークに真剣に言葉を返すマシューの面白さにくわえ、そこからフアン、ルークもソロ契約をしたことを告げていく雰囲気のツッコミどころ満載。

「僕だけですか」アブラハムの問いかけに、一瞬で空気が変わる。
アブラハムだけが、ソロ契約はしていなかった。もちろんより良い契約条件を提示されながらも、彼はALTAR BOYZの一員であることを選んだ。
彼は、自分がユダヤ人でありながらキリスト教を布教するバンドに所属していることを”事故でしかありえないこと”だと思っていた。
結束力の強いユダヤ人というくくりから一人飛び出し、黒い羊となりながらもこのバンドに所属していた彼は、今までそんな風に考えていたのだ。
それでも、このバンドに残るという気持ちが揺らがなかったのは。
このバンドは自分にとって、ソニーミュージックともピコ太郎事務所とも取引できない大切な、大切な……「家族ってことや」そう返したのはフアンだった。
フアンが告げる”家族”という言葉がどれだけ大きな意味を持つのか、ここまで見届けた観客なら言葉にせずとも知っている。
この物語の最後の台詞は、フアンのこの一言だという感想を見かけて物凄く感動した。この物語が言いたいことはそういうことなんだ。

ラストのI Believe.
創世記の中で、マシューが書いた曲。途中までしか書けていなかった歌詞が、ここで完成する。創世記の時点ではどこまで書けていたのだろうか。
明言されないけれど、私はアブラハムの歌に共鳴するようにひとりずつソロで加わっていくままに、ひとりひとりが完成させていったのだったら嬉しい。

初めて聴いた時、ソウルセンサーがマシューが歌った時にカウントが「0」に切り替わった瞬間が視界に入って思わず涙が出た。
マシューソロ部分のI Believeの力強さと、美しいコーラスと、彼らを照らす真っ白な照明。あまりにも綺麗で、心が洗われていく気がした。

アブラハムユダヤ人。ユダヤ人といえばヴェニスの商人などで描かれているように商魂逞しく利益を求める人物として描かれがちだ。
でも、この作品ではそうじゃない。
例えば人種、例えば同性愛者、例えば移民。例えば、マジョリティ側の人。
それぞれがその枠組みという事情を抱えているけれど、大切なのはその人自身、または自分自身がどうなのかということ。
それは、自身のアイデンティティを捨てることじゃなく、そのままの自分を見つめ、そのままの相手を見つめること。
思えば、この物語には最初から少しずつそのメッセージが散りばめられている。Everybody Fitsにしても、La Vida Eternalにしても、Epiphanyにしても。
人種も見た目も血も育ってきた環境も何もかもが違う、他人であっても。そんなことは壁にはならない。大丈夫、繋がれる愛し合う家族になれる。
そのメッセージが、最後の最後でこの一曲に集約されてくる。
物語としてももちろんすごいし、理屈でない部分で心を動かされる。

「信じてる君を」
言葉で言うほど、簡単じゃない。不確かすぎるし、考えれば考えるだけ答えなんか出ないこと。
けれどアブラハムは金や利益のような目に見えることを捨て、さらには彼らが重んじる血の繋がりを越えて、その不確かなものを、4人を信じ、求め、彼等と歩んでいこうと決めた。
そして、フアン、ルーク、マーク、マシューもまた応えた。
アブラハムがひとり歌うところにひとりずつ集まり、視線を合わせ、手を取り、歌う。
本当に大事なものこそ、目には見えないのかもしれない。けれどそれは、何よりも掛けがえのないもの。

彼らが、ようやく本当の意味で仲間になれた瞬間を見届けて、ここからはメドレーでさよなら!
これがとにかく楽しくて、ミュージカルというとラストナンバーが終わってああ感動した~~で拍手をしながらカテコを見守るという感じだけど、最後にもう一度こんなに楽しい気分にさせてくれるなんて!
こういう終わり方があるんだ!と衝撃的だった。

千秋楽はキャストも観客もノリにノッているという感じで、最高の時間だった。
リズムインミーの「い・れ・て」のところの法月マークを見ていた私のテンションは、今年1最高潮になった瞬間と言っても過言ではない。
Body, Mind & Soulの石川ルークの「終わっても耳から離れないくらいの声を聞かせてくれよな!」という煽りもかっこよかった!
「GOLDって言うからYeah!って言ってくれよな!行くぞ!」からの
「GOLD!」
「Yeah!」
「GOLD!」
「Yeah!」
「LEGACY!」
「Yeah!」
「おい!今LEGACYって言ったのにイエーって言っただろ!」

千秋楽のみで、メドレーが終わった後もう一度We Are the Altar Boyzを歌ってくれた。曲が始まると客席のテンションはMAXで、そこに始まる大山マシューのオクターブ上がった歌声wもちろん他四人も「かい…かい…かい…(高音)」
ふざけ気味の裏声だった大山マシューに対し、法月マークは出る音域なのかかっこよく歌うので客席もhooooo!となり「ギデオンの……(吐息)…ッバイボ~~~!!」
力強い!!かっこいい!!
ハロー東京が「バイバイ東京」になっていたことに、ああもう終わってしまうんだと思うと寂しくていつまでも歌声を聴いていたかった。

しかし、始まりがあれば終わりがあるもので、物凄い熱気と歓声の中で曲も終わりました。

最後の挨拶で「これがGOLDの答えです!!」と言った大山真志は本当にかっこよかったです。
私ですら泣きそうになったので、続投組をずっと見てきた人はもっと込み上げるものがあっただろうと思います。あんな真剣な声と表情で、なんてかっこいいんだろう。
松浦さんのミュージカル初めてで、こんなにも楽しくなるのかと思ったと言ってくれたその表情を見て、ミュージカル好きですっかりこの作品のファンになった私もすごく嬉しかった。
「俺はこの5人で戻ってきたい!」そう言った真志に対し松浦さん常川さん石川くんも「俺も(僕も)この5人で戻ってきたい!」と続くのに対し「わたしもー♡」と続いた法月君が”らしい”感じがして可愛かった。

 

マシュー@大山真志さん
→作中何回、かっこいい!!!と思ったかわからない。
大きな体にハスキーな歌声にあったかい包容力。この人がリーダーなんだなっていうのが雰囲気だけでも伝わってくる。
ふざけたりいじられたり道化にもなれるのに、ソロを歌う時やフアンを抱き締める時、マークのソロを見守る時の表情などなど…かっこよすぎる!!!という面も持ち合わせてる。大山マシューに言えることは、とにかく「ずるい」。わかってないでしょ?そういうところが嫌い、だけど好き!みたいなツンデレ心を持ってしまう。無自覚の優しさがずるい!
あと、I Believeの最後にマシューが入ってきてアーイビリーブ!って歌うところ、完全にコリンズのI'll cover youなんですよね~~~絶対コリンズできるんだよそのおっきな体でエンジェルのことも包み込んでほしい…真志のコリンズ見たいよ…でもまだ若すぎるからあと5年くらい後かな…

マーク@法月康平さん
→初めて法月君を見た時、好みの声から好みの歌声が出てると思った。今回さらに、好みの体型で踊ってる!って感動した。
マークのような役は元々好きではあるけど、だからこそ演者がダメなら絶対に好きになれない。
法月君のお芝居は本当に絶妙な、1ミリ単位のところで私のツボをついてくる。
顔立ちや声質と声圧の関係で気が強そうに思えるんだけど、そこに見え隠れする繊細な表情のバランスがとっても良い。”泣いている人を見るより、泣くのを我慢している人を見る方が辛い”っていうのはこういうことかなと思った。
Qちゃんの時は衣装でわからなかったけど、ものすごーーーーく細くてびっくりした。そして、絶対にエンジェルできるからやろう。法月君のcontactを聴いたら絶対に泣く。

ルーク@石川新太くん
→終わってパンフレット読んでツイッター見て、え、17歳!?と。
歌えて踊れて、本当にルークにしか見えなくて。やんちゃで不良でyeah!みたいな子だと思ったら、意外と素顔は幼くてでも中身はしっかりしてる可愛らしい子でびっくりした。観客の煽りも上手だし、とにかくすごい。役でやってるというわざとらしさがない。9歳でアルターを観て、出たいと思って今舞台に立っている。夢を叶える力のある子。歌声が高いところから低いところまでよく出ていて、The Callingの時なんて綺麗すぎて涙が出た。将来有望すぎる。

フアン@松浦司さん
→ミュージカル初挑戦!?って感じです。ダンスはどうしてもある程度若い頃からやらないとダメな部分があるけど、歌はやっぱり素質だなと思う。
生男では「最初の音」と言われて「最初の音が5個くらい出てきてる」なんて言ってたから相当努力もされたんだろうけど、声は良いし聴いてて不安になることもなかった。
ラビダで「堂々巡りやわ~~」って歌い上げるところ、最初と千秋楽とでは歌い方を変えてきていて、変えていこうとか考えて進化成長しているんだなっていう姿に感動。ラテンノリと関西弁って相性抜群。くしゃってなる笑顔がフアンの陽気さに合っていたからこそ、ラビダでの熱唱もさらに良かった。

アブラハム@常川藍里さん
→初見は、常川さんの歌い上げ方が作品と合ってないんじゃないか?と思った。
でも、色々調べてからの二回目では、真っ直ぐで素直で突き抜けるようなクラシック歌唱が、アブラハムの唯一のユダヤ人であるという色の違いが出ていていいんだ!と納得した。他四人はアメリカンでファンキーなノリを感じる中、ひとり清潔感のある生真面目さが見えて、きっとそこは本人の人柄も出ているんだろうな。
ダンスもバレエの素養があって、その背筋のピンと伸びた姿が常川さんの演じるアブラハムなんだと。控えめに戸惑ったりする表情がとっても魅力的でした。

バンドの皆様も本当にありがとう。素敵だった…。
ちょいちょい挟まれる演技が可愛かった…。

 

挨拶を終えた後も彼等はステージ上で「GOLD!GOLD!」と円になって抱き合ってたり、捌けた後も「GOLD最高!」とか袖の奥で言っているのが客席まで聞こえてきて、なんだかとっても微笑ましくて、今でも思い出すとなんだかあったかい気持ちになる。
彼等もやりきって、楽しかったんだろうなって。

普段、ミュージカルを観て帰るのとは違う充実感があった。
松浦さんが言うように、この作品はおそらく初めて参加する役者よりもずっと見てるファンの方がコーレスのタイミングも盛り上げ方も知ってる。
観客のほとんどが日本人だと思うけど、こんなに盛り上がっているミュージカルなんて観たことがない!
普通は静かにしているのが基本だし、私もうるさくされるのは絶対に嫌だけど、この作品の観客は芝居部分では舞台の基本マナーを守り、必要な時には思い切り盛り上がることのできる人ばかりだった。
ミュージカルとしては特殊で、でも、すごくオフ・ブロードウェイっぽいなって。
まだ学生の頃、とあるバンドの追っかけをしていた頃の感覚を思い出したりもした。

歌舞伎町のど真ん中をスキップしながら帰れそうな、心も体も軽くなったような不思議な感覚。
明日からも頑張ろう!なんて、考えちゃったあたり魂が浄化されたんじゃないかって本気で思った。

これが私の初めての魂浄化体験でした。

また彼らが”この5人で”来日してくれるのを"信じて"待っていることにします!

 

合同公演も楽しみだなあ。

 

2/27 常川さんだけ役名もお名前も書き忘れてしまっていたので修正

1/29「幸福な職場」世田谷パブリックシアター

観劇 安西慎太郎


観ている間、なにもお涙頂戴シーン満載というわけでもないのに、何度も涙が出てきた。
それは、この話が”実話”であるということを実感すればするだけ温かい気持ちで胸がいっぱいになって止まらなかったからだ。
脚色されていることはわかっている。けれど、現在のこちらの会社の取り組みを見れば、会長さんのインタビューを見ればわかるように、大事なところは全て”本当”なのだ。

世の中、捨てたもんじゃないなって思った。
そして、私もまたこうありたい、こうなれるんじゃないかって思えた。

この作品は『全国初の心身障害者雇用モデル工場第1号となった日本理化学工業が、昭和30年代、初めて知的障害者を雇用した時の物語。』公式サイトより

 

とっても優しく心の広い経営者が、知的障がい者の人が雇用先がないならうちが積極的に受け入れよう!と言いまして、その考えに、従業員たちもすぐに納得!
心優しい専務と社員の方のおかげですぐに仕事を覚え、幸せになったのでしためでたしめでたし!

なんて簡単には、いきませんでした。

昭和30年代のお話というわけで、私自身、なんなら母さえ生まれていない時代のことは私にとっては想像するしかできない。
けれど、今よりもずっと障がい者と呼ばれる方への偏見や差別が強かったであろうということはわかるし、それは作品中に使用される言葉から見てもわかる。
そんな時代に、養護学校の先生の熱意に折れる形で”雇うのではなく実習”という条件で、知的障がいを持つ聡美ちゃんを受け入れた会社。
専務や、従業員たち、先生、それぞれが触れ合い苦悩し、知ることで変化していく。決して簡単にはいかなかった決断へ進む、そして今へと繋がる物語。

 

基本的には経営者である専務(安西)の視点で話は進む。
彼は、父親が亡くなったことで会社を継いだものの、役人出身の彼をよく思わない者もいて社員との信頼関係がうまく築けていないし、経営についても悩みは尽きない。
そんな中やってきた養護学校の佐々木先生(馬渕)の「うちの生徒を雇って欲しい」という言葉は悩みの種にしかならなかったと思う。
作中では先生に土下座までされて頼み込まれていて、普通の人ならそれだけで戸惑うし、頼むからそんなことをしないでくれと思うだろう。

専務は、従業員を雇うことは何十年とその人の生活を預かることになる、今はお母様が生きているからいいけどその後のことはどうする。箸の上げ下げまで面倒見切れないと本音を言った。
私は、この言葉にとても納得したし、優しく責任感がある人の言葉だと思った。

しかし、その後の先生の「それなら安心してください。彼女たちの寿命は短いです」という悲痛な表情で告げられた言葉に、言い表せない何かが突き刺さってきた。

施設に入れば彼女は働く幸せを感じないまま死ぬことになってしまうと、先生は言った。
専務は、聡美ちゃんを実習生だから給料は払えないとして迎え入れた後も佐々木先生の話から、彼女たちのような子は施設に入ると手術を受け生理をなくす、つまり妊娠できないようにされると教えられる。職員の手を煩わせないように、望まぬ妊娠をしないように、同時に愛した人の子どもを産むという夢さえも取り上げられてしまう。
大学では法律を学んでいながら何も知らなかった、とショックを受けている専務の姿はこちらも堪えた。私も知らなかったからだ。
その事実だけでなく自分の無知も突きつけられ、言いようのないショックがあった。

物語が進むと、聡美ちゃんの楽しそうに仕事をする姿に心を打たれた社員たちがどうにか彼女がこのまま働けないかと考えるようになる。
そして、久我さん(谷口)と原田(松田)が配送の仕事で不在の日、専務が聡美ちゃんのテストをしてみるものの二人の手助けがなければ満足に仕事ができないことを知る。
計量をするにも時間を見てボタンを押すにしても、聡美ちゃんは数字が読めないのだ。
雇ってあげたいという気持ちだけがあっても、経営者としてはそれだけではやっていけない。
「経営者として従業員に迷惑を掛けていた」という専務の言葉に、聡美ちゃんは密かに想いを寄せる原田に自分が迷惑を掛けていたと知る。
そこで聡美ちゃんが会社に来れなくなってしまうなど問題が発生するが、そのことをきっかけに専務は聡美ちゃんが色の認識はできるということに気付く。

そうして、計量は色で判別させ、時間は砂時計で説明するなどアイデアを出した。

「仕事に人を合わせるのではなく、人に仕事を合わせる」とは住職(中嶋)からの言葉だった。専務はそれを実行することに成功した。
彼らは、聡美ちゃんを思いやることで自分たちの作業効率も上がることを知った。
明るい彼らの表情と共に、自分の心にも光が射すような、何とも言えない温かさが胸に広がった。

実習が終わる日、専務が給料をひとりずつ手渡していく。
最後に、聡美ちゃんにも給料をくれた。
そして「正社員として迎えたい」と言ったのだ。
よく理解できてない聡美ちゃんと、泣き崩れた先生。

それから50年。時は経ち、久我さんの息子が専務──現在は会長、の元を訪ねる。
時代に合わせて必要とされるものは変化していく。それに対応してくれたのは社員たちだ。
そう答えた会長に久我さんの息子が「それで、その人はいまどちらに?」と聞くと「今お茶を出したでしょう」と言う。
勤続50年。変化する時代に合わせ会社を支えた社員のひとりには、今も聡美ちゃんがいる。


実際、聡美ちゃんのモデルになった方はすでに退職されているけれど本当に長く働いていて今も存命で聡美ちゃん役の前島さんがインタビューをしていた。
作中、障がい者の人の寿命は短いと言う話が出るけど、その人はそれに当てはまっていない。
それは、働くことで人の役に立ち人に必要とされる幸せを得て充実していたからなんだ、とこの舞台を観た人は必ず思うはずだ。

この作品は、リアルに人が生きていて、誰の気持ちにも少しずつ共感できるところが凄いところだった。
そりゃもうすごい、だって、聡美ちゃんにだって私は共感したのだから。

常に悩み雇ってあげたいけれど社員の生活が、会社が…時には「君が迷惑をかけている」なんて言葉さえ言ってしまった専務の気持ち。
子どもがもしかしたら何らかの障がいを持って生まれてくるかもしれないという不安を持ちながら、聡美ちゃんに優しく接する久我の気持ち。
近隣の人からの視線に耐えきれなかったり、仕事に持つ理想から聡美ちゃんのことを受け入れきれずにいた原田の気持ち。
大事に教えてきた生徒のため、どうにかはたらくという幸せを教えてあげたい、知ってほしい先生の気持ち。
好きな人に愛されたい、子どもが欲しい、「いつかあなたとてをつないであるきたい」聡美ちゃんの気持ち。

住職は立場上違う目線から描かれているが(それでもおちゃめなところがあったりする)、皆が皆ただ優しい人として存在するのではなくそれぞれの立場から色々考えていて社会人としてのシビアな面もありつつ、けれど人間として相手を思いやる心もある。その両方が混在した中で、聡美ちゃんという人を軸にそれぞれが答えを出している。
それに、彼らは聡美ちゃんの親や兄弟でもなんでもなく、あくまで他人でありながら会社というひとつの組織の中でこれだけ心が繋がっている。
その結果が会社の成長にもなっているのだから、本当に凄いことだ。


私は知的障がいを持つ人の気持ちを全て理解することなんて絶対にできないけれど、それは健常者同士だって同じことだ。
健常者だから障がい者だからというのではなく、できるできないから、ではなく。
誰に対しても思いやる気持ちを持てるよう心掛けることがまずは大事なのだと思う。
私自身が専務や久我や原田、そして先生のように振る舞えるかと言ったらわからない。その時になってみなくてはわからない。けれど、まずはこういう実例があるんだと言うことを知れたことが嬉しい。できるかもしれない、と思えるのだから。
同時に、いま私はどれだけ人とコミュニケーションが取れているだろう、相手を思いやった会話ができているだろう。そんなことを考えた。

 


安西君のお芝居は相変わらずとても良くて、スッと心に入ってくる。
彼の芝居を見ている時は、素敵な舞台、素敵な小説、素敵な映画に出会った時の感動をずっと味わっているような気分になれる。
何より、アフタートークでも言われていたけど安西君のまっすぐさが大森専務にとても合っているんだろうなあ。
またこういうエリートっぽかったりする役かと思っていたけど、今回は幸せで真っ当な人生を歩んでいてくれてよかった。
松田君は、聡美ちゃんに対しぶっきらぼうだけど惚れられてしまうという説得力がまず容姿からあって(笑)
そして、原田の微妙な心境の変化が感じ取れるのがとても良かった。原田みたいな人はね、多いと思う。
賢志さんは、単純にかっこいいなあと思っていたんですけど聡美ちゃんに出会ってからの優しい雰囲気や生まれてくる子どもに対する不安を吐露する場面、また原田への苛立ちなどワイルドな容姿に反して繊細なお芝居がうまいなと思いました。
馬渕さんと言えば私の中ではDステの検察側の証人なんですけど、雰囲気が全然違うのでびっくり。
聡美ちゃんや生徒に対する優しさ、専務の無知に対する責めるような視線、感謝の涙…先生が下手な人だったら感動しないだろうなと思う。馬渕さんで良かったです。
中嶋さんはお茶目な住職なんだけど、締めるところは締めるというか大事な台詞の時の声のトーンがさすがベテランだなと思いました。
そして、一人違う住職という立場からの助言などの雰囲気の差みたいなものが凄く良かったです。
そして、聡美ちゃん役の前島亜美さん。彼女が良かったから私はこんなにも感動したのだと思う。役自体はとても難しかっただろうし、どう演じたら良いのかきっと悩んだはず。でも、彼女はただ真っ直ぐに演じることが楽しいと表現してくれた。アフタートークでもそんな話をしてくれたけど、どう演じるかとかそういう理屈っぽいところではなくその素直な表現が聡美ちゃん自身の純粋さとリンクしているのだと。だからこんなに聡美ちゃんが魅力的だった。
”アイドル”と呼ばれる子にもいろんな子がいる。舞台に立ってうまい子もそうでない子もいる。彼女は間違いなく、もっと舞台で可能性を広げられる存在だと思う。

 

簡単なはずなのに、実は難しくてそれでいて大事なことを今一度考える、思い出すきっかけをくれる。
専務のアイデアから導き出された”聡美ちゃんに合わせることで、みんなの作業効率も上がる”というひとつの答え。
できるから良いのではない。常に相対する人を思いやる心があれば、それをみんなが持てれば、物事は良い方向へ向かっていくはず。
理由があるから思いやりを持って接するのではなく、誰のことでも思いやれる人間でありたい。

とても良い舞台でした。久々にこんなにあたたかい話を観た。


『人に何かをしてもらったら「ありがとう」』から始めよう。