Open Sesame!

日々の観劇の感想や感じたこと

2014/12/11『ビリー・エリオット』日劇

銀座日劇で、わずか一週間の上映期間。
他は六本木、有楽町と本当に限られた回数しか上映せず、私が情報を知った時にはすでに始まっていて残り4回となっていた。

ソニンさんのツイッターで知り、その絶賛ぶりにいてもたってもいられずすぐさまチケットを手配。
そのおかげで、真ん中のとても良い位置で観ることができました(*´∀`*)


映画版の邦題は『リトル・ダンサー

名前だけは知っていて、いつかいつかと思っていた。
そして、映画からミュージカル化し、日本からはるか遠くロンドンのウエストエンド、ロイヤルコート劇場で上演されたものの特別上映。
これを、日本で、大画面で公開していただけたことが本当に嬉しい。こんなに素敵な出会いになったのだから。

そして、作品に触れた今、「リトル・ダンサー」という日本での公開名に少し疑問が。
この作品は、小さなダンサーの物語だろうか?
そのタイトルで想像するのは、可愛らしい男の子がお上品なバレエ教室で落ちこぼれで可愛らしくレッスンをしてどんどん上達していくような話でした。
しかし実際は、ビリー・エリオットというちょっと生意気なひとりの少年がバレエに触れ、厳しい現実にぶつかり、家族の愛に触れ、人の愛に触れ、現実に触れ、成長し夢を実現させていくストーリーだと感じた。
なので、リトルダンサーよりも「ビリー・エリオット」でよかったんじゃないかと思う。


炭鉱町に住む少年がボクシングの稽古に行ったところたまたまバレエを知り、
その楽しさを知り、バレエのレッスンを積んでいくうちロイヤルバレエ学校を受験する夢を持つ。
しかし、炭鉱不況の真っ最中で父や兄はストライキに参加、さらに男がバレエをやるなんてオカマかゲイだけ。
そんな環境下で、ビリーが掴みとった生きる道。


良いシーンはたくさんありすぎて書ききれないので特に印象に残ったシーンを。

 

第3位:ブギーを踊るために生まれてきた

→ビリーがどんどん成長していくシーン。椅子を片手でくるくる回しながらプリエって何!?
曲も歌詞も楽しくて、その中でビリーがとても楽しそうでよかった。
ウィルキンソン先生もっと出ても良いくらいよかったなあ。しかし、走り回ってくるっと回って今度はピルエットして回って回って…
すごいです。


番外編:友人マイケル

→ビリーのお友達のマイケルが可愛すぎて。女装趣味のあるマイケルは、とにかく面白いというか役者がそうなのかとてもパワフルでエンターティナー。
いくつの子なのかわからないけど、こんな役を器用に演じてしまう子役がいるだなんて、世界は広い。
自分は女装趣味があるのに、バレエをやるビリーに「変だと思われるよ!」という台詞。笑いどころ。
クリスマスにビリーと二人きり。
「ここは寒いよ」そう言って自分のコートを肌蹴させて、ビリーの手を取り胸に当てさせた。
「冷たくない?」の問いに「気持ち良いよ」と答える。
ビリーの頬にキスしたマイケルに「バレエをやる男がみんなゲイなわけじゃないよ」と。
ここ一連、一応笑いどころなんですよ。バレエやる男なんてオカマとゲイだけ。そんな偏見を笑いどころに変え随所に詰め込んであるの。
でも、ちょっとアレな私はがんばれマイケル!みたいな気持ちになっちゃうのね。ちなみに、この時マイケルはチュチュをもらって嬉しそうに踊ってました。これも笑いどころw
物語の最後の最後、ロイヤルバレエ学校に入学するためロンドンに発つビリーを自転車で追いかけてきたマイケル。
そんなマイケルに自分から近づいたビリーはマイケルの頬にキスをして「じゃあね」と。また会おう。友人なのです、二人は。それ以上なのかはマイケルにしかわかりません。
てっきりウィルキンソン先生の娘がヒロインかと思ったら、お前がヒロインかよマイケル。彼の好演には、私から絶えない拍手を送りたい。
(映画版では、大人になり大劇場で白鳥の湖を踊るビリーを、男性の恋人と一緒に観に来たマイケルの姿がありました)


第2位:小さいビリーと成長したビリーが踊るシーン

→この上映の際の公演には、初演オリジナルキャストでビリーを演じた人が成長したビリー役を演じているのだそうです。
とにかく、溜め息が出てしまう美しさ。青いライトの幻想的な世界観の中、静かに流れる白鳥の湖
踊る少年と青年。もちろん、ビリー少年もめっちゃくちゃうまいのですが、リアルにロイヤルバレエで踊っている大人ビリーさんはその体幹から軽さからバネから、すごい。
あまりにも美しすぎて見惚れました。男性ダンサーにはあんまり興味がなかったし、バレエなら断然女性派でしたが、女性の軽さ柔らかさと体の線からくるかたい雰囲気とは別の。
とにかくとにかく、見る者の目を奪う世界でした。


番外編:お兄さん

→ビリーのお兄さんはストライキに参加していて、割と過激派な人。
怒鳴るし、すごい怖かった。
お父さんがビリーの夢のためにあの子はスターになる明るい未来を与えてやりたいと泣きながらストライキをやめる決意をした時。お兄さんは止めたの。
私はそれを見て、何堅いこと言ってるの、ビリーは才能を持っているのにって。そう思った。
けれど、お兄さんが熱く語りながら涙を流すのを見てハッとした。
彼は父親の背中を見て、その反骨精神を見て、信じて育ってきた。そして炭鉱夫になった。
それが今、覆されようとしている。信じてきたものを奪われようとしている。なんて悲しいんだろうと思って、泣けた。
父親ストライキをやめ反スト派になること、それは自分の人生を否定されること。自分を否定されること。
そして、やっぱり兄という立場が自分と重なったのかもしれない。
ビリーのオーディションの合格を自分のことのように喜んだ兄さん。でも、その直後自分たちの敗北の知らせ。
「大丈夫だよ」「何が大丈夫なんだ!?お前が故郷に戻ってきた頃には、この町も隣の町もその隣の町のやつらもみんな失業してる」
現実は厳しい。


第1位:1幕ラスト

→ビリーがバレエ学校のオーディションを受けさせてもらえず、叫びをあげるシーン。
もう、圧巻でした。息をするのも忘れてしまいそうなほど。
ビリーの部屋はセリ上がるセットの螺旋階段の一番上の小さな空間を利用してる。そこに置かれるベッドの横で、叫び声をあげ苦しそうにタップを踏むシーン。
悔しさに共感した涙なのか、感動の涙なのか、何かよくわからないものが流れてきた。瞬きさえ惜しいほどに視線が画面に釘づけになった。
舞台の上で激しく踊り、現実との狭間に揺れ、自分の無力さを知り、やりきれなくて、それでも踊ることが好きだという気持ちが抑えきれない、体中から溢れている。
ただでさえ出ずっぱりの中、最後にこれだけ激しくあちらからこちらへ飛び回り踊り倒し。
こんな演技をされたら、こんな表現を見せつけられたら、観客はただただ目を見開いて見守るだけだ。ビリーの心に触れる、印象的なシーンでした。

 

他にも、ママからの手紙を読むシーンや、マイケルと踊る洋服のシーンや、お父さんが認めてくれるきっかけになるクリスマスの夜、
そして、オーディションの最後の質問に答えるシーン。たくさん素敵なシーンがありました。


子役がこれだけ堂々と、舞台の中央であちらからこちらへ踊り倒しあれだけのことを表現してみせる。
これだけのエネルギーを感じる舞台は、生のものでさえそうそう出会えない。
舞台の上をひとりであれだけパワーで満たしてるなんて。はあもうほんとすごい。
子どもはともかく、大人でもこれだけ歌って踊って演技して舞台を自分のものにする、なんて人はそうそういないんじゃないかと思う。

そしてなにより、カーテンコールも面白い(笑)
見所満載の素晴らしいミュージカルでした。

こんなにも素晴らしいミュージカルがまだあったなんて。まだまだ勉強不足。もっとたくさん知りたい。

一生、ミュージカルを好きでいるなと確信した夜でした。

 

2015/8/16 『ウーマン・イン・ブラック 』渋谷PARCO劇場

 

 

友人からチケットを頂いて観に行きました。

 

 

※ネタバレを多分に含みますので、物語を知らない方、特にいつか観劇しようと思っている方は読まないことをお勧めします

 

 


岡田将生くんと勝村政信さんの二人芝居。英国ホラー。

舞台でホラーと言えば「死霊のはらわた」を観たことがある。でもあれはスプラッタコメディ。「アダムスファミリー」もゴシックホラーコメディ。本格的なホラーを、舞台で、というのは初めて。

でも、しょせん舞台だもの。映画と違ってリアルになんてできるわけないじゃない?なんて思っていた自分がもう。

 

 すみませんでした!!めっちゃこわい!!

 

私が座っていた席が、前方ブロックの一番後ろの端っこでちょうど扉があって。そこが開くたびに何か来るんじゃないかってドキドキして死にそうでした。

客席ってこんなにゆとりがあったっけ?ってくらい広く感じて、隣に座る友達にひっそり5センチくらい寄った(笑)

本当に怖かった!割とびっくりさせてくる演出だったからドキドキしすぎて、早く終わってくれって思ってたww

休憩があるって知らなくて、急に客席が明るくなった時も、ひぃ!!ってなっちゃったし。

でも、なかなか貴重な体験だった。蜷川さんの演出作品も初めて。照明の使い方とか凄く良くて、このセットがこう…ああ、なるほど!ってなった。

 

ステージは奥行きを利用し3ブロックに分かれてた。

前方(客席側)は基本いくつかの小道具の場所を変えつつシチュエーションを演出していく。

中央は子ども部屋を表しつつ、それ以外の時は布が掛けられて静かで人が住んでいない館(ホーンデッドマンションみたいな)感じっぽくて。

後方は階段になっていた。

前方にあるドアのセットが、けっこう目立つはずなのに照明が当たるまで存在感を失くしててすごいなあと思う。

役者が存在感あるからなんだろう。で、暗くなってそこだけに照明が当たると突如そこに現れたみたいな感じがしてすごく不思議。

暗い中の懐中電灯、静かな場内に走る緊張、付かなくなる懐中電灯、薄暗い照明、悲鳴の効果音、迫りくる馬車。キャンドルの淡い光に浮かぶ黒い影。

 

セットは最小限(つか作品ほどじゃないけど)で、観る側の想像力を非常に掻き立てる、役者の力量も出る。

劇場のマジック、これぞ舞台の醍醐味だ~~って一人で感動しちゃった。

 

最近は、映像を駆使した作品も多くて、それを否定するわけじゃないんだけど舞台という場所、本来何もない板の上、実現可能な限りのセット、あとは役者と観客。

そこに生まれる舞台の魔法みたいなものに心を動かされるからこそいいのではないかと私は思うわけですよ。

 

作中にもあったように、馬なんていない、馬車なんて本物はない。でも、箱の上で馬に鞭を打つ仕草をしながら体を揺らし音響が馬の蹄が地を蹴る音を流せばそれはもう立派な馬車じゃない?

それがいいと思うんだよね。だから、レミゼをまた観に行く気になれないのかもしれない(映像演出がちょっと苦手だった)。

 

 

ストーリーは…

『ウーマン・イン・ブラック』は、“恐怖”という感覚を見事にエンターテイメント化した作品です。

観客のいない劇場。本来なら何百という人の息が聞こえてきそうなその場所で、たった2人の男、中年の弁護士と若い俳優が、過去に体験した世にも恐ろしい出来事を、劇中劇の形を借りて再現していきます。

俳優は若き日のキップスを、弁護士は彼が出会った人々を演じながら・・・。

公式サイトからの引用。

 



弁護士役の勝村さんの演技が凄くて俳優ってすごいんだなと改めて実感。

岡田くん演じるキップスさんが出会う人々を見事に演じ分けていくものだから…

 

若き日のキップスは婚約者のいる弁護士。

孤独な館に住むドラブロウ夫人が亡くなり、仕事のためその館へ一人で…という内容。

現在のキップス、勝村さん演じる弁護士は、その時の恐怖体験をどうしても人に語りたいのだということで岡田君が演じる俳優のもとへ。

 

俳優と弁護士なので、最初は芝居をしようにもうまくいかない。

けれど、弁護士のキップスさんはどんどんうまくなっていく。それを喜ぶ俳優。

キップスさんも「サプライズを用意しますよ!」と張り切っている。

 

ホラー的内容に関しては、古典的でわかりやすいもの。

潮の関係で一日のうち数時間しか通れない道、そこに浮かぶ館、突如周辺を覆い尽くす海霧、底なし沼…

館の周辺に現れる黒い女の幽霊。その女の幽霊は自分の子どもを亡くした悲しみで呪いを…みたいな。

いろいろあるけど、端折るとこんな感じになる。

 

黒い女の幽霊が出ると、子どもが悲惨な方法で死ぬ。ある時は事故、ある時は病気…

その女の子どもは、ポニーがひいた馬車が転倒しそのまま流砂に飲み込まれ死んでしまった。

この真実を知った若き日の弁護士キップスを演じる俳優は、「自分にも娘がいるので、気持ちが入る」という話をする。それを聞いた弁護士は「娘さんを大事にしてあげてほしい」と強く伝える。

 

ポニーの馬車の足音と悲鳴を聞き、底なし沼で死にかけたり、勝手に開く開かないはずの扉や勝手に動くチェア、鳴り出すオルゴールなど数々の恐怖体験をしたキップス。

 

町の人の協力もあり無事だったキップスは、事件のことを忘れ、前向きに生きている。

婚約者と結婚し、子どもに恵まれた。ある日の休日、大きな公園でポニーの馬車に乗せてくれるというものがあった。

子どもが乗りたいと言うので、子どもと付添で妻が乗った。

楽しそうな二人。曲がり角をまがって見えなくなるのを見送り、戻ってくるまで公園を見渡す。そこには、休日を楽しむ人々。

 

しかし、ふと視界に入る黒い…黒い服の女。

 

転倒する馬車。放り出された子どもは…木にぶつかり、潰れ、悲惨な姿で草の上に転がっていた。

重傷を負った妻も、亡くなった。

 黒い女が現れその悲鳴とともに、舞台は幕を閉じる。


俳優は、素晴らしいと弁護士を褒める。弁護士はようやくすべてを人に伝えることができた、とどこか安堵した様子で「これで呪いが収まるといい」と言った。

 

俳優は言う。「あなたの用意したサプライズには驚きました!」

弁護士は答える。「はい、台詞を全部覚えてきました」


俳優は「違いますよ、あなたが用意したんでしょう!あの女優!頬が痩せこけた真っ白の、黒い服を着た女優ですよ!どこで見つけたんです?あんな人!」と言う。


弁護士は答える。「見てません…私は、その女優を見ていません!!」

 


俳優と弁護士は顔を見合わせた。

 

 

暗転。

 

 

2015/5/21 Dステ「GARANTIDO」東京芸術劇場


GARANTIDO観てきました。

Dステ初のミュージカル。さらには生演奏。

初のミュージカルと聞いた時、正直全然期待してなかった。
生演奏と聞いた時、そんなに歌うの?って思った。
全然、予備知識もなにもなく、期待もせずに観た。


Dステはいつもそう、期待以上でした!!!


ミュージカルと言えば、ウィーン、フランス、BWばかりで国内にちっとも目を向けない私がいるわけですが、こんなに良い作品もあるんだなと知りました。


「ジャポネス・ガランチード」=信頼できる日本人。
戦争によって、ブラジル移民の彼らが積み上げてきた信頼は崩れてしまう。それをどう立て直すか、自分たちの存在をブラジルという遠く離れた国で再び確立させる。
そこに生きる意味、生きた証を見出す日本人の話し。


Dステの凄いところはね、Dステというだけでファンはもちろん観ようという気になる。メンバーが出てるから。
そこで、演劇に興味あるんだかないんだかなファンが来るから適当に喜びそうなもんやっとけばいいやっていう発想がないところ。安易な女装やBL要素、アイドル要素を盛り込んで逃げないところ。客をナメていないところ。
Dステを観に来る層はあまり選ばないのでは?と思える作品を持ってくるところが凄い。
さらに、ちゃんとメンバーも俳優集団としてその結果を出してくるところ。演劇のプロの人が見たらどう思うかわからないし、ファンの欲目だって思われるかもしれないけど。
私はいつも感動してる。


そして、今回の「GARANTIDO」。

戦争が絡んでくると聞いて警戒していましたが、ただのお涙頂戴物語ではない。とても素敵な作品でした。

仲間とは?集団で生きる意味とは?日本人とは?あなたにとって祖国とは?たくさんのことを投げかけてくる。

私は日本人で、この国が祖国で、ここで生きている。そんな簡単なことを、今一度、頭と心で実感させられる。

 

私は、この作品が難しい話とは思わなかったし、出てくる単語に耳馴染みがないだけで、内容そのものはわかりやすかったと思う。

アメリカや、淋しいマグネットのように作品そのものの解釈というよりは、問いかけてくるメッセージに対して自分がどういう考えを持つか、どういう答えを出すかという話だった。
ブラジル移民という馴染みのない存在を、現代を生きる劇団員を通すことで私たち今の日本人にもリアルに感情が伝わってきてよかった。
うっかりぼろ泣きの私は、途中でコンタクトが落ちてきて大変でした。
なんとなく、完売御礼(劇団だったり劇中劇があったり)、ラストゲーム(生きた証云々や運動量や戦争)、アメリカ(くすぶるフラストレーションや劇団員の夢と現実)なんかを思い出して
初のミュージカルということで、集大成を見せてきた感じがしました。




☆紀元/山田=とも
→冒頭の一人で語りかけてくるところから、なんとなくともは今回もこういう役なんだなと(笑)
ウェットで繊細な役。
二世の彼にとっては、ブラジルが祖国。そうだろうなと思う。私だって、実は別の血が混じってるよと今更言われれたとしても生まれ住んだこの国を祖国だと感じるよ。
劇団員ではない彼が、集団を持たなかった意味、集団に憧れた意味。

「人間は二人で生きるには強すぎるし、一人で生きるには弱すぎる」

まさにそのとおりだと思う。二人で生きれば衝突しあうくせに、独りでは寂しくなる。
星は死んでからも、その輝きは遅れて地球まで届く。その最後の輝きを見たのが僕だったとしたらその星は幸せだろうかというような台詞もあった。
私は、幸せだと思う。星は、暗い宇宙にひとりほっちで、だからこそ精一杯輝くんだって思う。誰かに気付いて欲しくて、そのうえ、そんなふうに考えてもらえたなら間違いなく幸せだ。
人間も同じ、誰かに気付いて欲しくて、必死に行動を起こすよ。やっぱり、一人でなんて生きていけないと思うから。


☆吉村/関川カツオ=荒木
→歳相応な役をやるようになってきたんだなと(笑)
声も体も顔も演技も歌声も何もかも、美しいな、好きだな、この瞬間に時が止まってこの美しいものをこの時間に閉じ込めておければいいのに。なんてトリップした瞬間もあった。
関川はとにかくいい人だった。もうまさに相本のようだった。
何か結果を残す人は、最初は身の程知らずで理解されないっていうのを深く実感。
私は現代人だから、関川が兵役を逃れたことを責めようという気にはならない。「日本人なんかになってどうする?」という一連の問いかけにも、同意。
表向きは平和主義で争いを好まないけど、抜きん出ようとするものを叩き潰そうとするところがあるよね。
戦争が怖くて逃げたんじゃなくて、戦争に意味を見いだせずに祖国を捨てた。そして、祖国に捨てられた。どうでもいいと思っていたはずなのに、負けたと聞くと悔しい。
それもわかる。別に普段応援してないし日本万歳という思考でもないけど、ワールドカップやオリンピックで日本が馬鹿にされたら、負けたら悔しい。そういうことなのかなと。そんな単純じゃないだろうけど。
日本が私たちを捨てても、私たちが日本人であること、この血に流れる日本の歴史は変わらないんだなぁなんて思ったりして。
最後、あんなことになったのに養女を迎えたりして優しい人だな。

吉村に関しては、なんかもうかわいそうになっちゃって。リーダーってのはなりたくないもんだよ。三津谷さん演じた西尾の位置が楽だよね。
多少えらいけど責任を伴わない。みんな自分の意見なんか出しもしないくせに、何かあると責任者に全部押し付ける。昔学級委員やってた時のことをなんとなく思い出した…。
新しい風を吹かせることが必要だと紀元を呼んだり、空回りながらもよく頑張ってたと思うよ。

加治くんが言ってた、荒木に色気があるって意味をなんか理解した。
艶とかそういう意味じゃなくて、演技や存在感が色っぽいから目立つ。荒木の色があって形があって、それが確立されてハッキリしてるから役柄がぼやけないというか。
立っていて目を引く華があるから、リーダーやったり主役級やったりが向いてるんだよな。たぶん、端っこの役やらせても目立っちゃうタイプ。台詞とか少なくても。
そう言う意味での色気かなと。もちろん艶的な意味での色っぽさもあり。ダンサーさんとかもそうだよね、オーラや体の線、仕草が自然と色っぽい人は目立つ。
歌も演技も、うまくなったんだなあと実感しました。

 


☆畠野上/ゲンゾウ=加治
→加治くんのゲンゾウ感はんぱない(笑)
とにかくどっしりとした存在感と、安定の歌声、滑舌も発音も聞きやすい台詞。凄いなあと思う。
加治くんがいるだけで、ベテランの少ない舞台をしっかり締めてくれてる感じがするもん。
ゲンゾウさんも良い人だった。酒に溺れた理由も納得できるし、それでいて関川のやることにも同意してくれた。一緒に生きた証を残したいと思ってくれた。
彼の未来を乗せた船が、無事にアマゾン川を渡ったことを祈るよ。
(史実を調べたところによると、船は無事アマゾン川を渡りかなり大きな功績を残したうえ稼いだお金を戦後の日本のために送金したとか)


☆千里/桐野ヒデミ=マルシアさん
→何を隠そう泣いたのはマルシアさんの歌。
やっぱり女性の立場というのは思わず感情移入してしまう。
自分を大事にしたからこそ体を売った、それしか売るものがなかった、生きていくためにはそれしかなかった。
父や母、家族の墓を無縁仏になんかしたくない。ヒデミの思いがひしひし伝わってきて、涙がぼろぼろ。
マルシアさんの歌はさすがだな~~と。演者の実力で歌の雰囲気なんて一気に変わってしまうのね。
最後まで生きていて欲しかった。けど、物語としてはあれでよかったと思う。


☆根岸/山田ノボル=荒井
→てめえええ山田ノボルううううう荒井いいいいいい!!!!と、公演後まであとをひく嫌なやつでした。
彼のしていることが正しいとか間違ってるとか、もうそんな次元にいないから怖い。
理屈の通じない相手に銃を持たせてはいけない。
高身長を生かし、低い声で難しい曲を歌い上げ、劇団ならそこそこのベテランがやりそうな役どころでは?と思ったこの役。
しっかりやりきって、観ている側に怖いと思わせた荒井、素直に凄いと思いました。


☆伊藤/イチロウ=山田
→涙を誘う役どころ。
ハーフであり、日本を知らないイチロウ。彼は彼で自分を日本人だというけれど、母はブラジル人。
自身は日本人なのか、ブラジル人なのか、聞かれたらどちらで答えれば良いのか。悩み続けながら生きている。
そんな彼をそそのかす山田ノボル。「日本人になりたくないか」と。彼にとっては最も甘く残酷な誘惑の言葉。
最終的に思いとどまり、みんなのところへ戻ってくるも、関川の告白に「日本が負けて悔しい、そう悩めることさえ羨ましい」と。

私は、ハーフだからといってどちらでもないとは思わない。どちらでもあるのだと思う。
どちらの国の歴史もその人の血には流れていることこそがその人自身のアイデンティティ、と感じるけど。
どちらか片方、でなくてもいいのに。でも、集団で生きるっていうのはそうじゃないのかも。どちらかの集団に属するなら、その選んだ”どちらか”でなくてはいけないってことなんだろうな。難しい。

山田くん良かったと思います~~可愛らしかった。歌も演技もそつなくこなすね。



いい作品でした。もう少し公演期間が長ければチケット追加したかったな。